黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

秩父路のミニパワースポット

2019-12-15 20:33:34 | 秩父紀行

寒い寒い朝でした。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

赤城山が、真ん中の地蔵岳と一番東の長七郎山が、白いです

雪を降らせた雲かな?

まだ、山の上にありますね。

 

 

 

(椋神社から)自宅をナビに入れて出発です。

帰りに、小さいながらもいくつかパワースポットに、導かれたというのか、ちょっと立ち寄りました

 

 

坂を下ると、石の鳥居があります。

さっきは通過しましたけど、ちょっと道端に駐車です。

脇に付近の略図があります。

この鳥居の上に、細い路があるのです。

そこに山犬の居る赤い鳥居があるのです。

古い境内の案内もあります。

かなり古いもののようで、右の坂を上った貯水池の辺りが、現在の駐車場です。

まだ、黒い鳥居はありません

本来は、この石の鳥居を登って、参拝していたのでしょう。

 

石宮があります

山の神、おいぬ様、火防の神です。

おいぬ様は、御朱印にもあったし、お札(おふだ)も社務所で売ってました

心をこめて合掌

 

 

坂を下ります。

気になる赤い屋根の建物があります。

なんとか駐車して、探索です。

む、おじさん邪魔

でも、大日如来ですね

お堂の額にも「大日如来」とあります。

一応木鼻も装飾されています

 

扉の穴からちょっと失礼します。

大日如来が鎮座されています

現役のお堂です

心をこめて合掌

お堂の脇を見ると、「大日山胎蔵院大日堂」とあります。

「未(ひつじ)・申(さる)年生まれの、守り本尊」とあります。

まあ、未年生まれでも申年生まれでもないけど、よろしくお願いします

 

さあて、道の駅竜勢会館に寄っていこう。

ところが、どうも竜勢会館に出ません

来た時は通ったのですけど、ナビは違う道を選んだようです。

ナビの指示通りに進みます。

 

 

しばらくして川を渡りました。

あの橋を渡ってきたのです。

荒川の支流だと思いますけど、清流でした

 

 

ナビの指示どおりに進みます。

左折の指示が出て、信号待ちです。

 

 

ふと横をみると、「国神神社」

急遽立ち寄ります。

皆野町の観光案内図があります。

北の方に本庄の文字があります。

本庄を通って帰るのです。

よかった

 

さて、参拝です。

社殿の彫刻が見事です

あれ、琴平神社の時代もあったんですね。

まさに木の芸術です

心をこめて、2礼2拍1礼で参拝です

 

 

県道44号線に戻ります。

ひたすらの山道を北上します。

児玉町に入りました。

すごいヘアピンカーブです

 

行きにも気になった神社に、やっと駐車して参拝です。

黄色い銀杏の葉のじゅうたんです

「明神様の大曲り」ですか

2度も拝殿が焼失しているのです

参道の階段を登って、ヘアピンカーブの先を見下ろします。

心を込めて、2礼2拍1礼で参拝です

神社やお寺を造りたくなるような地形です

いかにも物語がありそうな地形です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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続・椋神社に行ってきました

2019-12-14 21:26:41 | 秩父紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、諏訪神社西の田んぼ道にまわりこみました。

ふと西の空を見ると、有明の月です

昨日七海ママの夕方のお散歩時に、東の空に赤い大きな月が昇り始めました。

帰ってから、カメラを持って月を見ると、雲が懸かりゆがんでしまってました

また、逢えるてよかった

 

 

 

山犬の狛犬に魅せられて、たくさんの写真を撮りました

椋神社の御由緒があります。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が道に迷ったときに、持っていた矛の先から一条の光がさして、その先に大きな椋(むく)の木があった。

そこには猿田彦大神が立ち、その導きで大勝を得た。

そこで、矛をご神体として、猿田彦大神を祀ったのが、創建である。


それで、椋神社なのですね

永禄12年(1569)、侵入した武田勢に焼き払われたとは

天正3年(1575)、鉢形城主北条氏邦が再建したのですか、よかった

 

 

さあ、本殿に参拝です。

赤い鮮やかな社(やしろ)です

狛犬も、さっきの山犬さまほどではありませんけど、ちょっとはクラシックです

 

木鼻の彫刻も見事です

 

拝殿で、2礼2拍1例礼で参拝です。

 

脇にまわって、本殿を確認です。

さっき、御由緒に、脚元の細い蟇股(かえるまた)とありました。

確かに細い

 

 

隣の覆屋の中に八幡宮があります。

かなり古そうです。

でも、よく見ると見事な彫刻です。

扉や壁には、かつては絵が存在したようです。

秩父平氏が館の鎮守に勧請したものと、説明板にはありました。

 

 

秩父氏が畠山に進出したときに、この椋神社を勧請したのが、畠山(深谷市畠山)の井椋(いぐら)神社だったのです

1年経ってしまいましたけど、やっと訪問できました

 

いただいた御朱印です。

竜勢の絵と山犬の絵があります

 

 

 

 

 

 

 

 

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椋神社に行ってきました(魅せられて山犬)

2019-12-12 21:49:10 | 秩父紀行

朝ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社向こうの高台を歩いてきました。

帰り道、むむ、ひめちゃんが立ち止まりました。

ちょうど小学生の登校時間に逢ってしまったのです

後ろ向きになって逃げようとします。

ちょっと待っていれば行っちゃうよ。

でも、不安でいっぱいです

ひめちゃんとののこねーちゃんはが、子どもが苦手です。

タバサねーちゃんと獅子丸は、平気です。

同じ両親から生まれたのに、どうして違うのかわかりません。

 

 

昨年の12月、深谷市畠山の井椋(いぐら)神社に行きました。

伊椋神社は、畠山氏が秩父の椋神社を勧請したものということでした。

 

嵐山紀行番外編総集編・井椋神社とうぐいすの瀬

 

では、椋神社へということでしたけど、やった先日行って来ました

 

伊勢崎市役所の脇を通り、板東大橋で利根川を渡ります。

あれ、いつか通った道です。

関東管領の城・雉岡城の脇を通ります。

それから、ほとんど道なりだったような気がします。

途中からは、もちろんそれなりの山道でした。

途中のコンビニで一休みの予定でしたけど、なかなかコンビニがありません

おなじみのコメリがありました

コメリで一休み。

さあて、あれコンビニがある

まあ、そういうこともあります

 

 

やっと到着です。

黒い鳥居です

 

後ロの山には、不思議なものがあります。

あれが有名な農民ロケット・竜勢の発射台ですね

 

 

付近の観光案内があります。

ちょっと見にくいけど、秩父市館跡や万葉歌碑も近そうです。

そのうちに行ってみましょう。

 

 

社務所を探します。

御朱印をお願いして、境内の散策です。

 

 

あの秩父事件の碑やらがいくつもあります。

そういえば昔、自由民権運動とのからみで大分注目された時期がありました。

秩父困民党三千余名は、明治17年(1884)11月1日、ここ椋神社の境内に集まって武装蜂起したのです。

 

 

赤い鳥居の方に行ってみます。

おや、狛犬がなんとなくひめちゃん似です

山犬(やまいぬ)なのです

「魅せられて山犬」とでもいいましょうか、この山犬風狛犬の写真をいっぱい撮りました


 そういえば、さっき社務所にこの山犬ふう狛犬のお札(ふだ)がありました

 

鳥居を出て、入り直しです。

手すりはありがたい

山犬さんこんにちは

鳥をくぐります。

この後ろ姿というか、背中の丸み、よく犬を観察しています

 

 

竜勢の見本でしょうか?

都合で2枚になってしまいましたけど、長いです

竜勢の説明板もあります。

最初に入った黒い鳥居のむこうの山に発射台がありました。

 

さて、いよいよ本殿に参拝です

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

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