黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの新川天満宮訪問記・後編

2022-06-30 17:48:38 | 早川物語 2

6時前なのに、もう暑い朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、岩神沼にやっとたどり着きました。

モコモコすぎるタバちゃん、おうちシャンプーしましょうね

沼下のひまわり、だいぶ大きくなってます。

早く咲くといいね

 

 

 

新川の天満宮、タバサねーちゃんも参道を歩いて参拝です

 

左の駒犬さんです。

貫禄あります。

でも、体の割にシッポが小さいなあ

 

右の駒犬さんです。

同じく小さなシッポです。

 

 

拝殿の額は、天神宮です。

ちょっと失礼して、中を覗かせて頂きます。

菅原神社の文字があります

明治10年の『上野国郡村誌』によれば、ここは菅原神社です

なにかこだわりがあるのかな?

 

2礼2泊1礼です

タバちゃんも参拝です

 

 

社殿の左に、社殿改築碑です。

当神社ハ御神体ニ菅原神社康永元年八月ト??北野天満宮の御分霊ナリ。

 

読みにくい

古い由緒の神社なのですね

 

 

落ち着いた本殿です。

境内社は少なそうです。

 

 

社殿の後ろには、「のびのびこども園」です。

 

園舎の西には、馬小屋があって、お馬さんがいます

男の子です。

タバサちゃん、反応ありません

 

姿は見えねど、川の音がします

早川が流れていそうだけど

 

 

さて、戻りましょう。

左の建物が天神集会所です。

集会所の前に駐車してあります。

 

東側の境内社も少ないです。

左右仲良く3社です。

 

 

南に下って帰ります。

あれ、鳥居だ

急遽、路上駐車です。

タバサちゃん、待っててね

額は「天満宮」です。

本来はここら辺から、杉並木があったかもしれませんね。

 

鳥居の前には、たくさんの石仏です

道の反対側にも石造物です。

自然に神仏習合していたんですね。

この青面金剛、個性的で目立ちます

このお顔、どこかでお逢いしたような気もします

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白柴タバサちゃんの新川天満宮訪問記・前編

2022-06-29 16:47:33 | 早川物語 2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

今日も暑くなりそうです

高縄の集会所を廻って帰ります。

プランターのお水は、毎日誰かがお当番してるのかな?

 

おや、見たことある子がやって来ます。

赤柴のラッキーくんです。

お久しぶり

ひめちゃんは積極的にご挨拶です。

向こうに見える橋は、蕨沢川にかかる第三の橋・巧橋です。

ラッキーくんちは、少し上流になります。

 

タバサねーちゃんも、シッポを振ってご挨拶です。

ラッキーくん、ちょっとタジタジかな?

 

ノカンゾウがきれいに咲いた、あぜ道を帰ります。

 

 

 

 

旧新里村で、天神の名を持つ地名は3ヶ所です。

山上の天神、小林の中央小付近、そして新川の天神です。

先日、天神集会所の隣の天神様を訪ねました。

集会所は厳重に閉まってます

とりあえず集会所の駐車場に駐車です。

 

すごい杉並木です

参道には、巨大な杉並木が残ってます

 

杉並木の向こうにも鳥居が見えます。

まずは、あちらの鳥居から参拝しましょう

 

鳥居のむこうは、老人達のグラウンドのようです。

1人の老婦人が、タバサねーちゃんに声を掛けます

「いくつだい?」

「もうじき14歳です。」

「そうかい。うちの子は14歳と7ヶ月でなくなったんだよ。長生きしてね

「ありがとうございます

 

 

鳥居に額はありません

左右の石灯籠、少し形が違うかな?

右には天満宮の文字です。

左には常夜燈です。

 

 

杉並木を歩いて参拝です

クンクン、誰が来たのかな?

あれ、禁止のマークだ

参道は大丈夫でしょう

「日光の杉並木のかくや」は言い過ぎかも知れないけれど、歴史を感じる杉並木です

 

 

今度の鳥居は、「天満宮」です

鳥居をくぐって参拝です。

 

(つづく)

 

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吉沢から勧請・田部井の鹿島宮

2022-05-18 20:07:25 | 早川物語 2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東の牧場を目指します。

牛さん、おはよう

牛さんたちは、ひめちゃんたちに興味を持ったようですけど、姉妹は無関心です。

 

ヤギさんたちの居た空間は、草に埋もれつつあります

今年のお正月まで、元気な女の子が1名生き残っていたのに

彼女、どうしたのかな?

 

ひめちゃんたちは、上のタケイ沼まで足を延ばします。

あれえ、ミドリ沼になってる

北側の沼も、やはりミドリ沼になってます

どうしたんだろう?

 

サマンサ坂を通って帰ります。

晴れてよかったね

 

 

 

5月5日、田部井(旧佐波郡東村)の虎薬師を再訪しました。

虎薬師には、駐車場がありませんので、前回と同じように近くの鹿島宮(鹿島神社)に駐車させてもらいました。

鹿島宮にもご挨拶です

 

右の駒犬さんです。

台座から落ちたことあるのかな?

 

左の駒犬さんです。

こちらは、疵がないようです。

 

どっしりとした拝殿です。

お賽銭を投入して、2礼2泊1礼です

 

本殿に描かれた絵も確認です

 

東面には、龍と虎の戦いの場面です。

北面には、三保の松原の天女?

西面には、黄色い花です。

何の花だろう?

 

拝殿の西側には、ゴミステーションと仲良く石造物の皆さんです。

ここは、神社も地域の会議所(公民館)もゴミステーションも、仲良く共存しているパワースポットです

 

『(佐波郡)東村誌 』に、鹿島宮の由緒がありました。

創立年月日不詳、旧社格無格社。社伝によれば、後鳥羽天皇の御宇建久五年十二月、総追捕使に任ぜられた源頼朝に、上野守護を命ぜられた安達藤九郎盛長が国家安穏を祈願するため、常陸国鹿島郡に鎮座する鹿島神宮を太田市森田の吉沢に分霊奉還したという。田部井主膳が吉沢より早川岸高台に勧請した。その後観音山に移され、次に現地番の1240付近に移り、慶長の頃和泉昭四郎氏宅地内にさらに移り、寛文九年現在地に建立され今日に及ぶ。

 

「田部井主膳が吉沢より早川岸高台に勧請した」んですね。

太田市森田の吉沢とは、太田市毛里田の吉沢?

 

太田の吉沢には、確かに鹿島神社があります。

数年前に訪問しましたけど、あまりの草の海にあえなく退却、社殿にまで至りませんでした

検索すると、古墳群があると言うことで、下草が刈ってあるという情報もあります

そのうちに、また訪問してみましょう

 

 

今日は、県道を少し南に下り、早川橋を渡って帰ります。

新里・奥沢の奥から流れ出した早川、まだまだいろいろな物語がありそうです

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行仙上人の弟子の記憶2(田部井村の虎薬師)

2022-05-15 17:12:29 | 早川物語 2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

早々と用をすませた二人は、ご褒美の催促です

 

岩神沼に寄って帰ります。

逆さ赤城がきれいに映ってます

沼面は静かで誰もいません。

 

ひめちゃんちに、遅咲きのジャーマンアイリスが咲き始めました

複雑な色合いで豪華な方々です

 

 

 

 

来月、郷右衛門忌(常広寺開基本橋院殿の命日)で、行仙上人の話をミニ講演会でします。

昨年6月訪問していますけど、また行仙上人の弟子の記憶のある虎薬師を訪問しておきましょう

 

5月5日、行仙上人が居たかも知れない雷電山(桐生市新里町)の脇を通って、県道291号線に出ます。

ひたすら南下、「あずまはし」で早川を渡ります

 

少し下ると、薬師如来堂(田部井の虎薬師)です。

堂宇の前の石造物、一番奥にこの薬師堂の由来があります。

 

縁もゆかりもないこの薬師堂ですけど、昨年不思議な事が起こりました。

ストリートビューで旧東村(佐波郡)を見ていたら、なんと一番奥の由来記が映り、なんとなんと「新里村窪井」「行仙上人」「弟子妙禅」の文字が目に飛び込んできました

早速、訪問となりました

そして、また今回訪問となりました

 

今年は、がんばって全文活字にしてみました。

虎薬師縁起

本尊ハ大匡王佛ト言ひ十にノ請願ヲ発して衆生ノ疾患ヲ救ヒ来世ノ安堵ト明日ノ安生ヲ満足セシム灼ナ如来デアル此ノ堂宇発祥ノ由来ハ新里村窪井ニ日本三聖ト言ハレタ念仏僧行仙ガ隠棲シ其ノ門下二百聖ノ輩出ヲ見テ此ノ村ニ其ノ一人妙禅が嵯峨ノ寮ニ居タ田部井氏ガ滅亡シテ其ノ持仏堂デアッタ此ノ堂宇ガ庶民信仰ノ道場トナリ其ノ後平岩氏ノ治領トナリ寛文九年早川デ東西ニ分カレル。新屋敷ニヨリ村ノ南北端ニ上下ノ寮ノ設置ヲ見タ嵯峨ノ寮ノ住僧慶玄ガ移リ住ンダ西福寺モ平塚道上観音カラ現在地ニ移リ寛文十念十月落慶供養ガ執行サレタ山門前ニ設置サレタ六地尊ハ慶玄門下ノ念仏衆デアル人々ノ寄進デアル亦コノ村デ使用サレテイル葬儀用ノ什器ノ鐘ト双盤ハ薬師堂ノモノデアル例祭ハ春秋ノ彼岸中日信徒ガ参集シテ天道念仏ト言ハレ無病息災五穀豊穣ヲ祈ツタ亦タ更新待チト言ハレタ道教ニヨル庚申信仰ガコノ寮デ行ハレタ境内ニアル塔ハ六十年トスル庚申ノ年十一月ニ立テラレタモノデアル道教デハ六十日暦を使用シ太陽ヲ天帝ト見タテ庚申ノ夜此ノ堂ニ集つて信仰シタ亦村ノ会合ニモ利用サレ旅僧ヤ念仏行者ノ宿泊所デモアッタ昭和十七年法令ニ依リ西福寺ノ境外堂宇トナリ名義上ハ西福寺ノモノトナッタガ独特ナ民間信仰ノ堂場デアッタ昭和三十年無住トナッタ堂宇ノ腐朽甚ダシク取毀・・・本尊ハ西福寺ニ移シタガ明治以来住僧モ無ク相次イデコノ堂宇ニ住シテ堂宇護持ニ当タッテ来タ有縁ノ人々ノ発願発起ニ依リ亦区内外ノ有志ノ信者ノ参賛同ヲ得テ西野田弥八市ガ代表者トナッテ此のノ堂宇ノ建立ヲ見ルニ至ツタ此ノ堂宇ノ再現ハ民間信仰ノデアリ村ノ重要文化財デモアル

 

この薬師堂発祥由来は新里村窪井に居た行仙上人の弟子・妙禅がいた寮であったとあります

弟子の名前も、初めてです。

弟子が200人もいたともあります。

その後時代が下っても、庶民のための信仰の道場として存在し続けたのですね

庵主のいる堂宇だったのですね。

昭和30年に無住となって朽ち果てるまで、存在し続けたのです。

昭和55年に、復元となったのですね。

 

さて薬師様に参拝です。

こんにちは、お久しぶりです

合掌

お祭は、今年も行われているかな?

ご本尊様の姿が拝めるのは素晴らしいことです

さようなら、また来ます

 

道の角に、【ここは「ワンちゃんのトイレではありません】ですって

去年はあったっけ

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国定橋と忠治橋(養寿寺付近)

2022-05-09 16:28:28 | 早川物語 2

今朝は、雨の合間をぬって、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

ちょうど黄色い帽子の集団(小学生の集団登校)がやって来そうな時間です

大丈夫だよ

子供達には出逢わずに、プーちゃん、おはよう

堀之内の北の方を廻って帰りました

 

ひめちゃんちに、ピンクのつるバラが咲きほこり出しました

羽衣だったかな?

 

 

 

4月25日、出かけた帰りに、養寿寺の前を通りました。

お久しぶりです。

ちょっと寄って行きましょう

 

ツツジが咲いています

養寿寺には、「義経が奥州に落ちていく時にお茶を飲んでいったという伝説」があるのですか

付近の地図も確認です。

早川の側にあります。

養寿寺は、早川物語です

新里の奥沢の山奥から流れ出し、流れ流れて、太田市堀口町で利根川に合流する、早川沿いにあるのです

 

お寺が作った説明板かな?

ツツジの奥のあそこに遺品があるのかな?

かなりクラシックです。

ツツジはよく手入れされています。

誰もいなそうです。

静か過ぎて、覗いてみる気が起きませんでした。

 

 

正面の本堂、左の地蔵堂、比較的新しそうです。

 

 

本堂の左手の墓地に向かいます。

 

先、に本堂と左手の地蔵堂に参拝です。

 

本堂の向拝には、現代的な龍です。

合掌

 

地蔵堂には、カラフルな大きなお地蔵様です

ちょっと全体はよく見えません。

でも、とりあえず合掌

 

 

大きな立派なたくさんの石造物の奥に、国定忠治の墓です。

この削り取るられた方が、本来の墓と言うことですね。

合掌

 

 

さて、近くを流れる早川を確認して帰りましょう。

 

養寿寺の北を走る県道294号線には、「くにさだはし」です。

 

川沿いの細道を下って、すぐ南の橋は「ちゅうじはし」です。

北東に養寿寺の墓地が見えます。

この橋の方が、やっぱり「ちゅうじはし」ですね

忠治の菩提寺は、早川沿いだったのです

早川を遡れば、新里に至ります

新里に、忠治の子分がいたりとかの話も、さもありなんです。

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