黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

岩神様の赤城神社(吉沢・赤城神社)

2021-07-03 15:31:26 | 赤城神社

久しぶりに雨の心配がなさそうな朝です

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場の方に行きます。

ひめちゃん、モコモコです。

ブラッシングを念入りにシテもらってる、獅子くんの方がスッキリしてます。

 

おはよう、ヤギさん

今朝は、大きなヤギパパの姿はなく、ボクだけです。

おや、向こうのハウスの中に誰かいます

ママと子ヤギのようです。

おっぱいをせがんで、もらってます。

ママと子供達が、ハウスから出てきます

新米パパも合流です

何時の間にか、新しい家族が増えていたんだね

かわいいね

ひめちゃんもかわいいよ

また来るよ、バイバイ

 

ひめちゃんたちは、さらに上のタケイ沼目指します。

先日は、真っ青なみどり沼でした。

今朝は、少し水の流れがあるようです。

少し池の顔が見えてきました。

 

 

 

6月30日、太田の祥寿山曹源寺(さざえ堂)に行きました。

国道50号線を、広沢方面に右折して、県道316号線を走ります。

途中、右手に岩山と鳥居が見えます

急遽、寄り道です

赤城神社です

ナビの住所は太田市吉沢町です。

 

朱の鮮やかな社が見えます。

こぎれいになってます。

氏子の方々に大切に護られているのでしょう。

2礼2拍1礼です。

 

南側には、岩山が迫ってます。

大きな洞穴があって、摩崖仏でもありそうな雰囲気です

ちょっとボケボケの写真なってしまいました。

でも、摩崖仏はありません

摩崖仏を彫るには、岩が硬すぎかな?

洞穴のそばの石宮には、嘉永6年(1853)とあります。

 

摩崖仏はないけれど、人々の祈りの場所だったのでしょう

 

後で地図を見ると、近くに岩神公園があります。

その岩神様は、ここに祀られた神様でしょう

 

すぐ東を、ゴウゴウと音を立てて用水が流れます。

子どもたちが、用水に飲まれる危険があるのです。

豊かな水量です。

地図を確かめると、渡良瀬川から引いた用水のようです。

 

駐車場もなく、大急ぎの参拝でした。

けれども、摩崖仏が出現するには、いくつかの条件が必要だと知りました

まず必要なのは、石と阿弥陀仏信仰です

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覚満法師七日七夜の大法会・晩秋の覚満淵

2019-11-05 21:13:25 | 赤城神社

ひめちゃんは、夕方は基本的に小次郎パパとお散歩です。

朝とは反対に、南の方に行くことが多いです。

堀之内の南・塚越にある庚申塚古墳もよく通ります。

双体道祖神があります。

庚申塔もいくつもあります。

今では細い道ですけど、かつては多くの人が行き交った交通の要衝かもしれません。

ひめちゃんは、ちょっと不機嫌です

パパと一緒だと、大好きなケンくんちに寄れないのです。

せっかく近くに来たのに

 

 

旧赤城神社から元の道に戻り、覚満淵を目指します。

覚満淵に到着です。

ジッターセンターの駐車場にはいります。

まずは、ジッターセンターの見学です。

大きな額です

 

ざっと見学して、いざ覚満淵へ

 

「覚満法師が七日七夜の大法会をおこなったので、覚満淵と呼ばれるようになった」とあります。


では、『神道集』の覚満法師の伝説を、あらすじで確認しましょう。

允恭天皇の時代に、比叡山の西坂本に覚円・覚満という二人の兄弟の僧がいた。

時に、天皇と上皇の間に争いが起こり、上皇に味方した兄弟の父は殺され、覚円・覚満二人も処刑されようとした。

しかし、比叡の山から紫雲が内裏をおおい、紫雲の中から落ちた結び文によって助命された。

二人は法華経を読み修行して、母を養った。

母が世を去ったとき、兄弟そろって諸国修行の旅に出た。

兄の覚円は、四国伊予国三嶋郡で世をさってしまう。

覚満は、近江国坂本に戻り、近江国鎮守兵主明神に「弥勒菩薩の出世にお会いできるような御利益をお授けください。」と七日間山籠りをしてお願いした。

七日目の暁に「上野国勢多郡赤城の沼岸で法華経を讀誦すれは、在らず御利益に巡り会えるでしょう。」

覚満は、お告げに従い、赤城の沼岸にやってきました

そして、赤城大沼の竜神の手助けで、七日七夜の大法会を行ったのです。

上野国の神々はもとより、近隣の国の神々も集まって、聴聞した。

五日目に更科の継母も山神の眷属となって、更科の神々についてやってきた。

小沼の竜神は、高野辺家成であったが、継母を追い返した。

覚満は、覚満大菩薩として、赤城山の頂に祀られた。



覚満大菩薩の本地仏は地蔵菩薩ということです。

地蔵菩薩は地蔵岳地蔵堂に祀られていましたけど、廃仏毀釈の嵐の中で焼失したそうです



では、ゲートを開けて、覚満淵へ。

鹿の被害を防ぐため、ゲートが設定されています

案内図です。

けっこう広いんですね

鴨もいるんでしょうか?


初めての覚満淵です

木橋の木は群馬県産の木を使っていると説明板があります。

静かな心洗われるような風景です

ここらへんで引き返しましょう

全部歩ききるには、それなりの準備が必要そうです。

来た道を振り返ります

水が澄んでいてきれいです

鴨は一羽だけやってきました


駐車場に戻ります。

あの山が地蔵岳です。

あの頂に覚満大菩薩の祀られた地蔵堂があったのです。

ハイキングコースもありそうなので、そのうちに機会があったら、登ってみましょう





 

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赤城大明神と三ヶ尻の赤城塔

2019-11-04 21:16:50 | 赤城神社

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、岩神沼に着きました。

赤城山がきれいに見えています。

逆さ赤城も、いつもより大きく映っています。

いつのまにか、晩秋の雰囲気です。

さて、沼の脇の道に戻ります。

おや、何かが舞い降りました

鴨(かも)です

ここで鴨の姿を見るのは、久しぶりです。

少し上って、高縄の摩崖仏の裏を廻って帰ります。

途中、おいしそうな草に、獅子丸は夢中です。

緑の畑の下は、大きくくぼんだ断崖の名残のようです。

もしかしたら大昔は川が流れていたかも、という雰囲気です。

もしかしたら、鏑木川(かぶらぎがわ)はここを流れていて、やがて川の流れが変わって、もう少し東を流れるようになったのかな、なんて思ったりしました。

 

 

赤城神社の額は、赤城大明神でした。

赤城大明神について確認しておきます

そうしないと、覚満淵で覚満さんが七日七夜の法要をした時に集まった神々の話が、わかりにくいのです。

 

 

赤城大明神は、高野辺家成(たかのべのいえなり)の次女赤城姫ということです。

そして、高野辺家成夫人の供養塔という「三ヶ尻の赤城塔」が、粕川村(前橋市粕川町)にあります。

何度か、行ってます。

 

(2019年1月4日の訪問です。)

あれ、前よりきれいになってる

この前はいつだったか忘れましたけど、すさまじい雑草に覆われていたのです

「高野辺家成夫人の供養塔と伝えられている」とあります。

「現在は相輪が失われて五輪塔で代用している」ともあります。

 

後ろから、ちょっと失礼。

結構損傷しています

でも大きく立派なものです。

スタンプラリーのボックスがあります

粕川村の時代には、子どもたちで賑わったのでしょう。

 

もしかしたら、お寺があったのかな?という風景です。

だから、五輪塔のパーツもよそから持ってこなくていいのです。

 

ゴミ置き場は前からあったけど、お宮なんてあったけ?

祠があり御眷属守護(ごけんぞくしゅご)の文字が見えます。

眷属とは、わかりやすくいうと、ランクの低い神様で高位の神様に仕える神様です。

高野辺家成夫人の娘は、淵名姫&赤城姫&伊香保姫で、姫たちが神になったとき、従者も神になったのでした。

高野辺家成夫妻も、神になってます。

 

なぜここに高野辺家成夫人の供養塔があるのでしょうか?

それは、ここが粕川村深津だからです

 

(『神道集』にある)高野辺家成家族の物語、あらすじです。

 

履中天皇の時代、高野辺家成は無実の罪で上野国勢多郡深津郷に流されました。

夫人との間に若君1人、姫君3人生まれた。若君は成人して都に上がり任官を許される。

3人の姫は両親と暮らしていたが、夫人が38歳で亡くなってしまう。

そこで信濃国更科から後妻を迎える。

やがて、家成はゆるされ都に上ります。

 

都にいっている間に継子いじめが行われるのでした。

そのころ、長女淵名姫は、淵名治郎家兼を後見として淵名(旧佐波郡境町淵名)に住み、次女赤城姫は大室太郎兼保を後見とし大室(前橋市大室)に住んでいた。

三女伊香保姫は伊香保大夫伊保を後見として有馬(渋川市有馬)に住んでいた。

義母の弟更科治郎は淵名次郎と大室太郎を殺し、淵名の館に押し寄せ、淵名姫を利根川の倍屋淵に沈めて殺した。

大室にも押し寄せたが、赤城姫は赤城山に逃れ、赤城沼の竜神に導かれて湖に消える。

そして、龍神の後を継いで赤城大明神となるのです。

伊香保の守りは堅固で、伊香保姫は無事であった。

 

都から帰る途中、この話を知った高野辺家成は、倍屋淵に実を投げる。

都で出世した若君が帰ってきて復讐が成功する。

 

 

高野辺家成の次女・赤城姫は、赤城大明神になったのです

 

 

 

 

 

 

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湖畔の旧赤城神社

2019-11-03 20:18:41 | 赤城神社

獅子丸は、ハンターです。

今朝も帰りに、何か獲物を見付けました。

突然リードが強く引っ張られます

猫でした。

かなりのつわものらしく、退却しません

獅子丸は真剣に狩りをしようとしています

「獅子くん、早く帰ってごはんにしましょう

渾身の力で引き戻します。

ひめちゃんは、全く反応してません。

 

 

 

赤城神社から、覚満淵(かくまんぶち)をめざします。

途中、付近の案内図があります。

旧赤城神社も近くです。

急遽、寄ることにします

湖の方をみると、あの白鳥のボートの向こうあたりです。

向かいの山は、丸い頭で頂上に電波塔のようなものがあります。

地蔵岳ですね。

 

湖畔の商店街近くの駐車場に入ります。

あれ、なんだか寂しくなってる

営業しているのは、ここだけみたいでした

紅葉の季節で、観光シーズンのはずですけど。

 

旧赤城神社に向かう途中、見慣れないものがありました

「片袖脱いでお控えなすって」をしているみたいです

近くに、説明板というか趣意書というかが、ありました。

 

昭和元禄(しょうわげんろく)の浮かれた世を嘆いて、忠治親分の遺徳にあやかり、世直しの為に一肌脱いでもらおうと建立した「忠治肌脱ぎ地蔵尊」とあります。

昭和元禄、確かにそんな時代もありました。

付近に、忠治親分の像もあります。


少し行くと、旧赤城神社です。

「旧赤城神社修復中」とあります

どうして、いまさら修復するんだろう?

境内を散策したいけど、残念

 

湖畔に新しそうな鳥居もみえます。

修復したのかな?

 

見渡せば、赤城神社の赤い啄木鳥橋(きつつきばし)も見えます

本当に目と鼻の先に移転したのですね

 

「赤城大明神」の額の鳥居が残ってます。

灯籠はあるけど、狛犬がいません

新しい神社にも、古い狛犬はいなかったと思います。

湖を背にして社殿があったのでしょうか?

 

今は、前橋からのルートで参拝が、普通のようです。

何十年か前は、東の黒保根村の利平茶屋(りへいじゃや)から、ケーブルカーがここまで運行されていたんだそうです

昔は東からの参拝ルートも、いくつかあったのでしょう。、

ひめちゃんちの村(旧勢多郡新里村)には、赤城山に登る東南麓の参道として建てられた、「百足鳥居(むかでとりい)」があります

 



 

 

 

 

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紅葉の大洞赤城神社

2019-11-02 20:24:11 | 赤城神社

ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の西の高台を目指します。

ひめちゃんは、ちょっと緊張しています。

ちょうど黄色い帽子の小学生が通る時間なのです

「ひめちゃん、今日は学校休みだから、子どもたちは来ないよ。」

神社前には、遅くにまいたコスモスでしょうか?

かわいく咲いています

 

神社の隣の沼に、何かの頭が見えます。

アオサギだと思った途端、翼を広げて飛び立ちました。

今朝も「カメラに収められずに残念」と思いました。

ふと見ると、沼のフンスにいました

なかなか翼を広げたおおしい姿は撮れないものです。

でも、顔の表情まで映ってます

 

ひめちゃんたちは、沼を横目に高台を歩きます。

榛名山ははっきり見えませんけど、赤城山はきれいに姿を現していました。

獅子丸の鼻の上の方に、お地蔵様の頭のように丸い地蔵岳があります。

地蔵岳の向こうには赤城大沼があります

 

 

 

先日、赤城山頂大沼のほとり、大洞赤城神社に行ってきました。

本来ならばあの赤い啄木鳥(きつつき)橋を渡って参拝したいところですけど、現在は老朽化のため通行禁止だそうです。

社殿裏の駐車場から入ります。

紅葉がきれいです

赤い橋があって、余計に紅葉が引き立ってます。

 

赤城神社の由緒書きがあります。

盛りだくさんすぎて、よくわかりません

たくさんの神様を祀ってます。

でも、第一は赤城大明神です。

徳川家康も祀ってます

 

真っ赤な社殿の脇に、ひっそりと小鳥ヶ島の多宝塔があります。

 

説明板です。

ここは小鳥ヶ島という島だったのですね

高野辺家成(たかのべのいえなり)の伝説では、天上界から来た鴨(かも)が大沼に留まり島になったそうです。

小鳥は鴨なのです

 

さあ、本殿にお参りしましょう。

額は、赤城大明神です。

真っ赤です

神社は本来こんなに赤の世界なのでしょうか?

右の社務所で、御朱印を頂きます。

 

社殿を一回りです。

 

いただいた御朱印です。

 

駐車場に戻る途中、今度はゆっくり水辺の景色を楽しみます。

鴨がいます

鯉もいます、大きい

鴨と鯉と啄木鳥橋、絵になる風景です

小鳥ヶ島には、やはり鴨が似合います

 

 

 

 

 

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