縄文人の髪型:謎多き古代人のヘアスタイルを探る
先日,孫2号の担任の先生から埴輪の髪型のお土産をいただいた。その先生は郷土史研究会の会員にもなっているので,親しくしていただいています。ただこれを付けて歩くのには勇気が入ります。
縄文時代の人々の生活は、現代の私たちとは大きく異なり、自然と共生する独自の文化を築き上げていました。その文化の一端を垣間見ることができるのが、縄文土偶です。土偶の造形は実に多様で、その中には個性的な髪型をしたものも数多く存在します。
縄文土偶の髪型から読み解く
縄文土偶の髪型は、時代や地域によって様々です。一般的な特徴としては、以下の点が挙げられます。
- 三つ編み: 長野県を中心に、三つ編みを施した土偶が多く見られます。これは、当時の女性たちの一般的な髪型だったと考えられています。
- お団子: 頭頂部に髪をまとめてお団子状にした髪型もみられます。
- 複雑な編み込み: 複数の紐状のものを複雑に編み込んだような髪型も存在します。
これらの髪型は、単なる装飾ではなく、呪術的な意味や、社会的な地位を表していた可能性も指摘されています。
なぜ縄文人は髪を編んだのか?
縄文人がなぜ髪を編んだのか、その理由はまだはっきりとわかっていません。しかし、いくつかの説が考えられています。
- 実用性: 長い髪をまとめることで、作業の邪魔にならなかった。
- 装飾: 身分や美意識を表すための装飾だった。
- 呪術的な意味: 霊魂を呼び込んだり、邪気を払ったりする呪術的な意味があった。
- 髪そのものの価値: 髪は生命力の象徴であり、大切に扱われた。
縄文人の髪型を再現する
近年では、縄文土偶の髪型を再現しようとする試みが行われています。考古学的な資料を元に、当時の髪型を復元し、縄文人の生活に思いを馳せることができます。
まとめ
縄文人の髪型は、単なるファッションではなく、当時の社会や文化を反映する重要な要素でした。縄文土偶の髪型を手がかりに、古代人の生活や思想を探ることは、現代を生きる私たちにとっても興味深いテーマと言えるでしょう。
なんかゆるい!
温暖化といっても北国です。太陽のパワーはありません。
本当にこれでいいのだろうか?
金浦湊内 日枝神社の山王鳥居と二猿像:北前船が繋ぐ歴史と信仰の物語
昨日西目シーガルで鶴岡市,にかほ市,本市合同企画で行っている北前船展の付帯事業で講演会と芸能発表がありまして、スタッフとして仕事をしていました。その時、文化財保護協会連合会の事務局担当と話をしていて金浦の日枝神社の場所を知る事できました。やっと本日狛猿に会う事ができました。
金浦という港町と日枝神社
秋田県にかほ市金浦。かつては北前船の寄港地として栄えたこの港町には、歴史と信仰が深く結びついた場所があります。それが、日枝神社です。
江戸時代に建てられた山王鳥居
日枝神社のシンボルともいえる山王鳥居は、金浦で最も古い廻船問屋であった中津七左衛門によって江戸時代に寄進されました。この鳥居は、金浦の商いの発展と人々の暮らしを見守り続けてきた歴史ある建造物です。
北前船の船頭が奉納した二猿像
山王鳥居の後ろには、二体の猿像が並んでいます。この猿像は、北前船の船頭を務め、後に士分に取り立てられた井口清四郎によって奉納されたものです。北前船は、江戸時代から明治時代にかけて日本海を航海し、物資や文化を運んだ船です。井口清四郎は、北前船を通じて得た富と地位を、地元の神社に還元したのでしょう。
対となる猿像:信仰心の表れ
神社の手前にも、二体の猿像が対になって立っています。これらの猿像は、地元の人々の信仰心の深さを物語っています。猿は、古くから神様の使いとして崇められてきた動物です。特に、日枝神社は猿の神様を祀る神社として知られており、猿像は多くの人々に親しまれてきました。
金浦の歴史と文化を語る
日枝神社の山王鳥居と二猿像は、単なる建造物や彫刻ではありません。これらは、金浦の歴史と文化を語る上で欠かせない存在です。北前船という時代背景、廻船問屋や船頭という人々の営み、そして信仰心といった要素が複雑に絡み合い、現在の姿となっているのです。
まとめ
にかほ市金浦にある日枝神社は、北前船の時代から人々に親しまれてきた神社です。山王鳥居や二猿像は、その歴史と信仰の深さを物語る貴重な文化財です。皆さんもこれらの文化財を通して、金浦の豊かな歴史と文化に触れてみてください。
ムキタケの栄養価と健康効果
ムキタケは、豊富な水分と低カロリーが特徴で、特に食物繊維やビタミンD、ミネラルを含んでいるため、栄養豊富でヘルシーな食材として注目されています。食物繊維は腸内環境を整え、ビタミンDはカルシウムの吸収を助けて骨の健康を維持する働きがあります。また、セレンなどの抗酸化成分が含まれており、活性酸素の除去を助け、免疫機能を強化する効果が期待されます。
ムキタケに含まれるβ-グルカンの免疫促進作用
ムキタケには、免疫系の強化に役立つ成分であるβ-グルカンが含まれています。β-グルカンは免疫細胞の働きを活性化させ、病原菌から体を守るサポートをします。この成分は、免疫力を高めるため、風邪予防やアレルギー反応の軽減にも効果があるとされています。
美容効果
ムキタケに含まれる抗酸化成分は、肌の健康にも良い影響を与えます。これらの成分が体内の酸化を防ぐことで、シワやたるみの原因となる活性酸素を抑制し、肌の若々しさを保つ効果が期待されています。
昨日は本荘地域文化財保護協会の隣地研修でした。研修地は新庄市です。
ターゲットは、角館城主の戸沢氏です。
戦国時代から戸沢と六郷の関係は深く,それぞれの家譜に名前が散見されます。
そういう事もあって新庄市を研修地に決定しています。
以下に両者のつながりをまとめました。
『羽後・本庄六郷家譜』によると、道行は二階堂阿波守・弾正少弼や六郷と名乗っていたとされています。『藩翰譜』でも道行の子が政乗と記されており、この親子関係は『羽後・本庄六郷家譜』と一致しています。しかし、『寛政重修諸家譜』では、晴泰のあとに二代の「某」が続いており、それぞれ河内守と阿波守として記されています。これら三つの系図は、いずれも六郷氏が江戸時代に幕府に提出した家系をもとに作られたものですが、『羽後・本庄六郷家譜』と『寛政重修諸家譜』では道行の父が「某」と記されている点が特徴的です。
六郷氏の居城である六郷城が築かれたのは道行の時代とされ、道行の子である政乗の動向はさまざまな史料に記載されています。政乗のように史実が多く残されている人物の祖父が「某」とされるのはやや不自然であり、名前を明記できない事情があったのかもしれません。
また、角館に拠点を置いた戸沢氏の『戸沢家譜』にも六郷氏の名が登場します。たとえば、南北朝時代の門屋城の時代には六郷長五郎政直の名が見られ、さらに、五代下った戸沢家盛の時代には六郷弾正政英と六郷丹波守が現れます。家盛の次の当主である戸沢久盛の母も六郷丹後守の娘であり、戸沢氏の系譜はその後、寿盛・征盛・秀盛・道盛・盛安と続き、六郷氏も佐渡守・弾正・政英・政房・政行などと記されています。しかし、政乗以前の六郷氏の人物については、前述した六郷氏関係の系図には全く見られません。
『戸沢家譜』に記されている六郷氏の人物の名前には、「政」という字が名乗りに使われており、他の六郷氏の系図と比べて「政」の字が通字として一貫性があると感じられます。しかし、史料としては「永泉寺什物涅槃像事」の方が信憑性が高く、もし道行が二階堂を名乗っていたとすれば、道行以前の人物も二階堂でなければならないと考えられます。その他にも、『小野寺研究資料』には「六郷山城政国とその子兵庫頭政乗」という記事があり、これによれば政乗の父は政国ということになります。これにより、戸沢家譜に見られる六郷氏の系譜に関連性があるとも考えられます。
このように、六郷氏の系譜や系図は各資料でかなり異なりますが、これは戦国時代の国人衆に共通する現象であり、六郷氏に限ったことではありません。六郷氏が仙北中郡に在地領主として君臨したことは確かな事実ですから、『六郷町史』は政乗の時代の状況を通して六郷氏の歴史を推測するべきだと述べています。