昨日えらい先生方に誘われて大人の遠足に出かけました。
八塩山登山でしたが、コロナ禍以降初めて登山履を履きました。八塩山は何度も登っていますがとても楽しい遠足になりました。
途中結構な🍄を見つけましたが、毒毒しいものばかりです。
シロタマゴテングタケだと思います。
デカいギョリンソウもありました。
今朝は筋肉痛もなく元気です。
今朝は横手に来ています。時間があったので、本多正純の墓を尋ねてみました。
本多正純の転封と最期について
本多正純は、徳川家康の側近として活躍し、その子・秀忠からも信頼されていた人物です。しかし、晩年は出羽の国へと転封となり、不遇のうちに生涯を閉じました。
正純が転封になった主な理由は、以下の二つが挙げられます。
1622年の最上改易で空いた出羽国へ正純は減転封となります。それに不服だった正純は不服申し立てをして,秀忠の逆鱗に触れ改易となって佐竹預かりとなります。
正純は、出羽国の横田城の一角で、不遇のうちに生涯を閉じました。晩年は、かつての栄光を懐かしみながら、静かに余生を送ったと伝えられています。
補足
まとめ
本多正純は、徳川家康・秀忠の側近として活躍した人物ですが、晩年は宇都宮城の普請問題や周囲の嫉みなどが原因となり、出羽の国へと転封になりました。そして、不遇のうちに生涯を閉じました。正純の生涯は、栄光と転落のドラマとして、人々の心に深く刻まれています。
権力を持ちすぎた結構です。