黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

那波氏の中興・泉龍寺(日光裏街道総集編6)

2023-06-26 22:39:33 | 日光裏街道総集編

今朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、ケンくんちの裏を通りました。

ひめちゃんは、特に何の反応もありませんでした

最近まで、ケンくんちの居間が見えるあぜ道を通りたがっていたのに。

居間には、主のいないケンくんのベッドがずっとありました

 

去年の今頃は、姉妹でよくケンくんちに寄ってました

まさか、逢えなくなってしまうなんて、思っていなかったでしょう。

でも、時は過ぎていくものです

 

 

 

 

 

(2020年12月)

柴町八幡神社から帰ろうとして、ふと見ると門柱があって松並木が続いています。

史跡がありそう

通れるかな?

松並木の参道を進みます。

 

泉龍寺です。

応永元年(1394)那波城主大江宗広が白崖宝生禅師を招いて中興開山としました。~(中略)~寺宝の白崖宝生禅師画像は、県指定重要文化財になってます。

白崖宝生禅師画像の説明板もあります。

どんな画像なのでしょう?

お目にかかるのは無理でしょう。

伊勢崎市教育委員会で出している「伊勢崎市文化財ハンドブック」にありました。

この方です

 

 

境内の入り口には、巨大なお地蔵様が左右に3体、合計6体おいでです。

六地蔵という事かな?

 

佐波伊勢崎観音霊場なのですね

もともとは柴町にあった密厳院から移した観音堂の聖観音とあります。

御朱印が出そうですけど、今の時節、又の機会にしましょう

 

 

まだ紅葉が鮮やかです

この日は12月13日でした。

古い石仏が積み上げられています。

りっぱな宝篋印塔もあります。

 

本堂は新しそうですね。

さっき平成10年の建立とありました。

読経の声が聞こえてきます

法事があるようです。

静かに目立たないように、境内を散策です。

 

 

子安観音かな?

 

小さな六地蔵です。

 

覆屋の下に、古い石仏です。

延命地蔵菩薩&薬師如来です。

延命地蔵菩薩は、室町時代の応永年間(1394~1437)の造立とあります。

そうすると、中興当時の造立ということになります

名和(那波)の歴史を見つめ続けてきたんですね

左の薬壺を持っている薬師如来は、やや時代が下がるとあります。

 

 

奥に赤い屋根のお堂があります

大本山円覚寺百観音霊場と旗めいています。

失礼します。

厄除観世音とあります。

お姿はうかがえません。

でも、厄除けよろしくお願いします

合掌

 

左の方には、真っ赤な鳥居と社です

説明板があります。

正式には稲含荼枳尼天(いなぶくみだきにてん)といいます。五月の八十八夜が縁日で、以前は養蚕と農家の豊作を祈る人々で大変にぎわいました。

懐かしい日本の風景ですね

 

 

さらに奥は墓地でした。

墓地を少し探しましたが、那波氏の墓は見つかりませんでした。

法事で人がいるので、邪魔をせずに捲土重来を期して、退却します

 

 

戻る途中、鐘楼堂あります。

森の中にすっかり溶け込んでいて、さっきは気づきませんでした。

あれ、松って横にも延びるんだ

 

 

松並木の参道を帰ります

あの右奥の建物の隣が、柴町八幡宮です

思いがけず、那波氏中興のお寺に参拝できました

七海ママの生家の犬舎号(名字のようなもの)は、○○名和荘です。

七海ママのふるさと、名和(那波)の那波氏の記憶です

 

 

(2020.12.21 記)

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柴町八幡神社(日光裏街道総集編5)

2023-06-23 22:11:52 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんは、ケンくんが大好きでした

いつのまにか、タバサねーちゃんもケンくんが好きになっていました

ケンくんが病気で亡くなってから、はや5ヶ月です

この間まで、ひめちゃんはケンくんがもういないことはわかっていても、ケンくんちのそばを通りたがっていました。

でも、最近はちょっと足が遠のいています

 

 

 

(2020年12月)五料橋を渡って柴町に戻ります。

柴町の信号を過ぎてすぐに、左の奥に鳥居がみえました。

柴町八幡神社の鳥居です

車が入れるか不安だったので、次の路地を入りました。

まもなく社務所らしき建物があって、何人ものおじさんがいます。

「こんにちは

おじさん達からは、返事がありません

みなさん何かに夢中で、忙しいようです。

失礼して、駐車させてもらいます

 

それでは鳥居から入り直して、参拝です

 

鳥居の周辺は、石造物だらけです。

ほとんどが庚申塔です。

その中に1基だけ、太田神があります。

太田神は、どんな神なのか分かりません

 

さて、拝殿を目指します。

小さな太鼓橋が残ってます

かつては川が流れていたのかな?

 

拝殿左前に説明板があります。

拝殿は正面三間、側面二間の入母屋造りの建物で、天井画は鈴木不求・春山・松山の三代にわたる伊勢崎藩絵師が描く。

 

天井画があるんですか

 

拝殿で2礼2拍1礼です

扉は堅く閉ざされていて、天井絵は拝めません

 

龍がいます

迫力があります

おそうじしてあったら、もっと迫力があることでしょう。

 

額は「八幡宮」です。

 

 

右から、社殿を廻ってみます。

八幡神社の幟が、たくさん揚がっています

本殿も、まだしっかり赤く残ってます

 

本殿裏には、庚申塔はありません。

やはり石宮です。

 

本殿の内部は、全くうかがえません

 

一周してきました。

 

神社は、本来は赤い世界なのでしょうか?

 

龍が、さっきより生き生きしています

今にも飛び出して来そうです

 

説明板にあったように、

この神社は十八世紀初頭の伊勢崎地方の近世寺社建築の優れた指標を示し、社地は参道を含め、旧日光例幣使街道柴宿の歴史的景観の名残をとどめる。

 

日光例幣使街道&日光裏街道の名残の、柴宿の八幡神社です

そして七海ママの故郷・柴町の八幡神社です

 

 

(2020.12.20 記)

 

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柴宿本陣跡(日光裏街道総集編4)

2023-06-19 21:14:43 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんたちのママ・七海は、伊勢崎市柴町の生まれです。

柴町は、日光例幣使街道&日光裏街道の柴宿がありました。

 

 

 

(2020年12月)七海ママのふるさと・柴町の柴宿本陣跡を目指します。

県道142号線を少しゆっくり慎重に走ります。

何回か通っているはずですけど、全く記憶になく目に付いてもいないのです

 

ありました

沿道に目立つ松があります。

松を過ぎると、柴町住民センターです。

ちょっと駐車させてもらいます。

 

おや、例幣使街道の案内板もあります

 

雷電神社は、行ってきました。

那波城趾碑は、那波城趾本丸址とは違う場所です。

那波城趾本丸址は、第二中学校の付近です。

おや、下の天明地蔵は行った事あるぞ

五料の渡しも、すぐです

 

住民センターの前には、柴宿本陣跡のバス停です。

みごとな松です

よく倒れずに踏ん張ってます

 

門の脇に説明板です。

 

ちょうど植木屋さんが作業中です。

「こんにちは

「こんにちは どこから来たんだい?」

「桐生です。まあ、桐生と言っても西の桐生市・新里です。」

「新里の植木屋さんは、○○園さんだよね。県内の植木屋仲間はみんな知り合いだよ。」

「そうなんですか

「みごとな松ですね

「群馬県内、他にはないよ。本陣に、こういう風に松が残っているところなんて。」

「お手入れしているから、松は生きているんですね 前が県道で、排気ガスを浴びているんですね

「前よりは、良くなったよ 前の道が国道じゃなくなって、交通量がズーと減ったよ

 

つい近年まで、前の道は国道354号線でした。

北に新しい国道354号線ができて、県道142号線に格下げになったのでした。

 

側溝があります。

「街道を歩く・日光例幣使街道」の地図の説明では、

柴宿は寛永19年(1642)に宿駅として整備された。宿内の道路中央に流れていた堀は、蓋をしてあるが現在側溝として残っている。堀の南が旧道の一部で、宿の中央に本陣の関根家があり、棟門と老松にその面影を残している。

そうすると、この側溝が日光例幣使街道の道の真ん中で、道の真ん中に堀が流れていたんですね。

北側は、県道142号線の一部になり、南側が日光例幣使街道の名残ということですね。

 

本陣跡の邸内にきれいな山茶花が咲いています

植木屋さんによると、古い品種だということです。

山茶花も、いろいろな品種があるのですね

 

日光裏街道は、ここ柴宿から北に向かいます

 

 

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五料の常楽寺(日光裏街道総集編3)

2023-06-16 21:36:40 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、直接対決で喧嘩したことはありません。

イバリンボウの妹に、タバサねーちゃんが譲っているという感じで、まあ平和が保たれています

でも、タバサねーちゃんも若い時は、ののこねーちゃんに威張ってみたり順位の逆転を狙ったり、けっこういろいろやってました。

七海ママは、おおらかに娘達と付き合ってました

 

 

 

(2020年12月、南・五料の謎を追って、五料の関所にやって来ました。)

五料の関所そばの常楽寺については、検索してもわかりません。

そうだ、以前玉村歴史資料館でもらった資料にあるかな?

少しだけありました

 

「玉村町地区の歴史」柴根地区編によると、

常楽寺

天平年間(729~49)に行基の開基と伝わります。また、南北朝時代と推定される薬師如来像石仏や像種不明の室町時代と推定される石仏が残ります。参道には庚申塔や二十二夜塔など主に江戸時代の石造物が立ち並びます。

 

同書には、五料の地名の由来もあります。

五料の地名の由来は、角淵にあった西光寺(玉村町下新田)の稚児千代寿丸が、柴(伊勢崎市柴町)からの渡船の転覆により溺死した。その「御霊」の供養に基づくとされます。

 

例幣使街道最大の難所だったのですね

 

石仏の写真展表紙の左下、常楽寺の弘法大師坐像刻出とあります。

逢えるかな?

 

 

何故か門柱の隣にガソリンスタンドが有ります

参道には、本当にたくさんの石造物です

 

まあ、とにかく山門をくぐりましょう。

 

山門前の如意輪観音です。

大人の雰囲気です

如意輪観音はいっぱいなのに、この方だけ門前です。

 

参門脇の出入口の上には、左右共に獅子がいます

変な者は通れませんね

 

中央から、失礼します

 

境内にも、たくさんの石造物です

 

この方はどなたでしょう?

唯一、覆屋の中においでです。

あれえ、あの弘法大師坐像は何処だろう?

 

古い石造物が山積みになってます。

あの一番上の石仏、写真で見た弘法大師坐像です

室町時代の石造物が、あんなところに

何時までも、衆生を見守っていてくださいね

 

本堂の階段脇にも、古い石造物です。

左は薬壺を持っています

薬師如来です。

「南北朝時代と推定される薬師如来像石仏」と「像種不明の室町時代と推定される石仏」ですね

 

作業用の車が見えます

邪魔にならないうちに退散しましょう

桜の季節にでも、再訪したいですね

 

山門外の石造物にご挨拶です。

かなり目立つ石仏です

片足あげてるけど、未開花の蓮を持ってます。

聖観音かな?

 

こちらは、如意輪観音ですね。

如意輪観音も、お地蔵様もたくさんおいでです。

五料の常楽寺は、多くの石造物が立ち並ぶ寺でした

 

( 2020.12.19 記 )

 

 

 

 

 

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日光裏街道総集編2(「南・五料の謎」解決編、五料の関所)

2023-06-12 20:30:24 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんたちのママ・七海は、伊勢崎市柴町生まれです。

日光例幣使街道&日光裏街道の柴宿の生まれです

2004年(平成16年)6月生まれの双子座の女子です。

本日は、我が家にやって来た頃のかわいいナナちゃんアーカイブです。

ボールやぬいぐるみが大好きでした

たくましく成長してママになり、かわいい子供達を残してくれました。

ありがとう、ナナちゃん

 

 

 

 

県道142号線(旧国道354線)の柴宿本陣跡を西に行き、柴町の信号を過ぎると、まもなく長い橋です。

五料橋です

信号を右折して北上すると、県道104号線、駒形柴町線です。

駒形を北上すると、大胡です

あの「南・五料」と道しるべにあった交差点に到達するのです

 

橋を渡ると、五料です

史跡・五料関所跡を確認です。

橋を渡ってすぐの常楽寺前に、ちょっと駐車です。

 

「五料関所跡→」に従って、路地を入ります。

郵便局を過ぎると、また「五料関所跡→」の表示です。

 

矢印の方向に曲がってまもなく、ありました

やっと残っているという感じです

 

「街道を行く12 日光例幣使街道」によれば、

「入鉄砲に出女」の監視を厳重に行うとともに、利根川の舟の監視の役目も担っていた。五料河岸は利根川最上流の公認河岸で、五料と柴宿の渡し場でもあった。

 

説明板には、門の沓石と井戸が残るとあります。

でも、門柱の礎石だけかろうじて残っているようです。

奥の門から入り、左下の門柱を出て、渡し場に行くようになっていたのですね。

柴宿から来たら逆ですね。

 

 

利根川の方に行ってみましょう。

あの橋・五料橋を渡ってきました

 

 

赤城山が見えます

日光裏街道は、あの山の麓を目指して行くのです

 

 

橋のたもとに、この橋の説明板がありました。

その一部です。

この場所は朝廷から日光に参賀する「例幣使」が利根川を渡舟した(五料の渡し)ところでもある。

明治に入ってから、五料の渡しには、木橋やつり橋が架けられるようにが、大水の度に必ずといっていいほど流されたため、渡し船は依然として両岸を結ぶ主力交通手段であった。現在の橋は、昭和46年に県内初のデイビダークエ法によって架設されたコンクリート橋である。

 

日光裏街道は、この橋を渡って柴宿から始まっていたのです

「南・五料の謎」、大胡宿の道しるべに導かれてここまで来ました

 

以前は、ここが国道354号線でした。

今は国道354線は、一つ上流の伊勢玉大橋を走り、五料橋を渡る旧国道354号線は、県道142号線に格下げになってます。

車を置かせてもらった常楽寺も、参拝していきましょう

 

( 2020.12.17 記 )

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