今朝はずーと雨が降り続いていました
ひめちゃんと獅子丸は、レインコートを着てお散歩です。
なんとなく諏訪神社に出て、山上城址公園のほうに行きました。
ついでだから、あじさいの名所を通ってみるか
咲いてはいましたけど、ちょっと寂しい桐生の紫陽花の名所です。
昔ながらの種類が一種類とガク紫陽花が一種類だけです。
寒さで花芽がやられたので、花も少なめです
下草刈りはやってありました。
一昨年の冬、大中寺を訪れました。
上田秋成によって書かれた青頭巾の寺・大中寺ということで訪問しました。
その後、隣村の龍源寺の本寺が大中寺と知りました
枯れたあじさいがいっぱいで、いずれあじさいの季節に訪問したいと思っていたのです。
先週の土曜日、今しかないと出かけてみました。
県道67号線をひたすら東に行きます。
下津原の信号脇のコンビニで、ホットコーヒーで一休み。
左折してしばらく行くと、大中寺の表示があります。
左折してまもなく大中寺です
あじさいが咲いています
駐車場はほぼいっぱい、なんとか駐車します。
やはり紫陽花の似合う寺です
山門は皆川城の裏門を移したとか。
帰りに「おおひら歴史資料館」で、皆川城主の皆川さんは、小田原城にこもったけれど、うまく抜け出してその後もしっかり出世したという話をききました
山門をくぐってまた階段です
階段のクラシック度が増してきます。
頑張って登り切ると、右手に紫陽花の似合うお堂があります。
説明板もあります。
本来は当寺の西南にあった真言宗園福寺に安置されていた「木造地蔵菩薩半跏像」だとあります。
前回もお会いしているはずですけど、まったく記憶にありません
ここから油坂が見えます。
大中寺七不思議が始まってます。
説明板によると、
ある学僧が燈火欲しさに本堂の灯明の油を盗んで追われてこの階段から転げ落ちたのが因で死んでからこの階段を登ると災いにあうという
通行禁止になってました
たしかに急勾配で手すりもないんですけど。
とりあえず脇の坂を登って本堂です。
さすがの彫刻です
大中寺の由来があります。
この寺の縁起は今昔物語、雨月物語の青頭巾の話として名高く、境内にある七不思議の伝説もまた広く知られているところである。
さて、青頭巾物語で鬼坊主の墓標として刺した藤が生長した「根なしの藤」の七不思議の一つです。
たしか、本堂の裏手にあったのですけど、フエンスができてしまっていけません
イノシシが出没するのでしょうか?
残念
とりあえず、「雨月物語」青頭巾の話を復習しておきます
昔快庵禅師という諸国遍歴の修業をする高德の僧がいた。ある年奥羽に行く途中、下野の国冨田の里で日が暮れてしまった。ある裕福そうな家で宿を頼もうとすると、「山の鬼が来た。」と大騒ぎになった。家の主人によると、山の上の寺の住職は寵愛した少年の死を受け入れられず、ついには遺骸を食べ尽くしてしまい鬼になってしまったという。禅師は教え導いて元の善心にと立ち返らそうと、次の日山の寺に向かい、一夜の宿を借りた。鬼は禅師を食べようとしたが、禅師の姿はそこにいるのに見えなかった。鬼は観念し、あさまし悪行を捨て去るすべを教えてほしいという。禅師は自分が被っていた青頭巾を被らせ、二句の唱導歌を与えた。「江月照らし松風吹く 永夜清宵何の所為ぞ」この句の真意をよくよく考え抜くように行言って山をおりた。翌年、奥羽からの帰りにここを通り、山の寺に行ってみると、か細い声で「江月照らし松風吹く 永夜清宵何の所為ぞ」と唱える僧がいた。「そもさん、何の所為ぞ。」と一喝して禅杖で撃つと、そこには青頭巾と骨だけがあった。快庵禅師は里人に請われ、この寺の住持となった。
そして、鬼坊主の墓標として指した藤が成長したのがこの藤の木ということです。
『雨月物語』は怪談ですけど、何かほのぼの、人間の優しさみたいなものを感じたような記憶あります
ひめちゃんと獅子丸は、レインコートを着てお散歩です。
なんとなく諏訪神社に出て、山上城址公園のほうに行きました。
ついでだから、あじさいの名所を通ってみるか
咲いてはいましたけど、ちょっと寂しい桐生の紫陽花の名所です。
昔ながらの種類が一種類とガク紫陽花が一種類だけです。
寒さで花芽がやられたので、花も少なめです
下草刈りはやってありました。
一昨年の冬、大中寺を訪れました。
上田秋成によって書かれた青頭巾の寺・大中寺ということで訪問しました。
その後、隣村の龍源寺の本寺が大中寺と知りました
枯れたあじさいがいっぱいで、いずれあじさいの季節に訪問したいと思っていたのです。
先週の土曜日、今しかないと出かけてみました。
県道67号線をひたすら東に行きます。
下津原の信号脇のコンビニで、ホットコーヒーで一休み。
左折してしばらく行くと、大中寺の表示があります。
左折してまもなく大中寺です
あじさいが咲いています
駐車場はほぼいっぱい、なんとか駐車します。
やはり紫陽花の似合う寺です
山門は皆川城の裏門を移したとか。
帰りに「おおひら歴史資料館」で、皆川城主の皆川さんは、小田原城にこもったけれど、うまく抜け出してその後もしっかり出世したという話をききました
山門をくぐってまた階段です
階段のクラシック度が増してきます。
頑張って登り切ると、右手に紫陽花の似合うお堂があります。
説明板もあります。
本来は当寺の西南にあった真言宗園福寺に安置されていた「木造地蔵菩薩半跏像」だとあります。
前回もお会いしているはずですけど、まったく記憶にありません
ここから油坂が見えます。
大中寺七不思議が始まってます。
説明板によると、
ある学僧が燈火欲しさに本堂の灯明の油を盗んで追われてこの階段から転げ落ちたのが因で死んでからこの階段を登ると災いにあうという
通行禁止になってました
たしかに急勾配で手すりもないんですけど。
とりあえず脇の坂を登って本堂です。
さすがの彫刻です
大中寺の由来があります。
この寺の縁起は今昔物語、雨月物語の青頭巾の話として名高く、境内にある七不思議の伝説もまた広く知られているところである。
さて、青頭巾物語で鬼坊主の墓標として刺した藤が生長した「根なしの藤」の七不思議の一つです。
たしか、本堂の裏手にあったのですけど、フエンスができてしまっていけません
イノシシが出没するのでしょうか?
残念
とりあえず、「雨月物語」青頭巾の話を復習しておきます
昔快庵禅師という諸国遍歴の修業をする高德の僧がいた。ある年奥羽に行く途中、下野の国冨田の里で日が暮れてしまった。ある裕福そうな家で宿を頼もうとすると、「山の鬼が来た。」と大騒ぎになった。家の主人によると、山の上の寺の住職は寵愛した少年の死を受け入れられず、ついには遺骸を食べ尽くしてしまい鬼になってしまったという。禅師は教え導いて元の善心にと立ち返らそうと、次の日山の寺に向かい、一夜の宿を借りた。鬼は禅師を食べようとしたが、禅師の姿はそこにいるのに見えなかった。鬼は観念し、あさまし悪行を捨て去るすべを教えてほしいという。禅師は自分が被っていた青頭巾を被らせ、二句の唱導歌を与えた。「江月照らし松風吹く 永夜清宵何の所為ぞ」この句の真意をよくよく考え抜くように行言って山をおりた。翌年、奥羽からの帰りにここを通り、山の寺に行ってみると、か細い声で「江月照らし松風吹く 永夜清宵何の所為ぞ」と唱える僧がいた。「そもさん、何の所為ぞ。」と一喝して禅杖で撃つと、そこには青頭巾と骨だけがあった。快庵禅師は里人に請われ、この寺の住持となった。
そして、鬼坊主の墓標として指した藤が成長したのがこの藤の木ということです。
『雨月物語』は怪談ですけど、何かほのぼの、人間の優しさみたいなものを感じたような記憶あります