夕方は、強い風の中のお散歩になりました。
ひめちゃんは、小次郎パパ&タバサねーちゃんと、堀之内を北に出ました。
昔、「風に向かって走ろう!」なんてスローガンがあったけど
高縄の摩崖仏のあたりを回って帰ります。
ここらへんにも、古墳の石がいっぱいあるように感じられます。
要害神社の後、同じ高津戸の自音寺に寄りました。
2,3年前に、角塔婆を見せてもらおうと寄りました。
ご住職が言われるには、「大間々町史では、角塔婆ということになっているけど、ちょっと疑問があって今は公開していません。」という事でした。
今日も元気に旗めいています
駐車場から本堂目指します。
おや、浮彫立像の六地蔵です
本来の下の部分は失われて、違う石で代用されているようです。
古い石造物が寄せ集められている所にも、浮彫立像の六地蔵です。
こちらは『大間々町史別巻七石造物篇』に写真が載っています
隣のお地蔵様はこれまたユニークなデザインです
今回はこの馬頭観音がひときわ目を引きました
朱がのこってるし、馬面で頼もしそうです
そばにも馬頭観音の石造物がいくつかありました。
表現の仕方はいろいろあるのですね。
指示に従って、本堂脇から四国遍路開始です
結構まわりでがあります。
でも一つとして同じ像はありません。
当たり前と言えば当たり前ですけど。
全部カメラに収めるのもちょっとと思っているうちに終盤に入ってしまいました。
でもけっこうな枚数です。
今回は自音寺のご本尊と同じ十一面観音とおもわれる像をアップします。
屋島寺(やしまじ)は、あの平家物語の屋島ですね
先代の住職と親子二代で、四国八十八ヶ所の霊場の砂をいただいてきて、それぞれの像の前に埋めてあるそうです。
本堂に行って御朱印をいただきます。
「要害神社で、自音寺の和尚さんが四国の金比羅様を勧請してきたとありましたけど。」というと、
「高津戸は昔は、神社は要害神社お寺は自音寺と決まっていたものだけど、時代が変わって新しい人も増えて、そうもいかなくなって」
実はこちらのご住職は、常広寺のご親戚だそうです。
脳梗塞のリハビリに、毎日草むしりをして手を動かしてなおってしまったおばあちゃんの話など、いろいろためになる話も伺いました
さっき気になった阿弥陀堂も、帰る方角です。
寄っていきます
ひめちゃんは、小次郎パパ&タバサねーちゃんと、堀之内を北に出ました。
昔、「風に向かって走ろう!」なんてスローガンがあったけど
高縄の摩崖仏のあたりを回って帰ります。
ここらへんにも、古墳の石がいっぱいあるように感じられます。
要害神社の後、同じ高津戸の自音寺に寄りました。
2,3年前に、角塔婆を見せてもらおうと寄りました。
ご住職が言われるには、「大間々町史では、角塔婆ということになっているけど、ちょっと疑問があって今は公開していません。」という事でした。
今日も元気に旗めいています
駐車場から本堂目指します。
おや、浮彫立像の六地蔵です
本来の下の部分は失われて、違う石で代用されているようです。
古い石造物が寄せ集められている所にも、浮彫立像の六地蔵です。
こちらは『大間々町史別巻七石造物篇』に写真が載っています
隣のお地蔵様はこれまたユニークなデザインです
今回はこの馬頭観音がひときわ目を引きました
朱がのこってるし、馬面で頼もしそうです
そばにも馬頭観音の石造物がいくつかありました。
表現の仕方はいろいろあるのですね。
指示に従って、本堂脇から四国遍路開始です
結構まわりでがあります。
でも一つとして同じ像はありません。
当たり前と言えば当たり前ですけど。
全部カメラに収めるのもちょっとと思っているうちに終盤に入ってしまいました。
でもけっこうな枚数です。
今回は自音寺のご本尊と同じ十一面観音とおもわれる像をアップします。
屋島寺(やしまじ)は、あの平家物語の屋島ですね
先代の住職と親子二代で、四国八十八ヶ所の霊場の砂をいただいてきて、それぞれの像の前に埋めてあるそうです。
本堂に行って御朱印をいただきます。
「要害神社で、自音寺の和尚さんが四国の金比羅様を勧請してきたとありましたけど。」というと、
「高津戸は昔は、神社は要害神社お寺は自音寺と決まっていたものだけど、時代が変わって新しい人も増えて、そうもいかなくなって」
実はこちらのご住職は、常広寺のご親戚だそうです。
脳梗塞のリハビリに、毎日草むしりをして手を動かしてなおってしまったおばあちゃんの話など、いろいろためになる話も伺いました
さっき気になった阿弥陀堂も、帰る方角です。
寄っていきます