雨の朝です。
みんなビンボー合羽でお散歩です
ひめちゃんと獅子丸は、元気に帰ってきました。
お部屋(サークル)に帰ってフキフキしてもらって、朝ご飯です。
今春二番目に、ひめちゃんちで開花したジャーマンアイリスです。
小柄で、古い品種だと思いますけど、雨にも負けず頑張ってます
ぼたん寺・龍真寺からの帰り、「そうだ、早川貯水池の方を廻って行こう」
一級河川・早川は、早川貯水池から流れ出して、長い旅を続けて、利根川に合流します。
貯水池沿いの道を行くと、「東昌寺→」の看板です。
久しぶりに寄って行こうか
細い道を→の方に入ります。
折悪しく対向車、すれ違いが、きつかったです
まず、参道脇のこの方々にご挨拶です
こんにちは
一番目立つのは、やっぱりこの青面金剛かな?
邪鬼を踏みつけています。
下で、龍のできそこないの息子・ヒイキが支えています
まん丸おめめで、明るく支えています
さて境内に行きましょう。
ハイシニアのアタチとおじさんは、階段ではなく、脇の通路を上ります。
こじんまりした堂宇です。
青紅葉(あおもみじ)が冴えています
堂宇の右上に、歴代住職の墓標があります。
合掌
実は、ここは深沢郷(桐生市黒保根町)正円寺の隠居寺だったのだそうです
以前に、正円寺で直接聞きました。
ちょっと遠いようにも感じます。
でも、本来の足尾銅山街道は、現在の国道122号線より西を走り、瀬戸ヶ原で奥沢に向かえば、さほどの距離ではないそうです
現在の堂宇も、正円寺が手を入れたそうです。
ツツジと牡丹の花に囲まれた(?)本堂で参拝です。
合掌
本尊は子安観音です。
『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛新聞社)によれば、
本尊と寺の創建について寺には次のような伝承がある。
「当寺の子安観音は大昔天智天皇の発願で刻まれた三体の観音像のうちの一体である。延暦年間(782~806)に坂上田村麻呂は征夷大将軍となって蝦夷を討つため軍を率いて奥州へと向かった。その折、田村麻呂は天智天皇の発願の三観音のうち一体をもらいこれを祀り戦勝を祈願して東征し蝦夷地を平定して帰京した。その後、八幡太郎義家が後三年の役で奥州への出兵にあたって、坂上田村麻呂が戦勝祈願した観音を護身仏として持参して戦った。戦乱を平定した義家は帰京するとき奥沢の地を通り休んだ。その折義家は護身仏の観音を奥沢の地に置いて行った。村人達は堂を建てて観音を祀った。義家の護身仏の観音が本尊の子安観音である。観音堂が当寺の始まりである。
八幡太郎義家の護身仏の観音が、本尊の子安観音なんですか
子安観音は秘仏で、60年に一度のご開帳と聞いたような気がします。
青紅葉の境内を散策です。
「南無阿弥陀仏」だね。
あれ、ジャーマンアイリスです。
ここは案外日当たりがいいのかな?
向こうに見えるおうちの前の道が、(旧大間々町)瀬戸ヶ原で足尾銅山街道と別れて来た道でしょう。
すれ違いも大変な狭い道ですけど、かつては幹線道路だったのでしょう。
何様かな?
タバちゃんは情報収集中です。
初めての場所だし、ちょっと山なのでイノシシとかの匂いもあるかも。
2鶏2猿が見えます。
青面金剛です。
こちらは蓮の花を持ってます。
聖観音かな?
西の奥に、石宮です。
今回初めて気がつきました。
弁財天です。
廻りに水がたまるように設置されています。
弁天さまには、水が必要ですものね。
さて、帰りましょう。
ハイシニアのタバサねーちゃんも、帰りは階段を降りてみます。
一段ずつゆっくり降ります。
無事地上に着地です
御朱印は、以前に本寺の正円寺でいただいてあります。
八幡太郎義家の子安観音、ご開帳は大分先のようです。
今回は、後ろ姿ばかりで失礼しました。
でも、アタチは前向きに生きています。
今後もよろしくお願いします。