黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

新田荘横瀬郷(にったのしょうよこぜごう)

2020-04-30 21:54:35 | 埼玉県・総集編

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと、南の方にお散歩です。

葛塚城の東の堀切が流れ込んでいたと思われる沼跡です。

ただただ、草むらです。

でも除草剤を撒いていないので、犬たちはよく寄ります。

親子なのに、毛色もシッポの形も違います

最近ひめちゃんは、なぜかママ似になってきました

 

ズーと下って小学校近くでUターンです。

赤城山は一日中かすんでいます。

ひめちゃんちの畑のそばを通って帰ります。

まだ草むしりが完了していませんけど、ジャーマンアイリスが咲き出しています

明日も、草むしりがんばります

 

 

 

(2018年9月14日)

横瀬廻りで深谷に行きました。

国道17号線(上武道路)を降りて、世良田を通り、上武大橋を渡ります。

あれ、新しい橋になってる

前回通った時は、行き(上り)は新しい橋、帰り(下り)は古い橋でした。

橋の途中に「埼玉県」の表示があります。

けれども、橋を渡ってまもなく群馬県伊勢崎市境島村になります。

島村を通って左折して、岡部を目指します。

 

墓地が見えてきました。

華蔵寺(けぞうじ)と横瀬神社(よこぜじんじゃ)です。

だいぶ前に一度寄ったことがあります。

 

駐車場に、かわいい道祖神です

前に来たとき、あったっけ?

 

案内図は新しいです。

最近建てられたもののようです。

開基は、新田義兼とあります。

横瀬神社は、華蔵寺の一角に位置しています。

明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の時期を、平和に乗り越えたのでしょうか?

 

まず、横瀬神社から参拝です。

右の狛犬の奥に説明板があります。

横瀬神社は建長年間(1249~56)に土地の豪族・横瀬三郎為清が創建し、建武年間(1334~36)に新田義貞の孫・国寿丸が再建したと伝わってます。

 

うーん、新田義貞の孫が建武年間に創建は無理がありそうですけど?

でも、新田だったんですね

 

この説明板の下に、上州彫刻師集団系統図がありました

群馬県では、見たことありません

みなさん利根川の向こうまでお仕事に行っていたんですね

 

参道の右側に、手水社(ちょうずしゃ)があります。

ここに、躍動的な彫刻があります

先ほどの系統図右端に名前のあった、小林義雄の作ですね。

残念ながら、手水社に水はありませんでした。

 

拝殿に進みます。

こちらも、みごとな彫刻です

さきほどの系統図だと、上田沢の前原藤次郎直賢の作ですね。

上州彫刻師、すごい

拝殿前に、かわいい小ぶりの狛犬がいます

 

よく見ると、狛犬と下の台座がミスマッチな感じです。

シッポが個性的な狛犬ですけど、本来は別の所にあったのかも知れません。

 

本殿後ろに回り込みます。

すばらしい彫刻ですけど、金網越しで残念

 

そういえば、利根川の向こう(群馬県伊勢崎市)平塚の赤城神社にも、このような彫刻がありました

 

新田荘は利根川の南・横瀬郷にまで広がっていたのですね

上武大橋はなかったけれど、今の我々が考えるより、ずっとずっと人々の往来は盛んだったのでしょう

だから、やがて田中藤左衛門が竜骨を持って、利根川を渡り、常広寺にやってくるのです

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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不思議な同行者(彦部屋敷)

2020-04-29 22:27:16 | 群馬県東毛・総集編

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ました。

今朝の岩神沼には、久しぶりにカモが複数いました

沼のそばの花好きおばさんのガーデンは、花盛りです

高縄の摩崖仏後ろの藤も満開です

ここは摩崖仏以外にもたくさんの石造物があります。

かつては、かなりのパワースポットだったのでしょう

 

 

 

(2018年9月2日)

ぜひ手に入れたい資料集がありました。

それは彦部屋敷(桐生市広沢町)でしか手にはいらないというので、数年ぶりに出掛けてみました。

日本の原風景という感じです

心和む風景です

 

案内板も落ち着いてます

下の方にある現在地を直進して、長屋門で受付です。

ここにはボランティア・ガイドさんがいます。

(2018年)6月に、常広寺の郷右衛門忌にきてくれたRさんは、ここのボランティア・ガイドをしているという話でした。

いるかな

残念ながら、さっき帰ったそうです

 

でも熟練ガイドさんのようです、よろしくお願いします

 

 

まず長屋門の説明から始まり、次に冬住みの建物を見学します。

母屋は山の陰で冬寒いので、冬用の家だそうです。

さるすべりが似合う風景でした

 

 

母屋の前に、不思議なものがあります

女性には必要のないものだそうです。

遠来の客がきた時に、まず用をたすのだそうです。

 

 

母屋に入って説明をききます。

受付に誰か来たようです。

ガイドさんが、受付に飛んでいきます。

 

東京からきたという女の人でした。

都会を闊歩するようなワンピースとサンダルでした

ガイドさんが、「ご一緒にお願いします

こちらも「よろしくお願いします

東京の人からは、何もありません

 

母屋の天井、懐かしい風景です

実家の古い天上が思い浮かびます。

こんなにりっぱではないけれど、こんな感じでした。

文久2年生まれの曾祖父が、25歳の時にたてたという古い農家でした。

東京の人は見てますけれど、何も言いません。

 

 

いったん外に出ます。

 

いかにも蚊がいそうです

でも今日はムヒを持ってきました

スカートの人にはきつそうですけど、不思議な同行者はたいして気にしていないようです

 

虎口(こぐち)です。

わー、みごとな虎口です

 

柄杓山(ひしゃくやま)も見えます。

中央の山の一番右が柄杓山だと思います。

あのあたりから、70にして馬上の人となった妙院尼輝子が出撃していったのですね

でも、柄杓山城は2、3年前に行きましたけど、看板が落ちていたりしてちょっと忘れられている感じでした

 

東京のおばさんは無言でした。

途中でおばさんである殊に気がついたのです。

あまりジロジロ見るわけにはいきませんけど、チラッと見てしまいました。

 

かゆくないのかな?

 

 

さらに奥の竹ヶ岡八幡宮にいきます。

かわいい狛犬がいます

湿気と蚊で、参拝も大変でした

でも、東京のおばさんはしっかり付いてきます

 

渡るに渡れそうもない橋があります。

人間は渡れないサイズだけれど、神様が渡るのだそうです。

 

 

織物工場時代の遺構の説明・蔵の説明を聞いて、母屋に戻ります。

 

ここに彦部家関連の本とお土産があります。

本日目的の本です

「コラム先に読んでから、細かく見るといいですよ。」というアドバイスもありました。

 

麦著をいただいて一休みです

途中から同行の東京のおばさんは、最初の部分を補足してもらって、やってきました。

ムヒをどうぞと言われても、「いいです。」

何も言わずに、麦茶を一杯飲んで行ってしまいました

 

せっかくわざわざ東京からやって来たのなら、資料集とかお土産を見た方がいいんじゃないのと思うのですけど、サッサと行ってしまいました。

 

 

ご主人や奥さんと話に花を咲かせてから受付に戻ると、彼の城阿タクシーを待ってました。

電車で来てタクシーに乗り、ここまでやって来たのです。

 

不思議な同行者のおばさんでした。

 

「会えなかったRさんによろしく。」と伝言を頼みます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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獅子丸な日々 9(アブラナが好き)

2020-04-28 15:52:49 | 獅子丸な日々

獅子丸は、去年の6月7日に実家に帰りました。

もうじき、11ヶ月経ちます。

 

去年の春、養家にいたころの獅子丸です。

一人暮らしの高齢のおとうさんと、静かに暮らしていました。

 

ところが、お父さんが足をけがして、獅子丸のお散歩ができなくなりました

実家のきょうだい達が、朝晩お迎えに行って一緒にお散歩するようになりました。

いろいろあって、結局6月7日に、獅子丸は実家に帰りました。

そして全く遠慮もなく、20年もいるような顔で暮らしています。

 

朝は基本的にひめちゃんとお散歩です。

昼間は、時折ひめちゃんと一緒にママの昼散歩に付き合います。

 

春本番で、花々もきれいに咲いていますけど、雑草もすさまじい勢いで生長しています

おかあさんは、畑で草むしりです。

猫の額ほどの面積でも、もうジャングルです

ジャーマンアイリスが咲く前に、なんとか草むしりを終わらせたいなあ。

 

あれ、お邪魔虫がやって来ました。

獅子丸とひめちゃんが、ママの昼散歩に付き合ってやって来たのです。

獅子くん、変なポーズしています

やっぱり

獅子くんは、生のアブラナに食いついたのです

もう夢中です

生のアブラナをたくさん食べ過ぎると、戻してしまいます

 

ここの字は、塚越(つかごし)です。

堀之内のすぐ南です。

そばに庚申塚古墳があるので、名付けられた地名のようです

 

ひめちゃんは、別の草を食べてます。

今年は、犬も人間もアブラナをたくさん食べました。

実家のおとうさんは、「獅子くんのおかげで、アブラナが食べられるようになった」といいます。

今までは嫌いだったんですって。

ゆでて油で炒めて、ミニの干しエビを湿らせてまぜ、めんつゆで味付けの簡単炒め物がおいしいとか。

ひめちゃんたちには、ゆでて晩ご飯につきます。

もうアブラナの季節は終わります

そうしたら、キャベツが晩ご飯につきます。

でもでも、この間なんとキャベツ1個¥248もしていました

コロナの影響がキャベツ栽培にも及んでいるとか

 

先に帰っていてね

アブラナ摘んでいくよ

 

獅子くん、アブラナのお持ち帰りです

今夜もみんなのご飯に、アブラナが付きます

 

 

 

 

 

 

 

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弥生つごもりの境野諏訪神社

2020-04-27 20:50:51 | 群馬県・旧桐生市

昨日の夕方、ひめちゃんは小次郎パパと南の方にお散歩しました。

あれ、見たことあるお二人様がやってきます。

先に出た獅子丸とタバサねーちゃんです。

獅子丸は、「ひめ」と駆け寄ろうとして、はたと気がつきました。

パパがいたのです

なんとも表現のしようがない顔をしています。

タバねーちゃんと先に帰っていてね

 

ふと道ばたを見ると、三つ葉ツツジかな

ちょっとピンクぽいけど

 

そこで思い出しました

小俣の三つ葉ツツジの自生地に行った帰り、境野の諏訪神社に寄ったのです

遅ればせながら、弥生のつごもりの境野諏訪神社レポートです

 

 

2020年3月22日、小俣からの帰りです。

恵性院の駐車場から自宅をナビに入れます。

桐生川に架かる両国橋を渡り、桐生市境野町に入ります。

気になる神社があります。

急遽寄り道です。

脇から入って、境内に駐車です。

鳥居に廻って、入り直します。

諏訪神社です

ひめちゃんたちも、近くの諏訪神社はよくお散歩しています

元気がでそうな、ビビッドレッド使いの社殿です

灯籠・狛犬にもビビッドレッドです。

拝殿で参拝です。

祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)です。

ひめちゃんちのそばの諏訪神社の祭神も、建御名方神です。

本殿はかたく閉ざされているようです。

奥に、「東北大震災復興祈願」の石柱があります。

神社が、ぐっと生きてきました

あの日、桐生市内も立っていられない程の揺れでした

 

これ以上奥に行けそうもないので、反対側に廻ります。

児童公園になっているんですね

 

神社の由緒等の説明板はありませんけど、殺風景な木に「諏訪神社のハルニレ」と標柱があります。

季節柄本当に殺風景だったので、見上げた写真を撮ってきませんでした

桐生市のHPによると、樹高15メートル樹齢200年以上とあります

今度行ったら、きっと見上げます

 

石造物も立派で華やかでした

 

立派な神楽殿もあります

境内には、人気が無いのに車が何台もありました

 

弥生つごもりで、桜が咲き出したところでした

かなりの古木のようです

神楽殿と桜のコラボいいですね

神楽と桜のコラボはもっといいですね

 

『桐生老談記』によると、小俣城で敗退した上杉勢は、膳城に退くときに、ここらへんを通ってます。

物語の世界の話で、史実かどうかは別問題ですけど。

これから、膳城の隣山上城、そのまた隣の葛塚城・堀之内に帰ります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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桐生川紀行総集編・桐生大炊助手植えの柳

2020-04-26 21:27:11 | 桐生川紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ました。

今朝は、浅間山も榛名も、はっきりとはその姿を現しませんでした。

諏訪神社の向こうの高台を廻って帰る予定でした

満面の笑みの獅子くんです

満開の菜の花の向こうに、ちょっとだけ赤城山が見えます。

 

いつもは、この先を右折して帰ります。

今日は、ひめちゃんがなんとしても左に行くと譲りません。

まあ、いいか、急ぎの予定もないし

左折してすると、膳城・膳八幡神社・龍源寺の少し後ろに出ます。

また、左折すると、山上城の前に出ます。

 

ここに、「山上の多重塔」案内表示があります。

実はこのポールの後ろ・草の中に、道標があるのです。

南膳田面、西月田大胡の文字が読み取れます

 

山上城を横目に、蕨沢川にかかる元町橋を渡ります。

後ろ姿で失礼します。

ここに「元町橋の供養塔」があります。

先代の橋を供養する橋供養の塔です。

先代の橋は、かつては近郷近在に聞こえた名所・山上愛宕塚古墳の石を使っていたそうです

 

庚申塚古墳の前を通って帰ります。

ここは、古墳そのものより、双体道祖神の方が注目されているようです

このコースは、ミニミニ史跡巡りのコースです

 

 

 

由良成繁が永禄10年(1567)に書いた「善・山上之事」という文書に、「善氏・山上氏は、佐野大炊助祖先周防守(すおうのかみ)に在所を押抜かれた」とあります。

佐野周防守が山上に攻めよせてきたのです

葛塚の要害は、佐野周防守に占領されたことがあるのです

桐生氏は、実は佐野氏であることが近年わかりましたね。

その佐野周防守子孫・佐野(桐生)大炊助が植えた柳が、「桐生大炊助手植の柳」です。

 

(2018年9月9日)

「桐生大炊助手植の柳」は、桐生タイムスの脇を道なりに行くと、公園の中にあります。

駐車場が見当たりません

ちょっと失礼して、このあたりに路上駐車です。

 

さーて、どんな大木でしょう

囲われた中にあるのが、桐生大炊助手植の柳ですよね?

説明板は昭和58年3月に設置されたままのようです。

樹勢が盛んな頃の姿を知りたいなあ。

この状態から、樹齢400年の大木を想像するのは難しい

 

いろいろ検索すると、「日本伝承大鑑」に「昭和25年4月に強風により根本付近より折れたとの報がある。」とあります。

たしかに、根本から折れている感じです。

 

浄土黒が死んだのは、「日本伝承大鑑」によると、頽馬(たいば)という馬を即死させる魔性の風だそうです。

 

遊具の向こうに、何か見えます。

神社です

 

ちょっと行ってみよう

桐生神社です。

桐生の鎮守という感じではないし・・・・・・

桐生大炊助手植の柳のそばなので、桐生氏と関係あるのかな?

 

狛犬は、金網で覆われています

狛犬自体は古くないようです。

金網で覆われた狛犬、初めて見ました

ツタの生い茂る壁を見て、後ろに回るのは断念しました

桐生神社についてはいろいろ検索してみましたけど、わかりません

 

もう一度、公園の桐生大炊助手植の柳に戻ります。

元気なひこばえが出ています

このひこばえが大木になるころ、どんな世の中になっていることでしょう?

 

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