初雪です。
ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北の方を廻ってきました。
ひめちゃんたちのお散歩の時は、まだ少し雪がちらついていました。
瀧沢不動尊への道程、関の摩崖仏にある丁抗が74番目、龍興寺の門前の丁抗が76番目です。
では、75番目は関の摩崖仏と瀧興寺の間にあるはずです。
関の摩崖仏から瀧興寺まで、直線の道はありません。
人家・畑等が入り組んでいます。
なるべく近道を選んで、車で走りました。
ありません
瀧興寺の門前で、76番目の丁抗を確認です。
76丁目です。
上にあるのは不動明王のキリークかな?
下に滝沢道とあります。
瀧ではなく、滝の文字です。
東側です。
石工の名前があります。
信州宮下藤左衛門
もしかしたら、高遠石工(たかとういしく)?
「藤左衛門」、縁のある名前です
南側です。
不動明王の御真言かな?
北面です。
天明八戊申稔六月吉日 前住尊盛立之
天明8年は、西暦1788年、戊申(つちのえさる)です。
天明2年から始まった天明の飢饉も続いています。
天明3年には、浅間山が噴火して、飢饉に追い打ちをかけました
そんな時の建立なのですね
不動明王の法力に強い期待をしています
さて、どうしよう?
200mだから、歩いて見よう。
車が通れないような細道で、関の摩崖仏まで歩いてみます。
ありません
74番目の丁抗を確認して、鏑木川沿いを歩いてみます。
200mをかなりオーバーしそうです
畑の中に埋もれてしまったかな
瀧興寺にもどり、車で353号線廻りで、関の摩崖仏を目指します。
関の摩崖仏→の表示を入ってしばらくして、道ばたに気になる物があります。
七十三の文字が見えます
73番目の丁抗だ
三分の一は埋まっていて、石もかなり風化しています
でも、不動明王のキリークみたいだし。
なにせ、74番目の丁抗がすぐそこです
右の杉林が関の摩崖仏です
1丁は約109mということですけど、見えるくらいに近いです
探していた75番目の丁抗ではありませんでした。
でも、丁抗と丁抗の距離感が実感できました
道ばたで忘れ去られている73番目の丁抗に出会えたことは、何かの縁なのでしょう