本荘地域文化財保護協会の臨地研修の下見に平泉に出かけた。孫たちも連れてプチ旅行である。
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毛越寺、中尊寺が世界遺産の中心ではあるが、達谷窟毘沙門堂はピンポイントで凄い!
由利本荘から横手ICまで1時間ちょいそこからは高速で平泉まで1時間ちょいで150kmのドライブだった。
まずは毛越寺に!
『吾妻鏡』が「霊場荘厳吾朝無双(寺院の立派であること国内に並ぶもの無し)」と 記すほどの素晴らしい伽藍でしたが、近世までにすべての堂塔が消滅しまった。以前は浄土庭園だけが見どころだったが、世界遺産登録の為、建物跡の説明サイトが整備され、ARやVRでスマホが有ればとても詳しく当時の様子を知る事が出来るようになっていた。
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世界遺産委員会は、毛越寺庭園を代表とする平泉の浄土庭園が、 「浄土思想の理想と、庭園・水・周辺景観の結びつきに関する 日本古来の概念との融合を例証している。」ある。
時間の制約もあるので、中尊寺参拝は諦めて、車で10分ほど走り、西光寺にある達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわや)へ向かった。
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ここは、801年(延暦20年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷討伐(えみし)を記念し、東西の長さ約150メートル、最大標高差およそ35メートルの岸壁下方の岩屋に建てた懸造の堂である。中は撮影禁止なので外観だけ撮影。
前九年の役では源頼義は安倍氏を独力で倒す事は出来なかったのでご利益はどうなのか疑問!
そのあと1189年(文治5年)、奥州征伐を行った源頼朝は、その帰路、毘沙門堂を参詣している。
また、『吾妻鏡』によると、達谷窟は、悪路王と赤頭が砦を構えていた岩屋。賊徒を討ち取った坂上田村麻呂は、この岩屋の前に九間四面の堂を建て、鞍馬寺を模して多聞天(毘沙門天)を祀り、西光寺と名付け、維持の為の年貢用の水田を寄付したという。解説があった。
また、『吾妻鏡』によると、達谷窟は、悪路王と赤頭が砦を構えていた岩屋。賊徒を討ち取った坂上田村麻呂は、この岩屋の前に九間四面の堂を建て、鞍馬寺を模して多聞天(毘沙門天)を祀り、西光寺と名付け、維持の為の年貢用の水田を寄付したという。解説があった。
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毛越寺、中尊寺が世界遺産の中心ではあるが、達谷窟毘沙門堂はピンポイントで凄い!
これで視察は終了したが、南の向かい一ノ関市郷土資料館も見学した。入館者は自分だけだったが、凄く立派な施設だ。ARを駆使していて、これからの資料提示の参考になった。