窓を開けると、相変わらずの薄曇りの空が広がっていて、くぐもる喧騒が伝わってくる。
隣の普段は駐車場に使われている広場に移動遊園地がやって来て、準備を始めたのだ。
まだ動かないメリーゴーラウンドには灰色のカバーがかかっていて、売店小屋やくじ引き小屋の窓は固く閉ざされている。その前で関係者らしき男たちが昼休みなのかビールを飲みながらパンをかじっている。始まる前の気ぜわしさと、それに相反する物憂げな空気は、丁度今日の曇り空と同じ色合いだ。
5月15日日曜日、16日月曜日はPfingsten-聖霊降臨祭-である。
Pfingsten(フィンクステン)は”Pentekoste’”と言うギリシャ語の”50番目”と言う言葉が元で、ゴート語の”Paintekuste" と”中高ドイツ語の”Pfingesten"が合わさったものらしい。
Pfingsten月曜日はイースター日曜日から丁度50日目であり、キリスト昇天から10日後になのだ。
その日使徒と聖母マリアが祈っていると天から炎が現れ、そして彼らは聖霊によって様々な言葉を語り始めた。福音の始まりである。そしてこの日のシンボルは”炎”なのだ。
聖霊とは”神-父、イエスキリスト-息子。。”三位一体のなかの一つだが、神学者によっては聖霊に女性的要素を見ている人もいるという。
それと言うのもヘブライ語で”聖霊”は”Ruach Jahwe"と言う女性名詞である事、又ヨルダンで聖霊がイエスに洗礼を授けた時の姿が”鳩”だったと言われる事による。
その”鳩”はオリエントの愛と戦いと豊穣の女神Ischtarののシンボルだったからだ。
もっとも、福音書において聖霊が”鳩”だったとは誰も言っていない。
"鳩のように下って”きたという説明があるだけであり、ルカ福音書だけは”鳩のような形”と描いている。後に絵描きが聖霊の象徴として、そのまま鳩を描いてしまったのだろう。
しかし、だからといって聖霊になぜ女性的要素を見なければならないのはかわからない。
マリア信仰からなのかどうか?
新しい自分の解釈を立ち上げたかったからなのかどうか?
私は詳しい事を知らない。
聖霊降臨祭はイースターと共にユダヤの収穫感謝祭、生贄の祭りが元になっていると言われていて、紀元4世紀に始めてキリスト教祝祭日として記述されているということだ。
ドイツではこの日、牡牛に美しい花輪を付けて練り歩くところもあり、Kirmes-キルメス-といって冒頭に書いた移動遊園地が来る。
KirmesとはもともとKirchmesse-教会のお祭り-という意味だ。
隣の大きな街では鳴り物入りの派手な移動遊園地が来る。
大規模なジェットコースターなどの乗り物や、占い小屋、食べ物屋台が何もなかった草原に突然出現するのだ。
ジェットコースターを組み立てているところを眺めていると不安になってくる。あの螺旋が、ビスが一つでも外れたら、または忘れられた。。。なんて考えてしまったら、もういけない。もちろんドイツの技術監査協会の専門家が来て総点検し、OKが出なければ動かせないことにはなっている。
夜、遠くから眺めると無数の、色とりどりの照明が花火のようで美しい。
夜中まで市電も満員。あたりはぎゅうぎゅう詰めの人だかりになる。
私がそこにノスタルジーを感るのはなぜだろう。
突然現れて、まもなく消えて行く遊園地の儚さから。
子供の時に見た夜祭の空気をそこに感じるから。
ジージーとうなる不安定な電球に照らされた店先の様子が、その頃のときめく鼓動となって思い出されるから。
多分それは私の主観的ノスタルジーフィルターを通ってくる映像なので、現実とは微妙にずれているのだ。ふと気がつくとワイワイガヤガヤとただの喧騒に戻っている。
砂糖衣がけのアーモンドやりんご飴、綿菓子やココナツの切れ端などの駄菓子を買ってちびちびと食べながら、グルグル回る乗り物に乗っている人々、まだ寒いのに水しぶきを上げながら走るローラーコースター、大観覧車のゴンドラが風に揺れているのを眺めているのも一興だ。
私はグルグルする乗り物にはもう何年来乗っていない。。。。
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ちなみにイースターや聖霊降臨祭は必ず決まった日ではなく移動型祝日だ。
1600年から2399年までの イースターと聖霊降臨祭を調べる事ができるサイトを見つけた。
隣の普段は駐車場に使われている広場に移動遊園地がやって来て、準備を始めたのだ。
まだ動かないメリーゴーラウンドには灰色のカバーがかかっていて、売店小屋やくじ引き小屋の窓は固く閉ざされている。その前で関係者らしき男たちが昼休みなのかビールを飲みながらパンをかじっている。始まる前の気ぜわしさと、それに相反する物憂げな空気は、丁度今日の曇り空と同じ色合いだ。
5月15日日曜日、16日月曜日はPfingsten-聖霊降臨祭-である。
Pfingsten(フィンクステン)は”Pentekoste’”と言うギリシャ語の”50番目”と言う言葉が元で、ゴート語の”Paintekuste" と”中高ドイツ語の”Pfingesten"が合わさったものらしい。
Pfingsten月曜日はイースター日曜日から丁度50日目であり、キリスト昇天から10日後になのだ。
その日使徒と聖母マリアが祈っていると天から炎が現れ、そして彼らは聖霊によって様々な言葉を語り始めた。福音の始まりである。そしてこの日のシンボルは”炎”なのだ。
聖霊とは”神-父、イエスキリスト-息子。。”三位一体のなかの一つだが、神学者によっては聖霊に女性的要素を見ている人もいるという。
それと言うのもヘブライ語で”聖霊”は”Ruach Jahwe"と言う女性名詞である事、又ヨルダンで聖霊がイエスに洗礼を授けた時の姿が”鳩”だったと言われる事による。
その”鳩”はオリエントの愛と戦いと豊穣の女神Ischtarののシンボルだったからだ。
もっとも、福音書において聖霊が”鳩”だったとは誰も言っていない。
"鳩のように下って”きたという説明があるだけであり、ルカ福音書だけは”鳩のような形”と描いている。後に絵描きが聖霊の象徴として、そのまま鳩を描いてしまったのだろう。
しかし、だからといって聖霊になぜ女性的要素を見なければならないのはかわからない。
マリア信仰からなのかどうか?
新しい自分の解釈を立ち上げたかったからなのかどうか?
私は詳しい事を知らない。
聖霊降臨祭はイースターと共にユダヤの収穫感謝祭、生贄の祭りが元になっていると言われていて、紀元4世紀に始めてキリスト教祝祭日として記述されているということだ。
ドイツではこの日、牡牛に美しい花輪を付けて練り歩くところもあり、Kirmes-キルメス-といって冒頭に書いた移動遊園地が来る。
KirmesとはもともとKirchmesse-教会のお祭り-という意味だ。
隣の大きな街では鳴り物入りの派手な移動遊園地が来る。
大規模なジェットコースターなどの乗り物や、占い小屋、食べ物屋台が何もなかった草原に突然出現するのだ。
ジェットコースターを組み立てているところを眺めていると不安になってくる。あの螺旋が、ビスが一つでも外れたら、または忘れられた。。。なんて考えてしまったら、もういけない。もちろんドイツの技術監査協会の専門家が来て総点検し、OKが出なければ動かせないことにはなっている。
夜、遠くから眺めると無数の、色とりどりの照明が花火のようで美しい。
夜中まで市電も満員。あたりはぎゅうぎゅう詰めの人だかりになる。
私がそこにノスタルジーを感るのはなぜだろう。
突然現れて、まもなく消えて行く遊園地の儚さから。
子供の時に見た夜祭の空気をそこに感じるから。
ジージーとうなる不安定な電球に照らされた店先の様子が、その頃のときめく鼓動となって思い出されるから。
多分それは私の主観的ノスタルジーフィルターを通ってくる映像なので、現実とは微妙にずれているのだ。ふと気がつくとワイワイガヤガヤとただの喧騒に戻っている。
砂糖衣がけのアーモンドやりんご飴、綿菓子やココナツの切れ端などの駄菓子を買ってちびちびと食べながら、グルグル回る乗り物に乗っている人々、まだ寒いのに水しぶきを上げながら走るローラーコースター、大観覧車のゴンドラが風に揺れているのを眺めているのも一興だ。
私はグルグルする乗り物にはもう何年来乗っていない。。。。
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ちなみにイースターや聖霊降臨祭は必ず決まった日ではなく移動型祝日だ。
1600年から2399年までの イースターと聖霊降臨祭を調べる事ができるサイトを見つけた。