黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

潮音禅師開山・法隆山長福寺

2021-08-11 17:03:51 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ました。

諏訪神社の前からは、久しぶりに浅間山の姿が見えます

なぜかまっすぐ進まずに左折し、常広坊の丘を登ります。

榛名山・浅間山がよく見えます。

 

道なりに山上城に至ります。

堀切外の農道を歩きます。

日陰でほっと一息だね

 

二の丸と三の丸の間の通路を通って帰ります。

 

ちょうど常広寺の7時を知らせる鐘が鳴り始めました

 

帰り道、また道草です。

道草が好きなきょうだいです

 

 

 

みどり市笠懸町久宮(かさがけまちくぐう)の臥龍菴のあと、もう一ヶ所黄檗宗のお寺を訪問です。

太田市木崎町の法隆山長福寺です。

帰りにはジョイフル本田に寄って、ひめちゃんたちのおやつを買って帰りましょう

 

(太田市木崎町)貴先神社の信号を南に下ります。

ほどなく右側に、目立たなくありました。

 

隠元禅師三百五十年遠忌ですって

隠元禅師が亡くなってから、350年ですか

 

黄檗宗とお寺の歴史についても、掲示されています。

見やすく2枚にして拡大です。

インゲン豆だけでなくスイカやレンコンも伝えたんですか

 

由良氏の武将だった小此木繁高は、中国から来た隠元禅師や木庵禅師の法話を聞きに、はるばる江戸にまで行っていたんですか

その息子が潮音禅師を開山として奉じて、長福寺が誕生したのですね

ここは、潮音禅師一門の教化の拠点だった時代が、あったのです

 

本堂への参道脇には、曇華地蔵(どんげ)です。

合掌

 

庭園整備中かな?

本堂前で合掌

さて、隣の庫裏で御朱印を頂きましょう。

残念、お留守のようです

 

 

本堂斜め前方に、手水社かな?

懐かしい井戸ポンプと、新しそうな観音様です

 

 

高校時代は、木崎駅から電車で通っていました。

その木崎に、潮音禅師開山のお寺があったのです

また、そのうちにうかがいます

 

さてジョイフル本田に寄って、ひめちゃんたちのおやつを買って帰りましょう

 

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四天王山・臥龍庵(いつも通ってます)

2021-08-10 16:39:08 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

今朝、ひめちゃんと獅子丸は、かなり早めにお散歩に出ました。

獅子丸はもう抜け目なく、東の牧場へと進みます。

ヤギさんいるかな?

 

あれ、大きくなったね

子ヤギのきょうだいが、ハウスから駆け出します。

ママのおっぱいにかぶりついてます

ミルクタイムだったんだね

 

ひめちゃんと獅子丸は、草に夢中です。

最近2人はよく草を食べます。

バイバイ、またね

 

上のタケイ沼は、まだミドリ沼です。

でも、カモさん達はたくましく活躍中です。

 

サマンサ坂を通って帰ります。

今日も暑そうだね

 

 

 

 

7月24日、赤城山宝源寺跡を確認した後、県道69号線を南に下ります。

みどり市笠懸町久宮の臥龍庵(がりょうあん?)を目指します。

 

寶林寺のHPによれば、

臥龍庵は現在は公民館として活用されています。堂内には本尊、四天王像を祀ります。館内には神輿が保管され、石碑や額等の記載年代から明治初期~中期ごろは非常に賑わいを見せていたものと考えられます。

 

むむ、ここはやっぱりいつも通ってる所だ

何だろうと気にはなっていたけど、黄檗宗のお寺だったんだ

 

臥龍菴の文字が見えます

左の額には、「四天王?」の文字があります。

「黒瀧開山 潮音禅師」によれば、主な関係する寺院の中に、四天王山臥龍庵があります

 

失礼します。

お賽銭を入れて合掌

現役でご活躍中のようです。

いつまでもご活躍くださいね

 

 

境内をちょっと散策です

 

何だろう?

 

塔婆には、「臥龍庵歴代大和尚」と「国瑞寺」の文字が見えます

 

石造物は多くはありませんけど、品良く残ってます

御利益ありそうな如意輪観音です

 

ここは、よく通る道筋です。

今までは素通りしていました。

これからは、時折参拝させて頂きます

 

 

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赤城山・宝源寺跡(みどり市笠懸町)

2021-08-08 16:27:09 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

今朝は、小雨の中のお散歩になりました

ひめちゃんたちには、ビニール風呂敷の貧乏カッパは、ちょっと暑そうです。

小雨にぬれてのお散歩になりました。

 

 

昨日の朝、ひめちゃんは、大好きなケンくんの姿をみつけました

あれ、もう行っちゃうの

ボクも近くへ行きたいけど、獅子くんがいるからね。

またね、バイバイ

人の恋路の邪魔をする男です

右前足が戦闘モードです

 

 

 

 

大久保不動尊との不思議な出会いから、黄檗宗(おうばくしゅう)の黒瀧山不動寺(甘楽郡南牧村)と真福山寶林寺(邑楽郡千代田村)を訪ねました。

不動寺でゲットしてきた「黒滝開山 潮音道海禅師」という小冊子と、真福山寶林寺のHPを参考に、訪問できそうな所は行ってみようかな

 

 

まず、一番近そうな所です。

寶林寺のHPによると、「赤城山宝源寺」は、

宝源寺は現在では、門柱と石塔や墓地等を残すのみとなっていますが、その跡地は確認できます。一説にはお堂は火難により焼失したと言われています。当時を伝えるものはなく、歴代和尚塔からこの地にお寺が存在していたことが確認できます。現在は近隣寺院によって管理されています。

 

「赤城山宝源寺 みどり市笠懸町鹿2908付近」を探します。

 

 

むむ、ここは来た事あるぞ

JAの駐車場の道向こうです。

石造物からみると、かつては、道のこちらにも境内が広がっていたのかな?

 

山門の名残かな?

石造物がいっぱい

 

 

少し入ると、右側に和尚さんの墓石群があります。

左の一見普通に見える墓石に、当山十三代の文字が見えます

 

ちょっと見えにくいですけど、当寺開山の文字です

 

墓石の形は様々ですけど、和尚さんの墓石です。

 

開山さんの墓石の先には、新しい墓地が広がってます。

開山さん、何思う?

 

 

墓地の北に見える山は、鹿田山です。

みなさんに合掌

 

 

さて、JAの駐車場に戻りましょう。

 

 

向こうに見える山は、琴平山です。

山の南麓には、黄檗宗・国瑞寺があります。

出口にたくさんの水桶です。

ここは、国瑞寺が管理しているのです。

 

国瑞寺は、国瑞寺にあった案内によると、

ここ国瑞寺は、推定、寛文七年(1667)に笠懸野を開拓された時の代官岡上景能(おかのぼりかげよし)公によって創建され、延宝元年(1673)、景能公が師事されていた独堪性瑩禅師により開かれました。

 

黒瀧山不動寺を開山した潮音禅師とは、黄檗宗でもちょっと違う流れになるのでしょうか?

 

 

 

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黒滝山不動寺より先に開山・真福山宝林寺

2021-07-30 20:16:09 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

夕方、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩です。

ひめちゃんが、どうしてもケンくんちに行くんだと譲りません

パパは、そこらにつながれてもらいます。

いい子で待っててね

ケンくん、いるかな?

ケンくんは、エアコンのお部屋です

ひめちゃん、お久しぶり

でも、ハイタッチ出来ないね。

ひめちゃん、もう行っちゃうのかい

バイバイ、またね

今度は、お外で会いたいわ

 

あぜ道を、南に下ります。

草むしりをしているおばさんがいます。

「こんにちは

「こんにちは、その子は足が悪そうだね。」

「はい、もう15才なので

「そうかい、うちのは去年19才で死んだよ。大往生さね

「そうだったんですか ダイナちゃん、そんなに長生き出来たんですか 大往生ですね

 

ダイナちゃんは、大間々のダイナムに捨てられていたんだそうです。

我が家の黒柴第一世代、三四郎&サマンサとよく遊びました。

いい家族に巡り会って、長生き出来たんだね。

コジ君もガンバだよ

 

 

 

 

7月19日、邑楽町にある細谷右馬助の史跡を確認した後、もう一ヶ所寄りましょう。

近くに、黄檗宗のお寺があります。

 

宝林寺(邑楽郡千代田町)です。

ここらへんの自治体は平成の大合併の時に、無理な合併などしなかったようです。

 

ほどなく、宝林寺に到着です

広い駐車場です。

山門前に、目立つ石造物です。

 

一番左は、大きな大きなお地蔵様です

邑楽郡新福寺村の文字が見えます。

真福山宝林寺の文字も見えます。

 

なんともいかつい青面金剛です

踏みつけている邪鬼が大きくリアル

2鶏もかなりリアル

邪鬼のお尻&鶏の大きな尾、目立ちます

 

 

さて、山門をくぐって参拝です。

山号は真福山です。

新福寺村の真福山宝林寺です。

 

 

山門をくぐると、左手には水子地蔵です。

かわいいお地蔵様もいっぱいです。

合掌

 

 

右手には、鐘楼堂です。

この鐘は、国の重要美術品とされた名鐘で、館林城主徳川綱吉が、当時、宝林寺に来住の潮音禅師を迎えて創建した廣済寺に、寛文十年(1670)家老の黒田信濃守が寄進したもので、潮音の師木菴によって銘が刻まれている。

綱吉が五代将軍となった後の天和三年(1683)館林は廃城、廣済寺も取りこわしとなり、本尊、什宝等この寺に移された。

 

あの黒瀧山不動寺を中興開山した、潮音禅師ゆかりのお寺だったのです

潮音禅師は、廣済寺の取りこわしの後、南牧の黒滝山に隠棲、黒瀧山不動寺を開いたのです

 

 

本堂に参拝です。

合掌

残念ながらご本尊の姿は拝めません

葵のご紋が目立ちます。

 

 

さて、庫裏で御朱印を頂きましょう。

残念ながら、お留守のようです

 

 

もう一度、あの梵鐘にご挨拶です。

潮音禅師と共に、上州に黄檗宗の鐘のならしたのです。

お疲れ様でした

 

 

折を見て、宝林寺のHPと冊子「黒滝開山・潮音道海禅師」を参考に、現存する群馬県内の黄檗宗の寺院や施設を訪ねてみましょう

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南牧の秘境・黒瀧山不動寺4(檀家を持たない寺)

2021-07-25 15:39:51 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

今朝、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩に出ました。

諏訪神社の前で、どうしてもイヤイヤの二人です。

じゃあ、山上の元蓮田に行ってみよう

あたちは、あんまり気が進まないけど、まあ行ってみましょう

ボクも仕方なく付き合います

 

あれ、1つも咲いてない

たしか一昨年まで、手前の田んぼ一面は、蓮田でした。

隠れた蓮の名所で、それなりに地元のひとは訪問していたようです。

 

昨年所有者が変わったのか、蓮田は掘り起こされ稲が植えられました。

でも、所々に生き残り、けなげにピンクの花を咲かせていました。

今年は徹底的に駆除が行われたのでしょう。

田んぼの淵に、わずかの葉っぱを見るだけです。

来年は、葉っぱもないかも

 

ひめちゃんちの蓮の花も、4日目、花が開く時間が早くなってます。

あれ、脇から小さな花芽が出てきました

 

 

 

黒瀧山不動寺、開山堂から戻ります。

滝の前のお堂に参拝です。

大雄宝殿(本堂)です。

浄財箱の後方から、前方正面のくり抜き穴からお姿を拝むことが出来ます。

 

所々にとても親切なアドバイスがあります

訪れる人に、やさしいお寺です

 

大雄宝殿の扁額は、潮音上人の書なのです。

 

浄財箱にお賽銭を入れて合掌。

穴から失礼します。

合掌

 

改めて見回すと、かつてはきれいに彩色されていたのでしょう。

堂々たる本堂です

 

行きには、不動堂から竜神の滝周りで、山際を歩きました。

初めて、臥龍橋を渡ってきました。。

大雄宝殿(本堂)に行くのに、本来はこの橋を渡るのですね。

 

青紅葉の似合う大雄宝殿を後に、山門に向かいます。

 

右の授与所で御朱印を頂きました。

御朱印は、本来は納経した証として渡されたものだったと、ご教示頂きました。

写経体験もできるということです。

そのうちに機会がありましたら、よろしくお願いします。

 

黒瀧山不動寺の開山・潮音禅師についての冊子も求めました。

黄檗宗黒瀧派の本山、黒瀧山不動寺は修行の寺、檀家を持たない寺だそうです

檀家を持たずに、潮音禅師の中興開山以来350年です

多くのお寺が檀家によって存立している昨今、素晴らしいことです

 

御朱印も祈祷して頂いて、受け渡されました

ありがとうございます。

 

「ここは秋の紅葉の季節も、とてもいいです。11月の下旬くらいが一番きれいです。また、お出掛け下さい

「ありがとうございます。またそのころにうかがいます

 

 

鐘楼堂によって、鐘を付いて帰りましょう

 

おや、鐘楼堂前にどなたかな?

「帝釈天と四天王」かな?

合掌

 

鐘楼堂建立之碑です。

 

階段を登ると、

この梵鐘には戦艦陸奥の羅針盤が合鋳されています。世界平和と災害のない世の中を念じてお撞き下さい。

前方には

七分の力でやさしく撞きましょう

 

やさしく七分の力を込めて、撞きました。

合掌

 

 

(黒瀧山不動寺 終 )

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