黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

赤城村紀行総集編3(赤い鳥居の棚下不動尊・その2)

2024-03-25 20:47:15 | 赤城村紀行総集編

菜種梅雨(なたねづゆ)です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、今日は一日中おうち犬です。

明日も雨予報、また、おうち犬かな

 

元記事の頃(2021年5月)、ひめちゃんも若かった。

 

 

朝は、獅子丸とお散歩していました。

楽しかったね

獅子くん、ありがとう

 

 

(2021年5月7日)

不動堂に到着です

鳥居があります

手水社の向こうは、双体道祖神かな

どうも同性の二人に見えなくもないけど

 

石造物がいろいろあります。

 

湯殿山・羽黒山・月山、修験道の山ですね。

そうすると、修験系のお堂なのでしょうか?

比較的新しい寄付者名の木札が並んでいます

 

灯籠も新しく寄進されています

ナウい「不動堂」の表示です

 

さて、大岩山不動堂に参拝です。

合掌

 

 

お堂の右後ろに滝が見えます

あれが棚下不動の滝ですね

 

お堂の裏の石造物も確認です。

 

この方が、一番目立つかな

慶応三年(1867)の文字があります。

どなたかな?

 

脇に二十三夜塔とあるので、勢至菩薩ですね

あれ、お地蔵様の首が変

 

こちらは片膝あげてます。

ずいぶんとふくよかな如意輪観音です

 

西国板東奉納供養塔って?

 

不動堂の由緒もあります。

ウーン、ちょっと読みにくい

 

漢字を眺めての大意です。

奈良時代、東国開拓の勅命を受けた大仁鳥臣命は、この地で、人々を苦しめていた暴蛟をやっつけた。後に住民が不動明王を祀った。

 

蛟とは、ウィキペディアによれば、

みずちは、日本の神話・伝説で水と関係があるとみあされる竜類か伝説上の蛇類または水神。

暴蛟(あばれみずち)は、人々を苦しめる悪いやつだったのです。

 

由緒の隣に階段がありますけど、通行禁止です

この階段の参道が、入り口の案内板にあった参道です。

 

鳥居を出て、不動堂右の新しい道で滝を目指します

みんなでいっぺんに上ると、崩れる危険がありそうです

1人ずつ、間隔を空けて上ります。

 

どうも、ここの管理者は、棚下自治会と渋川市らしいです。

お不動様は、自治会によって守られている

 

振り返って不動堂です。

ゼイハアゼイハア、結構きついけど頑張ります

 

(つづく)

 

 

読み返してみると、かなり大変な所です

十分調べたら、躊躇してしまったかも知れません。

偶然通りかかって、駐車スペースも一台分だけ空いていたので、導かれたのでしょう

 

宮田不動尊と同じに1月28日には、棚下不動尊もご開帳があるらしいですけど

また行けるかな?

 

 

初出  2021.05.27  カテゴリー 北毛紀行

改稿  2024.03.25

 

 

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赤城村紀行総集編2(赤い鳥居の棚下不動尊・その1)

2024-03-20 23:16:17 | 赤城村紀行総集編

昨日、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、女淵城跡公園に、久しぶりにお出かけしました。

もう早咲きの桜が咲いていました

最近笑顔がなかった2人、久々の笑顔が見られました

 

 

 

(2021)

5月7日、沼田歴史資料館を目指します。

道の駅・あぐりーむで企画展の案内を手に入れたのです。

いつも同じ道じゃつまらない。

利根川の東の道を辿りました。

すれ違いも大変な、怖い道です

 

あれ、「棚下不動尊(たなしたふどうそん)」ですって

もしかして、この道筋かな?

棚下不動の滝は、しっかり準備をして訪問するべきという話を聞きました。

今日は、下見だね

 

トンネルまである、険しい細い道が続きます

 

 

突然、棚下不動の瀧の大きな看板です

駐車場はと見ると、1台分空いてます

これは、ちょっと寄って行きなさいという、お不動様のお導きかも

 

 

真っ赤な鳥居です

棚下不動堂は、向拝の彫刻の美しい建物だったんですか。

昭和56年に火災によって失われ、再建されたんですね。

不動院奥院の岸壁には、不動明王が祀られているんですね。

 

鳥居がたくさんです

お不動様って、仏様ですよね

自然に神仏習合しています

 

 

さて、行けるかな?

下ってくる人の格好が、わりとラフです。

「こんにちは。お不動様まで行ってきたんですか?距離ありますか?」

「近くはないけど、行ってみる価値ありですよ

「ありがとうございます。行ってみます

  

 

まず、入り口反対側の、この方にご挨拶です

説明板があります。

この不動明王様は東北大震災の地震により不動の滝山頂から落石し、この地に留まった巨岩です。ここに未来永劫の安寧を願い祀ります。

重さは二百トンあり完成までに二年の歳月を要しました。

 

あの時に落下した巨岩なのですね。

あの日、ひめちゃんちのおかあさんは、桐生市の染色工房にいました。

用事が終わって会計をしているときに、ぐらぐら

店員さんが、「この建物は古いから危ない、外に出ましょう。」

外に出た途端、この建物は崩れ落ちました

店員さんの的確な判断がなかったら

 

あの時、この巨岩が、不動の滝山頂から落下してきたのですね。

そしてその中から、不動明王が掘り出されたのですね

 

右回りに一周します。

 

お不動様は巨岩の中でずっと眠っていて、あの日に目を覚まして、みんなを迎えてくれているのかも知れません

合掌

 

 

赤い鳥居をくぐって、坂道を上ります。

ゼイハア、ゼイハア

 

 

前方の飛び出した岩の上に何かありそうです

坂の途中に、鬼子母神です。

頂上の石宮、文字がありそうですけど、何様かわかりません。

幣束があるので、まだ現役のようです。

とりあえず合掌

 

眼下には、利根川です。

さっきあの道を左から来ました

 

さて、参道にもどり、奥をめざします。

しばらく行くと、鳥居があります。

不動堂に到着です

 

 (つづく)

 

 

初出 2021.05.26 カテゴリー 北毛紀行

改稿 2024.03.20

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(番外編)松ノ木の十二様

2024-03-18 15:11:17 | 赤城村紀行総集編

風の強い日です。

強すぎて、風に向かって歩くのは大変です。

いくら上州名物といっても、強すぎる

 

ただ、日本犬保存会の命名の基本として、「地名を表す○○+名前」がありました

例えば、我が家の初代黒柴犬・三四郎の血統署名は「彩の虎次郎」です。

彩の国(埼玉県)熊谷市の産です。

ひめちゃんのきょうだいの多くは、「風の○○」と上州名物の「風」が血統署名に入ってます。

ひめちゃんの血統署名は「風の衣通姫」です

獅子丸は「風の獅子丸」です

 

この元記事の頃、七海ママが逝って5ヶ月、やっと安眠できるようになった頃です。

何者かに、何度も掘り返され、衣類や被毛が散乱しました。

何度も埋葬し直し、掘り返されないように工夫しました。

やっと安眠できるようになった、七海ママの墓標・七海地蔵です

その後、犯人が分かりました。

まるまる太ったキジの雌です

掘り返そうとして出来ず、諦めて去っていく姿を目撃されたのです。

 

この頃、ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場によく行ってました。

牧場には、ヤギの家族がいました

 

 

 

(番外編)松ノ木の十二様

赤城村紀行総集編と言いながら、早々の番外編です

赤城村を通って、「道の駅あぐりーむ昭和」に行ったのです。

 

(2021年5月5日)ビュースポットの道の反対側に、十二様前のバス停です

バス停があるって素晴らしいことです

ひめちゃんちのある新里村は、桐生市に合併してから、バス路線はなくなりました

元々の桐生市には、しっかりと市バスが走ってます

 

階段を上がって、さらに参道が続きます。

鳥居の額は、十二山神社です。

 

振り返って、鳥居です。

「平成二十五年、松ノ木平」の文字が見えます。

 

拝殿です。

拝殿の奥が見えます。

とりあえず2礼2拍1礼です

後ろには、石宮が2基です。

本殿?

文字がありそうですけど、ちょっと判読不能です

 

拝殿の後ろを通って、境内を出ます。

 

十二様は、山の神ですね

 

貯水池というか、ため池というか?

 

リンゴ畑があります。

リンゴの花が花盛りです

 

道なりに、ビュースポットに戻りました。

 

さて、後は迷わずに無事に、「道の駅あぐりーむ昭和」に到着です。

込んでます

利根郡昭和村のあぐりーむ、こんなに込んでるとは

(利根郡)昭和村は、ウィキペディアによれば、

・1889年4月1日町村制施行に伴い北勢多郡に久呂保村・糸之瀬村が誕生。

・1896年4月1日北勢多郡が利根郡に編入され、利根郡久呂保村・糸之瀬村となる。

・1958年11月1日久呂保村・糸之瀬村が対等合併し、昭和村が発足。

・1961年8月1日利根村の一部(大字生越)が昭和村に編入。

 

久呂保村・糸之瀬村が対等合併したのです

最近市町村を検索すると、対等合併の文字が目に付きます。

桐生市と新里村は、もちろん対等合併ではなかったようです

合併の意思を問う住民投票もありませんでした

多くの新里住民は、「40億も持参金持って桐生市になっても、何もいいことはなかった」と言ってます

 

道の駅の裏からも、鹿の子まだら的に雪の残る山が見えます

武尊(ほたか)山かな?

初めての案内です。

気持ちよく使用しできました

 

野菜とみそを買って帰ります

 

ナビを自宅に入れると、利根川を渡って国道17号線を帰るのが無難のようです。

にぎわうモツ煮の永井食堂を、素通りして帰ります。

そのうちに寄ってみたいとは思っているのですけど

 

 

まだ、長井食堂に寄ってません。

その後も何度か通りましたけど、いつも混んでます。

 

 

初出  2021.05.25   カテゴリー 北毛紀行

改稿  2024.03.18

 

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赤城村紀行総集編1(勝保沢・赤城山鳥居と松ノ木ビュースポット)

2024-03-13 21:03:24 | 赤城村紀行総集編

晴れたけれど風の冷たい一日でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、昼間はお外のサークルで湯たんぽを入れてもらって過ごしました

夕方は早めのお散歩で、夜は室内犬です。

 

この元記事の頃(2021年5月)、朝、ひめちゃんは獅子丸とお散歩していました。

 

あの頃は、よく堀之内を北に出てのお散歩をしていました

 

堀之内の北出口付近の赤城山です。

 

その後、堀切跡を通って、岩神沼に行きました。

赤城山は、逆さ赤城でその姿を映していました。

堀之内を西に出ることもありました。

諏訪神社の向こうの高台からの赤城山です。

赤城南麓の村からは、赤城山はこんな形で見えています

 

旧勢多郡赤城村(渋川市赤城町)は、赤城山の西側の村です。

最近よく行くようになったところです。

そして、赤城南面のひめちゃん達が住む村とは、赤城山の形が全く違います。

パワースポットもたくさんあります。

このブログ内には、カテゴリー北毛紀行と群馬県・旧勢多郡に、赤城村の記事があります。

赤城村紀行としてまとめておきたいと思います

 

 

 

(2021年)5月5日、北毛(群馬県北部)の道の駅「あぐりーむ昭和」を目指します。

国道353号線をひたすら進み、溝呂木(みぞろぎ)で別れて、更に北上です。

 

勝保沢(かつほざわ 渋川市赤城町)のコンビニで一休みです

榛名山が見えます

 

振り向くと、道の向こうに赤城山の額がかかった鳥居があります

額は赤城山です。

赤城神社ではありません。

聖なる山・赤城山への登山口があったのでしょう

残念ながら、ここから赤城山はよく見えませんでした

 

大きな庚申塔があります。

まだ現役のようです。

かつては、この付近もパワースポットだったのでしょう

 

このポールは前面に「六本木の十三塚」とありました。

裏側に、説明があります。

「赤城山を一望できる」云々の文字が見えます。

かつては、赤城山を一望できるビュースポットだったのでしょう

「多数の五輪塔や板碑、多数の戦死者を埋葬」の文字が見えます。

中世に於いて、戦乱の地でありまた戦死者を埋葬したのかな?

 

 

さて、コンビニのコーヒーで一息入れて、先を急ぎます

  

しばらく行くと、何だろう

「松ノ木ビュースポット」ですって

見晴らしがよさそう

 

案内板で、ここ昭和村の位置を確かめます。

ちょっと見にくいですけど、現在地を走る黄色い道をやって来ました。

めざす「あぐりーむ昭和」は、左上にあります。

「足湯あります」ですって

 

ビュースポットからの眺めを楽しみましょう

 

正面に見えるのは、子持山です。

裏から見るのは初めてです。

獅子岩(ししいわ)が、はっきりわかります。

後ろ姿は、案外厳しい山でした

左隣にはうっすらと、榛名山が見えます

 

西の山々です。

 

上越国境の山々かな?

まだうっすらと雪があるようです。

 

東を望むと赤城山です。

 

ひめちゃんちのある葛塚城堀之内からの姿と全く違います

 

あれ、道の向こう側にバス停があります

十二様前ですって

ということは、この先には十二様の社があるのでしょう

 

(つづく)

 

 

元々は、赤城村を目指したのではなく、通過地点でした。

その後、そば蜂蜜との出合いが、赤城村を目指すきっかけになりました。

 

初出 2021.05.24  カテゴリー北毛紀行 勝保沢・赤城山鳥居と松ノ木ビュースポット

改稿 2024.03.13

 

 

 

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榧の木の物語総集編10(白柴タバサちゃんの鹿田山漫遊記・長円寺の大カヤ)

2024-03-06 20:11:56 | 榧の木の物語・総集編

朝起きると、庭も畑も田んぼも白い

どうしよう

でも、道には雪はありません

多少ポツポツ雨が降ってきましたけど、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、そこらまでのちい散歩です。

今日はおうち犬で、1日過ごしました

 

この元記事の頃(2020年5月)、ひめちゃんは、朝は獅子丸とお散歩です。

 

 

夕方は、小次郎パパとお散歩でした。

 

パパは背中が少し曲がってきた感じですけど、まだまだ元気でした

いろいろあったけれど、みんなで暮らしていて、笑顔もいっぱいでした

 

 

 

 

2020年5月の暑い日、鹿田山の「山際の重制石幢」を訪ねました。

 

 

そのあと、大きなカヤの木を探して南に下ります

資料を持ってこなかったので、カンを頼りにあっちへ、こっちへ

やっぱり見つからないね、又にしよう

あれ、前方に「カヤの木→」の表示です

 

ありました

上の方が少し折れているようです。

見つからなかったわけです。

 

人間もタバサちゃんも、ちょっと水分補給してから散策です

 

説明板があります。

樹齢500年、幹の太さ6mとあります。

長円寺は、元禄16年8月15日に建立されて、今は廃寺になっているのですね。

カヤの実が結核に効くとされた時期もあったのですね

 

ここにあったお寺は長円寺、不動寺ではありませんでした

「もしかしたら、塙保己一生家裏の龍清寺(埼玉県本庄市)にカヤの実を持って行った修行僧のいたお寺かな?」、そんな淡い期待もあったのですけど。

 

龍清寺に、

300年前に、上野国新田郡笠懸在の不動寺から、修行僧・袋算がやって来たのです。彼は修行の旅に出るときに、師匠から榧(かや)の実を持たされたのです。彼はこの地を修行の地と定め、榧の実を撒きました。榧はみるみる大木になり大量の実を付け、その実は灯油や薬種となり村人を潤しました。

とありました。

そうそう大きなカヤの木があるわけではないんですけど

 

石造物がいっぱいあります。

お堂もあります。

 

まず、みどり市指定重要文化財の方に参拝です。

 

「地元産の天神山凝灰岩を素材として、南北朝時代に造られた一尊一基の阿弥陀三尊、江戸時代の初め、長円寺の西方役100m程の所から掘り出されたもの」とあります。

長い間お疲れ様です、合掌

 

さて、お堂の方に参拝です。

後ろ姿で失礼します。

あたちも参拝です

 

おや、お堂の扉が開きます

長円寺のご本尊ですね

合掌

静かに扉を閉めます。

 

暑いよー

 

暑い日でした

白柴タバサちゃんにも、とっても暑い日でした

 

実は、ここはチハヤ養護園の園内なのです。

長円寺は廃寺になったようですけど、チハヤ養護園によって長円寺の記憶が守られているのです

 

 

その後、去年だったかな?

再訪しました。

チハヤ養護園の園内ですけど、駐車も出来てカヤの木にも逢えました。

でも、観音堂の扉は難く閉ざされていました

 

 

初出  2020.05.30       カテゴリー群馬県・東毛  白柴タバサちゃんの鹿田山漫遊記・長円寺の大カヤ

改稿  2024.03.06

 

塙保己一生家裏の龍清寺(埼玉県本庄市)の榧の木の物語から、何カ所かカヤの木を訪ねました。

このブログでは、一応10本のようです。

「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」でも、カヤの木を訪ねてます

続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ 

ご訪問、お待ちしています

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