黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・紅葉の鶏足寺

2021-12-02 20:56:54 | 太田・足利の将門伝説

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東の牧場の方へお散歩です。

ヤギさんいるかな?

彼女は、生きていました

生きるんだよ

また来るよ、バイバイ

 

ひめちゃんたちは、上の武井沼にも足を延ばします。

沼の奥には、たくさんのカモさんです。

大きな団子のようになってます。

突然輪が崩れて、一方方向へ泳ぎ出します

 

何故かな?

何故でしょう?

 

 

 

 

鶏足寺・天魔閣から、さっき見えた五大尊堂の方へ行ってみます

 

紅葉の下に、どなたかな?

延命観音かな?

竹の賽銭箱、さりげなくていいですね

 

 

五大尊堂、りっぱな建物です

ここで祈祷していただくのかな?

拝殿の彫刻が見事です。

仏のお姿は見えませんけど、合掌

 

 

そろそろ御朱印出来たかな?

紅葉の道を戻ります。

 

 

戻る途中、右手に勅使門があります。

勅使門から参道を望みます。

ちょっとくぐってみます。

説明板を確認です。

鎌倉末期の古建築ですか

 

ふと見あげると、あれ、天女だ

末と紅梅と何だろう?

瑞鳥でしょうけど?

 

江戸末期、この勅使門のあるお寺の和尚さんが、上野国山上の常広寺の竜骨の噂を聞いて、竜骨とご対面のためにわざわざやって来てくれたのです

そして、竜骨の由来(竜骨伝記)を写して、残してくれたのです

上野国山上常広寺の竜骨の噂は、ここまで聞こえていたのです

そして、こんな格式のあるお寺の和尚さんをも、誘ったのです

 

 

御朱印をいただいて帰ります。

今回は2枚の御朱印をいただきました。

 

 

さて、駐車場に戻り、自宅をナビに入れて帰ります。

山門前を通ります。

むこうに勅使門が見えます

説明板を確認です。

「天皇勅願寺」の文字もあります。

勅使門があるのも納得です

 

門柱を出ます。

振り返ると、別格本山の文字があります

格式の高いお寺だったのですね。

そんなお寺の和尚さんを、わざわざ上野国山上の常広寺まで誘った竜骨パワーを、改めて確認です

 

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紅葉の鶏足寺

2021-12-01 20:46:04 | 太田・足利の将門伝説

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

雨が上がったばかりで、路面はまだ濡れています。

でも貧乏カッパを着ないでお散歩出来てよかった。

 

おや、向こうに怪しい光が見えます。

虹です

雨上がりの虹です

 

諏訪神社前からの虹です。

浅間山の残雪にコラボして、なんとも不思議な美しい光景でした

 

 

 

 

11月20日、大手神社を参拝した後、県道67号線で帰ります。

群馬県に入る手前、小俣で鶏足寺に寄ります。

ナビに従って、奥の駐車場に到着です。

 

本来の山門ではなく、脇門からの参拝です。

鮮やかな紅葉です

もしかしたら、紅葉が一番きれいな時かな?

 

実は、常広寺の和尚さん達と、数年前に訪問しました。

上野国山上の常広寺には、竜骨の由来を記した「竜骨伝記」がありました。

けれども、大正12年1月1日の火災で、半分焼失してしまいました。

ところが、焼ける前に、これを写して記録した人が2人いたのです。

上野国新田郡世良田村の毛呂権蔵と下野国小俣鶏足寺の和尚です

毛呂権蔵は『上野国志』の中に記録しています。

鶏足寺の和尚の記録は、群馬県立文書館の鶏足寺文書の中にありました。

「竜骨伝記」を復元する過程で、こちらへもご挨拶ということでうかがったのです

 

 

お久しぶりの鶏足寺です。

青い幟があります。

あちらで御朱印がいただけそうです

前回時には、御朱印はやっていないということで、初めて御朱印を頂きます。

御朱印をお願いして、境内散策です。

 

 

木陰の厨子の中に、木製の不動明王です

火炎も木で表現しています。

朱が残っています。

 

 

本堂で参拝です。

合掌

 

説明板を確認です。

大同四年(809)東大寺の定恵上人が世尊寺という寺を建てたのが鶏足寺の始まりです。その後比叡山の円仁上人(慈覚大師)により寺域が拡大整備されました。

天慶二年、平将門の亂平定に際し、常裕法印は、秀郷の請をうけ将門調伏の修法を行いました。功により秀郷に将門を倒し、寺も鶏足寺と改められ、寺領をふやし、寺の基礎を不動のものとしました。

 

将門の足を祀るという話は、ありませんね。

将門調伏の修法を行ったのですね

 

 

本堂の隣には、紅葉と布袋様です。

さりげない賽銭箱がステキ。

 

紅葉に誘われて、奥に進みます

 

紅葉の向こうに御堂がコラボです

階段が工事中です。

参拝には回り道が必要なようです。

 

こちらからの景色もいい感じです。

 

 

静かにたたずむお地蔵様の隣に、天魔閣とあります。

記憶にありません

失礼します

閻魔大王がおいででした。

合掌

天井絵もあります。

竜がいそうです。

 

 

紅葉の鶏足寺、もう少し散策続けます

 

 

(つづく)

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将門の手を祀った伝説・大手神社

2021-11-30 15:38:49 | 太田・足利の将門伝説

寒い寒い朝でした。

ひめちゃんはタバサねーちゃんと、新沼&童沢貯水池までお散歩です。

 

乳牛さんの小屋は、ビニールトタンで覆われています。

寒かったものね。

春になって、トタンが取り払われるまで逢えないね。

 

東の新沼は静かです。

あれ、アオサギさんが約1名です。

アオサギさん、久しぶりです。

 

西の童沢貯水池も静かです。

けさは更に水位が下がって、カモさんたちの姿もありません。

目立たなく、シラサギさんがいるだけです。

 

少し暖かくなったね。

早く帰って、朝ご飯にしましょう

 

 

 

太田市只上町の心王寺を後に、鹿島橋で渡良瀬川を渡り足利市に入ります。

国道67号線をひたすら東に、足利赤十字病院を過ぎてまもなく、左折です。

 

この目立つ看板、気にはなってましたけど、やっと訪問の動機が得られました

足利市のHPによると、大手神社は

『手の力を強くしたい』『字が上手に書けるように』『手先の技術があがるように』『手の病気が治りますように』…この神社は手の神様です。そして、願い事が叶ったらお礼として『手首』や『手形』の絵馬を納めます。

大手神社の伝説

天慶の乱(てんぎょうのらん、939年~940年)で、平将門(たいらのまさかど)が藤原秀郷(ふじわらのひでさと)に討ち取られた時、五体がバラバラになって各地に墜落しました。その時落ちてきた『手』をまつったのが大手神社だといわれています。

将門に関する伝説は、ほかにも小俣町の『鶏足寺(けいそくじ)』、大前町の『大原神社(おおはらじんじゃ)』、樺崎町の『子の権現(ねのごんげん)』などがあります。

 

 

左折して振り返ると、後ろは足利赤十字病院です。

そして、鳥弁の登利平(とりへい)も見えます。

登利平は足利からの帰りに、よく寄ってお弁当を購入してます

 

 

路地を入り駐車場に駐車、鳥居から入り直しです

 

クラシックな手水社があります。

奥には、地域の集会所かな?

 

二の鳥居の脇に、大手神社の伝説があります

ところが、また別のいつの頃からか、その祭神は平将門であるとして、その将門が藤原秀郷に殺されたのは、桔梗姫が秀郷に将門の居場所を指さして教えたからだと伝えられ、その後、大手神社の敵は桔梗姫であるところから、この神社のある新屋敷町では、桔梗の全てをきらい、たとえば着物の柄にいたるまで使用しない習慣があると云われている。

このあたりでは、桔梗は嫌われているんですか

 

 

社殿で、2礼2拍1礼で参拝です

 

小さな神社ですけど、社殿の彫刻はなかなか立派です

ふと上を見ると、手があります

 

赤い手形の額が奉納されています。

大手神社ですものね

改めて、2礼2拍1礼です。

 

 

手水社の竜の向こうに、小さな石宮があります。

狐さんかな?

 

 

手の神様・大手神社、近くをよく通ってます

また、機会があったら参拝しまーす

 

帰りに、もう一ヶ所将門伝説の鶏足寺に寄ってきましょう。

 

 

(つづく)

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将門伝説の心王寺由来

2021-11-29 15:38:36 | 太田・足利の将門伝説

今朝は、第一陣で獅子くん一人散歩で、上の沼を目指します。

途中の乳牛さんの牛舎で、「おはよう

みんな朝御飯中です。

 

東の新沼に到着です。

あれ、珍しくシラサギさんが、向こう岸を歩いています。

西の童沢貯水池は、水がとても少なくなってます。

カモさんたち、いないかな?

と思いきや、みなさん飛び立ちました。

けっこういつも通り、みなさんここで生活しているようです。

 

さあ、帰りましょう。

朝陽を浴びて、籾殻の山を背景にりりしい獅子くんです。

ここには毎年籾殻が置かれますけど、何時の間にか土に帰ってます。

 

 

 

(11月20日)東毛の将門伝説を記した由来記が、只上(八幡)神社そばの心王寺(太田市只上町)にあるというので、出かけました

高速道路(北関東自動車道)の脇を、墓地の方から進入して訪問です。

 

墓地から人家前を通って、門柱前です。

大きな石造物です。

お地蔵様、ちょっと寂しそうかな?

 

門柱から入って参拝です。

しっかりした門柱で、大正5年12月の建立です。

100年前は、賑やかだったのでしょう

 

堂宇は1つだけです。

額は「薬師如来」です。

薬師如来がご本尊ですね。

ご本尊は厨子の中でしょうか?

合掌

 

 

さて、堂宇脇の由来記を確認です。

 

医王山正徳院心王寺由来

天慶三年二月十四日常陸国岩井ノ戦ニ破レテ平親王将門公ハ一族郎党ヲ引連レテ渡良瀬川ヲ登リ只上リ内出ニ住居シ佐野ニ本拠ノ有ル藤原藤太秀郷トノ一戦ヲ計リタリ。然ルニ天慶三年旧七月二十三日妾桔梗ノ前ノ手引ニ秀郷ノ二男藤原次郎桐生氏ノ祖蘇鉄ノ影ヨリ弓ニテ射殺ス。其ノ首ヲ以ツテ逃ゲシヲ只上リ八幡宮ノ所デ取遮ッタト言フ。~(中略)~故ニ今ヲ去ル約六百七十年前岡崎此ノ地ニ寺ヲ建立シ心王寺ト命名祖先将門公兄弟一族郎党ヲ供養シテ成仏ヲ祈念スル。~(中略)~大日本史上将門公ハ反逆臣ト記載サレシタメ渡良瀬川沿岸ノ将門公政頼公ヲ祀ル神社寺院ハ明治四十年皆祀神由来ヲ変ヘ終ッタ残念也。只上八幡宮ハ将門公ノ胴体ヲ祀ル故ニ御胴八幡ト言フ。市場八幡宮ハ将門公ノ足ヲ祀ル。五十部大手権現(神社)ハ将門公ノ手ヲ祀ル。大前大原神社ハ将門公ノ腹ヲ祀ル。

 

平将門の子孫が建立したんですね

そして、これを記した人も将門の子孫なのですね

 

平将門は此の辺りに居住して、藤原秀郷と決戦しようとしていたけれど、愛妾・桔梗の前に裏切られ、秀郷の次男によって射殺されたんですか

遺体はバラバラになり、それぞれ落ちたところで祀られているんですね。

 

 

境内脇から墓地を通って帰ります。

将門伝説と高速道路、不思議なコラボです

 

今回は鹿島橋で渡良瀬川を渡ります。

この左手の岸辺りが、只上八幡神社の裏手・八幡川原ですね

 

県道67号線に出て右折、大手神社(足利市五十部町)を目指します。

この大きな手の神社、意味が分かりませんでした。

なんとなく納得して、初めて参拝です

 

(つづく)

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将門の胴体を祀った伝説・只上八幡神社

2021-11-27 19:58:26 | 太田・足利の将門伝説

ひめちゃんはタバサねーちゃんと、諏訪神社の向こうの高台・山上の薬師の道を歩いてきました。

浅間山は見えません。

吹雪いているかな?

赤城山も、ちょっと吹雪いているみたい。

寒い一日になりそうです。

ひめちゃんたちは、一昨日から床暖マットの2枚目が入りました。

さらなる防寒対策、この冬は早めかな?

 

 

 

『上州坪弓老談記(じょうしゅうつぼゆみろうだんき)』という、江戸時代に書かれた本があります。

戦国時代の上州の攻防戦が描かれています。

上杉謙信は、由良氏の領土を通過して、佐野に向かったことがありました。

広沢(桐生市広沢町)の寄居を、乱暴狼藉の限りを尽くして通過します。

 

由良氏は、謙信の通過に際して、「早速胴湖・市場・八幡へ人数を出し、敵の有様を見合すべし。」といいました。

胴湖はどこだかわかりません。

市場は太田市市場町、只上(ただかり)町の隣です。

八幡は、只上八幡神社のあたりだと思われます。

 

いろいろ検索していくと、なんとこのあたりには、平将門伝説があったのです。

「将門が射殺されたとき、その身体はバラバラになり、何カ所かに落下した。只上八幡宮は将門の胴体を祀ったところ、なので、御胴八幡とも言う。市場八幡宮は足を祀り、大手神社は手を祀っている。」とか

 

 

まあとにかく只上八幡神社に行ってみましょう

現在は、只上神社です。

立派な神社だけど、ちょっと寂しい

 

でもしっかり現役です

赤ちゃんの命名があったようです

2礼2拍1礼です

 

由緒があります。

ここは「山田郡毛里田村大字只上(やまだぐんもりたむらおおあざただかり)」だったのです。

山緒不詳ですか

 

 

社殿を左から一回りです。

落ち着いたというか、落ち着きすぎた感じです。

なんとなく昭和の雰囲気

 

 

境内社も多くはありません。

 

 

古いながらも、りっぱな社務所があります。

かつては、大いに賑わったのでしょう。

将門も由良氏も、その記憶はありませんでした

 

 

でも、将門の身体がばらバラになり、何カ所かに祀られているというのは、興味深い話です

それも、東毛に

 

 

さあ、帰りましょう。

県道の信号に出ました。

信号は、只上八幡前です

信号に「只上八幡神社」の記憶が残っていました

 

 

信号角のコンビニで、古印最中(こいんもなか)のお店をナビに入れて、足利に向かいます。

渡良瀬川の右岸を走り、緑橋で足利に入りました。

望むらくは、少し上流の鹿島橋を渡ると、好かったのですけど。

 

 

古印最中の香雲堂本店に到着です。

時間は、午前11時58分です。

お店の隣のミニ織姫神社から、00の時間になると、織り姫様がお出ましになるはずです。

あれ、今日はお出ましがありません

システムが変わったかな?

でも、いつも通り、古印最中を買って帰りました

 

 

(つづく)

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