自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

正願寺に行ってみましょう

2023年07月16日 05時56分00秒 | 霊場
道川の正願寺は古刹!
由利本荘市の道川地区に古いお寺で正願寺がある。





鎌倉時代の末、左衛門を称する武将道川氏が山崎館に居城してこの地を治めていた。 




この時代は度々いくさ起こり、藤田館(君が野)万古館(内道川)菜館など峰続きの山に館を置いて守りを堅めていたが、いくさが起きた時は必ず勝つようにと祈願の寺を建立した。 これが正眼寺の始まりである。

今から七百年前の正和元年(1313)、この寺に加賀国(石川県) 古刹大乗寺の 三世明師を話して開山し正眼寺と号した。





お寺は初め寺屋敷(道川田中)にあったか、笹時代の中頃(宝膳以前(一七三C以 て焼失した為ここ浅田の地に移して再興された。 師は、曹洞宗の大祖常済大師瑩山禅師の華頭のお弟子さんで、 一人の優れた弟子を輩出した高僧です。

道川氏とは、正中元年(1324)鳥海弥三郎が由利氏(仲八郎政春)を滅した戦の時ただ一人だけ従わなかった赤穂津氏を天鷺城に攻めた戦いで 戦死した道川民部がその人と伝えられる。 道川村の村名はこの武将の名前に由来し名付けられたものである。以上石碑文より

お稲荷様が祀られています。










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西林寺に行ってみよう

2023年07月08日 04時25分00秒 | 霊場
今回は大内の西林寺です。
国道105号を大仙に向かって右側に西林寺はあります。松本集落から見ると芋川の向かいになります。






欄干の付いた赤い橋を渡ると山門が見えてきます。
境内には池の庭があり歴史を感じます。




創建は寛永7年(1630)で岩城亀田藩が宗教政策の一環として開かれたお寺です。




現在の建物は大正6年(1917)に建てられたもので、赤田の大仏で有名な是山和尚が長老の位を得る為、この寺で立職したと言われています。


本堂の前には是山和尚と思われる銅像があります。
亀田領三十三観音霊場第五番札所です。
是非参拝して下さい。
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大内地区の調査 諏訪神社

2023年07月07日 04時10分00秒 | 霊場
倉沢諏訪神社は集落にある高台に鎮座しています。集落の奥まった所にある為、付近住民の人達以外は分かりにくいかも知れません。

苔むした階段はなんとも言えなく素朴で集落の歴史を伝ているようです。鳥居の前の巨大な杉は集落をずっと見守っているかのようです
本荘から国道105号を東へ約6km。向沢(むかいさわ)の諏訪神社境内に3本の大杉があります。カーナビがないと無理です。




 最大のスギは、石段を登り切ったところ。鳥居の手前、向かって右側(左図)。見た感じ、今は6mを超えているのではないだろうか。
 左側のスギも大きい。これが境内三番手。
 第二の大杉は、拝殿の手前、向かって右。
 第一の大杉の荒々しさに対して、こちらは気品のある美しい姿。対比の意味で好一対をなしている。
 秋田県神社庁の神社紹介ウェブサイトによると、延宝2年(1674)、現在の大倉沢字沖田に信濃諏訪社の分霊を勧請。寛政6年(1794)、現在地に遷座したといいます。




鳥居杉と呼んでよさそうな立ち位置から、大杉は遷座の頃に植えられたのではないかと想像するが、遷座の際に村内の6神を合祀したとも伝えることから、ここには遷座の前から何らかの神社があった可能性もあります。




 もしかしたら、この地では、諏訪神社よりも大杉の方が先輩なのかも知れません。

大倉沢諏訪神社の宮殿は窓越しからしか見れませんでしたが 江戸中期に造られたそうで、かなり重厚な造りになっていました。



由利本荘市には諏訪神社が多いのは、藩主六郷氏と関わりがあるものと思われます。
ここは由利本荘市指定文化財になっています。
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大内地区調査 いきなり日本カモシカ

2023年07月06日 04時15分00秒 | 霊場
昨日は、大内地区の市指定の文化財を調査した。




切通稲荷神社へ向かう。
切通稲荷神社は長坂稲荷神社の事です。
最近毎日のように大内地区での熊情報が出されているので少々びびっていました。
さて場所は長坂集落の後ろの山にあって全く駐車スペースがありません。集落の中で鳥居があるので場所はわかりましたが、道路はすれ違いできない狭さです。


とりあえず、近くに車を置いて階段を登った階段は木材で土止めされたもので草が生えていて整備されていません。
結構なのぼりで、神社周辺は鬱蒼とした森の中です。

切通稲荷神社は慶長5年(1600)京都伏見稲荷の分神を伊藤氏が加賀より移住の際伝えたのが始まりとされています。
五穀豊穣、商売繁盛の神様としても周辺住民から広く信仰されています。現在の社殿は明治17年(1887)に再建されたもので、幕末から明治に掛けての由利本荘周辺の建築に見られる華麗な造りになっています。




特に向拝の彫刻が凝っており、様々(龍、鳳凰、獅子、象、鯉、兎、力士、亀など)な縁起物が掘り込まれています。
これは見事なものです。



由利本荘市(旧大内町)指定文化財に指定されています。
狛犬に狐様が寄り添っています。
ただビビったのは、ドサという音で、社殿からカモシカ降りてきました。。一瞬熊かと思いましたがカモシカでよかったです。



この神社では、天明年間から始まったと云われる長坂梵天祭が有名です。旧暦2月の初午に、五穀豊穣・商売繁盛・交通安全などを祈願し、梵天奉納が行われます。喧嘩梵天と言われる凄いみたいです。
これは由利本荘市指定無形民俗文化財に指定されています。
これは岩城氏入部400年と絡める事ができそうです。

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折渡の千体地蔵のパワー

2023年07月05日 02時55分00秒 | 霊場

折渡千体地蔵は、秋田県由利本荘市岩谷麓にある地蔵尊です。今から約220年ほど前に、赤田大仏の長谷寺を建立した是山和尚が建てた延命地蔵尊のまわりに、寄進された千体の地蔵が並んでいる霊場です。



昔から通行の難所だったこの地で、通行人の安全祈願と、イボとり地蔵として有名です。



とてつもないパワーで地域の信仰の霊地となっています。



折渡千体地蔵は、秋田県由利本荘市岩谷麓にある地蔵尊。今から約220年ほど前に、赤田大仏の長谷寺を建立した是山和尚が建てた延命地蔵尊のまわりに、寄進された千体の地蔵が並んでいます。




こられの地蔵さまをこれまで地域の方や参拝される方がきちんと信仰して守ってこられたこともあり、温かくも力強いエネルギーが地蔵様に宿っています。




峠には紫陽花が植栽され、今ございますまさに見どころです。ただ、熊の気配を感じました。







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松ヶ崎 八幡神社 国指定です。

2023年07月04日 02時39分00秒 | 霊場

松ヶ崎の八幡神社の調査です。国指定です。以下が由緒になります。



文治2年(1186年)山城の国、岩清水八幡を奥州岩城平の城山の地に勧請し、岩城家歴代の鎮守たりと伝う。




奥州藤原泰衡叛を謀るに及び、源頼朝、千葉之助常胤に命じて東征せしむ。
常胤同社八幡へ戦勝祈願を致して、深く信心を表したという。





後に泰衡亡び、常胤帰陣と共に、頼朝いたく喜び、その特命によって社殿を飯野山の地に再建させ飯野八幡と称し、新たに社領88町の地を寄進した。
関ヶ原の合戦後元和8年(1622年)岩城家羽後の国亀田を領するに当り、御神体を保護し同国に至り、寛永元年(1624年)松ヶ崎村亀井山、則ち現在地に勧請して永く岩城藩の崇敬社とす。
当神社は亀田岩城藩所領内の代表神社のひとつにして、領内75社の分霊を合祀される。
現社殿は寛永13年(1636年)に建立せりと伝う。
明治6年郷社に列す。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定せられ、明治43年白山比売神社・神明社を合祀す。
昭和58年、秋田県神社庁より二級神社に指定され、現在に及ぶ。
秋田県神社庁公式サイト より。



由緒
松ヶ崎八幡神社は、日本海に注ぐ衣川下流右岸、標高25mの亀井山山頂に位置します。



京都府の石清水八幡宮(国史跡)の末流にあたり、元和9年(1623)、岩城氏が亀田への領地替に伴い崇敬社として勧請し、以来、藩の総社として大切にされました。岩城氏が崇敬していた飯野八幡宮(国重要文化財・福島県いわき市)の分霊を祀っていることから、飯野八幡宮とは「親子神社」として現在も交流を深めています。



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仙台藩藩校養賢堂へプチ旅

2023年05月08日 14時56分00秒 | 霊場
仙台に行ってきました。
息子のアパートのすぐ近くに仙台藩藩校養賢堂の門があるので、行ってみました。


ここは泰心院は曹洞宗寺院で,仙台藩初代藩主伊達政宗の曽祖父・伊達氏十四世稙宗(たねむね)の夫人泰心院(芦名氏)の菩提寺(ぼだいじ)として米沢で創建されました。
その後,岩出山を経て慶長12年(1607)仙台の現在地に移りましたが、たび重なる火災のため,藩政時代の泰心院の建物は現存していません。
この山門は,勾当台にあった仙台藩藩校養賢堂が明治維新後県庁舎にあてられ,正門が洋風門に置き換えられた際に現在地に移されたものです。泰心院山門は,一間一戸(いっけんいっこ)の堂々たる四脚門(しきゃくもん)で,屋根は切妻造(きりづまづくり),桟瓦葺で,伊達家の家紋「三引両(みつびきりょう)」と「九曜(くよう)」を配した漆喰塗の棟や細部の装飾など重厚な外観となっています。藩校は,江戸時代に諸藩が藩の子弟を教育するために設けた学校で,仙台藩では元文元年(1736)に開設の学問所を前身とし,安永元年(1772)に養賢堂と名づけられたのです。文化6年(1809)に学頭となった儒学者大槻平泉(おおつきへいせん)は大規模な学制改革と施設拡充を行い,文化14年(1817)に講堂が完成し,この正門もその時に建立されたものです。講堂他の諸建築は昭和20年(1945)の戦災で焼失したため,この門は養賢堂の唯一の遺構とありました。



重厚です。


ただの門ですが!


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冬の矢島スピチュアルスポット

2023年01月09日 09時23分24秒 | 霊場

冬の矢島スピチュアルスポット

孫2号の野球の練習が矢島の室内練習場であったので、送迎をしました。

3時間という限られた時間でしたが、矢島総合支所に車を置いて、歩いて回りました。雪が例年より少なかった様な気がします。

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恵方詣りについて

2023年01月03日 04時54分00秒 | 霊場
門松の由来や歳神様について調べていたら恵方詣りという事がでて来まして。恵方巻きは知っていますが恵方詣りは知りませんでした。是非お参りしようと思います。

まずは、恵方参りと2023年の方角について、時期と場所とお祈りの作法についてを確認します。
恵方詣り(えほう詣り)は、日本の正月行事の一つです。
その年の「恵方」の方角にある社寺に1月1日(元日)に参拝して、その年の幸福をお祈りすることを指します。

この、「恵方」とは、陰陽道で、その年の福徳を司る神である歳徳神さまが在位されている方角の事を言うようです。

恵方、は十干に従って毎年方角が変わります。
令和5年、2023年の恵方は 南南東やや南(右) です
私の家は日本海側にあるので南側内陸部が南東にあたるので神社は沢山ヒットします


昔は、立春の日が新年を迎える日であったので、本来の恵方参りは、2月の立春の節分の日にお参りしていましたそうです。
しかし、現在の暦では、元旦の1月1日に新年を迎えます。
なので、1月1日にお参りするように変化してきました。


恵方参りのお祈りの作法についてですが、お参りする神社仏閣に合わせたお祈りの作法に従ってお参りする、というので良いみたいです。二礼、二拍、一礼が基本です。
しかしながら、右手を上にあげ、右手の人差し指で天を指し、左手を下にし、左手人差し指で地を指す、というポーズをとる、まさに、お釈迦さまの有名な「天上天下唯我独尊」の指さしポーズをとる、という作法もあるようです。
これは、天と地と自分をつなぐ、ということを意味します。
そして、この場合、自分の住所と名前をはっきり伝えて、自分が恵方だと唱えます。

さらに、「私にチャンスを、チャンスを見抜く知恵を、そしてチャンスに乗る勇気をください」と唱えます。
このような事をやっている人は見た事がありませんが!
恵方参りには、願いを叶えることができる自分になることができる、知恵とチャンスをつかんで幸せになる、という効果があるとされています。これは、願いを直接叶えてもらうために祈ること、とは違う、ということを認識しなければなりません。
願いをかなえるための知恵とチャンスを掴みに行くのです。
この格好で参拝するのは勇気がいりますが!
更に、恵方参り先で購入したお札を恵方とは反対の方向において、恵方に向けて飾る置き方を恵方置きと言うそうです。
破魔矢の矢の先は恵方の方角に向けて飾ります。
これでさらに恵方参りの効果が上昇するといわれています。




まだ恵方詣りはしてませんが、善法寺あたりが南東にあたるので、行ってみようと思います。


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初詣

2023年01月01日 12時28分00秒 | 霊場

私は、月山神社の氏子です。幼少期より大晦日の11時30分には神社に行って、新年を迎えています。

https://youtu.be/12PR43OIVPU

コロナの為、3年ぶりに元日詣りが一般の氏子にもできるようになりました。

初詣の由来は平安時代からある「年籠り(としごもり)」という風習から来ていると言われています。

大晦日から元旦にかけて氏神様のいる神社にこもり、新しい年の豊作や安全を夜通し祈願するという風習です。

 やがて、年籠りの風習は大晦日にお参りをする「除夜詣」と元旦にお参りをする「元日詣」の2つに分かれます。

江戸時代頃までは元日詣では「恵方詣」とも呼ばれ、その年の恵方の方角にあるお寺や神社を参拝していました。

以前は神社までの参道はすれ違うのも大変でしたが、今はまだ回復していません。

withコロナされど回復の兆し見つからず!

今年こそはと願う元旦でした。

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