心に残る人物 その1
今朝カタログの整理をしていて見つけた写真がある。
今年2月に行われたケルンのアートメッセの特別展はグスタフ メスマーの“飛行機械”とモデル、スケッチ。
メッセ自体は面白くなかったがこの展示を見る事が出来たのは大きな収穫だった。ちょっと照れくさそうで嬉しそうな彼の表情がとてもいい。
グスタフ メスマーは1903年1月16日にドイツのラーベンスブルグで10人兄弟中の5番目に生まれた。
11歳で退学し農家に働きに出なければならなかったが、まわりの進めもありベネディクト派の修道院に入った。知り合いの尼僧に”あなたならいい修道士になれる。”と言われた事も動機の一つだったようだ。ある意味、子供のように純粋だった。
何が切っ掛けだったのか、修道院での彼の体験はキリスト教への不信を植え付け、故郷に戻り、家具職人に弟子入りする。
その後、教会との間で問題を起こしてしまい、精神分裂症と診断され、以後精神病院の壁に囲まれて暮らすことになる。
ある時、或るオーストリア人とフランス人が自転車に翼をつけて飛ぼうとしている、と言う記事が目に留まり、それ以降彼は“飛ぶ機械”を作る事に魅せられてしまった。
また、自らの家族を持ちたい願望ゆえに16回脱走を繰り返すが、いづれも見つかっては引きもどされた。涙ぐましいエピソードが残っているがここでは割愛する。
1940年ナチ党によって“生きる必要無き人間”として病人などの多くの人々がガス室に送られたが,幸いにも彼は手先が器用で手工芸に長けていた為リストから免れる事が出来た。
籠作りやら、木工作業のかたわらひたすら“飛行機械”の発明とスケッチ、モデルを作り続け80年代に彼の友人の思いつきで展覧会が企画され、大反響を得る。
展覧会の成功は彼に何をもたらしたであろうか?彼はただ飛びたかっただけだろう、と私は想像する。彼が実際に飛んだかどうかの記録は無いが彼の心は何度も空を飛んでいたに違いない。
1994年92歳の誕生日直前にラウエンタールのイカロスは天に昇った。
今朝カタログの整理をしていて見つけた写真がある。
今年2月に行われたケルンのアートメッセの特別展はグスタフ メスマーの“飛行機械”とモデル、スケッチ。
メッセ自体は面白くなかったがこの展示を見る事が出来たのは大きな収穫だった。ちょっと照れくさそうで嬉しそうな彼の表情がとてもいい。
グスタフ メスマーは1903年1月16日にドイツのラーベンスブルグで10人兄弟中の5番目に生まれた。
11歳で退学し農家に働きに出なければならなかったが、まわりの進めもありベネディクト派の修道院に入った。知り合いの尼僧に”あなたならいい修道士になれる。”と言われた事も動機の一つだったようだ。ある意味、子供のように純粋だった。
何が切っ掛けだったのか、修道院での彼の体験はキリスト教への不信を植え付け、故郷に戻り、家具職人に弟子入りする。
その後、教会との間で問題を起こしてしまい、精神分裂症と診断され、以後精神病院の壁に囲まれて暮らすことになる。
ある時、或るオーストリア人とフランス人が自転車に翼をつけて飛ぼうとしている、と言う記事が目に留まり、それ以降彼は“飛ぶ機械”を作る事に魅せられてしまった。
また、自らの家族を持ちたい願望ゆえに16回脱走を繰り返すが、いづれも見つかっては引きもどされた。涙ぐましいエピソードが残っているがここでは割愛する。
1940年ナチ党によって“生きる必要無き人間”として病人などの多くの人々がガス室に送られたが,幸いにも彼は手先が器用で手工芸に長けていた為リストから免れる事が出来た。
籠作りやら、木工作業のかたわらひたすら“飛行機械”の発明とスケッチ、モデルを作り続け80年代に彼の友人の思いつきで展覧会が企画され、大反響を得る。
展覧会の成功は彼に何をもたらしたであろうか?彼はただ飛びたかっただけだろう、と私は想像する。彼が実際に飛んだかどうかの記録は無いが彼の心は何度も空を飛んでいたに違いない。
1994年92歳の誕生日直前にラウエンタールのイカロスは天に昇った。