黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

扉の向こうの阿弥陀如来坐像

2021-03-11 19:28:03 | 日光裏街道

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、蕨沢川にかかる2番目の橋・巧橋(たくみはし)を渡ります。

橋のたもとには、いつのまにかサクランボの花が満開です

 

橋を渡って、諏訪神社を廻って帰ります。

拝殿の鈴、ちょっと危険かな?

 

ひめちゃんたちは、階段を前向きに降りて帰ります。

 

また、蕨沢川を渡ります。

橋のたもとの、桜もきれいに咲いています。

野仏には桜が似合います

 

 

小島田の道しるべを確認した後、隣の神明宮を参拝しました。

神明宮の隣は、小島田公民館です。

道の向こうにも、何かありそうです

閉じられた扉の向こうに、小さな墳丘が見えます。

史跡のホールと案内板も見えます。

小島田の阿弥陀如来坐像ですって

石仏はそこには見えないから、階段を登るのかな?

扉は、固く閉じられています

左の墓地を通って行けるかな?

墓地からの細道を見付けて、やっとたどり着きます

 

説明板を確認です。

高さ62.5cm、幅37.5cmの安山岩の阿弥陀如来坐像。地元では薬師と呼んでいるが象の形と印から阿弥陀仏と判断できる。光背の裏面の紀年銘に延徳5年(1493)とあるが、延徳は4年7月19日に明応と改元されている。この石仏が立っているのは、墳丘径6m、高さ1.8mの小円墳で鏡の出土が記録されている。

やはり、古墳なのですね

 

階段が造られています。

 

登り切ると、板碑です

小さいけれど、れっきとした板碑です

 

こんにちは

むこうには小島田公民館が見えます。

前面台座にも、文字があるような感じです。

蓮華坐の模様は、はっきり分かりますね。

南無阿弥陀仏、合掌

 

板碑は緑泥片岩のようです

緑色がかってます。

秩父の山奥からやって来た石かな?

隣の白っぽい石は、何かの台座かな?

もしかして板碑の前に転がっているのは、台座の主の仏様?

合掌

 

あるかなきかの細道をたどり、公民館前戻ります。

ショッピングモール前の石仏群に、「小島田の道しるべ」がありました

 

大きな如意輪観音の影で、さっき気になった仏様にもう一度ご挨拶です

なんとなく、あの阿弥陀如来坐像に似た雰囲気です

蓮華坐に乗ってます

もしかして、こちらも阿弥陀如来?

後ろに、紀年銘でもあるかな?

まったく見えずでした。

でも、今回一番親しみを感じた石仏でした

またお会いしましょう

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やっと見付けた小島田の道しるべ

2021-03-10 20:09:02 | 日光裏街道

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと、南の方にお散歩です。

「南無阿弥陀仏の文字塔」があります

この道の左突き当たりには、道標もあります

赤城山がよく見えるこの道は、かつては幹線道路だったのです

今は完全に田舎道で、いまだに舗装もされていません。

おかげで、「南無阿弥陀仏」の文字塔が生きてます

 

早春の草いっぱいの台地で、道草です。

パパの視線の先には、何があるのでしょう?

鳥さんが、おうちに帰るのかな?

 

 

 

 

日光裏街道、周辺の文化財29番・小島田の道しるべを探します。

小島田公民館の近くらしいです。

 

実は、30番・小島田の供養碑訪問の後、細道をたどって、小島田公民館前に出ました。

公民館は、会議中だったのか、カーテンが開いていて、おじさんが数名みえました。

これは公民館に駐車して、探索というわけにはいきません。

やむなく退却です

 

次は、用足しのついでに寄ろうとしました。

ところが公民館の庭で、男女のカップルが、仲良くバドミントンをしています。

やむなく、また退却です

 

3月4日、「今日こそ」と三度目の正直、公民館南のショッピングモールに駐車して、歩きます

ちょっとした坂です。

頑張ってというほどでもないですけど、まあ頑張って到着です

 

あのりっぱな如意輪観音かな?

台座に、地名があるかな?

ためつすがめつ眺めても、地名がなさそうです

 

すぐ後ろの、古い石造物が気になります

もしかして、長明寺の記憶かな?

 

ふと振り返って、道路脇の百番供養塔をみると、台座に「左日光」の文字が見えます

右は「??波」

日光例幣使街道の2番目の宿場。柴宿から日光裏街道は始まってるはずだけど。

柴宿(伊勢崎市柴町)は、七海ママの故郷です。

とにかく、やっと見付けた、小島田の道しるべです

 

でも、ここから左に行くと、墓地の中、人家です。

もしかしたら、移動しているかな?

安永四乙未(きのとひつじ)年(1775)とあります。

世良田の毛呂権蔵が『上野国志』を著した翌年です。

安永年間には、人びとの往来が盛んだったのですね

 

奥は墓地になっています。

そしてその奥にお寺ではなく、人家です。

でももしかしたら、かつてはお寺とか修験者とかの住まいだったかも知れませんね

上杉謙信に焼かれたという巨大な長明寺、その長明寺がなくなっても、ここはパワースポットであり続けたのです

 

墓地の隣は神社です。

神明宮です。

石造物が神社の方にもあります。

かつては、塀などなく、神仏習合していたのでしょう

道祖神、きっと活躍していたことでしょう

 

神社の隣は、小島田公民館です。

いやむしろ、小島田公民館の敷地の中に、神明宮があるといった方がいいかもしれません。

道の向こうにも、何かありそうです

 

(つづく)

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日光裏街道・長明寺大門跡の小島田供養碑

2021-03-09 19:02:33 | 日光裏街道

ひめちゃんの恋の季節は、無事に過ぎました

夕方の小次郎パパとのお散歩も、再開出来ました。

 

今朝は、獅子丸と岩神沼方面のお散歩です。

 

沼には、いつもの黒いカモさんです。

カモさんのいるあたりは、結構浅瀬になっているようです。

赤城山は、雲に覆われて、少しだけしかその姿を現していません。

 

ひめちゃんと獅子丸は、桐生市指定史跡・高縄の摩崖仏(たかなわのまがいぶつ)の裏を通って帰ります。

摩崖仏への参道は、もう長いこと農業用資材に塞がれています。

犬連れでは、参拝不可能です

この石や石造物の多さを見ると、かつてはかなりのパワースポットだったようです。

摩崖仏の阿弥陀三尊さん、もうパワー切れのようです

このたくさん人びとの祈りを、なんとか記憶に遺したいものです。

 

梅の花と摩崖仏の、ちょっと寂しいコラボです。

春なのに、哀愁の摩崖仏です

 

 

 

 

「日光へ脇往還・大胡道」(日光裏街道・大胡道)の、国道50号線小島田信号付近の地図です。

29番・小島田のみちしるべ、30番・仁治元年小島田の供養碑を訪ねます

まず、30番・小島田の供養碑を探します。

大きな道沿いではないようなので、ストリートビューをしつこく見つめて事前学習です。

付近に駐車場はないので、路上駐車で駆け足で訪問です。

 

見当をつけて、裏から回り込みます。

どうも個人のお宅のような感じもしますけど、大丈夫かな?

 

道路側に階段があって、訪問者を受け入れてくれてます

こんにちは

格子戸越しですけど、しっかり対面できます

阿弥陀如来と左右の梵字で、阿弥陀三尊を表しているそうです。

台座に碑文があるということですけど、見えません

まあとにかく合掌

アカの他人のおばさんの訪問を、受け入れくれたんですものね

 

説明板もしっかりあります。

この供養碑は、仁治元年(1240)に、橘清重(たちばなのきよしげ)が幼くして逝った息子の極楽往生を願って建立したのです。

所在地は、「前橋市小島田町大門跡530」です。

「大門跡」とは、不思議な、意味ありそうな地名です

 

 

 

「官報えいめい」2018年5月15日発行(前橋市永明公民館)に、「上杉謙信と長明寺・阿弥陀様」(寄稿者 小島田町生涯学習奨励員・橋本利通さん)がありました

引用させていただきます

天皇制の確立期であった西暦701年に制定された大宝律令によって小島田は集落の南側・古利根川の北岸段丘上に昔の国道東山道(滋賀から群馬・東北地方)が建設されて繁栄していたと推測されます。その名残は法務局で土地の登記謄本を取り寄せてみると小島田に八日市という地名が記載されていることからも伺い知れます。小島田の中心部に戦国時代に廃寺となった長明寺という大寺院があり、大門跡に群馬県最古の阿弥陀如来の板碑がありその下部に橘清重という人物が仁治元年(1240)に亡き息子の極楽往生を願う碑文を遺しております。戦国時代に当地を治めていた上杉謙信が武田信玄と戦った時に再建を約束して寺院を燃やしたが再建されませんでした。

 

そうだったんですか

大門跡の地名も納得です

長明寺の大門跡なのですね

上杉謙信は再建してくれませんでしたけど、今も阿弥陀様は大切に保存され、訪れる人びとを受け入れています

800年近く経っても、人びとを受け入れているのは、すばらしいことです

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日光裏街道番外編・鷲峯山馬頭院祝昌寺(摺墨の記憶を訪ねて2)

2021-03-07 15:21:27 | 日光裏街道

ひめちゃんと獅子丸は、岩神沼周辺をお散歩です。

ちょっと寒いけど、まずまずのお天気です

沼には、いつもの黒いカモさんだけです。

 

二人はいつものように元気にお散歩して帰りました。

ひめちゃんは、この間秋波を送った彼も無視して帰りました。

ひめちゃんの恋の季節は無事終わりそうです

お部屋(サークル)に帰って、ハーネスを外してもらうのを良い子で待ってます

 

ガーデンでは、椿・玉の浦が本格的に咲き始めました

春ですね

 

 

 

山王日枝神社を後に、なんとか祝昌寺の南に出てやっと到着しました

名馬・摺墨の遺体を葬ったという祝昌寺です。

 

門柱の左右に仁王象です。

 

門柱を入って、駐車場になってます。

駐車場の片隅に、寺の由緒があります。

鷲峯山馬頭院祝昌寺、すごい正式名称です。

いかにも、名馬・摺墨と関係ありそうな寺名です。

曹洞宗で、開山は前橋橋林寺(きょうりんじ)三世ですか

常広寺と同じ橋林寺末なのですね

今度常広寺に行ったら、和尚さんに聞いて見ましょう。

知り合いかも知れませんね。

 

鎌倉時代の武将梶原景季が源頼朝より拝領した愛馬「摺墨(するすみ)」がこの地で亡くなったため、庵を建てて供養したのが始めとされる。

 

そうなんですか

鏡田とは、ちょっとニュアンスが違う表現になってます。

 

 

左手に、大きくきれいな観音様です。

牛頭観世音菩薩とあります。

頭の上は、何となく、そう言われればそのような

 

山門には、曹洞宗祝昌寺です。

 

道すがら、いい言葉があります。

目で見せて 耳で聞かせて して見せて ほめてやらねば 人は育たぬ

そうですね

 

右手には幼稚園が見えます。

かつて常広寺が幼稚園も経営していたように、ここでも幼稚園経営もしています。

手前のお堂は、文殊堂とあります。

幼稚園といいコラボのお堂です

文殊菩薩さまのお姿は、外からはうかがいしることは出来ませんでした。

 

本堂は、耐火建築です。

本堂右下には、たくさんのお地蔵様です。

 

本堂左下には、「本堂建設之碑」です。

もしかしたら、これは古い本堂の鬼瓦?

左奥に、かなり古めの宝篋印塔が見えます。

 

摺墨の墓です

馬の墓が宝篋印塔って、他にあるのかな?

とにかく、歴史を秘めた古い宝篋印塔です

合掌

 

本堂脇には、古い石造物です。

古い歴史がありそうなのに、思ったより古い石造物が少ないです。

境内には、墓地もたくさんあって、みんな比較的新しそうです。

本堂は耐火建築です。

 

もしかして、火災に遭って再建されたのかな?

 

駐車場の桜のつぼみが膨らんでいました。

時節柄、御朱印をお願いするのを控えました。

そのうち世の中が落ち着いたら、御朱印を頂きにうかがいましょう

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日光裏街道番外編・山王日枝神社

2021-03-06 19:34:18 | 日光裏街道

ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の向こうの高台をお散歩です。

暖かい朝で、子持ちいいね

獅子くんは、何かを見付けました。

ブロッコリーの葉っぱかな?

それは、あっという間に獅子くんの口の中に消えました

まあ、アブラナ科の野菜の葉っぱだから大丈夫でしょう。

 

帰り道、蕨沢川を渡ります。

今朝は、なんとなく百番供養塔と馬頭観音が落ち着いていません。

台石と本体が両方とも、ミスマッチに見えます

もしかしたら、鎮座する場所を交換したかな

 

川縁の早咲きの桜が咲き始めました

春ですねえ

 

 

 

名馬・摺墨(するすみ)の墓があるという祝昌寺を目指します

史跡・鏡田(かがみだ)から、3kmくらいかな?

日光裏街道からは外れるけど、さほどの距離ではありません。

ナビに祝昌寺の☎番号を入れて出発です。

ナビ様の言うとおり、素直に進みます。

途中、目立つ神社があります。

帰りに寄るつもりで、とりあえずパス

ところが、ナビ様の言うとおりに行っても、祝昌寺に入れません

祝昌寺裏の細道を廻って、また神社前です

 

 

明るい神社前に戻ってきました

これは神様が「寄って行け」ということのようです

日枝神社です。

りっぱな社殿です。

 

「手水社の柄杓は使うな、鈴をならすな」等の参拝の注意書きがあります。

初詣の時の混雑対策かな?

 

「日枝神社畧記」があります。

所在地は、前橋市山王町14-2です。

ここは、山王町なのですね

うーん、よく見えません

貞観二年清和天皇の御宇(858)、嵯峨天皇の皇子二品親王忠長卿上野太守に任ぜられたのを?して、九ヶ村の郡代相謀り社殿を造り近江国鎮座の日吉山五大権現の神を遷座して、産土の神と仰ぎ安心立命と天下太平五穀豊穣を祈ったのが本神社の興りである。

だいたいそんな風に見えます

まあ、とにかくとっても古い神社ということになります

 

2礼2拍1礼で参拝です。

拝殿の額は、山王宮です。

 

鮮やかな拝殿です

青獅子と猿が見えます

 

象は白象(びゃくぞう)かな?

 

本殿も、鮮やかです

 

本殿裏を一回りしてきました。

やっぱり、華やかな拝殿です

御利益あるかな?

 

境内にあった、注連縄付きのこの石、説明もないけど気になります

文字がありそうだけど

 

境内社・山王天満宮です。

梅の花に天満宮、似合います

 

隣は、厳島神社(いつくしまじんじゃ)です。

やはり、梅の花が似合います

 

梅の花満開の山王日枝神社、元気をもらいました

また、祝昌寺を目指します

 

 

 

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