下北沢に所用で出かけた。
帰りがけにオオゼキで夕飯のおかずの買い物を、かーたんから頼まれた。
予定では、残り物の鶏の胸肉を蒸して、サラダにして食ってしまおうという算段である。
しかし、オオゼキでは京菜が売っていた。
この早春の季節の野菜は、瞬間的にしか店先に並ぶことはなく、買い逃すことが多い。
これは買わずにはおれまい。
さて、夕飯。
オカブ家では、京菜は鍋にしてしか食わない。
かつお出しに塩、味醂、少量の醬油を加えた割り下で、豚肉とともに煮るのである。ただ、それだけの料理である。至って、簡単。
この場合、豚肉は、汁の出汁を取る程度に考えていたほうが良い。主役はあくまで京菜である。
一煮立ちして、京菜がまだ青々として半煮えのところを、貪り食う。
まさに春の生気を食いつくすような、意気込みである。
実に美味い。正月の七草は、なんとなく春の象徴的な姿を追っているように見えるが、この京菜鍋は、まさに春の実体である。
青菜を一人一把も食い果たす。これほどの春の美味求真があろうか?
ふーふー言いながら、かーたんとバリバリ食う。
花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや 藤原家隆
この京菜鍋は、もう30年ほども前にサントリーローヤルの広告に「すき焼き」として載っていたものである。
それをオカブ家風にアレンジした。
春はもう来た。
日脚伸ぶ爛れた午後の書斎にて 素閑
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