黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

高橋守行の記録「林中に小社あり」が創始・今泉諏訪神社

2020-09-14 16:08:51 | 群馬県・旧桐生市

今朝は小雨でした。

「さあお散歩に行きましょう」と、お部屋のドアを開けてもらうと、ひめちゃんは隙をついてミニドッグランに突進です

しばらく、草を食べてから御用となり、ランのフエンスで獅子丸を待ちます

獅子丸と北の方に行くと、後ろからだれかやって来ます。

ひめちゃんは、鉛のように重くなり動きません。

小次郎パパとタバサねーちゃんが、おとうさんを連れて追い越して行きます。

 

 

日限地蔵尊と道を挟んで斜め西北に、神社があります。

行って見ましょう

鳥居をくぐると、不思議な勧誘です。

諏訪神社奉賛会ですか?

いまこの神社を維持しているのは、氏子ではなく、奉賛会なのですか

 

本殿に進みます。

右の狛犬です。

左の狛犬です。

四角い顔が特徴です。

拝殿には龍と鳳凰です。

龍もさることながら、鳳凰が実に生き生きしています。

 

拝殿前に説明板です。

今泉村の生んだ史家高橋守行の「今泉古事談」の記述中、天文年中(1532~1554)に岩崎大六所有の林中に小社有りと記されるのが創立と思われる。

ええッ、あの『桐生老談記』の作者・高橋守行さんの記録にあるのですか

『桐生老談記』は、約1年をかけてFC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」で、なんとか読み終わりました

 

不思議な事に、山上の山上氏は一度も出てきませんでした

膳城の膳氏は何度か出てきました。

そういえば、膳氏が山上の諏訪神社に集結して、桐生氏との戦いに出て行った事もありました。

不思議なつながりですね。

 

今では両社とも、桐生市の諏訪神社です。

『桐生老談記』にしかのってないという細川内膳の物語(『桐生老談記』にみる細川内膳)には、たくさんのご訪問ありがとうございます。

その作者が、ちょっと顔を見せました

ここは、彼のホームグラウンドだったのです

今泉村はなくなってしまいましたけど、ここは今泉村だったのです。

 

心を込めて、2礼2拍1礼で参拝です

 

本殿(奥の院)も覗かせていただきます。

 

 

境内社にも参拝です。

 

機神社です。

 

能書稲荷神社です。

字が上手な事が商売繁盛につながるのかな?

 

 

その隣は社務所と神楽殿かな?

 

 

本殿前にも石宮が集まってます。

写真がボケボケになってしまいましたけど、薬神社のようです。

 

 

このあたりは、『桐生老談記』の作者・高橋守行さんのホームグラウンドだったんですね

 

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弥勒寺音八の龍(桐生日限地蔵尊・観音院)

2020-09-12 16:04:19 | 群馬県・旧桐生市

妹の恋路の邪魔をする犬です

今朝、ひめちゃんは久しぶりにケンくんと会いました。

でも、獅子丸が戦闘モード全開

ひめちゃんはケンくんと、楽しいひとときを過ごせませんでした

せっかく、逢えたのに

 

ひめちゃんと獅子丸は、字天神の田んぼを廻って返ります。

 

獅子丸の排泄物をかたづけていると、甲斐犬を連れたおばさんがやって来ます

このおばさんは挨拶をしない人です。

獅子丸は戦闘モード全開です

脇道もあるのに避けずにやって来て、平気で通り過ぎます。

 

「人生いろいろ、犬生もいろいろ」ですけど、最近は挨拶しない人が増えました

挨拶しても、シカトされる事がしばしばです

願わくは、犬を連れた者同士、明るく挨拶したいものです

 

今朝の赤城山は、なにやら心配な雰囲気です。

小次郎パパとタバサねーちゃん、元気に帰ってきました

 

 

 

前小屋天神の書画会に参加した、渡辺崋山の妹の墓は、桐生の観音院(日限地蔵尊)にあるという事です。

桐生の観音院本堂向拝には、淵名の名工・弥勒寺音八(みろくじおとはち)の龍がいます。

本堂の欄間3枚も弥勒寺音八の作品だという事です。

いつか訪れたときは、法事が始まる直前で、写真もボケボケでした。

 

ちょっと気になって出掛けてみました。

仁王門と仁王様です。

金網越しでないのはいいですね

 

仁王門をくぐると、もう見所いっぱいです

 

右手には、四国八十八ヵ所霊場お砂踏みです。

「南無大師遍照金剛」唱えながら、廻りました

 

左手には石造物がいっぱいです。

踏まれている邪鬼がなんともかわいい、青面金剛です

 

境内の案内図があります。

 

左手の鳥居は弁財天です。

なんとなく水路があります。

水が流れているともっとよかったかな。

 

右手を見ると、「靴を脱いで歩くと足腰の健康と長寿が得られます。」

もちろん、靴を脱いで歩きました

 

左手には六地蔵です。

こういう形の六地蔵もいいですね。

合掌

 

六地蔵の後ろの建物、御朱印を受け付けています。

御朱印をお願いして、その間に本堂に参拝です。

 

まずは向拝の龍です。

生き生きした躍動的な龍です

さすが弥勒寺音八の作品です

 

本堂内に失礼します。

ご本尊の前でまずは合掌

 

欄間の彫刻です。

このときは、しっかり失念していたのですけど、天井絵もあったのです。

少しだけ映ってます。

こんど行ったら天井絵も忘れずに、カメラに収めましょう。

 

そろそろ御朱印できてるかな?

 

今回いただいた御朱印です。

月替わりの御朱印もありますけど、今月分は終了だそうです

来月の分は受付中だそうです。

まあ、予約というのもちょっと。

予約はしてきませんでした。

 

あれ、肝心の日限地蔵尊の写真がありません

 

 

前回の写真で探してみましたけど日限地蔵尊は映ってません

前回の御朱印です。

 

3度目は、日限地蔵尊にしっかりお会いして、本堂の天井絵も確認してこなくては

 

昔、この地域にあった大きな機屋の主人の夢枕にお地蔵様が現れ、「世の人々を守護するため、何日なりと日を限って願かけすれば必ず願望を叶えよう」とお告げがあったそうです。

それで、日限地蔵尊なのです。

その日は毎日24日だそうです。

いつか24日に出掛けてみたいものです

 

 

 

 

 

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薗田成家勧請・東小倉の赤城神社

2020-07-06 22:35:03 | 群馬県・旧桐生市

ひめちゃんは、どうも恋の季節まっただ中です。

七海ママに迫って、叱られました。

ママは、幼いひめちゃんに、「恋の季節はママと特に仲良くするのよ。」と教えました。

ひめちゃんは、本能とは別に、そう信じていました。

でも、さすがにママも16才、自分が恋の季節でフェロモンをまき散らしても、そんな気はさらさらないようです。

 

雨で、ひめちゃんたちの写真がありません。

黒柴ひめちゃんたちのピンチヒッターで、黒いヘメロカリスです。

光の加減で、本当に黒く見えます

ひめちゃんちには、雨にも負けず、まだまだヘメロカリスが元気に咲き誇ってます

 

 

崇禅寺からの帰りに、いつもとは違う道を選びました。

というか、なんとなく、ちょっと横道に入ってしましました。

おや、薄暗い道に派手目の看板です

関東ふれあいの道ですって

そんな道があったんですか

あれ、宗禅寺です

崇禅寺ですよね

 

地図だけ拡大します。

小倉石幢って、気がつきませんでした

角塔婆がある東禅寺もそばです。

 

ここはバス停です。

赤城神社というバス停です。

では、赤城神社は何処に?

 

右手の草深い森の上です。

行ってみましょう

鳥居の右の柱の下に、赤城神社の額があります。

落ちたまま、掲げられなかったんですね

もしかしたら東北大震災の時かな?

ひめちゃんちの近くの諏訪神社も、一の鳥居が崩れ落ち、諏訪神社の額は二の鳥居に付いてます。

手水鉢もちょっと寂しい。

狛犬はいないようです。

灯籠は二基あります。

 

階段を登りきると、説明板があります。

薗田太郎成家の創立と伝わるとあります

あの崇禅寺の開基・智明上人の俗名は、薗田太郎成家です

昔、鹿の食害で農民が難儀しているのをみた成家は、良田三町を鹿田と名付けて鹿の餌場としましたが、旱魃の日界にあって困り、阿ヶ儀明神に雨乞いをしました。すると大雨が降り、護国が豊かに実りました。これを感謝した成家は、東小倉に村の鎮守として赤城明神を勧請し、その後寛延年間(1748~1751)に現在の地に遷宮されたと伝えられています。

設置者は、環境省・群馬県です

けっこうすごい史跡なのですね

 

社殿は地味な建物のようですけど?

後ろを覗くと、本殿がちゃんとあります

さすが、環境省・群馬県の説明板がつくだけのことはあります

 

昔、桐生市内の職場に通っていた頃、ここの近くの小倉峠を通りました。

小倉峠は、毎朝渋滞の起きる難所でした

そのころは、ここ小倉村にこんな歴史があったなんて思いも寄りませんでした。

知ってたら、小倉峠のイメージも違ったことでしょう

 

 

 

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弥生つごもりの境野諏訪神社

2020-04-27 20:50:51 | 群馬県・旧桐生市

昨日の夕方、ひめちゃんは小次郎パパと南の方にお散歩しました。

あれ、見たことあるお二人様がやってきます。

先に出た獅子丸とタバサねーちゃんです。

獅子丸は、「ひめ」と駆け寄ろうとして、はたと気がつきました。

パパがいたのです

なんとも表現のしようがない顔をしています。

タバねーちゃんと先に帰っていてね

 

ふと道ばたを見ると、三つ葉ツツジかな

ちょっとピンクぽいけど

 

そこで思い出しました

小俣の三つ葉ツツジの自生地に行った帰り、境野の諏訪神社に寄ったのです

遅ればせながら、弥生のつごもりの境野諏訪神社レポートです

 

 

2020年3月22日、小俣からの帰りです。

恵性院の駐車場から自宅をナビに入れます。

桐生川に架かる両国橋を渡り、桐生市境野町に入ります。

気になる神社があります。

急遽寄り道です。

脇から入って、境内に駐車です。

鳥居に廻って、入り直します。

諏訪神社です

ひめちゃんたちも、近くの諏訪神社はよくお散歩しています

元気がでそうな、ビビッドレッド使いの社殿です

灯籠・狛犬にもビビッドレッドです。

拝殿で参拝です。

祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)です。

ひめちゃんちのそばの諏訪神社の祭神も、建御名方神です。

本殿はかたく閉ざされているようです。

奥に、「東北大震災復興祈願」の石柱があります。

神社が、ぐっと生きてきました

あの日、桐生市内も立っていられない程の揺れでした

 

これ以上奥に行けそうもないので、反対側に廻ります。

児童公園になっているんですね

 

神社の由緒等の説明板はありませんけど、殺風景な木に「諏訪神社のハルニレ」と標柱があります。

季節柄本当に殺風景だったので、見上げた写真を撮ってきませんでした

桐生市のHPによると、樹高15メートル樹齢200年以上とあります

今度行ったら、きっと見上げます

 

石造物も立派で華やかでした

 

立派な神楽殿もあります

境内には、人気が無いのに車が何台もありました

 

弥生つごもりで、桜が咲き出したところでした

かなりの古木のようです

神楽殿と桜のコラボいいですね

神楽と桜のコラボはもっといいですね

 

『桐生老談記』によると、小俣城で敗退した上杉勢は、膳城に退くときに、ここらへんを通ってます。

物語の世界の話で、史実かどうかは別問題ですけど。

これから、膳城の隣山上城、そのまた隣の葛塚城・堀之内に帰ります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ホワイトタイガーのいる山門(不老山観音寺)

2019-10-06 15:27:33 | 群馬県・旧桐生市

今朝の赤城山には、重く雲が立ちこめていました。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ました。

向こうから見かけないグレーの小さな子がやって来ます。

ひめちゃんと獅子丸は、臨戦態勢です

「おはようございます。男の子ですか?。」

「女の子です。」

その子はシッポを振ってます。

獅子丸は警戒を解きません。

「バイバイ、またね

異性でも、即ご挨拶ということにはならない時もあるようです。

 

 

 

少し前になりますけど、桐生市川内で、偶然「観音寺」という表示が眼に入りました。

まったく予備知識のないお寺でした。

駐車場から見回すと、茅葺き(かやぶき)のクラシックな門が見えます。

桐生市のHPで見たことがあります

わー、ここだったんだ

左右のお地蔵様も、首はご無事のようです

 

見上げると、龍がいます。

門をくぐって見上げると、ホワイトタイガーです

聖獣白虎というより、ホワイトタイガーです。

微笑みのホワイトタイガーです

 

山門の説明板があります。

寛永四年(1627)近江国比叡山延暦寺の僧実呼が下仁田山村に錫を留め、荒廃した古寺を再興し、翌寛永五年武蔵国寛永寺一世天海から不老山薬師院観音寺の寺号を給わったという補任状が残されている。この山門はその頃に建立されたものであろう。

そうなんですか

 

鐘楼堂です。

 

本堂を目指します。

弁財天があります

 

本堂の右の高台にも、説明板があります。

観音寺石幢、永正9年(1512)の銘があるそうです。

肉眼ではちょっとわかりません

享徳の乱、長享の乱、永正の乱と続いて、世は戦国時代に向かってます

逆修で、生きているうちに自分の冥福を祈った功徳主は、どんな人だったのでしょう?

 

さて、御朱印を頂いて帰りましょう。

庫裏を尋ねます。

「本日は、住職不在のため御朱印はお出しできません。」

「では、またの機会に。」

残念、また来ましょう

 

すぐ後ろに川が流れます。

山田川の山田橋です。

もうじき渡良瀬川と合流します。

 

 

後日、また尋ねました。

あいにく、この日も住職は不在でした。

まだ、御朱印はいただけていません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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