黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

榧の木の物語総集編3(白柴タバサちゃんの龍興寺参拝記・法印のカヤ)

2024-01-29 20:54:33 | 榧の木の物語・総集編

寒い日が続いていました。

でも、今朝はちょっと緩みました。

朝ご飯の後、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、お外のサークルに帰って日向ぼっこです

念のため、小屋の中には湯たんぽが入っています。

 

元記事の頃(2020年1月)、まだ七海ママは、末っ子達とそこらまでのちい散歩が出来ました。

熟女のママは、15才と6ヶ月でした。

あれ、タバサねーちゃんも、今15才と6ヶ月です。

長生きしてね

 

 

 

(2020年1月17日)

タバサねーちゃんは、不機嫌でした。

おかあさんは、お出掛けなのに、連れて行ってくれないのです

「また、今度ね」といいながら、ちっとも約束を守ってくれません

「午前中は歯医者さんだから、午後お出掛けしようね

 

午後、ひめちゃんちから10分未満のドライブコースですけど、(桐生市新里町)関の瀧興寺(りゅうこうじ)に行ってきました。

本来の山門ではなく、東の道から駐車場にはいります。

今は無住のようですけど、きれいに整備されています

向拝には立派な竜です

大きな本堂です

 

 

たしか、大カヤがあったはずだけど

 

ありました

本来の山門からは、しっかり見える位置にあります。

新里村時代の文化財の指標があります。

榧(かや)の木・虚空蔵菩薩ともに、桐生市の指定になってます。

でも、桐生市からは一切資金的補助はないと思います

常広寺の弁財天堂は、桐生に合併するとき、桐生市の重要文化財にしてやるけど一切お金は出しませんと言われたそうです

 

虚空蔵菩薩像は、石造物のはずですけど、まるで衣類を着ているようです

榧(かや)の木は、二股に分かれています。

 

タバサちゃんの足下に何かあります

榧の実が落ちています

この木は、雌木だったのです

 

クンクン、どこのワンコが来たのかな?

タバねーちゃん、耳はほとんど赤柴です

 

榧(かや)の木を見上げます。

説明板はありませんけど、まあ樹齢300年くらいかな?

 

桐生市のHPに、市指定天然記念物として、「瀧興寺の法印のカヤ」がありました。

寺へ入って参道をゆくとまもなく西側に大きな榧があります。目通りは3.8メートル、根廻りは3.8メートルで、樹高は約20メートルもあります。第12世尊盛和尚が、経文100部を読誦していたとき、花瓶のカヤから根が生えてきました。尊盛和尚はさっそくこのカヤを境内に植えました。それは、安永元年(1772)3月21日のことでした。その後、カヤはすくすくと生長しました。そして、そのカヤはいつの頃からか「法印のカヤ」と言われるようになったと伝えられます。

そうすると、樹齢は約250年です

 

 

本来の参道から、境内に入り直しです。

確かに西側に大きな榧の木が見えます

 

境内の入り口に、瀧沢不動尊からの道程の終点を示す76丁抗があります。

桐生市のHPによれば、

その大滝のふもとの堂宇は天明2年(1782)の火災で焼けてしまいました。尊盛和尚はその再建に努力し、記念として不動尊から瀧興寺までの道程に丁抗(1丁は約109メートル)を設置しました。

(尊盛和尚は)やがて瀧興寺は第13世の尊英にゆずり、自らは不動尊の別当(お守りする)になったと伝えられています。

 

瀧沢不動尊ですか

粕川の上流の秘境ですよね

これと同じような丁抗を、関の摩崖仏で見ました

どこからの距離なのかやっとわかりました

 

 

参道を入ります。

鐘楼堂の脇に、ちょっと痛々しい石造物です

 

 

本堂の脇には、赤い帽子がかわいい新しいお地蔵様です

 

 

本堂裏の高台には観音様です。

階段ではなく、本堂裏の坂道から参拝します。

あたちも参拝です

きょうのお出掛け、満足満足

またそのうちに、お出掛けしようね

 

 

初出  2020.01.17  カテゴリー群馬県・旧勢多郡 白柴タバサちゃんの龍興寺参拝記(法印のカヤ)

改稿  2024.01.29 

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榧の木の物語総集編2(歴史を見つめた榧の木・横室の大カヤ)

2024-01-24 15:30:12 | 榧の木の物語・総集編

寒い寒い朝です

今日は気温が上がらない予報なので、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、室内犬します

 

元記事の頃、2020年の1月のひめちゃんと獅子丸です。

東の牧場にヤギさん家族に、逢いに行ってました

これはヤギパパかな

 

 

 

昨年(2019)の暮れ、初めて妙義山に行きました。

妙義神社や中之嶽神社や補陀寺に詣でました。

道の駅・妙義にも寄りました。

そこに、初めて見る木の実がありました

榧(かや)の実です

 

榧といえば、秋に訪問した塙保己一(はなわほきいち)生家隣の東方山龍清寺に、大きな榧の木がありました。

木の下に説明板がありました。

300年前に、上野国新田郡笠懸在の不動寺から、修行僧・袋算がやって来た。

彼は修行の旅に出るとき、師匠から榧の実を持たされた。

彼はここを修行の地と定め、榧のみを撒きました。

榧はみるみる大木になり、大量の実を付け、その実は灯油や薬種となり村人を潤しました。

 

「上野国新田郡」は実家のあったところです。

「上野国新田郡笠懸」には、親戚もあります。

この話はとても身近に感じられ、記憶に残りました

 

修行僧・袋算が持って行った木の実に、道の駅・妙義で出会ったのです

実際は榧は成長がとても遅いそうです。

今種を撒いても、たぶん生きているうちにその実を見ることは無理でしょう。

さて、でも撒いてみようかな

 

ところで、富士見(旧富士見村、現前橋市富士見町)に日本一のかやの木があるということです。

これは是非行ってみなくては

 

 

ナビの指示ではちょっと迷いましたけど、無事に到着です

大きい

説明板がちゃんと有ります。

富士見かるたもあります。

樹齢1000年以上ですか

 

とにかく、こんにちは

 

まだ実が付いている

すごい

 

榛名山が見えます

 

この1000年、赤城南面ではいろいろなことがありました。

歴史をずーと見つめてきたのですね

 

群馬県の巨木一覧に、行けそうな所に榧(かや)の木が何本かあります。

折を見て行ってみましょう

 

 

初出 2020.01.07 カテゴリー群馬県・旧勢多郡 歴史を見つめた榧の木(横室の大カヤ)

改稿 2024.01.24

 

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榧の木の物語総集編1(飛龍のカヤ・東方山龍清寺)

2024-01-17 19:59:44 | 榧の木の物語・総集編

昨日は寒い寒い一日で、さらに雪になりました

ひめちゃんたちの朝のお散歩時に降り出し、時たま休止しながら夕方まで降りました

おまけに、夕方は風が激しすぎて飛ばされそうになりました

さすがのひめちゃんも、やむなく途中で引き返します

夜少し落ち着いた頃、そこらまでのちい散歩で済ませました

 

元記事の頃(2019年9月)、元気にお散歩する獅子丸とひめちゃんです。

 

小次郎パパも、まだハツラツとしています。

 

 

 

 

榧(カヤ)の木を訪ねた記事が何編かあります。

あちこちのカテゴリーに散らばっていますけど、「榧の木の物語」としてまとめておきたいと思います。

しばし、お付き合いくださいませ

 

 

(2019年9月)塙保己一公園の隣のお寺を訪ねます。

大きな木があります

手前の建物は、三日月不動堂です。

由緒が彫られてますけど、よく見えません

塙保己一記念館で購入してきた本庄市郷土叢書第4集『本庄の人物誌①盲目の国学者塙保己一』によると、

保己一は子供の頃、母きよと一緒に地元(保木野)にあるお寺(龍清寺)の三日月不動(不動堂)に毎日のようにお参りしたという。(中略)この三日月不動は、三日月はやがて満ちるので、足りないものを補ってくれると信じられ、地元の人たちに信仰されていた。

 

 

大木が気になります

 

大きいです

今日は邪魔なおじさんが映っていないですけど、とても大きいのはわかります。

 

「本庄市指定天然記念物榧(かや)の木」とあります。

トトロが出てきそうな雰囲気です

 

下に由緒書きがあります。

開山は約600年前です。

300年前に、上野国新田郡笠懸在の不動寺から、修行僧・袋算がやって来たのです。

彼は修行の旅に出るときに、師匠から榧の実を持たされたのです。

彼は此の地を修行の地と定め、榧の実を撒きました。

榧はみるみる大木になり大量の実を付け、その実は灯油や薬種となり村人を潤しました。

 

中興の僧・袋算は、上野国新田郡笠懸から来たのですか

もしかしたら、さっき不動堂の脇にいたあの方?

現在、笠懸に不動寺は見当たらないようです

 

 

本堂を訪ねます。

 

「御朱印をお願いします

「六番ですか、二十七番ですか?」

「両方お願いします

本堂の縁にしばらく腰掛けて待ちます。

「お時間ありますか?」

「はい。」

「お経をあげますから、ご一緒に

ご本尊の前に御朱印帳をおいて、般若心経がはじまります。

たどたどしくも、ご一緒に唱えました

それから、御朱印帳を受け取りました。

ありがとうございます

雉岡山浄眼寺の御朱印もいただけました

 

 

榧の実が、上野国新田郡笠懸からやって来たと言うことで、とても印象に残る榧の木です。

ひめちゃんちのおかあさんは、上野国新田郡生まれなので。

昨年、再訪して、この榧の木の実をいただいてきました。

飛龍の榧(かや)・東方山龍清寺2023

 

初出  2019.09.21  カテゴリー埼玉県  飛龍の榧(かや)・東方山龍清寺

改稿  2024.01.17

 

 

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日光裏街道総集編42(師走のわたらせ渓谷鉄道・上神梅駅)

2024-01-14 22:33:44 | 日光裏街道総集編

昨日の天気予報には、雪マークも出ましたけど、結局降ったのは雨でした

懐かしい雪の朝の写真が出てきました

 

七海ママ、初めての冬です。

ピチピチギャルのナナちゃんです

 

ひめちゃん、2歳の冬です。

もう10年も前になります。

ママといっぱい遊んだね

ママも、まだはつらつとしていました

近所の雄犬たちには、ひめちゃんよりママの方がもてました。

 

 

 

(2020年)12月27日、高泉の巨大な宝篋印塔を確認した後、県道333号線(日光裏街道)を東に走り、上神梅に出ました。

92が上神梅(かみかんばい)駅です。

 

つづら折りのカーブをなんとかクリアーして、神梅小学校が見えてきました

子どもがいなくなって、現在は廃校だそうですね

左奥にある神梅神社、覚成寺も行きました

 

 

国道122号線に出て、上神梅駅に初めて寄ってみます。

わたらせ渓谷鉄道は、しばらく前に、大間々駅から足尾まで乗ったことがあります。

大間々の次の駅が上神梅だったのですね。

 

「関東ふれあいの道」の案内図です。

 

なんともノスタルジックな駅舎です

無人駅ですね。

解放されているようです

まだ、大きなクリスマスツリーがあります

 

ちょっと失礼して、改札を通過してみます。

改札を出て、ホームを見学です。

 

下り、足尾方面です。

 

上り大間々方面です。

 

改めて改札付近です。

かわいい

夜は、ライトアップされるのでしょう

誰もいないのに、きれいに整理整頓され、プランターにも苗が植わっていました

地域の人の協力もあるのでしょう。

 

寒い日が続きました。

プランターの植物は元気かな?

 

 

一昨年秋、トロッコ列車・わっしー号で、足尾銅山観光に行ってきました。

昨年も行こうとしましたけど、トロッコ券が取れませんでした。

人々の移動が多くなってきたようです。

早めにゲットする必要が出てきました。

 

初出  2021.1.16   カテゴリー 日光裏街道 師走のわたらせ渓谷鉄道・上神梅駅

改稿  2024.1.14

 

日光裏街道は、神梅で銅山街道に合流します。

旅人はまだ日光目指して歩いていますけど、あとは銅山街道としての総集編が良さそうです

日光裏街道総集編、ひとまずはこのへんで

 

 

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日光裏街道総集編41(子どもがいなくなっちゃってねえ・神梅小学校と神梅神社)

2024-01-07 20:01:29 | 日光裏街道総集編

寒い寒い1日でした

でも、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、膳城趾公園に車でお出かけしてきました

獅子丸がいた頃は、何度もみんなで朝散歩で足を延ばしました。

この元記事のころ(2020年8月)、元気なきょうだいのアーカイブです。

 

 

小次郎パパとの関係は微妙でした

 

 

 

 

 

天海下賜の開運菩薩の御朱印がほしい覚成寺(かくじょうじ)を後にして、すぐ近くにあるはずの神梅神社(かんばいじんじゃ)を目指します。

91覚成寺の少し上(北)になります。

 

心細く、細い道を進みます。

ナビは目的地に到着しましたというけれど、それらしい神社は見当たりません

どうしよう

少し行って、おばさんがいます

「こんにちは あのう、神梅神社に行きたいんですけど。」

「すぐ後ろだよ。」

「ここに、車を置かせてもらっていいですか?」

「坂だから気をつけて置きな。」

「ありがとうございます

 

左前方に、学校が見えます。

神梅小学校です。

「あそこの学校は、今使ってないんですか?」

「そうなんだよ。子どもがいなくなっちゃってねえ

「あんなにちゃんとした学校なのに、もったいないですね。」

「子どもがいないんだから、しょうがないね

廃校のイメージからはまだちょっと距離がある、現役に近い雰囲気です。

 

さて、教えてもらったように少し戻ります。

 

奥まった所にある、目立たない鳥居です

さっきは見落としてしまいました。

神梅神社の額は、落ちているだけでなく割れています

でも、階段に手すりが付いてます

 

登り切って振り返ると、神梅の鎮守の感じです

いくつもの境内社があります。

 

味わいのある山里の雰囲気の社殿です。

中には本殿かな

失礼します

真新しい幣束です

2礼2拍1礼です

 

さて、社殿の周りを一回り。

けっこう厳しい環境に鎮座しています

 

階段を降りて見上げると、やっぱり厳しい環境に鎮座しています

 

さてこの神社については、説明板等はいっさいありませんでした。

大間々町誌の基礎資料『大間々町の社寺』にあるかな?

ありません

もしかしたら、上神梅村の最初に記載のある、菅原神社のようです

梅のイメージの屋根パーツがあったし。

そうすると、天神様ですね。

小学校が廃校になって、ちょっといやかなり寂しい学問の神様です。

 

神梅の地名は、天神様の梅にちなむのかな?

 

神梅は山田郡大間々町を経て、今はみどり市です。

かつては、勢多郡でした。

『上野国郡村誌勢多郡』に、「上野国勢多郡上神梅村」があります。

往古深沢村ト云慶安年間分レテ宿廻村神梅両村トナル寛文十一年神梅村ヲ割テ上下トス而シテ上神梅村ト称ス上組ヲ呼ビテ今猶深沢ト云

 

同書「上野国勢多郡奥沢村」には、神梅村両村ニ接シとあります。

 

奥沢の隣村だったのです

 

 

初出 2020.08.06  カテゴリー群馬県・旧勢多郡 子どもがいなくなっちゃってねえ(廃校と神梅神社)

改稿 2020.08.06

 

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