黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

天神川の謎

2020-10-20 19:34:56 | 天神川の謎

朝、ひめちゃんはおとうさんに叱られました

ひめちゃんは、ハーネスをかじってしまったのです。

ひめちゃんは、ハーネスを付けたままにしておくと、器用にかじって、時にはかみ切ってしまいます

朝のお散歩前に、ミニドッグランに入れてもらって、そのままサークルに戻されていたのです。

今までに、何本のハーネスが犠牲になったことでしょう

 

朝でも、都合で小次郎パパとのお散歩になりました。

堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を目指します。

白いガードレールの辺り、蕨沢川(わらびさわがわ)が流れます。

 

橋を渡って、諏訪神社です。

雲が多いながらも、遠くの山々が見えます。

むむ、おとうだ

 

タバサねーちゃんと獅子丸が、おとうさんを連れて帰ってきました。

 

獅子丸は、黄色いプラスチックの鎖で牽かれています。

実は、獅子丸は、リードを食いちぎって脱走した過去があるのです。

用足しをしながらお散歩したいときに、ちょっとつないでおくのには、食いちぎられない鎖が必要とか。

もちろんお母さんと行くときは、みんなと同じにハーネスで行きます

同じ両親から生まれても、それぞれ性格や技能が違います

 

ひめちゃんとパパは、神社の向こうの高台に行きます

 

北側のサイロの畑は、レタス畑になってます。

西には、榛名山が見えます。

高台の中央を右折して帰ります。

 

赤城山とブロッコリー畑です。

獅子丸が一緒だと、収穫後に落ちている葉っぱに夢中です。

昨日買ったブロッコリーがあるから、今夜は獅子くん大好きなブロッコリーをご飯につけようね

 

畑中を歩いて、神社を過ぎて、おや、きれいになってる

橋のたもとの、百番供養塔と馬頭観音です。

ひめちゃん、なかなかコラボしてくれません。

 

今朝は観音の頭上の馬の顔までよく見えます

文字は、三月二十三日、二月五日、十月三日です。

どういう意味なんだろう

 

蕨沢川を渡って帰ります。

今は蕨沢川ですけど、少し前は天神川でした。

山上城の縄張り図をみてビックリしたものです

本来は天神川だったのです

もしかして、字天神(あざてんじん)が字諏訪(あざすわ)より広いのかな?

 

古い新里の地図で、字(あざ)を確認です。

中央を流れるのは、天神川です。

字天神は、中央下の朱色部分です

字諏訪は左上の赤い部分です。

はるかに、諏訪の方が大きい

では、どうして天神川なのでしょう?

もしかして天神様のほうが、諏訪神社より幅をきかせていた時代があったのかな?

 

常広寺は、竜骨ビジネスだけでなく、天神ビジネスもしていたのかもしれません

 

先日、ひめちゃんとおかあさんは、字天神(あざてんじん)で唯一田んぼでないところ(常広寺の新墓地)で、正徳5年(1715年)の建立の碑文を発見しました。

田中藤左衛門が竜骨を持ってきて、竜骨ビジネスが軌道にのったころです。

この石宮は天神様(いわば竜骨天神)の可能性大です

地名として残るには、正徳5年からだとちょっと遅いかな?

もしかしたら、ここにはもっと古くから天神様があったかもしれません

もしかしたら、りっぱな石宮にリニューアルしたのかもしれません

竜骨を求めて殺到する人々に、お参り対象を広げたのかも知れません

常広寺の焼けた本堂再建がかなったのは、竜骨と天神様のおかげかも知れませんね

 

 

 

 

 

 

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竜骨天神は正徳5年建立

2020-10-17 14:55:56 | 天神川の謎

雨の朝です。

いつもと違うパターンでのお散歩となり、ひめちゃんは一人散歩になりました。

さあ、ケンくんちに行こう

ケンくんは、いませんでした

雨なので室内犬してるかな?

がっかり、失恋ひめちゃんです。

残念、晴れた日にひとりで来ようね

 

ケンくんちの脇の畠道を辿ります。

二ヶ所石造物が転がってます。

一ヶ所はいくつもの石宮と仏様、もう一ヶ所は石がゴロゴロです。

ゴロゴロ石もよく見ると、何かありそうです。

あれ、僧侶の卵形の墓標です。

少し先に、無量寺があります。

往時はもっと境内が広かったでしょうから、さもありなんです。

 

ひめちゃんは、字天神(あざてんじん)の田んぼを歩いて帰ります。

常広寺の新墓地の、石宮様に寄って行きます。

字天神に田んぼでない所は、ここだけです。

地名の由来になった天神様は、ここ以外にはなさそうです

 

おや、ひめちゃんがクンクンしている向こう側に文字を刻んだ石が見えます

正徳五年乙未天十一月吉祥日史雲奉建立

正徳5年は、西暦1715年で、乙未(きのとひつじ)の歳です。

11月の良い日に、史雲さんが建立したのです。

 

あれ、正徳5年は、田中藤左衛門が竜骨を持ってきた翌年です

田中藤左衛門證書寫によると、彼がやって来たのは、正徳4年7月です。

そうすると、常広寺が竜骨ビジネスを始めて、約1年後です

万病に効くという竜骨に、人々が殺到していた時期です

いわば竜骨天神というか藤左衛門天神というか?

 

ふむふむ、竜骨と関係ありそうな石なの

普通に考えると、史雲さんは常広寺のお坊さんです。

このころ、常広寺は9世白彭本明大和尚の時代です。

史雲さんは、白彭本明大和尚なのでしょうか?

今度常広寺へ行ったら、聞いてみましょう

 

竜骨ビジネスも軌道に乗り、少しゆとりが出た頃の建立かな?

 

300年も、天神田を見守ってきたんですね

これからもずーっと見守ってくださいね

そうそう、和尚さんに、折に触れて幣束くらいはあげてくださいとお願いしておきますね

 

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天神さまは何処に?(山上天神の謎)

2020-08-20 16:07:25 | 天神川の謎

ひめちゃん七変化です

お散歩から帰ってハーネスを外すとき、偶然カメラのどこかを触ってしまったようです。

いくつかのバージョンが保存されていました。

やっぱり、いつものひめちゃんがいいよ

 

 

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、山上の天神というところを廻ってきました

 

堀之内を出てすぐに、何やら地名を印した札が見えます

「水田活用の直接支払給付金現地確認立札」とあります。

住所が「山上天神964」とあります。

ここは天神なのです

 

直進して、諏訪神社の方には行かずに、南に下ります。

天神田とあります。

たぶん耕作者が、天神の田んぼという意味で、天神田と書いたのでしょう。

天神田という地名はないようです。

ここは、ビニールの烏が1羽で守ってます

さらに南に下ります。

たぶんこの横の道までが天神です。

右奥の森が、葛塚城の内曲輪です。

まあ、西の堀切跡で、裏鬼門的な位置になる場所でしょうか?

 

田んぼの脇の細道を上ります。

常広寺と城山幼稚園がみえます。

ここも天神ですね。

 

さらに上ると、常広寺の新墓地が見えます。

暑くなってきたね。

早く帰ろう

どうもナス畑も天神です。

 

さっき、天神の文字を確認した所から、堀之内に戻ります。

道すがら、ちょっと忘れられた道を確認です。

今は通る人もいない墓地と墓地の間の、忘れられた道です。

山上後閑地区の掲示板も、うち捨てられています。

でも、かつてここはメインストリートだったのです。

東に向かいます。

宅地の中に石造物です。

道は、この石造物の間、もしくは南側を通っていた?

その先には、後閑(ごか)の薬師堂です。

ここから西への道は、さっきの石造物の所を通って、うち捨てられている掲示板の道を通って、堀之内から西に延びていたのです。

道はまっすぐではなかったのです

 

あれ、ひめちゃんは恐怖の対象を見付けました

まだ夏休みで、子ども達はラジオ体操をしてきたようです。

 

自宅に戻ってから、古い地図を確認です。

古い地図で境界線もはっきりしませんけど、天神をぐるりと歩いてきたようです。

天神というからには、どこかに天神様があるはずです。

そういえば、山上城の東を流れる蕨沢川は、山上城縄張り図だと天神川です

 

天神川の東で、天神様を祀っていたところって何処だろう?

田んぼばっかりだぞ

一箇所だけ田んぼでないところがあります

そう、常広寺の新墓地です

そのうち丹念に捜索してみましょう

 

 

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