ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ようとしました。
ひめちゃんが、いつもは通らない道を主張して譲りません。
案外ガンコです
何もない道だけど、誰か通ったのかな?
赤いヤブツバキの花々、黒柴ひめちゃんといいコラボです
たかがヤブツバキ、されどヤブツバキ、赤いヤブツバキの花もきれいです
(3月24日)女渕城龍光寺曲輪の龍光寺から南に下ります。
細道の先に、お寺があります
千手院(せんじゅいん)です。
欄間彫刻が文化財なのですね。
粕川村時代のスタンプラリーの名残があります。
本堂の前には、修業時代の弘法大師です。
真言宗のお寺です。
タバサねーちゃんも一緒なので、ここで合掌
大きな宝塔もあります
あたちと比べると大きさがわかるよ
りっぱな墓標もたくさんあります。
確かに、ゴミは持ち帰らないといけませんね。
桜と本堂、いい感じでコラボしています
桜が似合う古刹です
さて、本来の参道を南に行ってみます。
六地蔵です。
その後ろのお地蔵様、赤ちゃんを抱いてます。
水子地蔵かな?
奥には、赤い屋根の古い建物があります。
タバちゃんの足が心配なので、覗きませんでした。
近くに薬師堂跡の表示がありました。
参道入り口の県道まで下ってきました。
あのガソリンスタンドは見覚えあります
古い石仏も並んでいます。
振り返って参道です。
いい感じで、桜の千手院です
山号は、大悲山ですね。
前の県道3号線を走っていると、古びた水子地蔵尊の看板が目立ちます。
かつては、水子地蔵尊に多くの人が詣でた事があったのでしょう。
『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(上毛新聞社平成13年)に、千手院ありました。
千手院は開山光字僧正が建長五年(1253)8月14日に創建したと寺に伝わる。
創建時の寺は現在地ではなく、寺の南方500mほどの所に千手院故地の伝承を持つ場所があり、近江堂と呼ばれている。千手院の故地は近江堂沼の南にある畑地で以前は山林であったが昭和10年(1935)ごろ開墾されて畑地となった。この開墾時に古い石塔、供養塔などが数百個散乱して出土した。その中に板碑が十数枚出土した。板碑は散乱してしまったが、嘉歴3年(1328)正慶2年(1333)康安元年(1361)応安元年(1368)など鎌倉時代から南北朝にかけての年号を持った板碑が出土している。これらの板碑が近江堂の地を千手院の故地と決める資料にはならないが、寺の故地の伝承を有力なものとしている。千手院は万治元年(1658)い火災に遭い、古文書などを焼失してしまい、由緒がはっきりしない。
建長年間(1249~1256)の赤城南面は、行仙上人を中心とする念仏往生を願う人びとがいっぱいいた時代です
そのころ創建されたという伝承があるのですね
さて、女渕城の駐車場に戻ります。
タバちゃん、ここで帰ったら「山までは見ず」だね。
ちょっと女渕城の本丸に寄って行きましょう
おでかけ楽しいけど、ちょっと暑いね