散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

蘇る廃墟

2005-05-27 02:38:17 | 美術関係
この写真はホールとして完成する以前の状態。


ルール工業地帯には沢山の廃墟が点在する。
古い工場、倉庫、鉄鋼、炭鉱関係の様々な施設の成れの果てだ。
美術館、画廊、コンサートホール、イベントホールなどとして、それらは、徐々に手が入り、新しい目的を与えられ、その開発は世界的にも注目を浴びている。それぞれ独特の雰囲気を持っていて面白い。
私はもともと廃墟、廃屋瓦礫の中を散策するのは好きなので楽しいのだが、だんだんに探検の余地ありの”本当の廃墟”は減ってきているようだ。
その中の一つの建物の改修が1993年に終了し、多目的ホールとして再出発した。


Bochumという街のはずれにある”Jahrhunderthalle"(世紀ホールとでも言ったらいいのか)は旧鋳鉄鋼工場のゲレンデ(8,900平米)の中にあり、長い事廃墟同然となっていた。
ホールは工場だったとはいえ、機械を取り払われ広い空間はどちらかというと聖堂のような趣がある。

2年前に”ルール トリエンナーレ ”という新しい企画が発足し、その中のコンサートの一つをそこで聴くことがあった。
出し物はメシアンのオペラ、”アシジの聖フランチェスコ”で、5時間半の演目だ。オペラ座の雰囲気と違いフェスティバルであるから、人様々ないでたちで、ドレスアップの婦人がいるかと思えば、スーパーマーケットの買い物袋を提げてサンダル履きの輩も見える。
特別蒸し暑い日で、場内の空気はよどんでいる。
会場がすっかり観客で埋まり、演奏が始まる直前の緊張感が張りつめるのが目に見え、オーケストラが演奏を始めたその瞬間、私の席から20列ほど前の若者がいきなり立ち上がった。
そして”いやだ、違う、そうじゃないんだ!お父さん、お父さん”と声を限りに叫びだしたのだ。我々は何が起こっているのか見当がつかない、見回せばどの客も似たリよったりの反応だ。ひょっとしてこれは何か"芝居”の宣伝か?パフォーマンスと言う事もありえるか?。。と
繰り返し”お父さん”、"いやだ"と叫び続け、隣の女性の腕を捕らえて席から引きずりおろそうとしている。ようやくこれは尋常ではないと思いはじめた頃に、係員達が四方から飛んできて若者を押さえようとしたが、彼は目くら滅法に走り出してしまった。係員は”協力してください。お医者さんいらっしゃいませんか!”と叫びながら若者を追いはじめた。幾人かの観客が手伝うべく立ち上がって様子を見ている内に、若者は廊下に走り出た。

演奏は始まったが若者がいまだ叫びながら廊下を右に左に走り回る音がはっきり聞こえてしくる。
ざわめきは徐々に低くなり、やっと静かになってからも、しばらくはオペラに集中できず、客は皆心ここにあらずの様子だった。

そんな事があったにもかかわらずオペラはとてもすばらしく、メシアンを5時間半も通せるかという懸念もいつの間にか消えていた。

舞台美術はイリア カヴァコフというロシアの美術家が担当し、能舞台のように様式化された簡素な舞台の中央に、聖堂の丸天井を模った大きな光のオブジェクトだけが据えられ、場面によって色を変えると言う仕組みである。粛然とした伽藍の内部を思わせ、あるときは情熱を、あるときは至福を色彩で表現してゆく。私には気にいった舞台美術だったのだが、なぜか賛否両論だったと後で聞いた。
今回の"ルール トリエンナーレ”の総監督はザルツブルク音楽祭で手腕を振るったモーティエで、さすがにすばらしい企画だった。

真夏日の夜である事もあって、ホールの外に沢山並べられたろうそくの火は、古い倉庫の壁をどこかイタリアの町のようにも見せ、蒸し暑い夜は、どこか日常から外れたような雰囲気を持っていた。

廃坑や工場の再利用として、今回の企画は完璧だったが、まだなかなか思うように運ばれていない様に見えるのが残念だ。

明るい時間帯に周辺を探索すると、それも不思議な魅力があって、まるでタルコフスキーの世界に入り込んだかの様子な風景も見られる。
廃墟や廃屋の魅力についてはそのうちに又書く事にする。



ところで、叫ばなければいけなかった若者は今頃どうしているのだろう。