黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

榧の木の物語総集編10(白柴タバサちゃんの鹿田山漫遊記・長円寺の大カヤ)

2024-03-06 20:11:56 | 榧の木の物語・総集編

朝起きると、庭も畑も田んぼも白い

どうしよう

でも、道には雪はありません

多少ポツポツ雨が降ってきましたけど、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、そこらまでのちい散歩です。

今日はおうち犬で、1日過ごしました

 

この元記事の頃(2020年5月)、ひめちゃんは、朝は獅子丸とお散歩です。

 

 

夕方は、小次郎パパとお散歩でした。

 

パパは背中が少し曲がってきた感じですけど、まだまだ元気でした

いろいろあったけれど、みんなで暮らしていて、笑顔もいっぱいでした

 

 

 

 

2020年5月の暑い日、鹿田山の「山際の重制石幢」を訪ねました。

 

 

そのあと、大きなカヤの木を探して南に下ります

資料を持ってこなかったので、カンを頼りにあっちへ、こっちへ

やっぱり見つからないね、又にしよう

あれ、前方に「カヤの木→」の表示です

 

ありました

上の方が少し折れているようです。

見つからなかったわけです。

 

人間もタバサちゃんも、ちょっと水分補給してから散策です

 

説明板があります。

樹齢500年、幹の太さ6mとあります。

長円寺は、元禄16年8月15日に建立されて、今は廃寺になっているのですね。

カヤの実が結核に効くとされた時期もあったのですね

 

ここにあったお寺は長円寺、不動寺ではありませんでした

「もしかしたら、塙保己一生家裏の龍清寺(埼玉県本庄市)にカヤの実を持って行った修行僧のいたお寺かな?」、そんな淡い期待もあったのですけど。

 

龍清寺に、

300年前に、上野国新田郡笠懸在の不動寺から、修行僧・袋算がやって来たのです。彼は修行の旅に出るときに、師匠から榧(かや)の実を持たされたのです。彼はこの地を修行の地と定め、榧の実を撒きました。榧はみるみる大木になり大量の実を付け、その実は灯油や薬種となり村人を潤しました。

とありました。

そうそう大きなカヤの木があるわけではないんですけど

 

石造物がいっぱいあります。

お堂もあります。

 

まず、みどり市指定重要文化財の方に参拝です。

 

「地元産の天神山凝灰岩を素材として、南北朝時代に造られた一尊一基の阿弥陀三尊、江戸時代の初め、長円寺の西方役100m程の所から掘り出されたもの」とあります。

長い間お疲れ様です、合掌

 

さて、お堂の方に参拝です。

後ろ姿で失礼します。

あたちも参拝です

 

おや、お堂の扉が開きます

長円寺のご本尊ですね

合掌

静かに扉を閉めます。

 

暑いよー

 

暑い日でした

白柴タバサちゃんにも、とっても暑い日でした

 

実は、ここはチハヤ養護園の園内なのです。

長円寺は廃寺になったようですけど、チハヤ養護園によって長円寺の記憶が守られているのです

 

 

その後、去年だったかな?

再訪しました。

チハヤ養護園の園内ですけど、駐車も出来てカヤの木にも逢えました。

でも、観音堂の扉は難く閉ざされていました

 

 

初出  2020.05.30       カテゴリー群馬県・東毛  白柴タバサちゃんの鹿田山漫遊記・長円寺の大カヤ

改稿  2024.03.06

 

塙保己一生家裏の龍清寺(埼玉県本庄市)の榧の木の物語から、何カ所かカヤの木を訪ねました。

このブログでは、一応10本のようです。

「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」でも、カヤの木を訪ねてます

続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ 

ご訪問、お待ちしています

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榧の木の物語総集編9・青いカヤの実(木崎宿色地蔵と長命寺)

2024-02-28 19:57:43 | 榧の木の物語・総集編

昨日の激しい風も、やっとおさまった朝です

ひめちゃんは、天神田(字・天神の田んぼ)を歩いてきました。

15才と7ヶ月のタバサねーちゃんは、そこらまでのちい散歩です。

 

この元記事の頃(2020年9月)、ひめちゃんは、朝は獅子丸と、夕方は小次郎パパとお散歩していたようです。

 

 

パパは、14才と2ヶ月でした。

 

 

 

(2020年9月)先日、東国花の寺・常楽寺(太田市上田島町)を訪問しようと出掛けました。

途中、新しい例幣使街道木崎宿の道標から、少し北東にある色地蔵に寄り道です

 

久しぶりの訪問です。

茅葺きで、いい雰囲気です

 

お賽銭投入口から、カメラがちょっと失礼します。

合掌

 

脇に説明板があります。

(台座の)銘文から、風邪のはやる季節になくなった子供達の霊を慰め、子供達の成長を祈願して建立した「子育て地蔵」であったことがわかります。~中略~こうして数多くの色街の女(飯売女)が訪れたことから、何時の間にか「色地蔵様」と呼ばれるようになり、木崎音頭にも唄われるようになったのです。

そうだったのですか

 

 

さて、道の反対側にある長命寺にも寄って行きましょう

こちらは初めての訪問です。

わりとこじんまりとした感じです。

 

門前の石造物です。

 

門を入ると、左に小高い丘があります。

これは、古墳?

墳丘の一角には、水子地蔵尊です。

墳丘には、五輪塔と双体道祖神があります。

 

木崎の街が見えます

おや、緑の大きな実が落ちてます

実のなる大きな木があったのです

 

カヤの木です

まだ新田の名木にはなってないようですけど、かなり大きいです

 

北側には六地蔵です。

 

おや、後ろの方はどなたでしょう?

 

 

さて、本堂に参拝です。

 

照光山の山号です。

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(上毛文庫)によれば、

寺伝によると延長三年(925)に小野道風の開基、右大臣大僧都延寂の開山で創建された真言宗の寺である。その後、木崎宿の大火ですべてが焼失した。そこで慶長3年(1598)に、元新田領勢多郡后之郷の地に良山法師が再興し、中興開山となった。郷内の大小の神社はすべて長命寺の支配下に置かれ、文和三年(1354)に建てられた貴先神社は別当になっていた。この神社は称徳天皇を祭主としたので、長命寺の院号を称徳院という。

 

すごい由緒です

でも、元新田領勢多郡后之郷(きさきのごう)って、どこだ?

 

御朱印をと庫裏に行こうとしましたけど、しっかりフエンスがあります

まあ、諦めましょう

 

 

この長命寺のカヤの木は、何の指定もなく物語もなさそうですけど、カヤの木の物語で、ふと思い出しました

先日、また逢いに行ってきました。

誰にも利用されていない感じの、大きなカヤの実がたくさん落ちていました

今まで見たカヤの実で、一番大きいような気がします

木崎宿・色地蔵と長命寺のカヤ

今回は、カヤの木メインで行ってきました

 

 

初出 2020.09.27  カテゴリー 群馬県・東毛  木崎宿色地蔵と貴先神社別当・長命寺

改稿 2024.02.28

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榧の木の物語・総集編8(二渡のカヤ)

2024-02-23 14:02:02 | 榧の木の物語・総集編

朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんがお散歩に出た時は、雨でした。

ひめちゃんが、2回目のお散歩に出た時は、みぞれ雪が降り出しました

今日も、二人はおうち犬です。

 

元記事の頃(2020年7月)、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東の牧場に行っていたようです。

そこには、ヤギの親子がいました

むこうも訪問者を歓迎して、駆け寄って来てくれました

今では、ヤギさんの姿はなく、ハウスもただ草に埋もれています。

 

 

 

先日(2020年7月)、桐生市内に用事があったついでに、以前から気になっていた二渡(ふたわたり)のカヤの大木を訪ねました

地図ではちょっとわかりにくいところなので、途中からスマホナビを入れます。

県道66号線をひたすら北上し、忍山川(おしやまがわ)を渡ります。

渡ってすぐの細道を左折します。

忍山川は、まもなく桐生川と合流します

 

右折左折を繰り返し、スマホナビが「目的地に到着しました。目的地は左側です。」ですって

え、ここを入るの

ちょっと路上駐車で、急いで行ってきましょう

 

あ、あれかな

入っていいのかな?

 

ちょっと失礼します

 

ちょっと角度を変えてみます。

   

  

 説明板もあります。

この木は、雄株ですって

そういえば、カヤの大木にしては、ちょっとおとなしい感じです。

たくさんの実をならせ、人々の生活に役だったという話はないのですね。

どこかで樹齢400年とあったような気がしますけど、説明板には、古木だけで樹齢はありません。

普通、これだけの大木は寺社の境内とかにあるのですけど、付近にそれらしいものはありません。

実もならず御神木でもなく、でも大切にされている、とってもラッキーな木です。

 

 

路上駐車の場所に戻ります。

あの山は、菱(元は下野国)の山です。

麓を桐生川が流れます

 

来た道を戻るのもちょっと大変そう

左の方に坂を登ります。

電柱の向こうに大カヤが見えます

そのまま坂を登ります。

 

あれ、石造物がある

むむ、ここは来た事あるぞ

 

急遽、寄り道です

猿澤山鷹林寺(えんたくざんようりんじ)です。

 

とにかく山門の方へ行きます

 

振り返って、あれ、あそこに見えるのは、カヤの木ではないか

カヤの木が見えます

鷹林寺はずっとカヤの木を見守ってきたのかも

 

 

 

初出   2020.07.02  二渡のカヤ   カテゴリー・桐生川紀行

     2020.07.03  カヤの木を見守ってきた鷹林寺   カテゴリー・桐生川紀行

改稿   2024.02.23

 

 

 

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榧の木の物語総集編7(西福寺の大カヤと白狐稲荷神社)

2024-02-18 20:46:52 | 榧の木の物語・総集編

今日は、ひめちゃんのお誕生日です

12才になりました

今日は晴れて春めいた暖かい1日でした

2年前、10才のお誕生日は大雪のお誕生日でした

 

 

          

 

雪にもめげず、タバサねーちゃんと、元気いっぱいにお散歩してきました

 

 

 

昨日(2021.06.17)、行仙上人弟子の記憶・田部井の薬師如来堂が、深くかかわってきたという西福寺(伊勢崎市田部井町)を訪ねました

でも、駐車場がありません

境内には駐車禁止のバリケード

 

あたりを見回して、山門脇の神社隣に少しだけスペースがあります

まあ、路上駐車のうちですから、急いで参拝です。

真っ赤な鳥居をくぐって、まず神社に参拝です

正一位白狐稲荷神社です。

 

    

2礼2拍1礼です

 

 

神社のすぐ北は、お寺の墓地になってます。

和尚さん達の墓石も、たくさんあります。

 

大きな榧(かや)の木が見えます

説明板があります。

樹齢400年以上の大榧です

雄木かな、雌木かな?

たしかに比類なき名木です

 

本堂で参拝です。

山号は白狐山ですね。

合掌

 

 

山門を出て振り返ると、大きな大きな榧の木です

 

山門の先には、歴史を刻んだ石造物です

 

ここは浄土宗のお寺です。

宗旨がわかりやすく書かれています。

阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。

 

こちら側の言葉も意味が深そうです。

 

          

いい雰囲気の古刹なのですから、御朱印も欲しいところです

 

ちょっとだけですけど、「行仙上人弟子の記憶」延長線上を、散策できました

 

 

稲荷神社に戻る時、さっき目に付かなかった「社殿新築碑」があります。

社伝ニ依レバ明治五年日本国太政官府ヨリ正一位ヲ贈ラレタコノ白狐稲荷神社ハ平安末期 岩松四郎経氏コノ田部井郷ヲ領有スルニ至ツテカラノ発祥ト考ヘラレテイルガ詳カデハナイ 岩松四郎経氏ノ子泰経孫泰寛共ニ崇敬篤ク重邦 泰兼ト継ガレ元屋敷地内観音山デ殿賑ヲ極メタ 又同所ニ西福寺 観音堂 白狐稲荷神社ト並び祭ラレシタメ部民ノ崇敬素祖ノ念一層タカメラレ鎌倉時代吉野時代ト送リ~(後略)~

 

岩松氏の創建によるらしいのですね

新田の岩松氏、こちらの方にも進出していたのですね

 

早川を遡ってくれば、道に迷うことなく新田からやってこれます

上野国山上の行仙上人も、早川があるから、迷うことなく世良田・長楽寺に行けたのです

上野国山上の奥・奥沢から流れ出した早川は、ここ旧佐波郡・東村を流れ、さらに長い長い旅を続けて、世良田を流れて、堀口(旧新田郡尾島町堀口)で利根川に合流します

わが故郷・世良田を流れる早川と、上野国山上の奥から流れ出す早川は、同じ川だったのです

 

 

 

県道291号線から脇に入り、「あずま橋」より少し下の橋で、早川を渡ります。

 

早川を渡って、赤城山の麓・山上に帰ります

 

 

 

初出  2021.06.17  カテゴリー早川物2 西福寺の大カヤと白狐稲荷神社

改稿  2024.02.18

 

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榧の木の物語総集編6(新田勢が集合?・高島諏訪神社のカヤの木)

2024-02-14 20:07:14 | 榧の木の物語・総集編

ひめちゃんは、諏訪神社の向こうの高台をどんどん進みます。

高台の中央付近でやっと南に下ります。

高い木立の垣根の陰は、まだ雪が残って凍ってます。

滑らないように、畑の中を失礼します

山上城に回り込んで、帰りました。

城跡公園は、約一名、登校前のランニング中の中学生がいました。

 

元記事の頃(2020年10月)、ひめちゃんは小次郎パパと一緒にお散歩することも多かったようです

 

少し老いが忍び寄っていたかな

群れのリーダーは七海ママだったので、穏やかなパパでした

 

 

 

深谷市の天然記念物に諏訪神社の榧老木(かやろうぼく)があります。

所在地は高島595-1です。

高島の生品神社を検索しているとき、この諏訪神社のカヤの木を目指して、新田勢の援軍が来た話がありました

そして、摂社諏訪神社(字諏訪之木)とありました。

高島諏訪神社は生品神社の摂社(本社と末社の中間の位置)かな?

新田義貞の進軍については諸説ありますけど、このカヤの木を目指して、新田勢が利根川を渡ってやって来たという伝承があるのです

高島鄕は、古くは新田荘高島鄕だったともいいます。

新田郡出身のひめちゃんちのおかあさんは、どうしてものカヤの木に逢っておかなければなりません

 

国道17号線(上武道路)を世良田で降りて上武大橋を渡り、中瀬の信号で左折、しばらく行って五差路を北に行けば、難なく到着できるはずでした。

ところがうっかり世良田で降り損ない、新上武大橋を渡ってしまいました

しばらくして、こりゃ大変だ

コンビニに寄って、「高島595-1」をナビを入れます。

 

本来の国道17号線に出て、南から回り込みました。

 

ストリートビューで見た五差路に出ました

北に進路を撮ると、右に大きな木が見えます

やっと到着です

諏訪神社、ちょっと寂しい感じです

一応幟は上がることもありそうですけど。

 

確かに、大きな大きなカヤの木です

「榧老木」のポールだけがあります。

深谷市のHPによると、「樹齢1200年以上、根回り14メートル」とあります

今までに訪問した中で、一番古いことになります

 

樹齢の長さを感じさせる幹です

 

おや、木の下に庚申塔です

三猿もはっきり分かります。

そんなに古くはなさそうです。

 

カヤの木の方は、古い

 

 

このカヤの木は、一見2本の木に見えます。

落雷により2つに割れ燃えて、根元から2つの幹がでているということです。

 

往時はさぞかし遠くから見えたことでしょう

ナビなどない時代には、大きな役割を果たしていたことでしょう

どこかで雌木とみたような気もしますけど、実がありませんね

超高齢のおばあちゃんですものね

何時までも長生きしてくださいね

 

何もない諏訪神社です

なぜかテーブルと椅子が見えます。

ちょっと座ってみる勇気が出ませんでした

 

3年と少し経ちました。

どうなってるかな?

また逢いに行きたい榧の木です

 

 

初出  2020.10.15 カテゴリー埼玉県 新田勢が集合?・諏訪神社のカヤの木

改稿  2024.02.14

 

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