黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

木部氏館跡の心洞寺(木部姫伝説)

2021-08-31 20:26:44 | 木部姫伝説

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

獅子くん、ハンターに変身です。

猫はスタコラサッサ、去りました。

無念じゃ、おかあさんがリードを放してくれないからだよ

 

獅子丸は、新沼&童沢貯水池まで行きたかったようです。

でも、ひめちゃんが、どうしても高縄の集会所を廻って帰ると主張します。

集会所の脇を帰ります。

ここらへんの田んぼは、種籾の採種ほの住所は「山上久留美田(くるみだ)」です。

画面左の木々の中に、蕨沢川最初の橋、久留美田橋があります。

 

おや、田んぼの中に、白い頭が見えます

静かに進みます。

ご飯見つかったかな?

アタチの勘、冴えてたでしょ

サギさんに逢えてよかったね

 

 

 

8月18日、金井沢碑からの帰り、高崎市木部町を通ります。

木部町には、木部城址&木部氏館跡(心洞寺)があります。

寄ってみましょう

 

この堀之内の表示が木部城址だそうです。

確かに、お城の中心は堀之内です。

ひめちゃんちも、葛塚城堀之内です

 

 

ほどなく、木部城主之廟所という心洞寺に到着です。

曹洞宗なのですね。

 

 

山門があり、その奥にも朱色の楼門があります。

 

 

山門をくぐるとすぐに、木部城主之廟入口→です。

説明板もあります。

寺の境内は木部氏の館跡で、山門を中心に東西に石垣と土居の一部が残っています。左手奥の大ケヤキの根本に廟所が建立されており、五輪塔は範虎の墓といわれます。~(中略)~範虎の内室は箕輪城主長野業政の娘で、武田氏に攻め込まれた際に榛名湖で入水し龍に化身となった「木部姫伝説」の主人公(戒名龍體院殿天性證真大姉)です。

 

箕輪(みのわ)城主の娘が奥方だったのですね

奥方は榛名湖に入水して龍になったんですか

実名は伝わらず、木部姫とよばれているんですね。

 

大きなケヤキの下に、廟所です。

 

合掌

 

 

さて、楼門を通過しましょう。

あれ、天井絵です

龍です

木部姫が榛名湖に入水して龍になった話と関係ありそうです

古い説明板もあります。

文正元乙酉年(1465)木部駿河守範虎が菩提寺として建立したと伝えられている。その後正徳五年(1715)全院焼失、その際に山門は幸いにして災害を免れる。

やはり焼けたことがあるのですね

 

 

かなり古い六地蔵です

御利益ありそうです。

合掌

 

鐘楼堂もクラシックです。

 

 

落ち着いた本堂です。

合掌

赤いオガケをした水子を初めて見ました。

合掌

 

 

手水舎もいい雰囲気です。

 

 

境内どこからも、新幹線が見えそうです。

ここは、すぐ側を上越新幹線が通っているのです。

 

 

木部氏館跡の石垣と土居の一部を確認しながら帰ります。

榛名湖に入水して龍になったのは、箕輪城主長野業政の娘・木部姫だったのです

初めて知りました

 

 

 

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根小屋・鹿島神社(防人の記憶)

2021-08-30 18:09:42 | 群馬県・西毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、南に回り込みます。

あれ、ケンくんだ

ケンくんも気づいて、道ばたに避難してくれました。

獅子くんは戦闘モードです

バイバイ、そのうちにひめちゃんだけで行くよ

 

常広寺の外墓地そばには、桜の花です

暑いよ

おりこうに、ガードレールの影を歩きます。

 

 

 

 

鹿島山宝性寺の隣、鹿島神社にも寄ってみます。

駐車場は閉ざされていますけど、根小屋町信号脇のわずかのスペースに失礼します

 

鬱蒼とした参道を進みます。

 

あ、電車の通過です

 

目立たなく線路です。

 

電車が去って行きます。

隣の鹿島山宝性寺の境内を通過して行きます。

 

幣束が新しいです。

8月7日に一応祭礼があったかな?

桜の木もかなりの古木です。

 

苔むした階段を登り、拝殿で参拝です

 

脇の社殿のこの方はどなたかな?

 

 

 

隣のお寺が鹿島山宝性寺(かしまさんほうしょうじ)、山号に神社名が使われているということは、神社がかなり古くからこの地に存在するということです

 

境内には一切説明板はありませんでした

いろいろ検索していると、南八幡の案内人さんのブログに、高崎自然歩道・山名城趾から根古屋城趾に向かう途中の案内板「鹿島神社と防人」がありました

引用させて頂きます

 

飛鳥時代この国の若者は、碓氷の嶺を越え、遠く筑紫の国の防人として召されていった。

日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は

夫なのが袖もさやに振らしつ

上代、東国の防人は国を立つとき、鹿島の神を祀ったという。鹿島立ちである。この尾根道の東の麓に鹿島神社がある。その昔この地から筑紫へ召された若者がいた。残されたものが鹿島立ちを祝った場所に、鹿島明神の洞を建てて若者の無事を祈った。その若者は再び故郷の土を踏むことができたのか・・・その址に鹿島神社が残った。いつの頃からか神社では毎年8月7日に七日火という万燈花火を打ち上げて、祖霊を慰める様になった。

 

 

防人として旅立つ夫は、残る妻に「いつまでも愛してるよ」と思いっきり袖を振って、去って行ったのでしょう

もしかしたら山ノ上地蔵尊のそばにあったあの案内板の近くに説明板があったのかな?

 

茨城県鹿嶋市の鹿島市郷土かるたにも、

 

日本を護る防人赴く鹿島立ち(にほんをさきもりおもむくかしまだち)

 

防人に選ばれた人たちは旅の安全と無事に故郷へ帰れることを祈って出発しました。これが鹿島立ちの起源です。

現在も旅の安全を祈って好い旅であるように願いをこめて旅に出発することを鹿島立ちと言われています。

 

 

 「日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は夫なのが袖もさやに振らしつ(ひのくれに うすいのやまを こゆるひは せなのがそでを さやにふらしつ)」の『万葉集』の歌は知っていました

「鹿島立ち」の言葉と由来、初めて知りました

 

 

 

 

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特殊な石造物に惹かれて(鹿島山宝性寺)

2021-08-28 15:52:58 | 群馬県・西毛

昨日の夕方、ひめちゃんは獅子丸とタバサねーちゃんの3名で、おとうさんを連れてお散歩に出ました。

大丈夫かな

ちょっと時間がかかりましたけど、明るく元気に帰ってきました

 

とっても仲良くお散歩できたそうです。

タバサねーちゃんが、うまくリードしてくれたのでしょう

15才になった小次郎パパが、足腰が弱ってきているので、パパだけ別、あとの3名のお散歩が増える可能性があります

 

 

 

 

金井沢碑のあと、県道30号線で木部城趾&木部城主の菩提寺・心洞寺に向かいます。

まもなく、右側に目立つ大きな石造物があります。

鹿島山宝性寺(ほうしょうじ)です。

なんとも大きな不思議な目立つ石造物です

先を急いだので、この日はここまで。

 

『ぐんまのお寺真言宗』(上毛新聞社、平成13年)によれば、

すぐ東には八月七日の七日火で有名な鹿島神社が隣接している。そのためこの寺は山号寺号を鹿島山宝性寺と称している。~(中略)~

また県道の宝性寺入り口には高さ118センチの正徳六丙申(1716)六月の庚申塔、高さ285センチ、普門品供養塔(裏は百万巻)は中台部分に三面六臂の馬頭観音と如意輪観世音像を浮き彫りにした特殊塔で、右には緑野郡猫屋村、左には明和九年辰年(1772)が刻されているが、供養塔は全体が蓮華座上にあり、邪鬼がそれを支えている。~(中略)~

当寺の裏山には新四国霊場がある。市内唯一の小四国霊場で、祠宇国八十八ヶ所の砂を集めた碑を廻るようになっている。

 

 

後日、出直しました

大きな特殊塔を、まじまじ見ます。

如意輪観音かな?

邪鬼がいるようでもあるけど?

ちょっとよく分かりません。

とにかく合掌

 

 

境内に駐車して、本堂を目指します。

なんと、踏切を渡ります

境内を、上信電鉄が通っているのです。

 

古刹かと思いきや、けっこう新しい石造物もあります。

ご本尊は十一面観音ということなので、十一面観音かな?

 

古い石造物が集まってます。

古い石造物の向こうに見えるのは上越新幹線です。

不思議なコラボです

 

ちょうど和尚さんが脇からお帰りです。

法事でもあったのかな?

「こんにちは

「こんにちは

 

 

境内の散策続けます。

 

本堂前で合掌

弘法大師さまかな?

 

 

境内の整備が進んでいるようです

 

四国霊場はあるかな?

なさそうです

それにしてもこの塔は目立ちます。

 

 

さて、御朱印を頂いていきましょう。

庫裏を訪ねます。

「ウチは御朱印やってないんです。」

「それは失礼しました。入り口の大きな石造物に惹かれて、境内を散策させて頂きました。ありがとうございました

 

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根古屋村の金井澤と云所にあり(金井沢碑)

2021-08-27 20:22:25 | 群馬県・西毛

ひめちゃんは、獅子丸の準備ができるのを待ってます

2人は、いつもより西の道で堀之内を出ます。

今朝は、獅子丸がどうしても東の方に行くと譲りません。

ちょっと遠くなってしまったけど、牧場のヤギさんに逢いにいきましょう

県道を渡ってすぐ、道標のある小さな交差点があります。

まっすぐな県道が出来るまで、前方の細い道がメインストリートだったのです。

今は曲がりくねって、まもなく消滅していますけど。

 

ヤギさんいるかな?

子供たちも大きくなりました

大きさが違うので、男の子と女の子かな?

バイバイ、また来るね

サマンサ坂を通って帰ります。

今日も暑くなりそうだね。

 

 

 

8月18日、上野三碑の一つ金井沢碑(かないざわひ)に出かけました。

どうも沢の向こうのようです。

金井沢碑だから、当たり前かな。

あれ、また木の階段だ。

けっこう登ってきました。

 

ここからは石段です。

紫陽花が植えられています

人影があります

 

「こんにちは。」

「こんにちは。」

おじさんは、ここのボランティアガイドさんだそうです。

今は活動自粛中だけど、見回りに来たそうです。

覆屋の中の碑にライトをともしてくれました。

覆屋の窓に碑の文字があります。

神亀三年(726)、1300年前に書かれた文字です。

 

覆屋の前に説明板です。

子供用の説明板もあります。

上野国群馬郡下讃郷高田里(こうずけのくにくるまのこおりしもさぬごうたかだのさと)に住んでいる

三家子□が、先祖と父母の為に、

いま主婦の立場にある他田君目頬(ただのきみめづら)、

その子どもの加那、孫の物部君午足(もののべのきみうまたり)、

その妹のひづめ、その妹の若ひづめの

あわせて六人、また既に仏教の教えで

結ばれている三家毛人(みやけのえみし)、その弟の知麻呂(ちまろ)、

鍛冶師の磯部君身麻呂(いしべのきみみまろ)のあわせて

三人が仏の教えにより、一族の繁栄を願って

お祈り申し上げる石文である

 神亀三(762)年二月二十九日

 

女性が対等の立場です

この時代は、女性の立場も侮れないものだったのです

 

ボランティアガイドのおじさんも、沢から降りて帰ります。

碑の入り口・四阿(あずまや)で休んでいる人もいます。

それなりに人が訪れているようです。

 

そこにも上野三碑の資料が置かれていて、ボランティアガイドは「ここにしかない資料で是非もらっていって下さい」と黄色い紙の資料をくれました。

「城山団地・寺尾町・根古屋町史跡案内図」です。

③栄福寺(新田義重墓)ですって

新田郡出身のひめちゃんちのおかあさんは、ビックリです

新田義重の墓は、新田郡の徳川にあります。

①茶臼山城跡(高崎市寺尾町字茶臼)は、新田義重の居城ですって

新田郡出身のひめちゃんちのおかあさんは、またまたビックリです

 

そのうちに是非訪問したいですね

 

 

四阿の奥に大きく「護念寺墓地」とあります。

もしかしたらお寺があったかな?

墓地は現役で活用されているそうです。

 

 

わが故郷・新田郡世良田村の偉大なる大先輩・毛呂権蔵は、山上碑についで、ここ金井沢碑も訪れています

『上野国志』(安永3年刊)に、

金井澤古碑  根古屋村の金井澤と云所にあり

銘曰と碑文を写しています。

そしてそのあと、山上碑と金井沢碑について考察しています。また上古の碑文として那須の国造碑もあげています。

 

栄福寺、茶臼山城跡については、記載がありません。

 

 

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ひめちゃんと獅子丸の葉月つごもりの山上城散歩

2021-08-26 16:26:14 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

諏訪神社前から、妙義・浅間・榛名の山々が見えます。

 

南に下って、山上城散歩して帰ろうよ

そうしましょうよ

 

 

南に下ります。

この道沿いの田んぼは、電気柵が張り巡らされています。

ひめちゃん・獅子くん、気を付けてね

 

 

山上城堀切外の農道を歩きます。

戦国時代の遺構かな?

けっこうお散歩のみなさん来てるみたいよ。

 

 

山上城本丸跡の白いポールが見えます。

本丸は、隣の常広寺の所有だそうです。

だから、「山上城の御城印は常広寺が出すんだ」という話もあります

あそこまでやって来て、お寺によって御城印下さいという人もなかなかなさそうです。

 

あたちも、行ってません

そうだね。

そのうちに行ってみましょう

行ったことあるのは、タバサねーちゃんだけです。

 

 

二の丸と三の丸の間の道、梅雨時には紫陽花の道を通って帰ります。

 

 

二の丸への階段です。

本丸はさらにその奥です。

本丸・二の丸の地主は常広寺だそうです

三の丸のみ、桐生市の所有だそうです

誰か登って行ったかな?

 

 

南は三の丸です。

合併前の村だった頃は、秋になると特設の能舞台が設けられて、講演も行われていました。

もうそんなことを口にする人もいなくなりました

ジョギング中の若者が見えます。

 

 

出口には、ずーっとロープが張ってあります

ひめちゃんたちはくぐって、おかあさんはまたいで通ります。

 

 

山上城の東の田んぼを通って帰ります。

ここは種籾(たねもみ)をとる田んぼです。

ボケボケだけど、山上五反田と見えます。

この奥は字天神(あざてんじん)でした。

ここ(常広寺の東)は、字五反田(あざごたんだ)です

 

 

おや、遠くにV字形の山が見えます

足尾の根利山です。

新田では、お昼になるとV字の先に影がでるので、お昼山といっていたそうです。

お昼山は堀之内からは見えません。

 

 

ひめちゃんが大好きなケンくんちの畑を通ります

鮮やかなカンナの花が咲いてます。

ケンくん、逢いたいね

 

 

あれえ、向こうに見えるのは黄色い帽子の集団です

子どもが苦手のひめちゃん、すっかりへっぴり腰です

道ばたに除けて、なんとかやり過ごします。

「おはよう。」

「おはようございます。」

みんなマスクして登校です。

今日から新学期かな?

ひめちゃん、久しぶりに恐怖体験の朝散歩でした

 

 

葉月つごもり(八月末)の、ひめちゃんちに咲く花は少ないです。

でも、先日までは黄色いリコリス、そして今は白いリコリスが満開です

ひめちゃんちには、ピンクのリコリスがないみたいです。

植えようか

赤いリコリス(彼岸花)もいいよね

 

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