我が家の庭に柚子が実っている。実は柚子かどうか分からない。たえてこの庭の果実を食味したことがないからである。ただ、柚子ではなくともなにかの柑橘類であろう。まあ、細かいことにはこだわらないでおこう。時が経つのは早い。ついこの間まで暑い暑いと言っていたような気がしていたが、早くも冬がついそこまで迫っている。「柚子」の実のなり具合を夜の庭に出てみて、満足気に眺めてみる。
夜の柚子で思い起こすのは、千利休にまつわる次のような逸話である。ある冬の夜、利休が大阪から堺に下がる折、ある商家の茶人の家の前を通りかかった。雪がしんしんと降っており寒気が厳しい。疲労も感じる。火の気が恋しく、暖かい屋内で茶の一杯も所望したくなった。そこで突然ではあるが、利休はその茶人の家をおとなう気になった。 案内を請うと主人が出てきて、急の訪問でなんの仕度もないが、炉に釜はかけてあるので、茶など召し上がれと招じ入れてくれた。茶室に通され、利休一人、釜の音など聴いていると、なにやら庭に人の気配がする。窓を覗いてみると、雪が降り積もる中、主人が蓑笠姿で竹竿を操って柚子をもいでいる。なるほど、今夜の懐石に柚子味噌を供する心積もりであろうと、急な来訪にもかかわらず、即妙で客を篤くもてなす主人の心根を利休は奥ゆかしく思った。やがて主人が衣服を改め、懐石が出されたが、主人の申し出るには、突然のこととて何の用意もないが、到来の蒲鉾があったのでお召し上がりいただきたいとのこと。蒲鉾など、今の世の中、なんの珍しくもなくいつでも食えるものであるが、当時は特別に誂えなければ、なかなか口にできない珍品であった。そこで、利休がはっと気づくに、この家の主人は、利休が思いがけなく訪れたかのように振舞っているが、蒲鉾などを出すということは、先々から利休がやってくるのを知っており、この大茶人から認めてもらおうとおもねって、かねてより用意を整えていたのであろう。雪の降りしきる中、庭で柚子をもぐのも、小賢しいパフォーマンスに違いない。その振る舞いは卑しい限りと白けきってしまった。そこで、ふと急ぎの用を思い起こしたので、これにて失礼すると挨拶して、袖を払ってさっさとこの家を出てきてしまった。なにごとも下種に策をめぐらすと裏目に出るという教訓であろう。また茶人たるものの心がけの一端を知る上で興味深いエピソードである。冷える今晩の夕飯のおかずはおでんであった。
活計の帳尻合わず神無月 素閑