ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ました。
ちょうど、向こうから黄色い帽子の集団がやっています。
急遽左折して、田んぼ中の道をくだります。
突然獅子丸が、今までにしたことのない行動に出ます
ひめちゃんに「チュ」という風にみえました
ひめちゃんに、この夏恋の季節はありませんでした。
そろそろ恋の季節が来てもおかしくはありません。
でも、獅子丸や小次郎パパとのお散歩が難しくなります
仁王門をくぐり、階段を上らずに(さっき階段を下りました)脇の坂道を上ります。
本堂手前に赤い鳥居があります。
わあ、気の遠くなるような階段
万葉歌碑があるようです。
万葉歌碑は気になるけれど、パスです。
本堂に参拝したり、御朱印を待っている間に、登っていった人は2人だけです。
水沢山山頂も気になりますけど、又の機会に。
本堂に参拝です
元気な龍がいます。
天井にも、龍です。
全体にどぎつくはないけれど、色彩もはっきりしています
本来のお寺は赤の世界だったのでしょうか?
説明板があります。
当水沢観世音は今を去る壱千四百年前の創建にして推古天皇、持統天皇の勅願の古刹にして板東十六番観音霊場として知られる
ご本尊は伊香保姫の御持仏十一面館千手千眼観世音菩薩をご本尊として七難即滅七福即生の御利益顕著なり
古刹なんですね
伊香保姫の持仏が、ご本尊なのですね
伊香保姫とは、あの高野辺家成(たかのべのいえなり)の三女です。
高野辺家成夫人の供養塔は深津(前橋市粕川町)にあって、何度か行ってます。
高野辺家成(たかのべのいえなり)と娘たちの物語を確認です
履中天皇の時代、高野辺家成は無実の罪で上野国勢多郡深津郷(前橋市粕川町深津)に流罪になっていた。夫人との間に若君1人、姫君3人生まれた。若君は成人して都に上り任官を許される。3人の姫は両親と暮らしていたが、夫人が38歳で亡くなってしまう。そこで、信濃国更科から後妻を迎える。やがて、家成は許され都に上る。都に行ってる間に継子いじめが行われるのでした。そのころ、長女淵名姫は、淵名次郎家兼を後見として淵名(旧佐波郡境町淵名)に住み、次女赤城姫は大室太郎兼保を後見として大室(前橋市大室)に住んでいた。三女伊香保姫は伊香保大夫伊保を後見として有馬(渋川市有馬)に住んでいた。
継母の弟更科次郎は淵名次郎と大室太郎を殺し、淵名の館に押し寄せ、淵名姫を利根川に沈めて殺した。大室にも押し寄せたが、赤城姫は赤城沼の龍神に導かれて沼に消える。伊香保の守りは堅固で、伊香保姫は無事であった。都から帰る途中、この話を知った高野辺家成は利根川に身を投げる。都で出世した若君が帰ってきて復讐が成功する。淵名姫・赤城姫・高野辺家成は神になり、犠牲になった従者も神になりました。
だいたいこんな話でした。
いくつかパターンがあるようで、前の話とうまくつながりませんけど、水沢観音の由来です
1400年以上前の履仲天皇の時代、上野国司の3人の姫を継母が殺そうとはかり、三女の伊香保姫を淵に沈めようとしたとき、姫の持仏であった千手観音が人間の姿となって、姫を救ったといいます。
伊香保姫はのちに国司・高光中将に嫁ぎ、その後、推古天皇、持統天皇の勅願により、高麗の高僧・恵灌が開山し、姫の夫・高光中将が創建したのが水澤寺であるといいます。
伊香保姫を救った千手観音がご本尊なのですね
六角堂という建物があります。
六道輪廻の文字がちょっと苦しい
不思議な建物です
説明板を読んで納得です。
六地蔵が六角の台座に安置されているのですね
人間界のお地蔵様です。
修羅道のお地蔵様です。
こういう形の六地蔵もあるのですね
静かに左に三回廻します
千手観音と地蔵尊の御朱印をいただいて、釈迦堂に向かいます。
釈迦堂には、数多くの貴重な仏像が安置されていました。
写真撮影が禁止でしたので、自分の脳裏にしっかり焼き付けたつもりです。
また近いうちに桜の季節にでも訪れて、仏像の皆さんを参拝したいです
帰り道・野田宿から見る赤城山は、いつもとはまったく異なる姿です。
斜め後ろからみても、裾野は長し赤城山です