観音信仰は、観音菩薩を祭ることに由来します。菩薩とは密教系仏教の1つであるラマ教の教祖ダライ・ラマの化身と言われ、人々の苦しみを救ってくれる神様のことで「妙法蓮華経」によって広く大衆に広まりました。観音菩薩は見る人によって姿を変え、良く聞く十一面観音や千手観音、馬頭観音などはその変化した姿でどれも観音様だと言えます。又、「妙法蓮華経」では観音菩薩は33の姿へ変化するとも書かれ、33という字がここから特別な数字と意識されたそうです。
三十三観音信仰が普及し、坂東三十三所や秩父観
そして、秋田にも秋田三十三観音札所があります。秋田三十三観音札所が開設されたのは長久年間(1040年頃)とも云われています。花山法皇が西国三十三観音霊場を再興させてからわずか100年余りといことで古霊場の1つとされています。
今年はこれを制覇しようと思い、第1札所の横手の正伝寺に向かいました。
正伝寺の概要です。
正伝寺は、祝融山正伝寺の創建は不詳ですが当初は密教寺院だったとされ、室町時代後期に相模国(現在の神奈川県)海蔵寺3世大洲梵守和尚が住職になった際、曹洞宗に改宗し、長谷寺(奈良県桜井市初瀬)から拝領した観音像を本尊として迎えた事から寺号を長谷山観音寺に改めています。その後、寺村に移転しましたが明暦3年(1657)に火災により焼失し、その後現在地に再建され現在の寺号である祝融山正伝寺に改称しています。江戸時代に入ると久保田藩主佐竹家が庇護し寺領30石が寄進され寺運も隆盛しました。桜並木の長い参道があり、道路を挟んで山門、鐘楼門、本堂と続き秋田33観音霊場、第一番札所にふさわしい落ち着いた感じを受けます。山門は昭和55年(1980)の豪雪で倒壊し昭和56年(1981)に再建したもので切妻、銅板葺、薬医門。鐘楼門は大正14年(1925)に建てられたもので入母屋、銅板葺、一間一戸、四脚楼門。本堂は安永5年(1776)に建てられたもので寄棟、銅板葺、平入、正面1間軒唐破風向拝付、桁行10間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張縦押縁押え。本尊である金銅聖観音立像は奈良時代作、像高29.3cm、金銅佛としては東北最古級とされ昭和30年(1955)に秋田県指定文化財指定されています。
ところが正伝寺は、雪で埋まっていました。
山門も除雪されていません。
鐘楼も埋まっています。
本殿もこんな感じです。
さすがに、中に入る気にはなれず写真だけ撮って帰る事にしました。
残念ショウ