散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

視線のエネルギー

2005-05-10 22:50:01 | 思考錯誤
がらん、とした人気無い教室のなかに入り、教壇に近づくと、肌がチクチクとするので妙だと思った。
そのうちに痛みはどんどん増してきて、まるでレンズを通ってきた太陽光が肌に当たって焼けるようだ。逃げなければいけない。。。

。。。というところで目が覚めた。

教壇の上には、石膏の胸像が乗っている。
デッサンをする生徒たちの視線のエネルギーがまだ残っていて、それは今は誰もいない教室の中なのにふと感じるどころか、無数の針のような視線の記憶だ。。という夢なのだ。
私はたびたび、かなりはっきりと、総カラーで、長い、時には匂いもあり、時には食べて味わってしまう夢を見る。
しかし今回は視線光ビームの話。

物が見える原理についての説明は古代ギリシャからたくさんあるようだ。
*物体からのエネルギーを眼が受けるという説
*物体と物との間に媒体があるという説
*眼がエネルギーを出して物体に到着するいう説。。。。

プラトンは眼から視覚の火が放出されると考えたというから、私が見たこの夢の中ではこの最後の説が正しいのかも知れない。

どんなに科学的にその仕組みが解明されて説明されても、どこかにそのイメージは付きまとうのでは無いだろうか?
物を見るということに時々不安を感じるのは私だけでは無いだろうと思う。
皆同じ形が見えているのか?同じ色を見ているのか?
人それぞれにスペクトル感度が違うのではないのかなあ、と気になるがある。
 感度の良いハイテク眼鏡が開発されて、それをかけるとなんだか見えなかった物がたくさん見えるなんて事があったらどうしよう。

眼から入った映像が頭の中に投影されるときに、主観フィルターなどがあってそこを通り抜けると
いずれにせよ、実像は微妙にずれて行く。


エイドラ?
 

結晶 対 ユーゲントシュティール

2005-05-10 15:54:30 | ミクロ界
夕飯時に電話がなった。 
日頃その時間に電話がなる事が少ないのでちょっとためらったのだが、思い返して受話器をとった。

”是非見せたいものがあるんだけど、今時間あるかな? あれば今からそちらにいくから。。。”
と受話器の声が言った。

30分後現れたのは、隣町に住む知人で、古書や古いドキュメントなどの売り買いをしている。
彼が見せたくて持ってきたものとは、偏光顕微鏡で見た科学物質の結晶を撮った古い写真だった。



残念ながら個々の物質名が記録されていないが、一枚として同じ結晶が見られない。
まるで深海に浮遊する生物、ゴッホのひまわり、野に咲く芥子が風にゆれている図、これは誰の絵だったかな?と思わせる画面、フラクタル模様。。。。
私達が必死に考えて、編み出したと思う形態は既にそこに存在しているのだなあ。。。

結晶化した科学物質のイメージ 対 ユーゲントシュティールの意匠。 どちらが勝つか?

宝物のようにして抱えてきたその束を”欲しければあげる”というので、それはあんまりだからと
私の作品と交換することになった。

"さて、そろそろ家も静かになったかな? 今女房がね、家で学校関係の集まりをしていてね、僕は邪魔だったんだよ。それで彼女が 「犬の散歩をしてきて頂戴」 というんだ。”

彼らの家に犬はいない。

そして"ミクロの花園”と引き換えに”Particlezoo” という作品を選んでから、ちゃんと見えない犬を連れて帰っていった。


200枚くらいもあるかな?