黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

中之嶽神社・お散歩の成果で登拝

2019-12-09 21:13:13 | 妙義紀行

寒い一日です。

雪が降ってもおかしくないような空模様です。

JAのガソリンスタンドは、灯油の特売日と言うことで、車の行列ができていました。

小次郎パパは、なぜかストーブの前に陣取ることが大好きです

最近は、お腹をこわしてから急に老け込んでいるので、夜は室内犬をしています。

ハイシニアのパパとママは、夜は室内犬です。

ひめちゃんも一緒に入りたがります。

ひめちゃんは、おばあちゃんになってからね

 

 

 

中之嶽神社の鳥居から上を見上げます。

ふう、疲れそう

足も痛くなりそう

同行者は、いとも簡単に「登りましょう」と、先に行ってしまいました

ここで心を込めて手を合わせて参拝したことにしようと思っていたんですけど。

 

鳥居をくぐると、右に説明板があります。

長清道士之碑(ちょうせいどうしのひ)とあります。

長清道士は、後北条家の家臣で、金洞山(中之岳)で修行し、父の仇を討った。その後再び金洞山で仏教の修行をした。長生の術を極め、延宝元年(1673)148歳で没した

へえ、そんな人がいたんだ

松井田城も近いし、北条家の家臣がいてもおかしくはなさそうですけど。

その碑は本殿左側にあるとあります。

 

登山マップがあります。

中之岳(中之嶽)とは、金洞山(こんどうさん)のことなのですね。


狛犬は、ここも彩色されています。

あれ、上にも狛犬がいます

 

かなりの悪路です。

石段は古くて、登りにくい。

なんとか赤い手すりの前までたどり着きます。

 

狛犬さん、こんにちは

かなりクラシックです

これは、彩色のしようがありませんね。

短いあんよが、とってもかわいい

 

赤い手すりにつかまって慎重に登ります。

 

 

やっと到着です

まずは拝殿で手を合わせます。

中之嶽神社は、轟岩(とどろきいわ)をご神体とし、拝殿・弊殿のみで本殿を持たない神社ということです。

 

さっき元北条家臣の道士の碑は、本殿の左側とありました。

まあ、この左でしょう。

ということで、左の方から散策です。

登り口を、振り返ります。

社が岩に食い込んでます

立木を利用した鳥居です

 

社殿の左側には、石造物がいくつもあります。

 

見上げると、岩が迫ります

 

少し奥まで行くと、ありました

長清道士之碑です。

ちょっと読めません

 

戻って反対側を散策です。

社殿の後ろが、轟岩(とどろきいわ)ですね。

少し右奥に行ってみます。

これから先は、神の領域のようです。

静かに手を合わせて、社殿の方に戻ります

 

眼下には、金色の日本一のだいこく様です

 

慎重に慎重に、上りより慎重に降ります。

 

無事地上に到着です。

ホッとして、こんなポスターも目に入りました。

新年特別の御朱印があるんだ

 

社務所に寄って、御朱印を頂きます。

 

日頃のひめちゃんたちとのお散歩の成果で、無事登拝できました

もちろん、翌日に足が痛くなることもありませんでした

平面の運動なのに、上下の運動にも成果を発揮したのです

みんな、ありがとう

毎日歩こうね

 

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中之嶽神社・日本一のだいこく様

2019-12-08 21:21:17 | 妙義紀行

草の実ひめちゃんです。

草の実をいっぱい付けて帰ってきました。

今朝、ひめちゃんはサークルのドアーが開くと同時に、ダッシュで草の生い茂る庭に飛び出しました

草の中で用を足すと、居間の前に戻って「おうちの中に入れて

後でね、みんな待ってるから

 

 

ナビに随って、国道18号線を左折します。

妙義神社、道の駅みょうぎを過ぎて、ちょっと不安になりながら紅葉の妙義路を進みます。

山を廻りながら登っているようです。

あれ、赤城山だ

はるかかなたに、赤城山が見えます。

やはりかなり、くるくる登ります。

 

そのうち突然、金色の大きなだいこく様が出現しました。

中之嶽神社(なかのたけじんじゃ)に到着です

道の向かい側、妙義公園に駐車です。

 

さて、道路を渡って、参拝です。

彩色された狛犬です

ちょっと怖そうかな?

 

御朱印帳は先に預けておくようにとの案内があります。

社務所によって、季節限定の御朱印をお願いします。

 

さあ、だいこく様にご挨拶です。

大きい

説明板には高さ20メートル、重さ8,5トンとあります

「病や厄、悪霊を祓い福を招く」そうです。

甲子講(きのえねこう)とあります。

ねずみ年生まれの人の守護神ですね。

そういえば、同行者はねずみ年生まれでした

何かのご縁でしょう

 

鳥居の額は「中之嶽神社」です。

正面は大国神社、右手に中之嶽神社です。

まずは、大国神社に参拝です。

左右に、黒いだいこく様がいます

また、彩色された狛犬です。

さっきよりちょっと控えめな彩色です

社殿には、龍の天井絵があります。

迫力があります

さて、心を込めて良縁を願います

 

さてさて、肝心の中之嶽神社を見上げます。

うわー、大変そう

同行者は、いとも簡単に「登りましょう」ですと

 

 

(つづく)

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妙義紀行・続大泉山補陀寺(関左法窟)

2019-12-07 14:24:45 | 妙義紀行

寒い寒い朝です

ひめちゃんと獅子丸は、久しぶりに東の牧場の方に行きました。

牛さんの鳴き声が聞こえます。

牛さんも寒いのですね。

ヤギさんは、どうしているかな?

ヤギさんがいたところは、子牛用の新しい牛舎ができています。

ヤギさんの姿はありません。

もしかして、ヤギ肉になってしまったのかな

道なりに山神橋のたもとに出ます。

おかあさんが、山神さまの石に刻まれた文字を確認しようとしていると、獅子丸が猛烈に吠えながら引っ張ります

獅子くん、どうしたの?

あれ、ヤギさんだ

山神さまの向かい側に、ヤギさんがいました

約半年ぶり、たくましい大人になってました

 

 

 

「大泉山補陀寺」つづきです。

 

大道寺政繁墓所の隣は、歴代住職の墓所でした。

たくさんの世代を重ねてきたのがわかります。

でも、みんな墓石が少し小さめです

かえって、それが俗世の利益とは縁のない、清廉さを表しているようです

 

お地蔵様の首を修理しているおじさんに聞きました。

「ここは、御朱印いただけますか?」

「さあ、どうかなあ? 庫裏にいるから聞いてみな。」

「はい、ありがとうございます。」

 

庫裏を尋ねます。

「こんにちは。御朱印いただけますか?」

「書き置きでいいですか?」

「はい、お願いします。」

待つことしばし、かわいいベンチがあります。

「おまたせしました。」

「おいくらでしょう?」

「とくに決まってないです。」

「それでは、よその一般的な300円でいいですか?」

 

いただいた御朱印です。

む、関左法窟(かんさほうくつ)て、何だ?

 

安中市HPによると、「江戸時代、補陀寺は関左法窟、関東一の道場の額を掲げるほど寺運が隆盛し、何人もの名僧を輩出した」という事です。

そうだったのですか


山門を散策です。

門をくぐると、さきにまた門があります。

そちらが山門ですね。

山門の正面には、「関左法窟」の額です


静かに山門から入り直しです

左手に石造物が見えます。

お地蔵様の、体と頭がバランス悪い方もいます

でも、頭があったほうがいいですよね

妙義山がしっかり見えてます


大泉山の額がかかった門をくぐり、本堂の額も確認です。

補陀禅林です。



駐車場に戻る途中、小高い丘にも趣がありました。

さすが関左法窟の寺です

これから、中之嶽神社(なかのたけじんじゃ)に向かいます



 

 

 

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妙義紀行・大泉山補陀寺(大道寺政繁墓所)

2019-12-06 20:51:46 | 妙義紀行

ひめちゃんたちは、午前中お留守番でした。

獅子丸とタバサねーちゃんは、ぬいぐるみをくわえてウェルカムダンスでお迎えです

獅子丸は実家に帰ってから、買ってもらった丸いぬいぐるみを大切にしています。

ルカムダンスのときや、時にはお散歩に持って行こうともします。

ひめちゃんも、シッポをふってお出迎えです

 

お昼に帰ってきたおかあさんは、白菜を買ってきてくれました。

実は、獅子丸は白菜が大好きなのです。

ご近所で出荷した白菜の切れっ端が落ちていると、おいしそうに平らげます。

みんな、ちぎって少しずつ分けてもらいました。

晩ご飯にも、白菜が付きました

 

 

妙義紀行第二弾で、中之嶽神社を目指します。

国道50号線の小島田の信号から、ひたすら高崎安中方面に下ります。

国道18号線の妙義近くで、ビュースポットがありました

わー、妙義だ、妙義だ

あの形、忘れられません。

振り返ると、はるかかなたに赤城山が見えます

裾野は長し赤城山です。

 

国道18号線を進みます。

途中、北条家の重臣・大道寺政繁(だいどうじまさしげ)の墓があるという、大泉山補陀寺(ほだじ)に寄ります。

常広寺と同じ曹洞宗です

境内の駐車場に車を止めて、道路の向こうにあった双体道祖神に逢いに行きます。

奥の高架の道路が国道18号線です。

双体道祖神が2基あります。

左のはかなり古いもののようです。

右は安永の年号が見えます。

世良田の毛呂権蔵が『上野国志』の取材をしていた頃です

後ろには墓地が広がっていました。

 

さて、趣のある境内へ戻ります。

正面に見える鐘楼堂は、これから数分後誰もいないのに時の鐘として鳴り響きました。

自動で鐘をつくようにセットしてあるようです。

この風景に、鐘の音はとっても趣深いものです

けれど、自動という所に、ちょっぴり情趣のなさも感じました

 

奥に進むと、あれ、こっちが本来の山門かな?

どうも、そのようです。

いろいろ石造物があるらしいけれど、とりあえず目指すは大道寺政繁の墓です。

また、帰りに寄ります

 

本堂ですね。

 

大道寺政繁の墓は、本堂の左奥ということです。

そちらへ行くと、案内の→があります。

 

 

石造物の修理をしている、おじさんとおばさんがいます。

「こんにちは。」

「首がちょうど合うのが見つからなくて

「でも、ないよりあった方がいいですよ

 

奥に進むと、ありました

天正十八年三月、豊臣秀吉の小田原攻めに際し、前田利家、上杉景勝、真田等の北国勢三万五千を三千余名で引き受け、奮戦したが、同年四月二十日降伏した。その後、前田軍の先駆として働いたが、同年七月五日、小田原北条氏が降伏となった際、秀吉より北条氏政、氏照、松田憲秀と共に切腹を命ぜられ、同年七月十九日川越常楽寺で自刃、五十八才であった。

何故なのでしょう?

使い捨てとはひどい

合掌。

実は獅子丸が養子に行っていた家のご先祖も、北条の家臣だったそうです。

もしかしたら、お世話になったかもしれませんね。

 

さっきの説明板に、子孫の手によってたびたび改修が加えられているとありました。

台石の側面に、子孫のこだわりが刻まれているようです。

子孫には忘れられない場所なのですね。

 

脇に文字のいっぱい刻まれた石柱があります。

うーん、何だろう?

大道寺家の由緒?

 

大道寺政繁墓所の向こうは、歴代住職の墓所のようです。

妙義山が見えます

 

(つづく)

 

 

 

 

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続・続・(上毛三山というけれど)はじめての妙義神社

2019-11-24 21:42:02 | 妙義紀行

今日の夕方のお散歩は、薄暗くなってしまいました。

都合で、ひめちゃんと獅子丸に七海ママが加わりました。

ママは最近体調がいいようで、元気はつらつです

ひめちゃんと獅子丸のお散歩に付き合いました。

ママの昼散歩より長距離になります。

ママと獅子丸が、同じ所に頸を突っ込んでクンクンの場面がありました。

獅子丸は「僕の邪魔をするな、ワンワン」とママに威嚇しました。

ママは全く動じません

獅子くん、ママにいばってはダメよ

その後は昼散歩のように、仲良く帰りました

 

 

 

やっと妙義神社の本社に到着です。

りっぱな社殿です

向拝の龍も生き生きしています。

 

参拝の後は、いつもの習性で、社殿の裏に回ります。

社殿の廻りを一周です。

左から回り込みます。

社殿は黒が基調ですけど、思いのほか赤の世界です

 

社殿の真後ろに、不思議なものがあります

後ろに見える形は、天狗の団扇(うちわ)のようです。

さっき境内案内にあった天狗社です。

 

塀の隙間からカメラのレンズだけ、ちょっと失礼します。

鮮やかな本殿です。

 

そうこうするうちに、唐門が見えてきました。

ほぼ一周です

嫌みなく黒と赤が調和した世界です

 

 

唐門はくぐらずに脇から降ります。

木の根元に、古い石造物があります。

 

この赤い門を出てすぐに水神社がありました。

なぜここなのか、素朴な疑問です。

付近には愛宕社もあります。

 

登山口の一つもあります。

名前を書いてから登るようにと注意書きがあります

この向こうは、特別な世界になっているのです

 

ひたすら脇道を下ります。

銅鳥居の所まで戻りました。

このあたりは、少し紅葉が楽しめました

 

社務所とあります。

 

 

ここから階段を降りて、御朱印の授与所に向かいます。

御朱印にミニフイルがついて、500円でした。

 

階段を下って、駐車してある道の駅に戻ります。

なんとも不思議な形の山です

 

来た道を帰ります

ひめちゃんちまで距離はあるけれど、ほとんど一本道です。

その昔豊臣軍がやって来たときに、桐生柄杓山城(ひしゃくやまじょう)から七十過ぎて馬上の人となり、松井田城まで駆けつけた妙印尼輝子(みょういんにてるこ)の辿った道とも、大筋で重なるかもしれません

山の西の下仁田から、こんにゃく売りのおばさんが来ていたことも、道がほぼ一本道であることと無縁ではないでしょう。

帰る途中、「松井田城→」が目に入りました

いずれそのうちに

 

 

 

 

 

 

 

 

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