黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

石田橋と兵庫塚橋

2022-04-15 15:16:10 | 石田川物語

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

堀之内を西に出ます。

行く手には霞がかかって、よく見えません

諏訪神社境内を通って帰りましょう。

タバサねーちゃんも一気に、ピョンピョンピョンと階段を登ります。

霞がかかった境内を抜け、蕨沢川にかかる2番目の橋を渡って帰ります。

道ばたには、早くもダッチアイリスの開花です

ひめちゃんちのダッチアイリスは、まだ固い蕾です。

 

川沿いの石仏群に、道祖神の文字が見えます。

かつては、たくさんの人々の往来する幹線道路だったのかもしれません

 

「しっかり歩きました。ご褒美くださいな

静かに催促するタバサねーちゃんです。

ひめちゃんは、遠慮なくタバサねーちゃんの前に出て、「お先にいただきます

 

 

 

 

4月4日、所用があって新田に出かけました。

何となく県道315号線を南に下り、何となく上江田(太田市新田上江田町)あたりで左折、東に向かいます。

 

あれ、橋の名は「いしだはし」ですって

川は石田川です

右上に見える桜の森は、もしかして江田館跡では

 

急遽、予定変更です。

桜咲く江田館跡に、寄って行きましょう

 

あれ、城内は桜の乱舞という感じではありません。

 

そういえば、2月に立ち寄ったことがありました。

館跡前の道を、西に向かいました。

そして、石田川に架かる兵庫塚橋(ひょうごつかはし)を渡って帰りました

 

兵庫塚橋から南に見えるあの橋が、石田橋だったのです

後日、あの橋を何の気なく渡ったのは、奇遇でした

ここが、菜の花の咲く石田川になっていたのです

 

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桜の妙参寺沼

2022-04-11 16:24:41 | 石田川物語

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

諏訪神社の前を通って、西の沼を覗きます。

あれ、今朝はシラサギさん、いました

小さな沼で水も大分汚れています。

でも、エサになる小魚がいるのかな?

沼を廻って北に進路を取ります。

かつての山上の蓮田(蓮の花が咲いていた田んぼ)は、雑草の海です

今年は蓮の花はもう咲かない雰囲気です

蕨沢川を渡って帰ります。

途中で見かけたしだれ桜、きれいです

いいね

今度はしだれ桜も植えてみようか

 

 

 

4月1日、矢太神水源・ほたるの里公園から南に下ります。

石田川の最初の橋を、確認するためです

 

道なりに下ると、妙参寺親水公園です。

ちょっと寄って行きましょう

以前にもここまでは来た事があります。

でも、案内板が新しくなってるみたいです。

右のPが現在地です。

公園の散策は初めてです。

 

ちょうど桜が満開です

沼が見えてきました。

散策の人影もちらほら

水鳥の姿もあります

浮島もあります。

次回訪問したときは、向こう側のPに駐車して、浮島に行ってみましょう。

本来の目的を忘れてはいけません

いい雰囲気です

あれ、こんな看板も

カメラをもった小学生らしい姉弟とすれ違います。

「こんにちは

「こんにちは

明るく挨拶を交わします。

 

 

沼の西側に、立ち入り禁止のロープがありますけど、赤い新しい鳥居です。

水神様か、弁天様かな?

 

 

妙参寺沼があるのだから、近くに妙参寺があるはずです。

『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成14)に、ありました

妙参寺は、新田町大根字新屋敷にある妙参寺沼に東接して存在した曹洞宗の寺で、山号を円満山とする。妙参寺は上江田村の曹洞宗龍得寺の末で、慶安二年(1649)、僧楚俊によって開かれた寺であり、開基は伊野塚隼人である(『上野国郡村誌』)。本堂は明治二十年(1887)に焼失してしまった。再建された堂宇は、間口五間三尺、奥行き四間三尺であったというが(『綿打村郷土誌』)、現在は本堂・庫裏等は存在しない。

~中略~

この妙参寺については、次のような悲しい伝承が残されている。

昔、大根のある家へ、太田の東門といわれる家から嫁が来た。ある日、近所のおかみさんたちが、ご祝儀見舞いに来たので、嫁さんがお茶を出した。

それを聞いた姑は、「屁っ臭いお茶を、おあがりなんしょ」と言って座したという。近所のおかみさんたちは、姑の悪口と思っていたが、嫁さんは恥ずかしく思い、自殺してしまった。後悔した姑は、回心して、諸国を巡礼して回り、罪滅ぼしに嫁を供養するための寺を建てたという。

 

この次は、ぜひとも南側に駐車して、妙参寺の面影を探しましょう

 

 

 

駐車場に戻り、西側にある石田川最初の橋を確認です

 

橋の北側の流れです。

左のあぜ道の先に、矢太神沼があります。

 

橋の南の流れです。

石田川は、これから東南の方角に流れ流れて、やがて刀水橋付近(太田市古戸町)で利根川に合流するのです

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桜の矢太神水源(石田川物語・第一章)

2022-04-09 16:40:26 | 石田川物語

ひめちゃんんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出て、菜の花の道を北上します。

高縄の集会所を廻って、桜の古木のあぜ道を帰ります。

満開です

獅子くんにも、見せたいね

 

振り返って赤城山です。

赤城山は春霞の向こうです。

獅子くんがいないのは寂しいけど、みんなの大切な春景色です

 

 

 

4月1日、矢太神水源脇の駐車スペースには、人影はないけれど、車が2台駐車しています。

仕方なく、矢太神ホタルの里公園の駐車場に駐車して、歩きます。

中央の通路を北上、矢太神沼に回り込みます。

公園の桜は満開です

 

水源にも、満開の桜です

 

説明板を確認です。

新田荘の開発に石田川の水が利用されたことがわかります。矢太神水源は、石田川の源流である事から、新田荘の開発に遊水池の水が利用されたことを証明する貴重な史跡です。

 

 

水源の一番奥です。

今までは、気にしたことはありませんでした。

ここがわが故郷の川、石田川の生誕地なのですね

 

桜の矢太神水源です

沼の西側のあぜ道を、石田川の出口まで歩いて見ましょう。

 

振り返って水源です。

 

滔々と水をたたえて、石田川は流れ始めます

 

矢太神池の出口が見えてきました。

石田川が流れ出してます

 

振り返って、桜の矢太神水源です。

 

ここから、一級河川・石田川が流れ出すのです。

ちょうど駐車場の真西辺りですけど、橋がない

飛び越えるには、ちょっと不安があります

逆回りで駐車場に戻ります。

 

駐車場に戻る途中、ふと見ると沼があって、シラサギがいます

人が訪れることに慣れているのかな?

足音にもカメラの音にも、無関心です

 

駐車場に戻り、さっきの沼を確認です。

千五郎池です。

少し下流にある第二の橋付近を、散策して帰りましょう

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美濃谷戸沼の水神様

2022-04-07 19:57:25 | 石田川物語

朝、サークルのドアを開けた途端、ひめちゃん大脱走です

でも、行った先はミニドッグランです

思いっきり走って、精悍そうないい顔してます

ずっと野生児という訳にもいかず、仕方なくハーネスを付けます

でも、タバサねーちゃんと元気にお散歩に出ます

東の牧場を通って上のタケイ沼を廻って帰ります。

サマンサ坂を通って帰ります

 

 

 

 

4月1日、久しぶりに、わが故郷の川・石田川の水源、矢太神水源(やだいじんすいげん)を尋ねます。

付近の地図を確認すると、一本上の道に神社のマークがあります

ちょっと寄って行きましょう

 

 

赤い元気な新しそうな鳥居です

鳥居の額は「水神様」です。

赤城山がよく見えます

「湧水池保全のため水位の観測をしています。新田環境みらいの会」ですって

 

「あぶない」の掲示は、文字が見えないほどに劣化しています。

古くからの湧水池で、でも近年は水位が下がってるのかな?

 

ガマか何かの水草が生えてきそうです。

中央に浮島かな?

赤城山と菜の花と湧水、いい雰囲気でコラボしています

 

湧玉という感じではないけれど、さざ波が立ってます。

湧いていそうです

 

桜咲く水神様に、2礼2拍1礼です。

もしかしたら、近年まで水神様の文字塔だけだったかな?

 

沼の出口、水がない

 

鳥居の裏に、たくさんの人名があります

「美濃谷戸沼保存会役員」の文字もあります。

ここは美濃谷戸沼ですね

「美濃谷戸沼水神様」の文字もあります。

ここに祀られているのは、美濃谷戸沼の水神様です

 

谷戸(やと、やつ)を検索すると、

谷間、湿地のこと。とくに武蔵と相模で多く使われている語。同様の語として鎌倉や下総での〈やつ(谷、谷津)〉、東北地方や北海道で非常にに多く使われている〈やち(谷地)〉がある。いずれもアイヌ語起源とされる。《常陸国風土記》には、谷戸を支配している蛇神の〈夜刀(やと)神〉が現れて、開発を妨害した話が収められている。古代以来、このような水湿の地は水田適地とされ、かっこうの開発対象となった。谷戸は湧水を用水とすることができ、小規模な開墾が可能であったから、とくに中世には、谷戸のような谷の開田が盛んに行われ、中世の代表的な耕地景観をつくりだした。

とあります。

 

ここは、新しくて古い神社というか、湧水、谷戸です

『新田町誌基礎資料第8号 村々の沿革と絵図』大根村(おおねむら)に、美濃谷戸があります

あれ、矢太神水源から流れ出る石田川に、合流しています

石田川物語番外編かと思いましたけど、石田川物語です

それでは、矢太神水源に向かいましょう

 

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菜の花を川面に映して

2022-03-24 16:27:23 | 石田川物語

今朝、ひめちゃん大脱走です

でも、行く先はだいたいミニドッグランです

 

十分遊んだかな、お散歩に出るよ

もっと遊びたいけど、しゃあないお散歩に行きます

 

ひめちゃんはタバサねーちゃんと、堀之内を西に出て蕨沢川を渡ります。

桜がきれいに咲いています

橋のたもとの馬頭観音&百番供養塔、一年で一番華やかな時節です

 

諏訪神社の向こうの高台を歩いて帰ります。

タバサねーちゃん、クンクン情報収集中です。

あれ、赤城山の一番東の峯、煙が上がってるよ

でも、きっと雲だね

 

 

 

本日、実家のお墓参りに行ってきました。

実家も既になく、実家のお墓も整理整頓されて、かつての広い墓地の面影はありません。

ちょっと寂しいお墓参りです

 

今日は、国道17号線(上武道路)から回り込みます。

まず「道の駅おおた」で、ちょっとお買い物です。

ここは確かに太田市ですけど、近年まで尾島町でした。

もと尾島町民は、以前はちょっと違和感がありましたけど、最近は慣れてしまいました。

そこそこの人出です

 

 

さて、道の駅からまもなく実家の墓地です。

入口の石仏さんたちにも、お線香と団子が上がっています

子どもの頃は見なれた光景でした。

久しぶりの光景です

 

 

実家の墓地はかつてはかなり広くかったのですけど、今は整理されてかなり縮小されています。

広いばかりがいいことではないけれど、ちょっと寂しさを覚えます。

 

ご先祖様の墓石も、ずーっとここに居て欲しいと願った場所から動かされています。

時の流れで仕方がないのかも知れませんけど、ちょっと悲しい。

心を込めて、合掌

 

 

ここは、成就院跡です。

かつては、成就院無量寺という、世良田普門寺末のお寺だったと言います。

寺の由緒は不明であるが、境内には明徳元年同三年の宝篋印塔基礎が現存する。大正二年普門寺に合併し廃寺となる。

 

明徳(1390~1394)は、南北朝が統一された時期の年号です。

ずいぶん古からパワースポットだったのです

 

子どもの頃、御堂の中でのお葬式の記憶があります。

さて、またそのうちに伺います

何となくお墓参りがしたい時もありますので

 

 

来る道すがら、国道17号線に沿って流れる石田川が菜の花でいっぱいなのが見えていました

帰り道、実家近くの若宮公園に寄ってみましょう

 

菜の花に逢えるかな?

 

若宮公園駐車場近くの、菜の花の石田川です。

 

道を渡って、西の方(上流)に行ってみます。

ここらへんは、子どもの頃よく遊びました。

赤城山が見えます。

まさかあの山の麓の住人になるなんて、思いも寄らないことでした

 

正面には、榛名山も見えます。

あれ、川面に菜の花が映ります

 

少し行くと、左手には粕川会館です。

桜も、もうじき咲きそうです。

 

さて、ひめちゃんたちが待ってるから、この辺で帰りましょう。

Uターンして、若宮公園駐車場に戻ります。

わが故郷の川・石田川、菜の花を川面に映して流れていました

 

 

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