自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

2024/09/18

2024年09月18日 08時29分00秒 | アウトドアー
昨日えらい先生方に誘われて大人の遠足に出かけました。


八塩山登山でしたが、コロナ禍以降初めて登山履を履きました。八塩山は何度も登っていますがとても楽しい遠足になりました。
途中結構な🍄を見つけましたが、毒毒しいものばかりです。






シロタマゴテングタケだと思います。
デカいギョリンソウもありました。


今朝は筋肉痛もなく元気です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハリケーンランプ

2024年09月16日 08時22分00秒 | アウトドアー
ゆらめくあかりでキャンプの夜を彩るランタンですが,最近またオイルランプに戻っている。



リーズナブルながら、ゆらぐあかりがムードを演出してくれるうえに、虫除けとしても効果抜群です。
ハリケーンランタンは、およそ100年前に嵐の中でも炎が消えないランタンとして世界中に普及しました。
そのシンプルな構造と静かで長時間、安定したあかりを実現する性能が、冒険や航海など、過酷な環境での使用に耐えうることから、軍隊で採用されていました。
ハリケーンランプはすでに改良の余地のな完成度だったのです。

燃料は灯油を使われていましたが、現在では、より安全で煤(すす)が出にくいパラフィンオイルが多く使われています。

さらに天然ハーブなどの成分を配合した防虫オイルやアロマ成分を含んだアロマオイルなどバリエーションも豊富です。
ただアロマオイルは効果なのでコスパは高くなりません。
また、ハリケーンランタンはガラスカバーがあるので家の中でも使えます。さらに、アロマオイルを使えばアロマランプ代わりにもなるという汎用性の広さがあります。
ヒロシがハリケーンランプを使って一時ブームになりましたが,実際にはLEDランプの方が実用的です。でも火遊びこそロマンなのです。
安価な鉄製のランプはすぐに錆びてしまいます。
逆に錆び色の耐火塗料を塗るとカッコイイです。




秋の夜長はハリケーンランプでゆったりと過ごすのもいいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横手に来ています〜本多正純の話

2024年09月15日 08時56分00秒 | 郷土史

今朝は横手に来ています。時間があったので、本多正純の墓を尋ねてみました。

本多正純の転封と最期について

本多正純は、徳川家康の側近として活躍し、その子・秀忠からも信頼されていた人物です。しかし、晩年は出羽の国へと転封となり、不遇のうちに生涯を閉じました。

正純が転封になった主な理由は、以下の二つが挙げられます。

  • 宇都宮城の普請問題: 秀忠が日光東照宮へ参拝の際、宇都宮城に宿泊する予定があったため、正純は城の普請を行わせました。しかし、この普請に不備があるという密告が秀忠に届き、これが転封の引き金となったと言われています。
  • 権勢に対する周囲の嫉み: 正純は家康・秀忠から厚く信頼されており、その権勢は周囲からの嫉みを買っていました。転封は、こうした嫉みによって引き起こされたという見方もできます。

1622年の最上改易で空いた出羽国へ正純は減転封となります。それに不服だった正純は不服申し立てをして,秀忠の逆鱗に触れ改易となって佐竹預かりとなります。

正純は、出羽国の横田城の一角で、不遇のうちに生涯を閉じました。晩年は、かつての栄光を懐かしみながら、静かに余生を送ったと伝えられています。









補足

  • 正純は、転封になった後も、自分の潔白を訴え続けました。しかし、その願いは叶うことはありませんでした。
  • 正純の転落は、権力闘争の悲劇として、後世に語り継がれています。

まとめ

本多正純は、徳川家康・秀忠の側近として活躍した人物ですが、晩年は宇都宮城の普請問題や周囲の嫉みなどが原因となり、出羽の国へと転封になりました。そして、不遇のうちに生涯を閉じました。正純の生涯は、栄光と転落のドラマとして、人々の心に深く刻まれています。

権力を持ちすぎた結構です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする