夕方、ひめちゃんは小次郎パパと、南の方にお散歩です。
葛塚城の東の堀切が流れ込んでいたと思われる沼跡です。
ただただ、草むらです。
でも除草剤を撒いていないので、犬たちはよく寄ります。
親子なのに、毛色もシッポの形も違います
最近ひめちゃんは、なぜかママ似になってきました
ズーと下って小学校近くでUターンです。
赤城山は一日中かすんでいます。
ひめちゃんちの畑のそばを通って帰ります。
まだ草むしりが完了していませんけど、ジャーマンアイリスが咲き出しています
明日も、草むしりがんばります
(2018年9月14日)
横瀬廻りで深谷に行きました。
国道17号線(上武道路)を降りて、世良田を通り、上武大橋を渡ります。
あれ、新しい橋になってる
前回通った時は、行き(上り)は新しい橋、帰り(下り)は古い橋でした。
橋の途中に「埼玉県」の表示があります。
けれども、橋を渡ってまもなく群馬県伊勢崎市境島村になります。
島村を通って左折して、岡部を目指します。
墓地が見えてきました。
華蔵寺(けぞうじ)と横瀬神社(よこぜじんじゃ)です。
だいぶ前に一度寄ったことがあります。
駐車場に、かわいい道祖神です
前に来たとき、あったっけ?
案内図は新しいです。
最近建てられたもののようです。
開基は、新田義兼とあります。
横瀬神社は、華蔵寺の一角に位置しています。
明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の時期を、平和に乗り越えたのでしょうか?
まず、横瀬神社から参拝です。
右の狛犬の奥に説明板があります。
横瀬神社は建長年間(1249~56)に土地の豪族・横瀬三郎為清が創建し、建武年間(1334~36)に新田義貞の孫・国寿丸が再建したと伝わってます。
うーん、新田義貞の孫が建武年間に創建は無理がありそうですけど?
でも、新田だったんですね
この説明板の下に、上州彫刻師集団系統図がありました
群馬県では、見たことありません
みなさん利根川の向こうまでお仕事に行っていたんですね
参道の右側に、手水社(ちょうずしゃ)があります。
ここに、躍動的な彫刻があります
先ほどの系統図右端に名前のあった、小林義雄の作ですね。
残念ながら、手水社に水はありませんでした。
拝殿に進みます。
こちらも、みごとな彫刻です
さきほどの系統図だと、上田沢の前原藤次郎直賢の作ですね。
上州彫刻師、すごい
拝殿前に、かわいい小ぶりの狛犬がいます
よく見ると、狛犬と下の台座がミスマッチな感じです。
シッポが個性的な狛犬ですけど、本来は別の所にあったのかも知れません。
本殿後ろに回り込みます。
すばらしい彫刻ですけど、金網越しで残念
そういえば、利根川の向こう(群馬県伊勢崎市)平塚の赤城神社にも、このような彫刻がありました
新田荘は利根川の南・横瀬郷にまで広がっていたのですね
上武大橋はなかったけれど、今の我々が考えるより、ずっとずっと人々の往来は盛んだったのでしょう
だから、やがて田中藤左衛門が竜骨を持って、利根川を渡り、常広寺にやってくるのです
(つづく)