昨日の激しい風も、やっとおさまった朝です
ひめちゃんは、天神田(字・天神の田んぼ)を歩いてきました。
15才と7ヶ月のタバサねーちゃんは、そこらまでのちい散歩です。
この元記事の頃(2020年9月)、ひめちゃんは、朝は獅子丸と、夕方は小次郎パパとお散歩していたようです。
パパは、14才と2ヶ月でした。
(2020年9月)先日、東国花の寺・常楽寺(太田市上田島町)を訪問しようと出掛けました。
途中、新しい例幣使街道木崎宿の道標から、少し北東にある色地蔵に寄り道です
久しぶりの訪問です。
茅葺きで、いい雰囲気です
お賽銭投入口から、カメラがちょっと失礼します。
合掌
脇に説明板があります。
(台座の)銘文から、風邪のはやる季節になくなった子供達の霊を慰め、子供達の成長を祈願して建立した「子育て地蔵」であったことがわかります。~中略~こうして数多くの色街の女(飯売女)が訪れたことから、何時の間にか「色地蔵様」と呼ばれるようになり、木崎音頭にも唄われるようになったのです。
そうだったのですか
さて、道の反対側にある長命寺にも寄って行きましょう
こちらは初めての訪問です。
わりとこじんまりとした感じです。
門前の石造物です。
門を入ると、左に小高い丘があります。
これは、古墳?
墳丘の一角には、水子地蔵尊です。
墳丘には、五輪塔と双体道祖神があります。
木崎の街が見えます
おや、緑の大きな実が落ちてます
実のなる大きな木があったのです
カヤの木です
まだ新田の名木にはなってないようですけど、かなり大きいです
北側には六地蔵です。
おや、後ろの方はどなたでしょう?
さて、本堂に参拝です。
照光山の山号です。
『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(上毛文庫)によれば、
寺伝によると延長三年(925)に小野道風の開基、右大臣大僧都延寂の開山で創建された真言宗の寺である。その後、木崎宿の大火ですべてが焼失した。そこで慶長3年(1598)に、元新田領勢多郡后之郷の地に良山法師が再興し、中興開山となった。郷内の大小の神社はすべて長命寺の支配下に置かれ、文和三年(1354)に建てられた貴先神社は別当になっていた。この神社は称徳天皇を祭主としたので、長命寺の院号を称徳院という。
すごい由緒です
でも、元新田領勢多郡后之郷(きさきのごう)って、どこだ?
御朱印をと庫裏に行こうとしましたけど、しっかりフエンスがあります
まあ、諦めましょう
この長命寺のカヤの木は、何の指定もなく物語もなさそうですけど、カヤの木の物語で、ふと思い出しました
先日、また逢いに行ってきました。
誰にも利用されていない感じの、大きなカヤの実がたくさん落ちていました
今まで見たカヤの実で、一番大きいような気がします
木崎宿・色地蔵と長命寺のカヤ
今回は、カヤの木メインで行ってきました
初出 2020.09.27 カテゴリー 群馬県・東毛 木崎宿色地蔵と貴先神社別当・長命寺
改稿 2024.02.28