黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

『念仏往生伝』細井尼の面影を求めて 2 (天台宗光運寺)

2020-11-30 16:19:02 | 群馬県・旧勢多郡

今朝、ひめちゃんと獅子丸は、おとうさんとお散歩に出ます

ひめちゃん、出発前からご褒美のおねだりです。

最近お散歩の時に、カリカリのドッグフードを少し持って行きます。

みんな大好きのようで、よく催促されます。

「ひめちゃんが先。」なので、獅子丸は待ってます

待ちきれないよ。

獅子くん、立ち上がるのが得意です

 

 

 

11月23日、細井神社からの帰り、「天台宗光運寺」の看板に誘われて、ちょっと寄ました。

道路脇に、大きな宝篋印塔があります。

御朱印もあるかな?

駐車場はなさそうです。

とりあえず、狭い境内になんとか駐車です。

 

こんにちは

帰依する人を護る守護神ですね。

どこかでお会いしたような気もしますけど。

 

本堂ですね

一見普通の民家のようです。

 

狭い境内には、わずかの石造物です。

 

無住の感じですけど、池には丸々とした鯉がいっぱいです

落ち葉と似合う光景です

無住のようだけど、管理者がいるのでしょう。

 

本堂を振り返ります。

なんとも古風な五輪塔です。

看板を立て、草を刈り、池に鯉を放って、やる気を感じたお寺でした

 

上細井の信号を左折して帰ります。

西方には榛名山、そして浅間山も、ひめちゃんちのある山上よりズーッと迫って見えます。

 

細井の地を訪ねることができて、細井尼の生きた空間を少し感じられました

 

実は、『念仏往生伝』によると、彼女は若いウチに夫の元を辞し、兄の新平入道の下で念仏修行をしたと言います。

細井は、彼女の嫁ぎ先のようです。

何年かいたことは間違いないと思いますけど。

 

では、彼女が帰った実家はどこか?

1つの候補として、旧勢多郡粕川村田面(たなぼ)が考えられます

建武元年(1334)に書かれた「太田貞宗寄進状」にでてくる、新平入道の子孫かも知れない新平三入道が田面に住んでいたのです。

 

そうすると、細井尼の面影は、田面(たなぼ)の風景にもある可能性が大です

田面のコンビニ駐車場からの赤城山と榛名山です。

もしかしたら、山上保の田面が念仏往生の舞台だったかも知れません

 

 

 

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『念仏往生伝』細井尼の面影を求めて(細井神社)

2020-11-29 19:49:33 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北にでます。

寒いねえ

あれ、赤城山の小沼の辺りが白くなってます

こんなにはっきり白いのは、今期初です。

もう冬ですね

獅子丸は道ばたにアブラナを見付けて、かじってます。

ひめちゃんも、お相伴です。

岩神沼に到着寸前、獅子丸は猫を発見

おかあさんはハンターに変身させてくれませんでした

不満じゃ

沼には数羽のカモがいました。

大多数が飛び立って行きましたけど、残ったかわいいカモさんです

 

 

 

行仙上人著といわれる『念仏往生伝』第47章は、同国細井尼の往生譚です。


彼所有新平入道者。是妹尼也。天性有道心。盛年之比。辞夫手依付兄入道。渡於世間。老後天下同多病死之人。此尼既受病及危急。挙二手欲受取物之体也。看病問故。答云。蓮花雨下。其体微妙。異人間花。仍所欲受取也云々。其後無言。受花之手。尚又如前。仍人々称往生人。文応元年<庚申> 夏比也。

同国は、第46章の上野国大胡小四郎秀村と同じ上野国です。

上野国の細井に居た尼さんと思われます。

彼女が往生した文応元年は、西暦1260年、日蓮が「立正安国論」を幕府に提出した年です。

 

地図を眺めると、大胡の向こう、上泉の向こうに、上細井と下細井が有ります

このあたりは、旧勢多郡南橘村(みなみたちばなむら)です。

上細井には、細井神社があります

 

細井尼の面影を求めて、細井神社に行ってきました

 

大胡から県道3号線で西に行き、上泉町で右折、県道76号線をひたすら西に進みます。

上細井の信号を右折します。

ゴツゴツした榛名山が迫ってます。

 

少しいくと、細井神社⇒の表示です。

ほどなく到着です。

境内というか、隣の上細井公民館の前に駐車です。

ここは、かつては赤城神社で、明治の時に細井神社と改称したそうです。

 

鳥居から参拝です。

 

大きくみごとに口を開いた狛犬です。

ちょうど秋真っ盛りのころだったかな

 

こちらはしっかり口を閉じています。

両方ともかなりの獅子鼻かな

 

2礼2拍1礼で参拝です。

おや、賽銭箱に何か張ってあります。

御朱印です。

「御朱印は、広瀬町の飯玉神社で」とあります。

機会があったら、そのうちに伺いましょう

 

社殿の周りを歩いて見ましょう。

クラシックな灯籠です。

境内社がいくつもあります。

御神木?

どれだろう?

切り倒されちゃったのかな?

 

本殿です

覆屋もこのくらいだといいですね

あんまり厳重に覆われてしまうと、神様も息苦しいことでしょう。

そんなに古くないかな?

 

神輿が収納されています。

 

隣の上細井公民館にも御朱印が張ってあります。

上細井の細井神社を参拝して、ちょっとだけ細井尼と同じ空気を吸えたかな

 

 

 

 

 

 

 

 

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柊薬師は何処に(応昌寺)

2020-11-28 18:25:09 | 群馬県・旧勢多郡

一昨日、ひめちゃんは、半年ぶりにシャンプー屋さんに行ってきました

襟巻きトカゲのようにしつこかった首もスッキリしました。

湯上がり美女のひめちゃん、今朝は獅子丸とお散歩です

獅子丸はシャンプーお預けです。

柴犬は赤ちゃんの時から来ていないとダメなんですって。

そのうちに、おうちでシャンプーしましょう

 

今朝は何故か、獅子丸が道を譲りません。

東の牧場の方に行きます。

 

この牧場の主人公は、黒毛和牛さんです。

みんな、ひめちゃんと獅子丸に興味がありそうです。

後ろに、ワラロールが積んであります。

 

さて、ヤギさん、いるかな?

おはよう

あれ、なんだかいつものボクと雰囲気が違う

 

あれ、ヤギパパとヤギママとボクは、フンスの中です。

ニューフイスかな?

 

ひめちゃんと獅子丸は、サマンサ坂を通って帰ります

 

 

 

 

昔、勢多郡大胡町で出していた大胡の文化財のパンフレットに、河原浜柊(ひいらぎ)薬師の柊樹林があります。

大胡から三夜沢赤城神社へ、旅人が参拝のために往来した道が赤城街道です。この街道沿いに滋賀県延暦寺末の応昌寺境外仏堂として薬師堂があり、本尊薬師如来(石仏)が安置されています。境内に樹齢300年以上の柊の古木があることから、地元では柊薬師と呼ばれています。

 

この赤城街道は、大胡城の東を流れる荒砥川にそって上っている県道16号線です。

何度か通りましたけど、あったっけ?

柊薬師と応昌寺を訪問です

16号線に表示はありました。

でも、柊の巨木は見えません

看板も、ちょっと古くなってます

矢印の方に道なりに行ってみます。

 

ほどなく応昌寺に到着です。

目立つ石仏群があります。

みざる・いわざる・きかざる、三猿がはっきりわかります

双体道祖神も、無造作に置かれています。

手と手を取り合って、仲睦まじい男女です

これは何様かな?

青面金剛とか、馬頭観音とか?

こういう表現もあったのですね

 

右の方は、琵琶を持ってる弁天様のように見えますけど

 

柊薬師の姿はありません。

 

さて、本堂で参拝です。

比較的新しい堂宇です。

とにかく合掌

 

本堂右前には、子育て・水子地蔵尊です。

境内に遊具があるのも納得です

 

本堂左脇には石造物です。

 

変わった形の大日如来です。

後ろに小さな石造物がたくさんあります。

天保11年(1842)ですか。

渡辺崋山が妹の嫁ぎ先・桐生を訪れた10年後です。

 

二十二夜の月の出に願いをかけた、女の人達のモニュメントですね

 

あれどうして、ここに

あの女子栄養大学の香川綾さんのお墓ですか

何かご縁があるのでしょうか?

 

ちょっと暖かそうないでたちの六地蔵です

よく見ると、みんな個性的みたいです

 

山門脇のこの方はどなたでしょう?

 

結局、柊薬師は見つかりませんでした

三夜沢赤城神社に参拝する旅人がちょっと一休み、古きよき時代の史跡でしたね

県道16号線の拡張工事とかで消滅したかな?

柊薬師には逢えなかったけれど、心温まる史跡を探したことで、ちょっと心が温まりました

 

 

 

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南・五料の謎

2020-11-26 15:41:57 | 日光裏街道

ひめちゃんと獅子丸の両親は、七海ママと小次郎パパです。

まだ二人が若かりし頃、2007年の夏の、懐かしい写真が出てきました。

 

蓮の季節に、赤堀蓮園(天幕城跡)に出かけました。

あれ、パパのシッポが巻いています。

このころ、赤城南面に「ドイツ村」があって、園内にドッグランがありました。

比較的すいていたので、よくでかけました。

思いっきり走って、水遊びもしました。

どうみてもパパは巻尾です。

今では、その面影もなく、しっかり指尾です。

どうしちゃったのでしょう?

別に不自由はないようですけど。

 

 

大胡町の町中に、目立つ道しるべがあります。

先日、ちょっと駐車して確認しました。

「南 五料 伊勢崎」

「東 文化六己巳年六月 世話人 奥泉文平 江原忠兵衛」

え、五料って、あの日光例幣使街道の五料宿ですか

確かに距離はあるけど、南にありそうです。

「西 前橋 米野」

ちょっと見にくいですけど、「北 日光 大間々」です

どうして日光の表示があるのだろう

 

大胡町の文化財を検索すると、この道しるべがあります。

日光例幣使街道の脇道は、日光裏街道あるいは日光脇往還と呼ばれていました。その1つ、五料(現玉村町)から駒形、茂木を経て、大胡宿に入り、大前田、馬場、室沢、板橋(現桐生市新里町)を過ぎて神梅(みどり市)で足尾銅山街道に合流する街道は、平坦な本街道に比べて、道幅も狭く険しいながら、近道として利用されました。この道造に道しるべがあり、当寺の往来をうかがわせます。

日光裏街道の道しるべですか

新里の板橋も、日光裏街道が通っていたんですね

 

 

もう一箇所、「河原浜の道しるべ」があがってます。

「右桐生・大間々、左日光」と堂々たる文字が刻まれた幅34cm、奥行き18cm、高さ64cmの方柱の道しるべです。造立年月日、造立人などは記されていません。元は河原浜(旧向町)丁字路にありましたが、現在は向町会館に移設されています。

 

これは確認しなければなりません

昨日、用足しがてら、道しるべの確認と日光裏街道を辿って帰宅しました。

 

信号待ちの車の中からの撮影です。

ちょっとぼけていますけど、ご容赦

向町の信号です。

最近はめったに通りませんけれど、昔はよく通りました。

右折します。

 

まもなく、右手に向町会館があります。

バス停は、向町公民館です。

狭いけれど、ちょっと駐車です。

ありました

確かに堂々たる文字で「左日光 右桐生大間々」と刻まれています。

あの信号の角にあったのですね。

左日光は、だいたい県道333のようです。

こちらから帰ってみましょう

 

途中、ちょっと双体道祖神があるという応昌寺に寄ります。

詳細は後日

 

応昌寺から県道333号線に戻ります。

左折です。

 

左折すると、赤城山が見えます。

昨日ははっきりしないお天気でした。

 

前橋市指定史跡五輪塔を右折します。

駐車スペースが見つからないので、探索は後日に持ち越しです。

ちょっと丸みを帯びたやさしい五輪塔にみえました

道なりに東に進みます。

 

赤信号で、車の中から1枚

馬場町です。

日光裏街道の宿場として、馬場がありました。

 

ひたすら東に走ると、突き当たりです。

県道333号線は、左折します。

 

左折すると、室沢(むろさわ)の全徳寺です。

室沢も、日光裏街道の宿でした

ここにも双体道祖神が有ります

現在は、堂宇の中に祀られています。

そして、ここは山上の常広寺の末寺で、現在は常広寺が兼務しています。

たくさんの人々の往来があった室沢宿の全徳寺は、もしかしたら常広寺の繁栄に大きな役割をしたかも知れません

 

右折し旧新里村に向かいます。

赤城神社があります。

先月の18日、通りかかったときには、祭礼のようで幟があがっていました

やはり元気に見えます。

昨日はいつものように静かでした。

 

さて、県道333号線は、足尾銅山街道と合流はまだ先です。

続きはまた後日ということで。

ひめちゃんたちの待つおうちに帰ります

でも、新里の北部の板橋が日光裏街道の宿だったなんて

宿場として、誇る文化があったはずですね

 

 

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獅子丸な日々 12(若いもんの散歩)

2020-11-25 15:09:05 | 獅子丸な日々

昨日、獅子丸は朝も夕方も、ひめちゃんとのお散歩でした。

獅子丸とひめちゃんはもう8歳ですけど、犬家族では「若いもん」なのです。

 

昨日はいい天気でした

獅子丸とひめちゃんは、堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。

水面は静かで鏡のようでした

最近、鳥さんの姿がありません。

 

隣の花好きおばさんの名残のバラがきれいです

あの目立つのは、マリアカラスかな?

ひめちゃんは、興味ありません。

 

高縄の摩崖仏を斜め後ろにみて、さらに蕨沢川源流の沼まで行きます。

その昔は、摩崖仏の向こうに、西毛の山々や浅間山が、よく見えた事でしょう。

 

 

新沼に到着です。

こちらも静かな水面で、カモが2、3羽いるだけです。

おや、管理用ボートのそばに何かいます。

アオサギです

ここでアオサギの姿を見るのは、本当に久しぶりです

 

歩いて移動しています

何か餌的なものがあったかな?

 

沼の東の道を下ります。

 

 

道ばたに、めだつ石造物があります。

その奥にも石造物がありました。

こちらは、初めて気がつきました。

大日如来と薬師如来かな?

 

すぐ南は、子牛の牛舎です。

いつもより、ちょっと少なめの皆さんです。

 

 

さらに下って、高縄の集会所です。

花いっぱい運動の花が、植え替えられていました

みなさん活動しているんですね。

見返り獅子くんです

 

おうちに帰ると、柿の実はほとんど無くなっています。

鳥さん、よく食べてくれました

 

 

 

夕方も、ひめちゃんと若いもんで、南の方に出かけました

でも、ちょっと時間がまずかった

子供達のお帰りの時間に遭遇してしまったのです

大勢がやって来ます

こういうときにすれ違ったりしたら、ひめちゃんは息も絶え絶えになってしまいます

 

急遽進路変更して、西の天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。

天神田の中に貯水池があります。

今はほとんど水がありませんけど、田植えの季節には活躍するのでしょう。

先日、常広寺にお邪魔したときに、「先代はどこだか分からないけれど、子どもの頃天神沼で泳いでいたんですって。」という話を聞きました。

もしかしたら、天神沼の名残?

 

道の向こう、ひめちゃんの耳の上あたりに、天神宮の疑いが濃厚な石宮があります。

やはりそこを流れる川は、天神川だったのです

 

秋の日はつるべ落とし、夕闇が迫ります

南の空には半月が昇ってます。

さあ、暗くならないうちに帰りましょう。

 

 

今朝は、タバサねーちゃんとお散歩です

タバサねーちゃんは12歳ですけど、3番目に若いもんです

堀之内を北に出て、葛塚城の堀切跡を渡ります。

かつては水田として利用されていたと思いますけど、今ではガマの穂が主役です。

 

岩神沼に到着です。

今朝も鏡のような水面です

赤城山は、その姿を現していませんでした。

タバちゃん、大あくび

寝不足かな?

 

隣の花好きおばさんの名残のバラは、今朝もきれいに咲いていました

摩崖仏の裏を通って帰りました

 

 

 

 

 

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