黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

いかほろ紀行(水沢観音)総集編・伊香保姫の水沢観音

2019-11-12 20:29:39 | いかほろ紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ました。

ちょうど、向こうから黄色い帽子の集団がやっています。

急遽左折して、田んぼ中の道をくだります。

突然獅子丸が、今までにしたことのない行動に出ます

ひめちゃんに「チュ」という風にみえました

ひめちゃんに、この夏恋の季節はありませんでした。

そろそろ恋の季節が来てもおかしくはありません。

でも、獅子丸や小次郎パパとのお散歩が難しくなります

 

 

 

仁王門をくぐり、階段を上らずに(さっき階段を下りました)脇の坂道を上ります。

本堂手前に赤い鳥居があります。

わあ、気の遠くなるような階段

万葉歌碑があるようです。

万葉歌碑は気になるけれど、パスです。

本堂に参拝したり、御朱印を待っている間に、登っていった人は2人だけです。

水沢山山頂も気になりますけど、又の機会に。

 

 

本堂に参拝です

元気な龍がいます。

天井にも、龍です。

 

全体にどぎつくはないけれど、色彩もはっきりしています

本来のお寺は赤の世界だったのでしょうか?

 

説明板があります。

当水沢観世音は今を去る壱千四百年前の創建にして推古天皇、持統天皇の勅願の古刹にして板東十六番観音霊場として知られる

ご本尊は伊香保姫の御持仏十一面館千手千眼観世音菩薩をご本尊として七難即滅七福即生の御利益顕著なり

 

古刹なんですね

伊香保姫の持仏が、ご本尊なのですね

 

伊香保姫とは、あの高野辺家成(たかのべのいえなり)の三女です。

高野辺家成夫人の供養塔は深津(前橋市粕川町)にあって、何度か行ってます。

 

高野辺家成(たかのべのいえなり)と娘たちの物語を確認です

履中天皇の時代、高野辺家成は無実の罪で上野国勢多郡深津郷(前橋市粕川町深津)に流罪になっていた。夫人との間に若君1人、姫君3人生まれた。若君は成人して都に上り任官を許される。3人の姫は両親と暮らしていたが、夫人が38歳で亡くなってしまう。そこで、信濃国更科から後妻を迎える。やがて、家成は許され都に上る。都に行ってる間に継子いじめが行われるのでした。そのころ、長女淵名姫は、淵名次郎家兼を後見として淵名(旧佐波郡境町淵名)に住み、次女赤城姫は大室太郎兼保を後見として大室(前橋市大室)に住んでいた。三女伊香保姫は伊香保大夫伊保を後見として有馬(渋川市有馬)に住んでいた。

継母の弟更科次郎は淵名次郎と大室太郎を殺し、淵名の館に押し寄せ、淵名姫を利根川に沈めて殺した。大室にも押し寄せたが、赤城姫は赤城沼の龍神に導かれて沼に消える。伊香保の守りは堅固で、伊香保姫は無事であった。都から帰る途中、この話を知った高野辺家成は利根川に身を投げる。都で出世した若君が帰ってきて復讐が成功する。淵名姫・赤城姫・高野辺家成は神になり、犠牲になった従者も神になりました。

だいたいこんな話でした。

いくつかパターンがあるようで、前の話とうまくつながりませんけど、水沢観音の由来です

1400年以上前の履仲天皇の時代、上野国司の3人の姫を継母が殺そうとはかり、三女の伊香保姫を淵に沈めようとしたとき、姫の持仏であった千手観音が人間の姿となって、姫を救ったといいます。

伊香保姫はのちに国司・高光中将に嫁ぎ、その後、推古天皇、持統天皇の勅願により、高麗の高僧・恵灌が開山し、姫の夫・高光中将が創建したのが水澤寺であるといいます。

 

伊香保姫を救った千手観音がご本尊なのですね

 

 

六角堂という建物があります。

六道輪廻の文字がちょっと苦しい

不思議な建物です

説明板を読んで納得です。

六地蔵が六角の台座に安置されているのですね

 

人間界のお地蔵様です。

 

修羅道のお地蔵様です。

こういう形の六地蔵もあるのですね

 

静かに左に三回廻します

 

 

千手観音と地蔵尊の御朱印をいただいて、釈迦堂に向かいます。

 

 

釈迦堂には、数多くの貴重な仏像が安置されていました。

写真撮影が禁止でしたので、自分の脳裏にしっかり焼き付けたつもりです。

また近いうちに桜の季節にでも訪れて、仏像の皆さんを参拝したいです

 

 

帰り道・野田宿から見る赤城山は、いつもとはまったく異なる姿です。

斜め後ろからみても、裾野は長し赤城山です

 

 

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いかほろ紀行(水沢観音)総集編・水沢観音仁王門

2019-11-11 20:59:56 | いかほろ紀行

夕方雨が上がって、ひめちゃんは、七海ママとお散歩に出ました。

むこうから、今朝トラブったクロベイがやって来ます

きちんとおすましで、やりすごせました

おうちに帰ってみると、残されていたのは獅子丸でした

獅子丸と2回目の散歩です。

東の空にほぼ満月の月が上がってます

 

 

 

水沢観音の駐車場から、さっき横目に見た山門(仁王門)に戻ります。

やはり階段を下りて、仁王門から参拝です

うわあ、階段もすごいけど、立派な山門(仁王門)です

手すりは、ありがたい

二階に人の影が見えるような?

 

こんにちは

ケバケバしくもなく、ちょうど落ち着いた色合いの仁王様です。

 

説明板があります。

渋川市教育委員会とあります。

ここは、伊香保は渋川市になったんだ

 

去年の4月に行った旧榛名町の榛名神社は、高崎市でした。

 

いかほろ紀行(榛名神社)は、FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」https://kazenotatutahime.blog.fc2.com  にあります。

 

榛名山の南側・榛名町は高崎市、東側の伊香保町は渋川市に合併したのです。

 

 仁王様の後ろには、風神・雷神が鎮座しています

 

雷神の後ろに、階段があります。

覗くと、わー急すぎる

でも、上ってみるきゃない。

 

地面にほぼ直角の感じの階段でした

這うようにして上ると、上った甲斐があった

中央に釈迦如来、右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が鎮座です

後ろには十六羅漢です

静かに手を合わせます。

ひめちゃんが天寿を全うするまで、生きられますように

 

階下を望むと、ちょっと足がすくむような感覚を覚えます

 

下りるときは、反対側風神の方から下りました。

こちらの方が、少し楽かな

 

改めて見上げると、木鼻のこの子が、ひめちゃんに似ているような印象を受けました

かつては仏に敵対していたけれど、今は仏に帰依して明るく仏を守っているというイメージです。

うん、似てる

 

門をくぐって、境内です。

振り返ると、赤いけれど風景になじんだ仁王門です

本来の寺院は、こんなに赤いものだったのですね

仁王門だけでも、見所いっぱいでした

さあ、境内へ行きまーす

 

 

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いかほろ紀行(水沢観音)総集編・いかほろの歌

2019-11-11 09:56:15 | いかほろ紀行

今にも泣き出しそうな空でした。

ひめちゃんは、獅子丸とお散歩から帰ってきました。

もうすぐおうちというところで、ミックス犬のクロベイと遭遇してしまいました

トラブルを避けている時に、ひめちゃんの後ろ左足はおかあさんに踏まれてしまいました

大変、ひめちゃんは足が地面につけません

抱っこされて帰宅、おうちの中に入れてもらいました。

おうちの中で、元気に朝ご飯です。

よかった

明るく絞り咲の椿が咲き出しました。

 

 

 

 

桃井塚・桃井城から、鬼ヶ橋の信号に戻り、県道15号線をひたすら行きます。

そのうちに水沢うどんの文字を見るようになりました。

山門(仁王門)を脇に見て、奥の駐車場に入ります。

 

付近に万葉歌碑があるようです。

まず、万葉歌碑の確認です。

 

水沢山を背にして、歌碑があります。

あの山の向こうが、二ッ岳です。

1500年前の大噴火の火砕流で、鎧を着た古墳人を飲み込んだのでした

い香保ろの 八坂の堰塞 立つ虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝てば

(いかほろの やさかのいで たつぬじの あらわろまでも さねをさねてば)

 伊香保の山裾にある八尺もある大きな水門(堰塞)からほとばしる水しぶきに朝日が当たって虹がはっきりと見えるようになるまで、おまえと一緒に寝ていられたらどんなに楽しいだろう。是非そうしたいものだな、お前・・・

 

そうか、万葉の時代は庶民も通い婚で、男は夜明け前に帰らなければならなかったのか

 

近くにもう1枚説明板がありました。

厳秀(いかほ)の 八坂の堰塞にあざやかな朝虹が立つ その虹にようにはっきりと二人の仲が知れ渡ってしまってもかまわない それまでも共寝をしたならばどんなによかだろう さあ寝よう 寝ましょう

 

こちらの解釈の方は、ずいぶんと歯切れがいい

 

上野国境野村(現在桐生市内)出身の国学者・橋本直香が安政年間に調査に来たのですね

桐生市境野出身の国学者・橋本直香、知りませんでした

安政年間といえば、世良田の毛呂権蔵が上野を歩いて、『上野国志』を著したころですね

 

採取された民謡だとあります

 

 

『万葉集』巻14は東歌で、3402番から3423番まで22首が、上野の国の歌です。

その中で、伊香保の歌はダントツに多いです

 

 

ついでだから、伊香保の歌に目を通しちゃいましょう

テキストは、講談社文庫『万葉集三』(中西進2012)です。

 

3409 伊香保ろに 雨雲い継ぎ かのまづく 人とおたはふ いざ寝しめとら

    (いかほろに あまぐもいつぎ かのまづく ひととおたはふ いざねしめとら)

 

3410 伊香保ろの 岨の榛原 ねもころに 奥をな兼ねそ 現在しよければ

    (いかほろの そひのはりはら おくをなかねそ まさかよければ)

 

3414 い香保ろの 八坂の堰塞 立つ虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝てば

    (いかほろの やさかのいで たつぬじの あらわろまでも さねをさねてば)

 

3415 上野 伊香保の沼に 植ゑ子水葱 かく恋ひむとや 種求めけむ

    (かみつけ いかほのぬまに うえこなぎ かくこひむと たねもとめけむ)

 

3419 伊香保せよ 奈可中次下 思ひとろ 隈こそしつと 忘れせなふ

    (いかほせよ なか??? おもひとろ くまこそしつと わすれせなふ)

 

3421 伊香保嶺に 雷な鳴りそね わが上には 故は無けれど 児らによりてそ

    (いかほねに かみななりそね はがへには ゆゑはなけれど こらによりてそ)

 

3422 伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといへど 吾が恋のみ 時無かりけり

    (いかほかぜ ふくひふかぬひ ありといえど あがこいのみ ときなかりけり)

 

3423 上野 伊香保の嶺ろに 降ろ雪の 行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり

    (かみつけ いかほのねろに ふるゆきの ゆきすぎかてぬ いもがいえのあたり)

 

22首中8首が伊香保の歌です

どうしてこんなに多いのでしょう?

確かに、採取された民謡かなという感じの歌も、いくつもあります

 

 

 

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いかほろ紀行(水沢観音)総集編・桃井荘の桃井塚

2019-11-10 20:36:04 | いかほろ紀行

ひめちゃんは、昨日の朝、久しぶりにケンくんに逢いました。

あ、ケンくんだ

ケンくんも、ひめちゃんに気づいて、「遊ぼ」の姿勢で待ってます。

でも、獅子丸が一緒です。

獅子丸とケンくんは、ライバルです

ひめちゃんは遊びたいんだけど、獅子くんがいるから、またねバイバイ

 

 

 

水沢観音は、赤城大明神・赤城姫の妹、高野辺家成の三女伊香保姫ゆかりの寺です。

今年の1月21日に訪問した記録です。

 

 

初詣で白岩観音に行った帰路、白岩の道標を確認しました。

「右は みつさわ、左は はるな道」

みつさわは水沢です。

水沢観音は白岩観音と共に、鎌倉時代に設定された、板東三十三番札所なのです

さらに、ご本尊は、あの高野辺家成(たかのべのいえなり)の三女伊香保姫の持仏・十一面千手観世音菩薩だというではありませんか

これは、ぜひに詣でなければ

ということで、(2019年)1月21日に出かけました。

 

地図を眺めると、国道17号線を北上し利根川を渡って吉岡方面に下りれば道なりだと思えました。

さらによくよく眺めると、史跡・桃井塚が少し脇に入るとあります。

桃井塚に寄ってから水沢観音に行こう

 

 

ストリートビューでよくよく見て行ったので、ゴミ収集所に隠れていましたけど、見つけました

説明板もあります。

 

桃井播磨守直常は元弘三年(1333)足利尊氏に従い六波羅攻めに参加し、その後播磨守に任ぜられ、越中国守護に封ぜられた。観応の擾乱では足利直義方につき直義亡き後は南朝方に味方し、貞治五年(1366)足利義政と越中に戦った。直常の終焉については判然としないが桃井荘に隠棲し、ここに没しこの地に葬られたと伝えられている。

 

うーん、りっぱな経歴です

 

実は、ひめちゃんちのある旧新里村にも桃井塚はあるのです。

桐生市のHPによると、

延元3年(1338)に越前(福井県)藤島で激しい戦いとなりましたが、義貞の死によって戦乱は終わりを告げました。義貞の家臣として参戦した桃井次郎尚常は、さらし首となった主君の首級を密かに義昌寺に届け、その後、新川の大屋の地で主君の後を追い、自害したと伝わってます。

どうも別人ですね。

 

新里では、「桃井次郎尚常が新田義貞の首を義昌寺の船田義昌に届け、その後桃井塚で腹を切った」と、ほとんどみんなが信じてます

腹を切る必要はありませんね。

出家して菩提を弔えばいいじゃありませんか。

どうしてもこの話に納得がいきません

 

 

桃井荘の桃井塚から、東を望みます。

赤城山がみえます

裾野は長いけど、ずいぶんといつも見る姿とは異なった形です

 

西を見ると、桃井城です

工事中のようです

榛名山が迫ってます

 

近づいて見ましたけど、やっぱり無理です

残念、またいつの日か

後ろを振り返って、赤城山を望みます

 

赤城山を斜め北西からみているようです。

ひめちゃんたちが見ている形とは、まったく違います

こちらから見ても、本当に「裾野は長し赤城山」です

 

さて、それでは水沢観音目指します

 

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