黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

瀧沢不動尊への道・その4(75番目の丁抗を探して)

2020-01-28 15:56:23 | 瀧沢不動尊への道

初雪です。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北の方を廻ってきました。

ひめちゃんたちのお散歩の時は、まだ少し雪がちらついていました。

 

 

 

瀧沢不動尊への道程、関の摩崖仏にある丁抗が74番目、龍興寺の門前の丁抗が76番目です。

では、75番目は関の摩崖仏と瀧興寺の間にあるはずです。

関の摩崖仏から瀧興寺まで、直線の道はありません。

人家・畑等が入り組んでいます。

なるべく近道を選んで、車で走りました。

ありません

 

瀧興寺の門前で、76番目の丁抗を確認です。

76丁目です。

上にあるのは不動明王のキリークかな?

下に滝沢道とあります。

瀧ではなく、滝の文字です。

 

東側です。

石工の名前があります。

信州宮下藤左衛門
もしかしたら、高遠石工(たかとういしく)?
「藤左衛門」、縁のある名前です

 

南側です。

不動明王の御真言かな?

 

北面です。

天明八戊申稔六月吉日 前住尊盛立之

天明8年は、西暦1788年、戊申(つちのえさる)です。

天明2年から始まった天明の飢饉も続いています。

天明3年には、浅間山が噴火して、飢饉に追い打ちをかけました

そんな時の建立なのですね

不動明王の法力に強い期待をしています

 

さて、どうしよう?

200mだから、歩いて見よう。

車が通れないような細道で、関の摩崖仏まで歩いてみます。

ありません

74番目の丁抗を確認して、鏑木川沿いを歩いてみます。

 

200mをかなりオーバーしそうです

畑の中に埋もれてしまったかな

 

瀧興寺にもどり、車で353号線廻りで、関の摩崖仏を目指します。

関の摩崖仏→の表示を入ってしばらくして、道ばたに気になる物があります。

七十三の文字が見えます

73番目の丁抗だ

三分の一は埋まっていて、石もかなり風化しています

でも、不動明王のキリークみたいだし。

なにせ、74番目の丁抗がすぐそこです

右の杉林が関の摩崖仏です

 

1丁は約109mということですけど、見えるくらいに近いです

探していた75番目の丁抗ではありませんでした。

でも、丁抗と丁抗の距離感が実感できました

道ばたで忘れ去られている73番目の丁抗に出会えたことは、何かの縁なのでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

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瀧沢不動尊への道・その3(関の摩崖仏)

2020-01-27 20:31:03 | 瀧沢不動尊への道

雪の予報が出ています。

ひめちゃんと獅子丸は、七海ママの昼散歩に付き合います。

二人とも、ハイシニアのママに合わせて歩けます

みんな上機嫌で帰ってきました

 

 

 

桐生市のHPによれば、
その大滝のふもとの堂宇は天明2年(1782)の火災で焼けてしまいました。尊盛和尚はその再建に努力し、記念として不動尊から瀧興寺までの道程に丁抗(1丁は約109メートル)を設置しました。
(尊盛和尚は)やがて瀧興寺は第13世の尊英にゆずり、自らは不動尊の別当(お守りする)になったと伝えられています。

 

不動尊から瀧興寺までの道程、最後の76本目の丁抗は、龍興寺(りゅうこうじ)の門前にありました。

76本目から逆にたどって行くと、瀧沢不動尊へたどり着けるのです

 

そして74本目の丁抗は、関の摩崖仏(せきのまがいぶつ)にあります。

帰り道です。

寄って行きましょう

 

空っ風街道から国道353号線にでて、大間々方面に下ります。

国道沿い右側に、小さいですけど「関の摩崖仏→」の表示があります。

右折してしばらく行くと、摩崖仏の前にでます。

建物は覆い屋ではなく、休憩所のようです。

 

右側に丁抗があります。

瀧沢不動尊から74丁、8066m、だいたい8kmです。

 

ここは群馬県の指定重要文化財です。

この摩崖仏は、鎌倉時代のものだとあります。

700から800年経っているのですね

瀧沢不動尊より古いのです

 

阿弥陀三尊のお姿は、あまりはっきりとは拝めません

風化が激しいです

前に不動明王がいます。

説明板にあるような、阿弥陀三尊の容貌とか衣類・持ち物はわかりません

でも、ひめちゃんたちのお散歩コースにある、高縄の摩崖仏よりは、少し保存状態がいいようです。

くりぬいた空間の中に彫られているからでしょう。

 

お不動様には文字が見えます。

元禄二年(1689)己巳(つちのとみ)七月吉日

松尾芭蕉が河合曽良と「奥の細道」の旅をした年です

お不動様330歳です

石の性質でしょうか、劣化がうちばです。

 

権大僧都龍寶?

修験者?

江戸時代には当たり前にいた人達です。

 

すぐ下には鏑木川が流れます。

河原には石造物がいくつもあります。

馬頭観音がメインですけど、弁財天もあります

 

道ばたには、巨大な道祖神があります。

道祖神には、横に弘化3年(1846)とあります。

 

鏑木川を渡って、はす向かいに、山神宮があります。

まるで、山神さまが舟に乗って鏑木川を移動するようです

鏑木川にかかる橋の名は、不動橋です

 

ここは古くからのパワースポットで、また多くの人が集い行き交う、山上世界の入り口だったのです

龍興寺はここから北東に2丁、約200mです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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赤城山瀧沢不動尊・後編

2020-01-25 21:09:41 | 瀧沢不動尊への道

七海ママは今年の6月で16歳になります

人間だと80歳くらいだそうです。

夜にも、ちょっとそこまでちい散歩が必要です。

動物病院の先生によると、ためておけないんだそうです。

寒さが応えるようなので、服を着せるようになりました。

嫌がるふうもなく、気にいってるようです。

昼間も寒いと着ています。

ひめちゃんは、もっともっとおばあちゃんになったら、服を着ようね

 

 

瀧沢不動尊に到着しました

む、おじさん邪魔

でも、入り口の高さがわかります。

大人の頭がちょっとぶつかりそうなのが、「みそ」なのでしょう

参門の壁に、なにやら説明があります。

およそ600年前に、佐貫の豪族が佐野の仏師鋳造させ、この断崖絶壁の岩穴に奉納した。

龍興寺の12代住職尊盛が焼失した堂宇を立て直し、別当として移り住んだ。

その後管理者が度々変わったが、現在は地元・室沢地区で守っている。

奉納された不動明王は、その後、右手、両足、火炎がなくなりました。

右腕は上杉謙信が持ち去り深谷・下手計(しもてばか)の鹿島神社に、火炎は榛名町の火炎不動に、両足と台石は龍興寺にあるらしい

 

わあ、確かに岩穴の中にお堂がある

手水社もクラシック

廻りに石造物があります。

赤い鳥居もあります。

「赤城稲荷大神」とあります。

 

反対側には地蔵堂があります。

こちらの廻りにも、たくさんの石造物です

みなさん不動明王ではありません。

 

では、注連縄をくぐって、瀧沢不動尊にお参りです

あれ、もしかして不動尊はあの厨子の中?

隣の部屋に、こたつに入って、3人おじさんがいます

「こんにちは お不動様は拝めないんですか?」

「元日と5月5日は、拝めるよ

「みなさん、いつもいるんですか?」

「日曜日は、いつも詰めているよ

お札(ふだ)が見えます。

「お札出るんですか?」

「ああ、出すよ。500円だよ。」

 

瀧沢不動尊のお札です

両足ないはずですけど、片足あるお不動様です

ここは、旧勢多郡粕川村室沢なのです。

 

さて、それでは不動大滝に行きまーす。

粕川村時代のスタンプラリーのボックスがあります。

参門脇から、粕川の方に降ります。

川を渡ると言っても、渡れそうなところがありません

足を滑らせると、川の中です

渡れそうな所を探して上流にいきます。

大滝は見えません

かなり上流でやっとのことで、川を渡ります

あ、滝だ

矢印に従って登ります

来るとき通行止になっていた道です

歩いている人がいます

あの橋が通行できるようになったら、不動大滝はもっと行きやすくなりそう

先はまだまだ遠そうです

 

ちょと遠くからだけど、瀧沢大滝を眺められました

今回はここで退却です

 

帰り道も慎重に、大石ゴロゴロの河原を歩きます。

こんなとこ渡って、戦なんて無理だ

大滝にはたどりつかなかったけど、小滝はいくつもあります

それなりの風情です

小滝もいいもんだ

やっとのことで瀧沢不動尊に戻ります。

熊よけの鈴を鳴らして、参拝している青年がいました

やはり、鈴を持っていた方が安全ですね。

 

さて、帰ります。

む、またまた、おじさん邪魔

でも、参門の不思議な根っこの大きさがわかります。

さて、ひめちゃんたちが待ってるから、帰りましょう

 

来た道を帰ります。

行きより少し楽かな?

もうすぐ「瀧み所」です。

おや、見える

大滝が見えます

「瀧み所」はやはり「瀧み所」でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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赤城山瀧沢不動尊・前編

2020-01-24 21:20:11 | 瀧沢不動尊への道

今朝、ひめちゃんは獅子丸と、元気に堀之内を北に出て、お散歩してきました。

彼らの視線の先には、出勤途中の外国人のおねーさんたちがいます。

彼女らは、北部にある工場を目指しています。

自転車で軽快に上って行きます。

 

 

 

前不動駐車場を下見した翌日(1月19日)、大猿キャンプ場の駐車場を目指します。

思ったより近かった

さて、道なりに西方にあるであろう前不動駐車場を目指します

 

道は山道ではあるけれど、それなりに整備されています。

ゆるやかなカーブで、ヘヤピンカーブはありません

登山口があり、それ用の駐車スペースもあります。

 

かなり行って、左側に車が止まってます

右側には道路がありますけど、通行止めです。

ナビにはその道はありません。

新しくできる道のようです。

ナビの画面には不動の滝も出ています

もしかしたら、不動の滝に行きやすくなるのかも?

 

まもなく昨日来た場所に出ました。

今日は先客がいます。

熊谷ナンバーのワゴン車です。

 

今日はスニーカー(ひめちゃんたちのお散歩に履いてるものですけど)履いて、リュックしょって手袋してきました

明るい参道入り口です

写真の記録時間は、10:29です。

昨日は雪になりそうな天気でしたけど。

 

「瀧沢の不動滝」の説明板を確認です。

瀧沢不動尊の説明が後半にあります。

「600年ほど前に奉納された、丈85cm、重量100kgの仏像で、右腕両足は切断され火炎も失われている」とあります

とにかく進むのみです

 

少し行くと、「瀧沢不動、瀧沢大滝→」の表示があります。

いよいよ霊山の中に入る雰囲気です。

 

歩くことは慣れているはずですけど、結構きつい

 

祠があります

延命猿水とあります。

赤いお猿さんの手から、水がしたたりそうです。

たっぷりの水が出るときもあるのでしょうね。

何となくホッとして、また頑張ります。

 

木漏れ日の山道です

でも、ゼイゼイ、ハアハア、ちょっと苦しい

 

そのうち、不動尊まで10分の表示があります

半分道中は来ました

ガンバ、ガンバ

 

何かあります。

「忠治の見張り岩」です。

どこから見張るのかな?

昔は展望がよかったのかな?

縁日毎月28日、大祭5月8日とあります

ここの道幅は、結構狭いです

 

さて、足取りも重いけど、ガンバガンバ

 

あ、瀧み所です

でも、みなさんが言うように不動の滝は見えません

ここにも、「縁日毎月28日、大祭5月8日」とあります。

 

まだまだ、ガンバです。

木橋があります。

昔々川に懸かっていたのは、こんな橋なのでしょうか?

 

滝があります。

「恵の瀧」です。

季節によっては、勢いよく大量の水が流れ落ちるのでしょうか?

 

さて、もう少しガンバ

建物が見えてきました

「不動大滝・忠治の岩屋は参門を通って左折してください」とあります。

左折したら、川になってしまいますけど?

 

この時、川(粕川)には、白衣を着て何かをしている人が3人見えました

うまく映りませんでしたけど、修験の修行でしょうか?

後でそのあたりには、幣束が3本ありました

 

参門前に、たくさんの石造物です。

不動明王が多いですけど、こんな方々もおいででした

如意輪観音かな?

御詠歌が彫ってあるようですけど、わかりません

こちらは両方とも聖観音です。

石像の方には、御詠歌がありそうですけど、よくわかりません

 

それでは参門をくぐります

参門の2階は宿坊という感じです。

写真の記録時間は10:54です。

 

瀧興寺の和尚が設置したという丁抗は、1本も見当たりませんでした。

晴れた日なので、明るく参拝できそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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瀧沢不動尊への道・その2(赤城温泉郷を通って)

2020-01-23 21:06:05 | 瀧沢不動尊への道

ひめちゃんは、2晩続けて腹痛を訴えました。

元気印のひめちゃんでも、これはお医者に行かなければなりません

お医者で、太い注射を2本して、お薬をもらいました。

夕方は、ひとりで気ままにお散歩となりました。

なぜか、たぶん行ったことのない中学校の方に歩きます

中学校が近づくと、姿は見えないけれど、子ども達の声が聞こえます

早足で進路変更して帰ります。

赤城山は、まるで雲海の中に浮かんでいるようです

 

 

 

空っ風街道の龍願寺のバス停近くに、橋がありました。

粕川ではなく、やがて粕川に合流する支流のようです。

橋の名は「ゆのくちはし」とあります。

温泉でも噴き出していたのかな?

 

空っ風街道を、スマホの経路案内に従って進みます。

おや、見たことある信号です。

三夜沢赤城神社の下の信号です

やはり、粕川の西側から登らせようとしています。

経路案内に従って、赤城神社の脇を登ります。

ちょっと寂しく不安な山道です

 

突然、前橋市宿の平駐車場が出現しました

ちょっと一休み

前橋市指定史跡宿の平城跡とあります

なにもなさそうですけど、宿の平城があったのですね

 

林道の向こう側に何かあります。

見張石とあります。

向こうの石宮には「信州伊那郡」の文字があります。

高遠石工の作品?それとも奉納?

何かありそうな山ですけど、探索はちょっと無理です。

 

駐車所にもどり、付近の案内図を確認です

隣は忠治温泉です

古民家のような建物を目指します。

泊まる予定はないので、ちょっと見で退散です

 

それにしてもこんな山奥にある城は、誰がいつ何のために築いたんだ?

前橋市指定史跡といいながら、前橋市HPには何もありません

「赤城温泉郷総本家館主のよもやま話」を参考にさせていただきました。

忠治館、もとは鼻毛石の赤城寺(せきじょうじ)があって、赤城塔も残っているそうです

見落としてきました

たぶん、建物の左にある白いポールかな?

宿の平城は、女渕衆(おなぶちしゅう)の北爪氏によって築かれたようです。

つまり、北条方の城ということになります。

 

鼻毛石の赤城寺(せきじょうじ)には、北爪将監(きたずめしょうげん)の供養塔があります。

北爪将監は、山上城攻防戦で活躍しました。

そのうちにその文書も確認します

 

この間も寄ったはずですけど写真が見つかりません

花の季節にでも、また行ってみましょう

 

さて、前不動駐車場を目指します。

道にもどり川を渡ります。

粕川です。

橋を渡るとすぐに、瀧沢館(瀧沢温泉)です。

ここは、車をうまく止められなくて、写真はなしです

ここを過ぎると、いちだんと険しく細い道になります。

気の抜けないヘヤピンカーブが続きます

そのうち、「目的地は左前方です」のアナウンスです

 

やっと着きました

他に車はありません。

道の向こうが、瀧沢不動尊への参道のようです

今日は左側の道を来ました

明日は右の道から来ます

今日はここまで、明日ちゃんと支度してきます

帰りもやはりヘヤピンカーブの道を下るしかありません

 

来た道を戻り、空っ風街道を東に走ります。

「乙女の滝」の矢印に誘われて左折、寄り道をします。

川に沿ってほぼまっすぐに北上です。

ヘヤピンカーブはありません

 

けれども、行けども行けども乙女の滝はありません

そろそろ諦めて帰ろうかと思ったとき、川の向こうに赤い鳥居が目に入りました

川を渡って、駐車場に入ります。

駐車場には、付近の案内図があります。

真ん中にある小さな赤い丸が現在地です。

この川・大猿川は、新里村と粕川村(前橋市)の境だったのです

 

少し付近を散策です

鳥居はあっても、社殿は見えません

ずーっと奥のようです。

それにしても、聞いた事のない神社です

 

幣束のあがっている木があります。

説明板によると、野口雨情ゆかりの木です

 

ここは、どうもキャンプ場のようです。

さて、捲土重来を期して帰りましょう

 

車をのりだすと、「前不動駐車場2.7km→」の表示が目に入りました

2.7kmは近いですよ

ここまでヘヤピンカーブはなかったし

 

今度はこの道で前不動駐車場に行きましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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