ひめちゃんと獅子丸が、七海ママとやって来ます。
おかあさん、お昼だよ
おかあさんは、畑で草むしりです。
じゃあ、帰ろうか
微妙に位置を換えながら、帰ります。
末っ子達とのちい散歩、ハイシニアのママの至福のひとときのようです
(2018年9月14日)
横瀬からまっすぐ下ると、「道の駅おかべ」にでます。
道の駅の隣に、中宿遺跡(なかじゅくいせき)があります。
前から気になっていたのですけど、今回初めて足を向けてみました。
道路を渡ると、蓮池と校倉造り(あぜくらづくり)の建物が見えます。
蓮は、原始蓮とあります。
いわゆる、古代蓮ですね。
残念ながら、花の季節はすぎています
この次は蓮の花の季節を狙いましょう
遺跡の案内板があります。
B・Cにあたる復元された校倉造りの建物です。
B・Cについて説明板があります。
校倉造りの前には、Aの部分です。
本来はこちらも校倉造りで、穀物を貯蔵していたのでしょう。
深谷市観光協会のHPによると、「ここは奈良~平安時代に使われた大規模な倉庫群後で、古代榛沢郡(はんざわぐん)の正倉(税として徴収した稲を保管する庫)と推定される」とあります。
埼玉県の岡部町周辺は、奈良時代には武蔵国榛沢郡で、中宿倉庫群跡は、榛沢郡の役所の一部で、周辺には郡庁その他の施設があったといいます。
実はこの日の本当の目的地は、七ツ梅跡です。
「道の駅おかべ」から、深谷シネマをナビに入れて、七ツ梅跡を目指します。
七ツ梅跡は、獅子丸家(獅子丸が7年間養子に行っていた家)開基という常広寺の竜骨伝記関連で、何度か訪れています。
常広寺には、竜骨があります
その竜骨には、鑑定書というか由来書がありました。
それによると、竜骨を四国の笹ヶ峰で発見したのは、木食廔睡(もくじきろうすい)です。
その竜骨を、子孫の田中藤左衛門が京都で貴族の方々に見せ箔を付けて、常広寺に持ってきたのです。
辛口の銘酒「七ツ梅」の創業者は、田中藤左衛門です
2人の田中藤左衛門は、実は同じ1人の人物と考えられます
そんなところから、七ツ梅跡には何度かお邪魔しているのです。
店の前の道は中仙道です。
中央の通路上に、「田中藤左衛門」と表札があります。
代々田中藤左衛門を襲名してきたのです
意外な所から深谷そして埼玉が近くなり、よく足を運んでいます