黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道総集編32(白柴タバサちゃんの関の磨崖仏探訪記)

2023-11-29 19:41:29 | 日光裏街道総集編

寒い朝ですけど、まだ外のお部屋(サークル)のお水は凍ってません。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、天神田を歩いてきました。

今朝は、久しぶりに、常広寺の7時の鐘が鳴ってます

 

2年前(2021年)の11月、ひめちゃんとタバサねーちゃんと獅子丸は、膳八幡神社の前のサザンカ園あたりまで歩くことがありました。

きょうだいで暮らせてよかったね

タバサねーちゃんも、まだ若かった

 

 

 

 

日光裏街道の史跡や文化財、79番が龍興寺、80番が関の磨崖仏です。

関の磨崖仏も、みんなが若く元気な頃は、長距離のお散歩コースでした

 

いくつか記事がありますけど、タバサねーちゃんの訪問記でお届けします

 

 

 

桐生市指定重要文化財・高縄(たかなわ)の摩崖仏から北に少し行くと、関(せき)の摩崖仏があります。

こちらは、群馬県の史跡に指定されています

 

 

まず、不動橋の南にある山神宮にご挨拶です。

舟のイメージの台石に乗ってます。

山神様は舟で鏑木川を移動するようです

台石には、たくさんの人名が刻まれています。

薄くなって判読不能ですけど、このあたりの人たちでしょう。

関は水争いが実に激しいところだったという話を、聞いた事があります

田植えの季節には、山神様は大活躍を期待されたのでしょう

 

 

さて、摩崖仏へ行きましょう。

あれ、説明板が新しくなってる

令和三年三月だって

できたてのホヤホヤだ

 

 

摩崖仏の前には、お不動様です。

橋の名は、この方にちなんだのです。

 

いつもより、摩崖仏がよく見えます

雨風に曝されるのが、高縄の摩崖仏よりウチバだったようです。

阿弥陀如来は、はっきりわかります。

合掌

 

お不動様には、何か文字があります。

ちょっと判読不能

合掌

 

 

説明板にはありませんけど、ここは、粕川の源流近くの滝沢不動尊からの距離が、七十四丁なのです。

一丁は109mだから8066m、約8kmです

滝沢不動尊からの距離を示す丁杭が、目立ちます。

お不動様は、滝沢不動尊との関係で建立されたものでしょう

終点の瀧興寺(りゅうこうじ)には、七十六丁目の丁杭があります

 

 

付近には石造物がたくさんあります。

川原にもありますけど、杉の落ち葉が痛い

靴を履いてないタバちゃんには、ちょっときつい

道ばたの皆さんに合掌です

 

大きな大きな道祖神です

ここは祈りの場所であると同時に、旅人がいっぱい通ったのでしょう

滝沢不動尊に詣でる人たちが、たくさん通ったのです

 

 

北へいくらも行かないうちに、道ばたに七十三丁目の丁杭です。

 

 

次はまもなく左折して、関集会所の近くにもあります。

半分埋まってます。

七の文字まで見えます。

多分、七十二丁です

 

少し先に、鏑木川が流れます。

ちょっと探検です。

後ろ姿で失礼します

「せきばし」です。

 

橋のたもとに、石造物です。

犬の鳴き声がします

 

屋敷神のようです。

滝沢不動尊への丁杭、なさそうだね。

そろそろ、磨崖仏に戻りましょう

 

 

日光裏街道を、少しドライブして帰ります。

また、鏑木川を渡ります。

端の名は「なべさわはし」です。

橋のたもとに、砂防指定地の掲示です。

茶色の太い道・県道上神梅大胡線が、日光裏街道です

藤の大木がきれいな道を通って帰りました

 

初出  2021.05.13   カテゴリー 群馬県・旧勢多郡(白柴タバサちゃんの磨崖仏探訪記2)

改稿  2023.11.29    

 

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日光裏街道総集編31(白柴タバサちゃんの龍興寺参拝記)

2023-11-23 14:09:51 | 日光裏街道総集編

ハイシニアのタバサねーちゃんは、最近、朝ゆっくり寝てます。

ひめちゃんは1人散歩で、諏訪神社の向こうの高台を、突き当たりまで行きました。

南に下って、山上城址公園でモミジの紅葉に逢えました

太鼓橋を渡って帰ります。

太鼓橋、ちょっと歩きにくい

なんとなく劣化

 

 

 

 

龍興寺の記事は何遍かありますけど、タバサねーちゃんとの訪問記でお届けします。

 

今朝からタバサねーちゃんが、「お出かけしようよ

じゃあ、無人スタンドにお野菜を買いに行って、帰りに瀧興寺(りゅうこうじ、桐生市新里町関)に寄ってこよう。

瀧興寺の鐘楼は、佐野の鋳物師が境内に隣接する北東の場所で焼いたといいます

今まで鐘楼に興味なかったね。

ちょっと行ってみよう

 

 

中央小(新里中央小学校)裏の無人スタンドで、ジャガイモとズッキーニとブロッコリーをゲット、代金300円を投入します。

車を北に向けて、瀧興寺到着です。

 

瀧興寺は現在は無住で、どこかの和尚さんが兼務しています。

うれしい表示だけど

 

思ったより、お暑うございます

あれ、木陰の洞においでの皆様です

いい場所ですね

何か物語が生まれそうです

 

 

さて、鐘楼堂へ行きましょう。

まじまじは、初めてです。

佐野の鋳物師さんが境内の隣接地で焼いたのですか

戦時中の供出を免れたんですね

どうして村の重要文化財にならなかったんだろう?

 

 

鐘楼堂付近から振り返って本堂です。

もうじき百合が咲くかな?

境内はよく整備されています

 

 

門柱を出て、振り返ります。

 

お暑うございます

 

 

門柱を出て、元県道である西の道を歩きます。

 

こんな看板もあります

無住と知ってって、捨てていくのかな?

 

お暑うございます

 

ここから境内に戻れるようです

 

道の西側は墓地で、りっぱな和尚さんのお墓も見えます。

そのうちに詣でましょう。

 

 

薔薇も咲いてます

実家では、トゲのある花は仏様にあげてはいけないと教わりました。

でも、今はお寺にも薔薇の咲く時代です

 

裏山の観音様、横から失礼します。

合掌

 

 

梵鐘を焼いた跡は、道の工事で出土したのかな?

ここの東の道は、最近出来た道です。

それまでは、さっき歩いた道が県道で、普通に利用していました。

 

 

本堂前に戻ります。

六地蔵さんを確認です。

お願いいっぱいあるから、回すのはまた今度にしましょう

合掌

 

本堂脇のお地蔵様にも合掌

北に進めば稲荷様、左石段登れば枝垂れ桜。その桜から見る北方に北小学校、南方に関(せき)の集落が見渡せる眺めのとっても良い所。

新しい和尚さん、詩人かな?

 

この龍興寺は、かつては赤城南面にある滝沢不動と深い関わりがありました。

たくさんの人が詣でた、滝沢不動への道の始点が、この龍興寺だったのです。

そして、人々は関の磨崖仏を経由して、滝沢不動へ登っていったのです。

72番が天明2年の百足鳥居、79番が龍興寺、80番が関の磨崖仏です。

 

 

 

初出  2022.06.02  カテゴリー群馬県・旧勢多郡(おねだりタバサちゃん・龍興寺探訪)

改稿  2023.11.23

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日光裏街道総集編30(天明2年の百足鳥居)

2023-11-15 20:40:29 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんは、お散歩の時、グイグイ引っ張って元気にお散歩します。

ちょっとグイグイしすぎたのかな

首の下が皮膚炎になってしまいました。

便利な8の字ハーネスはちょっとお休みして、首に優しいハーネスでお散歩です。

人間は付けるのに戸惑ったり、加減に苦慮していますけど、本人は全く抵抗なく馴染んでます

 

 

 

 

アップできる画像の容量の限度が迫ってます

でも、どうしてもこのシリーズに入れておきたい事を発見した、天明2年の百足鳥居です。

百足鳥居の記事は、「ひめⅢ」にはなかったのです。

新着記事になります

 

先日、風の強い日に、山上の西・相ヶ窪の山上多重塔にちょっと寄り道しました

「山上の多重塔」は、御堂の中にしっかりしまわれています。

かつては、付近の畑の中に埋もれていたとか。

最近、説明板が新しくなりました

塔身には45文字の名が刻まれています。

大意は、

朝廷や衆生などのため、小師の道輪が法華経を安置する塔を建てた。これで無間の苦難より救われ、安楽を得て彼岸(悟りの境地)へ行ける

小師・道輪の人々への思いがこもった塔婆です

 

 

東に架かる雲に誘われて、相ヶ窪の東の道を北上してみました

余計なことですけど、相ヶ窪(そうがくぼ)は僧ヶ窪(そうがくぼ)でしょう

 

さて何処へ行くのでしょう?

舗装道路はなくなり、砂利道になります

豚舎と豚舎(もしかしたら鶏舎と鶏舎)の間を通ります

行き止まりかな

でも行けそう

心細く進みます。

 

ナビに、県道が出て来ました。

県道333号線、日光裏街道です

 

思い切って突っ切ります。

まもなく、細いながらも舗装された道になりました

 

鳥居が出現です

あれは、百足鳥居だ

なんと山上の西端、山上多重塔の東の道は、百足鳥居の正面に出たのです

昔の道はまっすぐではなかったから、たぶん山上の中を通って、百足鳥居をくぐって赤城山に登っていたのです。

山上の町組地区は、昔は宿(しゅく)と言って道の中央に水路が流れ、商店が軒を連ね、紺屋や造り酒屋もあったとか。

関係あるかも

 

鳥居の後ろの道に、ちょっとだけ路上駐車して確認です。

確かに百足が刻まれています。

今は、この先には、踏み跡すらありません

でも、かつては多くの人々がこの鳥居をくぐって、赤城山に登っていたのです

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日光裏街道総集編29(室沢宿・八王子神社だった八雲神社)

2023-11-10 21:06:14 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、昨日久々にお出かけしました。

赤堀(伊勢崎市赤堀町)の小菊の里です

 

今年は少し早めに言ったので、移動販売車の鯛焼き屋さんなどは、まだ準備中でした。

散策している人も、中高年という感じで、子供の姿はありませんでした。

🐕の姿もなく、知らない子とのご挨拶もありませんでした

でも、小菊のウサギに会えました

 

 

 

全徳寺の裏に八雲神社があります。

八雲神社には、安政二年(1856)の常夜灯があるということです

最初に全徳寺を尋ねたとき、駐車場が分からなくて、迷い込んだ事があります

 

村社八雲神社です。

額は「八王子」です

ということは、本来は八王子神社なのですね。

 

八王子神社はウィキペディアによれば、

仏教の守護神である牛頭天王には頗梨采女(はりさいにょ)との間に8人の子(八王子)がいるとされており、おれを祀ったのが八王子神社である。~(中略)~明治の神仏分離の際、これが午頭天王と習合されていたスサノオと天照大神の誓約(うけい)で化生した五男三女神に変えられた。

 

明治の神仏分離・廃仏毀釈の影響ですね。

「八百万の神」によれば、祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)とあります。

 

最古の和歌といわれる、須佐之男命の歌、

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

 

この歌からの命名でしょうか?

 

拝殿前に常夜灯があります。

安政二年を確認です

 

拝殿で参拝です。

落ち着いた雰囲気です。

2礼2泊1礼です

 

拝殿横にも鳥居があります。

愛宕宮です。

火伏せの神様、必要だったのです。

1礼です

 

境内社もたくさんあります。

何様かな?

みなさんに1礼

 

本殿の後ろを通って行くと、また鳥居があります。

天満宮です。

こちらも必要ですね。

1礼です

 

更に東に、また鳥居です。

こちらは額に何もありません。

1礼

 

本殿は落ち着いた森の社です。

 

金比羅宮もあります。

1礼

 

さすが村社、ありとあらゆる神様がおいでのようです

 

明治の神仏分離前は、八王子神社だったのですね。

日光裏街道を通行する旅人には、室沢宿の八王子神社だったのです

 

初出  2021.01.02

改稿  2023.11.10

 

 

 

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日光裏街道総集編28(室沢宿・全徳寺の道しるべ)

2023-11-03 19:39:26 | 日光裏街道総集編

今朝、ひめちゃんは一人散歩で、岩神沼まで行ってきました。

カモさんはいたけれど、ちょっと寂しいね

獅子くんと、よく来たね

 

岩神沼に寄った獅子くんのアーカイブです

 

小次郎パパとタバサねーちゃんも時折寄ってます。

葛塚城の堀切跡を通れば、すぐだったのです。

ひめちゃんが堀切跡の道で2回けがをしてから、遠回りでやって来なければならなくなり、ちょっと遠い沼になってしまいました

でも、みんな大好きな場所だよね

 

 

 

 

ひめちゃんちから北に行って、県道333号線に出て左折すると、まもなく室沢(前橋市粕川町室沢)に全徳寺(ぜんとくじ)があります。

全徳寺は現在無住、山上(桐生市新里町山上)の常広寺が兼務しています。

ここには、「日光裏街道の道しるべ」があるということで出かけてみました

 

道をはさんだ向こう側に、なにやら碑が見えます。

何だろう

其の昔徳川の比此の地室沢は日光街道の宿場で・・・・・・

 

「日光」の文字を確認です

現在の道、県道333号線ができたときの記念碑のようです

 

南側の門柱の方に廻ります。

以前来た時は、駐車場から直接に本堂の方に行って、管理人さんに、お高祖頭巾(おこそずきん)の双体道祖神を拝ませてもらいました

こちらからは、初めてです。

 

おや、早くも門柱の前に「六道能化地蔵大?」、下に右・左とあります。

右左の先は埋もれてしまって分かりませんけど、道しるべになってます

 

おや、もう一基道しるべを兼ねた石造物があります

右・日光道、左・湯沢三夜沢

感激、「日光」の文字があります

 

おやおや、もう一基道しるべになっている庚申塔があります

右・日光、左・三夜沢湯沢

感激、また「日光」の文字があります

 

本来は、もっと道ばたにあったのでしょう。

でも、道しるべを兼ねた石造物が、それもかなり大きめの目立つものが付近にあったのです。

ここは日光裏街道の重要な交差点だったのです

 

久しぶりにちょっと境内を散策です。

今回は、管理人さんのところに寄らずに静かに散策です。

 

本堂の西の薬師堂には、たくさんの石の薬師様です。

かつて寺が賑わった名残ですね

 

初めて、本堂裏に廻ってみます。

 

かなり古めの石仏群です。

 

奥にもう一ヶ所、石仏群があります。

 

振り返ると、りっぱな歴代和尚の墓標があります。

あらたな発見と感動がいっぱいの再訪でした

 

今回はお目にかかりませんでしたけど、2017年の9月訪問した時に逢った「お高祖頭巾の双体道祖神」です

なんともほほえましい二人です

 

 

管理人のおばさんは、「ここに来てから、い全くないよ全くないよ」と言ってました。

仏の力に守られているということでしょう。

おばさん、元気かな?

そのうちにまた声をかけてみましょう

 

初出  2020.12.31

改稿  2023.11.03

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