しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「白バラの祈り ゾフィー・ショル 最期の日々」2005独

2007年04月13日 | 映画
1943年のドイツ・ミュンヘン。
ミュンヘン大学の女学生ゾフィー・ショルは、兄ハンスとともに反ナチスを掲げ、ビラを配るなどの抵抗運動を行っていた。
スターリングラードでの真の戦いの様子を知らせるビラを、郵送する封筒が不足したことにより大学構内に直接撒くと言うハンス。
仲間は危険すぎると反対するが、ハンスの意思は固く、ゾフィーも手伝うことにする。
しかし、ビラの落ちた3階から降りてきたところを目撃され、ふたりは逮捕される。
始めは否定していたが、兄が一人でやったことを認めた為、ゾフィーも自分のしたことを認め、その理念を尋問官に伝えていく。
誤った考えを認めれば釈放できることを仄めかされるが、ゾフィーは最後まで、自分の信念を捨てることはなかった。

ヒトラー政権下で反ナチスを掲げ抵抗運動を行なった学生グループ「白バラ」のゾフィー・ショルの真実の物語。
ゾフィーが大学構内で逮捕され、わずか4日後に“大逆罪”によって処刑されるまでの詳細を、90年代に東ドイツで発見された尋問記録を軸に忠実に再現した映画。
普通は刑が確定してから、最低99日の猶予が与えられる。



ゾフィーと尋問官ロベルト・モーアの会話(尋問)がメインになっている。
ビラ制作に係わっていたことを認めてからの、ゾフィーとモーアの会話がとても心に響く。
なぜ、国の政策に反対するのかを問われ、ユダヤ人虐殺のことなどを話す。
ドイツという国を愛しているからこそ、ドイツが間違った道から抜け出せなくなる前に止めたいという思い。
良心が自分の判断の基準になっているという意味のことを訴える。
戦争当時、ユダヤ人の虐殺について、国民がどの程度知っていたのか、他の物語にも出て来るが、本当に知らなかった人もいるだろう。
しかし、ゾフィーたちは、正確に事実を掴んでいたことになる。そして、スターリングラードの戦いの悲惨な状態も。
日本も戦争中は、正確なことは伝えられていなかった。それでも、色々な状況から的確に判断してしる人もいた。
その違いはなんなのだろう。知ろうとする力だろうか。
「考えろ、考えろ」という、伊坂幸太郎さんの「魔王」が思い浮かぶ。自分で考えなければいけないのだと。
ゾフィーの判断の基準が、「良心」と言い切るところが、その通りだと思う。
知っていても、体制に流されるようにいただろうモーア尋問官も、心を動かされたように思う。ゾフィーを助けようとする。
裁判の時も、狂気じみた裁判長ローラント・フライスラーだけが異質だった気がする。
スターリングラードのことを知らないのはあなただけと言ったゾフィーの言葉に、傍聴席にいた軍人は我に返ったようだった。
どんな人にも良心はある。しかし、それを堂々と表せない戦争という時代。誰でも自分の命は大切だ。
それを捨ててまで、訴え続けたゾフィーに涙が止まらない。
ゾフィーが見上げる空は自由の象徴なのだろう。鳥のように自由に飛んで行きたかっただろうに。
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