黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

田んぼの中の真っ赤な社殿(白柴タバサちゃんの伏見稲荷大明神参拝記)

2022-07-20 16:40:39 | 蕨沢川物語

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。

だーれもいないと思いきや、カモさんが悠々と泳いでます

沼には小魚が生息してるのかな?

 

久しぶりに岩神様(高縄の摩崖仏)にも寄って行きましょう

ああよかった

参道は塞がれていません。

去年の一時期、参道は塞がれて、通行不能の時期がありました

摩崖仏さんに合掌

 

ひめちゃんちのハス、もう一本の花芽も成長してきました

 

 

 

 

 

7月14日、粕川親水公園からの帰り、道なりに東に帰ります。

月田(つきだ)の近戸神社(ちかどじんじゃ)に出ます。

鳥居の額は正一位近戸大明神です。

本日はここで2礼2泊1礼です

 

 

ちょっと駐車させて頂きます

かねてから気になっていた、真っ赤なお宮が近くにあります。

神社脇の道を南に歩きます。

バス停があります

ほとんどの市町村でも、住民の足として、デマンドバスが用意されています。

用意されていないのは、桐生市に40億もの持参金を持って合併してもらった新里村だけかも

 

 

平地で歩きやすうございます

ルンルンでございます

 

 

まもなく道の左側に、伏見稲荷大明神の表示です。

赤い鳥居が見えます。

 

人家というか作業所の脇を通ります。

妨害物もなく、自然に通れます

 

まもなく到着です。

田んぼの中の真っ赤なお社です。

 

鳥居をくぐって参拝です。

社殿の前で、2礼2泊1礼です。

 

あれえ、すごい

 

奉納されたミニ狐さんがいっぱいです

駒犬ならぬ駒狐さん、かなり個性的です

稲荷様の石宮は古そうです

 

ちょっと辿り着きにくいけど、訪れる人を拒まない稲荷様です

参拝できて好かったね

 

 

近戸神社に戻ります。

ありがとうございました

後日また参拝します

本日はこれにて失礼します

 

 

道なりに東に帰ります。

近戸神社東の吉沼が見えます。

渡る川は兎川(うさぎがわ)、渡る橋は沼下橋です

兎川は、やがて膳城南で蕨沢川に合流します

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白柴タバサちゃんの阿夫利神社参拝記・後編

2022-07-14 15:04:42 | 蕨沢川物語

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

 

諏訪神社の西の溜池、しっかりミドリ沼です

少し流れがあるかな?

脇をしっかり流れる川があります

 

高台の中央を右折して、ひめちゃんたちは、山上の薬師の道に入ります。

薬師様達の後ろには、害獣除けの電線が張り巡らされています。

 

ひめちゃんは、道の反対側に、何か見付けました。

どうもイノシシの掘った穴のようです。

自然の逆襲が始まってるね

 

次の石仏群の後ろに、害獣除け電線の電源があります。

 

そのまま北上して、正泉寺の門柱を見ながら右折して帰ります。

正泉寺は廃寺ではなく、建物等はなくとも、常広寺が兼務している寺だそうです。

 

少し東に行くと、水の音がします。

川ははっきりとは見えないけれども、かなりの瀬音を立てて、流れています。

北側の流れは見えます。

この流れを地図で辿ると、さっきのミドリ沼の脇を流れ、膳八幡神社の東を流れ、やがて八幡橋(やはたはし)で、蕨沢川に合流します

こちらの流れを、蕨沢川としている地図(2017群馬県道路地図・昭文社)もあります

 

 

 

 

さて、拝殿で参拝です。

駒犬さんは、比較的新しそうです。

 

拝殿で2礼2泊1礼です

失礼します。

あれ、神明宮の文字があります

ここは神明宮ですか

地図では阿夫利神社としかでていません。

本殿もある立派な神明宮です。

 

『粕川村誌』(昭和47年、群馬県勢多郡粕川村役場)によると、大字中の神明宮は、

本殿・弊殿・拝殿・末社十五社、石宮は古来のもの、一時膳八幡宮に合社し昭和四年分社し昭和三十二年認可となる。

と、あります。

 

 

さて、左のうっそうと木々の茂る阿夫利神社に参拝です

雨も止んで、タバちゃんも参拝です

 

やっと車から下りられました

 

たくさんの石宮です。

あれ、神明宮境内石宮ですって

宮田八幡石宮?

宮田八幡って

隣のこの石は、どうもお猿さんのように見えます

 

あちらにも、不思議な石があります。

もしかしたら、古い駒犬のパーツかな?

 

こういう雰囲気好きです

 

クンクン情報収集です。

 

雨に濡れずに、参拝できて好かったですわ

 

あれ、隣の建物前に、バス停です。

隣は中集落センターです。

前橋市は、合併した村住民の足をちゃんと確保しています

桐生市に合併した新里村は、バス路線も群銀のキャッシュコーナーもなくなりました

 

さて、粕川の史跡、もう1ヶ所行ってみましょう

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白柴タバサちゃんの阿夫利神社参拝記・前編

2022-07-13 20:33:20 | 蕨沢川物語

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

タバサねーちゃんは、シャンプーやさんに行ってきて、モコモコはかなりスッキリしましたけど、まだ少し残ってます。

タバちゃん、かなり毛深いようです。

ひめちゃんは、スッキリです。

今朝は、諏訪神社に寄ります。

境内にある山上下鶴谷公民館のそばの、この道標を確認したかったのです。

ここにあったと言うことはなく、付近にあったのでしょう。

北大洞ではなく、北赤城です。

 

ひめちゃんちの蓮、もう一本小さな花芽が上がってきました。

 

 

 

 

昨日、久しぶりに白柴タバサちゃんお出かけです。

酷暑で、お出かけ大好きなタバちゃんも、お出かけできませんでした。

少し涼しめなので、ちょっとドライブしてこよう。

 

膳城址公園の北の道を、西の方に行ってみよう。

川の手前に、大きな墓地があります。

ここは、「南勢多郡の廃寺」( 群馬県勢多中部仏教会 内田憲治 平成23 )によると、

瑞雲寺(宗派不明)

中字寺後に存在した。寬保2年(1742)『前橋藩領内寺院本寺幷所附帳』や明治10年(1877)に内務省地理局へ出された『上野国郡村誌』に記載が無いことから、この間に建立されたが幕末から明治初め頃までに廃寺になったものと考えられる。3反余りの寺域があり膳村の龍源寺尼寺で通称中寺と伝承されているが詳細は不明である。

 

すぐに西には、水をなみなみとたたえた溜池です。

向こうに見える森は膳城、白い建物は粕川歴史資料館です。

西側の家のその向こうに、神社の屋根が見えます

 

北側には、中公園です。

ちょっと雨が降り出してしまいました

タバちゃん、車の中で待機です。

 

側を流れる川は兎川、橋は寺後橋(てらごはし)です。

兎川は、膳城南を流れて、やがて蕨沢川と合流しています

 

川の南西に神社が見えます

行ってみましょう

 

右の細道をやって来ました。

鳥居に額はありません。

 

鳥居の脇に、道標があります

東????

「西大胡前橋」は、しっかり見えます

この近くに、かつては幹線道路あったのでしょう

 

 

お天気の都合で、タバちゃんの写真がありません

タバサちゃんアーカイブで、ご容赦くださいませ

タバサねーちゃん、今月がお誕生月です

14歳になりました

元気で長生きしてね

 

タバちゃん、次回はしっかり出演します

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・天神沼の謎

2022-07-12 14:52:20 | 蕨沢川物語

昨日、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、シャンプーやさんに行ってきました。

堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を目指します。

川向こうのナス畑が目立ちます。

 

実は先日、古いこのあたりの地図(明治3)を見る機会に恵まれました

進行方向に合わせて回転です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、天神社の左を帰ります。

 

 

ナス畑の南側、竹藪の北の風景を先日の写真で確認です。

竹藪というか森が切れてすぐの、このあたり怪しいぞ

夕方になると、カッパが出そうな雰囲気と言えば、そのような

どうも沼の跡は、窪地ではなくなっているようです

近年新里村は耕土改善とかで、御大規模な土地の改変が行われています。

昔の地形は、面影を求めることが難しくなってます

 

 

本日の天神社です。

ちょっぴり哀愁だね

正徳五年(1715)の碑、後ろを見てみたいね

 

 

ひめちゃんたちは、東のあぜ道を帰ります。

向こうにみえるビニールハウスの角に、石宮があります。

 

その石宮は、正徳四年(1714)の文字が見えます

(写真は数日前通った時の撮影です。)

天神様方面を望みます。

もしかしたら、この道は天神様への参道だったかな?

田中藤左衛門が竜骨を常広寺にもたらした年の建立です。

 

気になります

 

 

 

さて、湯上がり美女の2人はケンくんちに向かいます

ケンくん、いるかな?

いました

 

今朝は直接対面です

会えてうれしいわ

 

タバサねーちゃんもご挨拶です。

タバサねーちゃん、こんなにシッポを振ることは滅多にありません。

うれしいんだね

 

 

庚申塚古墳を通って帰ります。

古地図だと、真東に沼があります

畑の向こうの草原です。

暫く前に耕土改善とかで、沼は跡形もなくなりました

低い低地とか、田んぼではなく、沼の面影は全くありません

沼の跡は、必ずしも低地とは限らないのです

気を付けましょう

 

 

ひめちゃんちの鉢植えの蓮に、蕾が上がってきました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・北大洞の道標を南に

2022-07-10 15:57:42 | 蕨沢川物語

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、プーちゃんの前を通って、堀之内を北に出ます。

プーちゃん、いるかな?

酷暑の夏で、高齢犬のプーちゃん、心配です。

無事の姿を見せてくれました

 

ひめちゃんたちは、沼下のヒマワリ畑を通ります。

ヒマワリが大きく成長しています。

もうじき開花だね

 

岩神沼には誰もいません。

なんとなく水位が下がったような気がします

 

 

 

 

北大洞の道標を南にしばらく下ると、祥雲寺(しょううんじ)に出ました。

『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅱ』(上毛新聞社 平成15)によれば、祥雲寺は、

明治十二年(1879)の『上野国南勢多郡寺院明細帳』によれば、寺は慶長五年(1600)二月、粕川村膳の龍源寺七世輝翁善陽が創建し、開山として入寺した。その後、文化四年(1807)三月十日の夜に失火し諸堂を焼失する。伝来の記録も焼失しそのため由緒不詳である。文化十年(1813)僧梅貞の代に、村人一同にて本堂と庫裏が再建された。その本堂が現在の本堂(間口六間、奥行き七間)である。庫裏は間口四間、奥行き六間だったようである。この庫裏に歴史学者中村孝也文学博士が五歳ー十六歳まで住んだ。父親が小学校の教師として来孫したことによる。

本尊釈迦如来は厨子に入り、前立三尊と呼ばれている三尊がその前に祀られいる。本尊の脇に、達磨大師、大権修理菩薩が拝されている。現在は本寺龍源寺の住職が兼務している。

 

ストリートビューには赤い屋根の本堂が映ってます。

その後取り壊されて、実質廃寺状態になってしまったのでしょう

 

新里村指定の文化財、「祥雲寺の延命地蔵」は、ご無事のようです

大きい

かなり大きいです

お首も無事のようです

 

 

隣には、マスクのぐんまちゃんです。

ちょっぴり哀愁の延命地蔵さん、さようなら。

いつまでも、ここに居てくださいね

 

 

道を隔ててすぐ南は、小林の大日堂です

久しぶりの訪問になります。

東の方の田んぼは、すっかり工業団地になってしまいました

あれ、こちらのお地蔵様、お首が明らかに変です

 

大日如来が中においでです。

今回はお姿がうまく映りませんでした。

合掌

 

側には、赤城大明神の額です。

ここが、『上野国郡村誌』(明治10)小林村に記載のある赤城社かな?

でも、小林村の赤城社は、村の中央にあると書かれています。

ちょっと南過ぎるような気もします。

いずれにしても、赤城神社だったのは確かでしょう

 

 

ここの交差点を西に行きます。

まもなく川が流れています。

蕨沢川に架かる前田橋です

 

橋を渡って右折し、すぐ北の橋を目指します。

橋の名は、下高橋橋です

じゃあ、高橋橋もあるね。

下高橋橋を西から渡って左折、一つ上流の橋を目指します。

 

ありました

高橋橋(たかはしはし)です。

清流のイメージの蕨沢川が流れてきます。

本日はここら辺にて

後日また、もう少し上流の蕨沢川の橋を、確認しましょう

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする