黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

やっとやっと辿り着いた忠治地蔵

2021-10-31 15:42:32 | 吾妻紀行

昨日の夕方、ひめちゃんは一人散歩になりました。

いざ、ケンくんちに

ひめちゃんは足早に、大好きなケンくんちに直行です

こんにちは、逢いたかったわ

つかの間の逢瀬だけど、アタチは満足よ

また寄るわね

 

ケンくんちにのそばの石仏さんたちに、ありがとう

つるべ落としの秋の日に、急いで、天神田(字天神の田んぼ)を闊歩して帰りました

 

 

 

大戸の関所跡でいただいたパンフレットをみると、忠治地蔵(国定忠治処刑場跡)はそんなに遠くなさそうです。

国道406号線(草津街道)を、南に下ります。

まもなくあるはずでしたけど、かなり行ってもありません

見落としたかな、Uターンしてじっくり沿道を見ながら走ります。

ありません

大戸の関所跡に戻ってしまいました

もっと先だったんだ

気を取り直して、ひたすら国道406号線を走ります。

心細く走ります。

 

あ、大戸宿の灯籠です

忠治地蔵の表示もあります。

やっとやっと辿り着いた、忠治地蔵です

入り口には、キノコの直売所があったのかな?

今は営業していないみたいです。

 

忠治地蔵が見えます。

大きな大きなお地蔵様です。

合掌

お顔が削られています。

もしかしたら、他の部分も削られているのかな?

削られないように着物を着ているのかな?

 

ウィキペディアによれば、

忠治は弘化3年(1846年)に上州に帰還するがこのころ中風を患い、嘉永2年(1848年)には跡目を子分の境川安五郎に譲る。忠治は上州に滞在し盗区に匿われていたが、翌嘉永3年8月24日(1850年9月29日)には田部井村名主家において関東取締役によって捕縛され、一家の主要な子分も同じく捕縛された。捕縛後は江戸の勘定奉行池田頼方の役宅に移送され取り調べを受け、小伝馬町の牢屋敷に入牢。賭博・殺人・殺人教唆等罪名は種々あったが、最も重罪である大戸の関所破りにより時の勘定奉行・道中奉行池田頼方の申し渡しによって上野国吾妻郡大戸村大戸関所(群馬県吾妻郡東吾妻町大戸)に移送され、大戸処刑場で磔の刑に処せらる。享年41。

 

ちょと寂しさの漂う後ろ姿です

 

奥には供養塔かな?

合掌

 

閉まってはいるけど、売店には気になる額があります。

忠治の子分の一覧と言うことです。

どのくらい信憑性があるかは分かりません。

でも、ひめちゃんちの近所の地名の人が何人もいます

武井の浅次、新川の兵吉、小林の喜三郎等々

そして、なんと関の住職尊純ですって

彼は、「関の滝興寺の住職滝沢不動に住み忠治を匿っていた」

 

ひめちゃんちのある新里村のあたりも、忠治といろいろ関わっていたんですね

 

 

 

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続・やっと辿り着いた大戸の関所

2021-10-30 15:35:54 | 吾妻紀行

朝、ひめちゃんと獅子丸は、おかあさんとお散歩に出ます。

諏訪神社の前から、久しぶりに山上城の方に下ります。

あれ、ひめちゃんが突然「不審者じゃあ」と吠え立てます

ひめちゃんは戦闘態勢です

ひめちゃんの視線の先には、牛用にワラを包んだ白いロールです。

むむ、おぬし生き物ではないのか?

不審な生物でないと悟ったようです

獅子丸は、終始無言でした

 

山上城の堀切外を歩きます。

杉の木々の間から、太陽が昇ってきます。

二の丸と三の丸の間の堀切を歩いて帰ります。

 

途中、常広寺駐車場の花桃が咲いてます

花桃って、返り咲くんだったかな?

 

 

 

大戸の関所跡、広くはありませんけど、なんとか駐車出来ます。

お休み處のガゼボもあります。

 

こんにちは

 

まず目に付くのは、国定忠治の映画ポスターです。

いったい、いつ頃のだろう?

こちらの絵は、どこかで見たことがあります。

 

グッズも置いてあったようですけど、この日は何もありません。

残念

 

「ご自由にどうぞ」とある、大戸宿のパンフをいただきます

道の向こうが、加部安さんちです。

パンフレットによれば、

上州吾妻郡大戸村に代々、加部安左衛門を名乗る上州一の分限者がいました。みんなから加部安(かべやす)と呼ばれていました。~(中略)~十一代目は江戸で生まれて、江戸で育ちますが、郷里に帰って、実家の建て直しを図ります。この十一代目は侠客の国定忠治とも仲がよく、忠治が処刑される時、最期に望んだのが、加部安が造った銘酒「牡丹」でした。

 

行ってみましょう

当時とすると、かなりの建物なのでしょう

玄関に干されているコンニャク芋が気になります

 

奥の部分は改装されて、東吾妻町立大戸資料館になってます。

でも休館中みたいです。

 

先ほどの案内図だと、忠治地蔵(国定忠治処刑場跡)も近そうです。

寄って行きましょう

 

(つづく)

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やっと辿り着いた大戸の関所

2021-10-29 15:39:19 | 吾妻紀行

ひめちゃんと獅子丸とタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

諏訪神社の向こうの高台を北に下ります。

若いもんの二人(ひめちゃん&獅子丸)は、道ばたの石仏(薬師様)には目もくれません。

獅子丸の真剣な視線の先には、アブラナです。

ちょっと、いただきまーす

 

しょうがないわね

タバサねーちゃんが、薬師様とコラボです

朝陽の中を、台地を踏みしめて帰りました

 

今朝、ムーハウスガーデンに咲いて居た、名残のバラです。

なんとも言えない優しい色合いです。

大きくはならずに、でも過酷な環境で生き抜いているたくましいオールドローズです

 

 

 

 

 

以前、大戸口の信号に道に迷って出て、「あの大戸の関所は近いんだ。そのうちに行ってみよう。」と思っていました。

10月14日、県道35号線で、大戸の関所を目指します。

 

吾妻川にかかる橋の上で、渋滞です

右に見えるのは、嵩山(たけやま)です。

紅葉の季節に、もう一度訪問したいと思っています。

 

なんとか橋を渡りきって、槻木(つきのき)の交差点が見えてきました。

交差点の槻木、満身創痍です

しばらく逢わないうちに、劣化というか枯渇がすすんだよな感じです

 

 

なんとか交差点を通過して、県道35号線を進みます。

大戸口の信号です。

ここを左折するべきでした

県道35号線は、ここを曲がっていたのです。

なんとなく道なりにまっすぐ行けば、大戸に行けそうと、ナビを入れずに来ました

 

進入禁止の交差点、やむを得ず左折です。

あれ、ハート型土偶のオブジェだ

そういえば、ハート型土偶はここら辺から出たのでした。

また右折して、ハート型土偶出土地の郷原(ごうばら)駅前に出ます。

寄りたいけど、今回はパス、近いうちに寄ります

 

 

ナビに従って、県道35号線に出ます。

ここは岩櫃城の南側です。

岩櫃の名の如き岩山が見えます。

一般的な岩櫃城のイメージは、こちら側からの景色なのですね

 

 

ちょっと心細いけれど、35号線をひたすら進みます。

 

やっと大戸の信号です。

大戸の関所跡は、信号脇にありました。

岩櫃城の幟が、1本だけはためいています。

ここも東吾妻町です。

 

やっと辿り着いた大戸の関所跡です

 

説明板を確認です。

大戸の関所は信州街道の要点をおさえる重要な関所で、近世初頭の寛永八年(1632)に設置された。信州街道は草酢温泉を始とする湯治客、善光寺参り、北信濃の三候の廻米や武毛上人の荷物、各地の三仏の輸送路として、中山道を凌ぐ程の活気を呈していたともいわれ、江戸と信濃を結ぶ最短距離として重要な街道であった。

 

とても重要な関所だったのですね

そこに、国定忠治がやって来たのですね。

 

(つづく)

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瀧峩山・不動の瀧(洞窟に百所の観音石像)

2021-10-27 15:11:59 | 吾妻紀行

今朝も3名様で、堀之内を北に出て、蕨沢川の始点・新沼&童沢貯水池をめざします。

みんな、弾む足取りです

 

タバサねーちゃん、この道はもしかしたら初めてかな?

沼下に大きな庚申塔があります。

 

東の新沼には、誰もいません。

西の童沢貯水池には、どうかな?

あれ、いつもほどはカモさんがいません。

サギさんは、左の木に1羽だけです。

遠目にはシラサギに見えましたけど、写真を拡大したらアオサギでした。

 

ミドリ沼は、ほとんど解消されています。

でも、水も少なくなってるみたい。

 

目的地に到着のご褒美かな

人の分を取たりしない、きょうだいの関係が出来ているようです

 

朝陽の中を、元気に帰ります

 

 

 

 

(10月7日)

岩櫃城からの帰り道、岩櫃城の幟が1本だけ、旗めいてい所があります。

左折して坂道を降りると、観音山の不動の滝がありそうです。

でも、ものすごいヘヤピンカーブです

何度も切り返して、後続の車には待っていてもらって、やっと到着です

 

ちゃんと案内板があります。

観音山(標高530m)

古くは松山あるいは岩堤と呼ばれたが、延享4年(1747)に百所(百基)の観音石像が祀られてから観音山と呼ばれるようになったという。東山と西山があり、東山に西国33番と番坊33番、西山に秩父34番が安置されており、麓に瀧峩山不動尊の堂がある。滝もあり、不動の滝(三重の滝)と呼ばれて、その左横に岩櫃山へと抜けられる石門がある。

 

御朱印は、さっき岩櫃城の観光案内所でいただいてきました。

右の山が岩櫃城の支城・柳沢城だったんですね

 

 

赤い帽子と大きなオガケの方がいます。

お地蔵様ではなさそうです。

どなたかな?

 

 

脇の岩だらけの道に誘われて、ちょっと登って見ましょう

洞窟の中に、観音様です

合掌。

すぐ隣にも古いはしごがかかってます。

胎内窟とありますけど、真っ暗でお姿が分かりません

とにかく合掌

 

歩いて見たいけれど、ちゃんと準備が必要です。

今回はここで退却です

 

 

不動堂の方に行きます。

奉納された剣がいっぱいです

合掌

御堂の左手には、石造物です。

何故か、大黒様メインで、お不動様1体だけです。

 

 

大黒様の向こうに滝が見えます

気を付けて細い道を降ります。

赤い橋を渡って、滝に到着です

冷たい清らかな水でした

 

帰るには、不動堂に戻るしかないようです。

赤い橋を渡って、また不動堂に戻ります。

 

もう一度合掌

正面の長い階段を降ります。

けっこう長い階段です。

手すりは有り難い

 

あの上の道を、右の岩櫃城からやって来て、ヘヤピンカーブをやっと曲がってやって来ました。

観音橋を渡って帰ります

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ひめちゃんと獅子丸の初めての山上多重の塔訪問記

2021-10-26 20:37:27 | 群馬県・旧勢多郡

朝のお散歩前に雨が上がりました

今朝も、3名様でお散歩です

そうだ、昨日行き損なった山上多重の塔に行ってみよう

人間は念のため、けっこう着込んでいきました。

 

諏訪神社の向こうの高台を、突き当たりまで歩きます。

明け方まで雨が降っていたせいか、みんな動きがいつもより穏やかです

 

 

多重の塔の表示を矢印の方に曲がります。

(この場所の写真が今日はありません。昨日の撮影です。)

 

 

まもなく、窪地になります。

この辺りは、相ヶ窪(そうがくぼ)です。

もともとは、僧ヶ窪だったようです。

今朝の赤城山は、雲が沸き立っているという感じです。

 

 

まもなく左手に、多重の塔の覆屋が見えてきました。

 

 

矢印を曲がります。

ススキの向こうに、多重の塔が見えます。

 

 

赤城山を背景に、山上多重塔、到着です

 

 

最近、左側にある説明板が新しくなりました。

内容は、以前のままのようです。

塔婆(石造三重塔)は、通称、山上の多重塔といわれ、付近で産出する赤城火山起源の輝石安山岩を使用する。~(中略)~刻字の内容は、「朝廷や衆生などのため小師の道輪が法華経を安置する塔を建てた。これで、無間(むげん=八大地獄のうちの阿鼻地獄)の苦難より救われ、安楽を得て彼岸(悟りの境地)へ行ける」というものである。延暦二十年(801)七月十七日に建てられたこの供養塔は、平安時代初期の地方に置ける仏教文化史上重要な石造物である。

 

大和朝廷の蝦夷討伐との関わり合いが、気になります。

東山道が少し南を走ります。

このあたりからも、兵士として徴用されたり、住民として移住させられたりした可能性も大いにあります。

住民にとっては、無間地獄の苦難だったのです。

僧・道輪は、「衆生などのため」という視点をもったすばらしい人だったのです

 

 

ひめちゃんは、落ち着きません

どうしたの

誰かお散歩の来たのかな?

タバサねーちゃんは、車に乗って来た事があります。

なので、今日は落ち着いています

 

 

さて、多重の塔にご挨拶です。

文字がある様ですけど、汚れたガラス越しでよく見えません

合掌

 

 

覆屋の後ろは、ススキ野です。

ちょっと寂しい景色かな

紫陽花とか桜とか紅葉とかあっても良さそうですけど。

 

 

この辺りには、寺院があったようです。

地下に遺構あるとか。

僧ヶ窪ですものね

そちらの方の説明も欲しいですね

 

 

覆屋の東には、地元の人が歯仏様(はぼとけさま)と呼んでいる石造物があります。

 

もとは、形のある石仏だったようです。

歯の痛みを治してくれる仏様だったのかな?

合掌

 

 

さて帰りましょう

あれ、若いもんはご褒美の催促です。

ふと西の空を見ると、有明の月です。

今日は旧暦の9月21日です。

 

 

帰り道は、獅子くんの先導で、また道ばたにサツマイモのツルが捨てられているサツマイモの道になりました。

1本だけにしておいてね。

ひめちゃんもタバサねーちゃんも、もちろん食い付きません。

 

 

獅子丸は、「ああ、おいしかった

朝陽の中を帰ります

大分気温が上がってきました。

 

人間2人と犬3名、かれこれ約1時間で、歩いて山上多重の塔まで往復できました

 

 

みんなに朝ご飯を配って、ガーデンパトロールです。

 

晩秋のクレマチスです

向こうの銀モクセイ、今年は全く花を付けません。

 

上を見ると、あれ、桜の花です

七海ママのお地蔵様の上で咲いています

返り咲きは、初めてだと思います。

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