散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

白アスパラガスと赤いイチゴ

2005-05-13 19:28:56 | 飲食後記
畑の横を歩くと、妙に畝の高い場所があって、土山の下にはアスパラガスがひっそりとしかし逞しく育っている。
陽に当って色がついてしまうと味がかわるので土の下に隠されている。
この時期になると出稼ぎでポーランドなどから来る日雇い労働者が、汗水流して収穫するのだ。
それは傷つきやすいので、丁寧に人手で収穫されなければいけない。

ドイツ人は白アスパラガスに目がない!

採りたての白アスパラガスは内から輝くような薄いクリーム色で、いかにもきめ細かく美味しそうだ。
もう店で買う前から生唾を飲んでしまう。
細くて直径1,5cm、太くて3cm程の物もあって、採りたてはいかにもみずみずしく、水分をたっぷり含んで折ればパキッと飛沫が飛び、生で齧るとシャリッと音がし、口の中には独特の香が広がるのだ。
しかし、生でガシガシ食べるものではない。なぜならアスパラギン酸はゆがかれてから特有のうまみが出るというものらしい。

まずアスパラガスの皮をむく。高かったからと言ってケチケチと薄くむいてはいけない。
大きな深鍋(アスパラガス用ゆで鍋と言うのも売っている)でお湯を沸かし、砂糖とバターの塊をおとしてアスパラガスをゆがく。
ゆで湯の中でそれが少し透き通るようにみえたとおもったら、試しに齧ってみる。
歯ごたえよく噛み切れる位に茹で上がっていれば、引き上げて水気を切る。ここで試食を続行したい気持ちに堪えて、ソースの事を考えなければいけない。もう少しの辛抱だ。
ソースにもいろいろあるが私の場合は、溶かしバターにパセリ、手元にあるハーブのみじん切りをまぜて、さっとアスパラガスにかけるだけが好きだ。
付け合せは、極薄く切られたばら色のイタリアパルマ生ハムと茹でジャガイモ(ドイツにはそれはもうたくさんのジャガイモの種類がある。)を添えるだけのシンプルな食べ方が気にいっている。

この時期はイチゴの出回る時期でもあって、そこここに”イチゴ売り”がでる。
イチゴが大好きな私はとてもうれしくなって店の前に並んでいるのを見るとつい買ってしまうのだ。

もしもアスパラガスを食べ残す事があればサラダも良いかもしれない。
ちょっと思いついて、イチゴをつぶしてサラダドレッシングに混ぜ合わせてみた。
ドレッシングには、イチゴ色を殺さぬためにも、味を引き立てるにもこの場合白バルサミコ酢が合うと思う、そこに少し生のバジリコとセージを少しだけと、粒からし種をいれる。粒からし種は味よりも歯応えのために加えてみたかった。
アスパラガスの上に赤いソースがトロリとかかり、スライスしたイチゴとバジリコの葉を添え、キリリと冷えた白ワインを用意すると。。。。。

ついでにピカピカした大粒のイチゴにかぶりつきながらこの間、知人が持ってきたスパークリングワインを飲む。

ああ、もうこれは至福です。

アスパラガスの公やけの最終収穫日(!)は6月24日で、それ以降はアスパラガスの宿根を来年まで休養させなければいけないという配慮。
だから、美味しいアスパラガスが市場から消える日までたゆまずせっせと食べ続けるのだ。

風吹く-氷の聖人たち-

2005-05-12 05:07:32 | 思考錯誤
隣家からはひっきりなしにくしゃみが聞こえてくる。

ちょっと晴れたが、寒い。

風が強い。

5月12日から14日までを聖人”Pankratius, Servatius,Bonifatius"にちなんで
"Eisheilige"-氷の聖人-という。

ちょうどこの頃中央ヨーロッパでは突然寒くなって地面が凍ったり、雪が降ったりする事が多い。
農家の言い伝えでは、この時期が終わるともう寒は戻らないといって、心待ちにしているのだ。

*12日聖パンクラティウスの日に地面が凍ると庭がすっかりダメになる。
*13日聖セルヴァティウスの日が過ぎれば、夜霜が降りる心配が無い。
*14日聖ボニファティウスの日以前に夏は来ない、聖ソフィの日以降に霜は降りない。

昔、農家ではこの時期、夜は火種を用意して待機していたそうだ。折角みずみずしい芽が生え揃った畑を凍り風にあらされて被害を受ける事も多かったのだろう。

今日聖パンクラウティウスの日、寒かったとは言え、霜は降りなかったので、庭や畑は無事に違いない。

(上の写真は風と一緒にカメラも動かした)

みそっぱ

2005-05-11 04:25:48 | 美術関係
歯が少し痛い。右の奥歯だ。
歯医者に予約を取らなければいけない。。。ともう数週間前から心に言い聞かせている。

昔は良く”みそっぱ”の子供がいたものだが、最近あまり見かけない。

最近、といってももう去年の個展の時の事だが、オープニングでとても利発な5歳の少女に出会った。
大人が相手でも物怖じせず、大きな笑う眼で物を言う子供だった。
帰り際、彼女はスタスタスタとやってきて私を見上げて”私ね、ここで見た絵はお菓子一袋よりずっと好きだよ”という素敵な賛辞をくれた。なんてうれしい言葉だろう。
横で彼女の母親がやはり笑いながら”この子お菓子が大好きなの”という。
それは彼女の最大級の賛辞だった筈だ。
彼女が大きな口をぱっくりあいて笑った笑顔には見事にみそっぱが並んでいた。
”後で写真を送るね”と約束すると、大きな眼をくりくりさせて ”ほんと!? そうしたら私、始めて手紙をもらうんだ!”とうれしそうにクッキーにかじりついた。


歯医者の予約。。。。ね。

視線のエネルギー

2005-05-10 22:50:01 | 思考錯誤
がらん、とした人気無い教室のなかに入り、教壇に近づくと、肌がチクチクとするので妙だと思った。
そのうちに痛みはどんどん増してきて、まるでレンズを通ってきた太陽光が肌に当たって焼けるようだ。逃げなければいけない。。。

。。。というところで目が覚めた。

教壇の上には、石膏の胸像が乗っている。
デッサンをする生徒たちの視線のエネルギーがまだ残っていて、それは今は誰もいない教室の中なのにふと感じるどころか、無数の針のような視線の記憶だ。。という夢なのだ。
私はたびたび、かなりはっきりと、総カラーで、長い、時には匂いもあり、時には食べて味わってしまう夢を見る。
しかし今回は視線光ビームの話。

物が見える原理についての説明は古代ギリシャからたくさんあるようだ。
*物体からのエネルギーを眼が受けるという説
*物体と物との間に媒体があるという説
*眼がエネルギーを出して物体に到着するいう説。。。。

プラトンは眼から視覚の火が放出されると考えたというから、私が見たこの夢の中ではこの最後の説が正しいのかも知れない。

どんなに科学的にその仕組みが解明されて説明されても、どこかにそのイメージは付きまとうのでは無いだろうか?
物を見るということに時々不安を感じるのは私だけでは無いだろうと思う。
皆同じ形が見えているのか?同じ色を見ているのか?
人それぞれにスペクトル感度が違うのではないのかなあ、と気になるがある。
 感度の良いハイテク眼鏡が開発されて、それをかけるとなんだか見えなかった物がたくさん見えるなんて事があったらどうしよう。

眼から入った映像が頭の中に投影されるときに、主観フィルターなどがあってそこを通り抜けると
いずれにせよ、実像は微妙にずれて行く。


エイドラ?
 

結晶 対 ユーゲントシュティール

2005-05-10 15:54:30 | ミクロ界
夕飯時に電話がなった。 
日頃その時間に電話がなる事が少ないのでちょっとためらったのだが、思い返して受話器をとった。

”是非見せたいものがあるんだけど、今時間あるかな? あれば今からそちらにいくから。。。”
と受話器の声が言った。

30分後現れたのは、隣町に住む知人で、古書や古いドキュメントなどの売り買いをしている。
彼が見せたくて持ってきたものとは、偏光顕微鏡で見た科学物質の結晶を撮った古い写真だった。



残念ながら個々の物質名が記録されていないが、一枚として同じ結晶が見られない。
まるで深海に浮遊する生物、ゴッホのひまわり、野に咲く芥子が風にゆれている図、これは誰の絵だったかな?と思わせる画面、フラクタル模様。。。。
私達が必死に考えて、編み出したと思う形態は既にそこに存在しているのだなあ。。。

結晶化した科学物質のイメージ 対 ユーゲントシュティールの意匠。 どちらが勝つか?

宝物のようにして抱えてきたその束を”欲しければあげる”というので、それはあんまりだからと
私の作品と交換することになった。

"さて、そろそろ家も静かになったかな? 今女房がね、家で学校関係の集まりをしていてね、僕は邪魔だったんだよ。それで彼女が 「犬の散歩をしてきて頂戴」 というんだ。”

彼らの家に犬はいない。

そして"ミクロの花園”と引き換えに”Particlezoo” という作品を選んでから、ちゃんと見えない犬を連れて帰っていった。


200枚くらいもあるかな?

ケルン

2005-05-09 17:26:01 | 移動記録
ケルンは私の好きな街の一つだ。

歩いていると、あっちこっちにローマの遺跡の残りが覗いていたり、きらびやかな商店街を歩いていて、ふと視線をずらすとロマネスク様式の教会が時間を越えて存在している。

昨日5月8日は”美術館の日”で、いずれの美術館も入場無料のうえ、殆ど30分おきにいろいろなテーマでの案内やイベントがあった。
”入場無料”の吸引力で、どこの美術館もものすごい人の流れが渦巻いていた。
普段お金を出してまで入らない、という人も何気なく入って見るに違いないし、家族大勢で入っても財布は痩せないですむ。
 私は特にそれが目当てでうろついていたわけではなく、知人の展覧会を見に行くためだった。

ライン川沿いにある見晴らしの良い場所に会場はあって、写真を中心にすえながらも絵画的に料理してゆくタイプの作品は静かで気持ちの良い展示だった。
しばらく雑談してから画廊を引き上げ、観光客に混ざって散歩をすることにした。

。。。。と話はケルンに点在する遺跡に向うかといえば、そういうわけにはいかない。
一天にわかに掻き曇り、大粒の雨がいきなり滝のように降り落ち、雷は黒い雲を縫う。
たいそうドラマチックな空模様になってしまったのだ。
ここしばらくこんな天気は続いていて、傘なしに歩くのは覚悟がいる。
 そういえば訪ねた画廊で会った作家の写真の中に雨の写真があって、古典的西洋絵画のなかには雨を描いた人が少ないね、という話をした。雨なんて極つまらない事象であって描くに足らないものだったんじゃないか?というのが彼の説だけれど、どうなのか? 
雨にもいろいろあるけれど、嵐ほどの展開が無ければドラマ性にかけるということか?

兎に角、幸い近くにあった美術館にあわてて逃げ込む。やはり入場無料でありがたい。

雨宿りの軒を借りたのは装飾美術館で、特筆するコレクションがあるとは聞いた事が無いのだが、本当の所はわからない。
ユーゲントシュティールから現代までの家具、道具、装飾品が展示されている。
18世紀の貴族が旅行をするときにもっていった大きな日用品セットがあって、何でもかんでも
揃っているのが面白い。どんな道中だったのだろう?
どのように使ったのだろう?とか、これをどんな人が使ったのだろう?
などと思いを馳せて、ぼんやりする時間はなかなか良いもので、思いがけず楽しく大変得した気分になった。


5月8日 ケルン 散歩絵


影狩り

2005-05-07 17:40:47 | 思考錯誤
一時”影”を収集していた事がある。いや、まだ収集は続く。

影の写真や、影の絵を描いてみたり、”Schattenjagt" - "影狩り”という本のオブジェも作ってみたし、まだその続きを考案しているところ。
影がなぜ魅力的なのだろうか?
それは単に光があることによって現れる写し身であって、実態ではないのに、
時には本体よりも、影の方に存在感を感じてしまうのはなぜだろうか?

他人の影を踏んではならない。
どこに影が落ちるか気をつけなければいけない。。。。
影は人間の魂をあらわすと信じる人たちもいる。

子供の時は”影ふみ”をして遊んだ。自分の”影”を踏まれるととても悔しく思ったものだ。

植物ナス科をドイツでは”Nachtschatten Gewaechse " - 夜の影 科 -と呼ぶ。
実はこのNacht(夜)schatten (影)の Schatten は古い言い回しのSchaden - 損害、損傷-という言葉からきている。
だから、それは ”Nachtschaden"-夜の被害-ということになる。
昔 ”Nachtschaden"という言葉には" Alptraum"-悪夢-という意味が含まれていたという事だ。
ナス科の植物は多かれ少なかれアルカロイド ソラニンを含んでいる。
かの有名なベラドンナ-眼を魅力的に見せるためにベラドンナ液を瞳孔にさしたという-
はその代表であり、他にも強い毒性を持つヒヨスなどは薬としても使われるかたわら、間違ったら命取りという成分を秘めている。
昔、それを服用しては悪夢を見たり、場合によっては命をとられる事があったからこの名前が付けられたのだろうと想像する。

そういえば日本では”秋茄子は嫁に食わすな”というけれど、あれはやっぱり食べ過ぎるといけないからなのだろうか? いろいろ説はあるようですが。。。。

”影”から思わぬ方向に話が走ってしまった。


平行植物

2005-05-05 18:58:06 | 植物、平行植物
”先週聞いた事なのだけど、ある場所でしか本当の姿の花を咲かせない植物があるらしいよ。
ある条件を満たした場所に根を下ろしたときだけ、遺伝子レベルでの変化がおきるのか、花の色も形も変化するんだって。メタモルフォーゼだね。
普段は条件が揃わないと芝草と同化していて、芝草と同じような花を咲かせるんだけど、メタモルフォーゼが起きると直径4cmくらいの白い花が咲くらしい。白くてとても薄い花びらで、それなのに硬質に見えて、透き通るように見えるって言う噂だよ。
ここから小一時間ほど車で行ったところに、それが生えたという情報があったので、探してみようと思うから、見つけたら写真送るね。”
。。。というメイルを書いてある友人に送ったが、返事はまだ来ない。見ていないのか、または馬鹿げた冗談を見抜いて次の反応をうかがっているのかもしれない。

そんな馬鹿な話を信じる人はいないだろうけど。。。でも夢の中ではそんな植物も存在することが出来る。例えば私は夢の中で”青いマグノリア”を見た。
森に向かう路上で小石を蹴りながら”青いマグノリア!”と唱えると小石が地面に届くか届かないかという所で花咲くのだ。 きれいな花だったなあ。
でもそんな植物が生えていると言う噂を聞いたら、すぐにも私は出かけるだろう。

レオ レオーニの著書の中に”平行植物”というものがある。
私のお気に入りの本の一つだ。我々が住んでいるこの次元では見られないか、または隣の次元との境目に棲息している植物たちを紹介している。

ひょっとしたら存在しているんではないか?森の中の古い木の根元や都会の喧騒の中の死角に、ボーッと花らしきものが見えやしないか? そんなことを考えながら散歩するのは楽しい。

私の本棚の”お気に入り”のなかに ”Pflanzen der Goetter" (神々の植物) Richard E.Schultes、Albert Hofmann共著という本があって、特別な植物について書かれている。 
様々な文化圏でいろいろな薬草、毒草をシャーマンたちは神からのお告げを受ける助けとしてきた。 幻覚作用のある植物とその利用は世界中に存在する。

案外我々の身近にも”神々の植物”が見つかるので面白い。
カナビス、オニゲシ。。これは庭に植えているとお縄を頂戴するので、あまり見かけない。
COLEUS.blumeiは観葉植物として人気がある。面白い事にColeus150種のなかにまだ幻覚要素が見つかっていないのにもかかわらず、南米で占いの時にこの葉を噛んだり、汁を水で薄めて服用する。なぜだろう? 知られていないアルカロイド系成分があるのかな?
それとも人間の意識化に働きかける”何か”があるのか? 
Daturaはメキシコ、南アフリカ、またはアジアにも分布する種があるが、その一種エンジェルス トランペットは最近日本の庭に植えられているのを見かける。香強い花が艶かしく妖しい。ドイツでは室内で冬越ししなければならないので、半室内植物。 Scopolamin, Hyoscyamin, Atropin その他多くのアルカロイド系成分を持つ。その親戚の
Datura inoxia Mill.はアメリカチョウセンアサガオはエンジェルに対して別名デビルス トランペットの名を頂戴していてその成分はかなり強い。神々の植物としてアステカで有名なToloacheである。根、種子、葉を儀式に使う。
Ipomoea purpureaマルバアサガオとして知られている。南メキシコでは幻覚作用のため儀式に使うので、重要な植物だ。指貫一杯位の種の粉末を水に溶かしてから飲むらしい。
Petunia violacea Lindl. 夏にはペチュニアが花壇や窓辺を飾るが、これもエクアドル高原地方では儀式に必要な植物だという。

店に売られているこれらの植物は既に園芸種として栽培され、その効用が希薄になっているとは言え、そうやって見るといつも目にする他愛ないやさしげな植物の隠されたポテンシャルが気になってきて、いつもとは違って見えてくるのは私だけだろうか?

あなたの庭もなにやら妖しげな雰囲気になってきたのではありませんか?
ひょっとして、ひょっとして茂みの影に透き通るような白い花が見えませんか?

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上の写真について:Guambiano-Indianの絵。Brugmansia Vulcanicola (Brugmansia はDaturaと同じ成分を持つ。) は”悪い鷲の木”と呼ばれ、この木の下に座るとしばし記憶をなくし空を飛ぶ気持ちになるのだそうだ。
なくしてもいい記憶が溜まった時には、この木の下で”飛んで”みたい。

ロシア その2

2005-05-04 19:15:04 | 移動記録
(今手元のその頃の写真を一枚一枚眺めていたら、いろいろな事が思い出されてきたので、もう一度記憶の中で旅行をしてみることにする。)

翌日。
モスクワ郊外にあるカローメンスコエに行った。世界遺産になった建物がある。
天気も良かったので、遠足気分で気持ちが良かったのを覚えている。ロシア正教の修道院へも行った。きらびやかな装飾は圧巻だった。どういうわけだか修道院へ向う道に聖母マリアのマントとも呼ばれるハゴロモ草が沢山生えていたことを鮮明に記憶している。

夕方モスクワ市内に戻り展覧会場へ向う為にジェトンを買って地下鉄駅構内に入る。
モスクワの地下鉄駅構内はとても素敵だ。まるでお城の中のように絵の描かれた丸天井や、シャンデリアが下がっていて、博物館然としているが、モザイク絵に近づいてゆくとその内容はプロパガンダだったりもする。なるほどね、と妙なところで感心してしまう。
この装飾的な地下鉄はロシア人の誇りであるらしかった。
仲間のアレクサンダーと街を歩いていると" おい、わかるか?ありゃ絶対KGB上がりだ。”と女ツーリストガイドを指差す。我々にはわからないオーラが出ているのだろうか。そんなものらしい。
そんな事を言われるとドキドキしてしまうではないか。。。。

展覧会のオープニングはまずまず盛況だったが、特記すべきことがあった記憶は無い。
この日はウォッカではなくロシアのシャンパンスキーを飲んだ。
しばらくマーシャたちと話をした後、翌日の約束をして別れた。

その翌日は、 ユーリ アヴァクモフ という作家のアトリエに招待された。全員集合だ。
建築を学んだ彼は若手で活躍しているようだった。
多分ロシアのスタンダードとしては立派なアトリエだったのかも知れないが、地味な生活ぶりで、皆にスパゲッティ ナポリターナを作って振舞ってくれたのがなぜか印象的だった。テーブルの横にまだ小さなトマトの苗が1本おいてあったのも思い出す。室内で育てる野菜としてトマトは比較的簡単だからなのだろうか、みんなトマトを育てている。
その午後サンクト ペータースブルクに向かう予定だったので、送ってくれる事になりゾロゾロと駅をめざしながらゆっくりと歩いた。
駅の構内に入ると、ちょっと姿の見えなかったイワンがウォッカと紙コップを携えてニコニコしていて、揚げパンのようなものも持っている。
”これを食べなよ”といって渡してくれたのだが、ギトギトした油は見るからに一口で胸が悪くなりそうな代物だった。
”(ウッ)。。。有難う。でもお腹一杯だから半分もらうね。。。”といってウォッカを飲みながら数口飲みくだすのが精一杯だった。そしてその一口さえも後で後悔することになる。

とにかく皆一人一人親切で気持ちの良い人たちだった。彼らは今頃どんな生活をしているのだろう? 後日イワンは展覧会をするためにドイツに来て、一度電話をくれたが、そのときはドイツ語も達者になっていて驚いたものだ。元気そうだったが、残念ながらそれ以来コンタクトは無い。マーシャはその後一児の母となり、一人で育ているようだった。しばらくの間文通があったが、しだいに途絶えてしまった。

さて、電車はSt.ペータースブルクに向かい、私のお腹もゴロゴロの超特急だ。
やはりイワンがくれた揚げパンが原因なのは明らかだ。食べなければ良かった。
これ以上汚す事が出来ないほど汚れきった電車のトイレに夜中何度も通い疲れ果てて朝方目的地に到着した。
バスでホテルに向かう中、ああもうエルミタージュなんかどうでもいいから、早く走ってくれ!と心の中で唱えながらじっと耐えていると、ようやくホテルに到着、いの一番にトイレに駆け込んだ。

モスクワでは、オリンピックの際建てられた巨大で煤けたホテルに泊まりホテル内で、冷や汗をかくくらいに迷子になったり、戸惑う事がいくつもあった。
各階の小さなブースの中に鍵を管理する人が座っていていちいち預けたりする事や、エレベーターに乗るとある筈の無い階まで明かりがついて、怖くなった事。。。。
ちょっとストルガツキ-兄弟の小説の中に迷い込んだような雰囲気があって、その気になれば楽しめるのだった。

St.ペータースブルクの宿はモスクワのホテルよりずっと新しく、クーラーも不必要にきいていて、しかし面白みの無い月並みなホテルだった。

まず、美術品修復の仕事をしている女性に、頼まれたものを渡す使命があったのでロシア美術館にで出かけた。何とか使命を果たしてから一番の目当てであるエルミタージュ美術館に早速むかう。
これがうわさのエルミタージュなのか。。。と感心するより、改修で締められた部屋が多く、なんだか肩透かしを食らった気分を覚えている。確か三分の一ほどを見る事が出来ただけだったのだ。
翌日モスクワであった若いアーティストと再会し彼らのアトリエを訪ねる。
何しろその頃のロシアはマテリアルの困窮はなはだしく、割れたガラスや使い古した釘まで店で売っているくらいだったから、アトリエの中は工夫に満ちている。
床はあちこちから集めてきた古いドアが敷き詰められていたりするので、まるで不思議の国のアリスが迷い込んだ部屋のようだった。色々なドアを踏んで歩く。
一人の若者が片隅でコインで易をやっている。易が流行っていたようだった。
のんびり数時間過ごして彼らと別れ、ホテルに戻った。
煤けて埃にまみれていながらも、St.ペータースブルクは美しい街だった事がいまだに伺えた。
イタリアを思わせる街並みだ。
本屋を見つけたので入ってみたが、それほど本が無い。子供の絵本を買った。

一日はエカテリーナ宮殿を見学し、かの有名な琥珀の間を見る。
庭は美しくあちこちに人をびっくりさせる仕掛けの噴水があったりして楽しい。
なぜかバロックの楽士の扮装(?)した楽士が宮殿の前で音楽を奏でている。

St.ペータースブルクでは町中に音楽があふれている感じがあったのは偶然なのか?
広場ではたくさんのミュージシャン達が、それぞれに音楽を奏でていた。

ほんの10日間の短い旅行だったのに、まだ西に向かって開かれたばかりのロシアは刺激的で印象深いものだった。

アエロフロートはその頃、折りたたみ座席(!)があって、途中ハンブルクで大方の乗客が降て再出発の際、空席がバタバタバタバタと前に倒れた。
私はかなり驚いて、あたりを見回すと、やはり唖然として豆鉄砲を食らった鳩のようになっている乗客達の顔があった。

ロシアはあれからどんな風に変わったのだろうか? イワンはやはり黒い鞄にウォッカを忍ばせているのだろうか?

ロシア

2005-05-03 21:54:30 | 移動記録

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本日のメッツセージ
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今朝メイルを開けると、ロシア人の展覧会の案内が届いていた。

そこでロシアでの10日間を思い出した。10年以上前の昔話、もうだいぶ変わっていると思う。

1992年5月アエロフロートでモスクワに向かった。飛行場に着いて情報の乏しい混雑の中に呆然としていると、スーッと小柄な女性が近づいてくるのが見えた。彼女の名はマーシャという。
ドイツ語を話すので、連絡係として待っていてくれたらしい。彼女の隣に、やはり小柄で細身の丸坊主の青年(?)が黒い書類鞄を大切そうに抱えて控えていた。彼の名はイワン。
我々を歓迎するためにきてくれたのだが、彼等自身情報把握が難しく随分待ったという。
イワンは飛行場の片隅のホコリが数ミリ積もる、薄暗い窓際に我々をいざない、おもむろに黒鞄を開けた。覗くと中にはウォッカ1本と紙コップが数個入っているきりだった。我々は紙コップの入ったウォッカで”ナツトローヴィエ - 乾杯”を2回繰り返した。
そうやってロシアの旅は始まった。

翌日グループ展の準備のために、モスクワ市内のホールに向かった。
入り口の女守衛はどうしても中に入れてくれようとしない。案内状を見せようとなにをしようとお手上げで、お互いに解さない言葉を突きつけあうのは無駄な行為のようだった。
数分途方に暮れていると背後から英語を話す助け舟が現れた。
そこの職員らしかったが、館内は異様に広く、沢山の部屋があり沢山の企画があり一人の人間が全てを把握することは至難の業らしい。その"助け舟”でさえ2,3回聞きまわりながら ”こっちですよ”と手招きしつつ導いてくれるのだが通路を2,3度曲がると、私の方向感覚は仕事を放棄してしまう。”さあ、ここですよ”とさわやかに笑顔を残して、我等の救い主は立ち去った。

部屋に入ると既に何人かの仲間が手持ち無沙汰に待っている。イワンやマーシャの姿もある。
挨拶を済ませてから話を聞けば、St.ペータースブルクから届いているはずの作品が行方不明なのだそうだ。
ロシアでは待つことが出来ないと暮らせないらしい。
先ほどから姿を消していたイワンが片手にウォッカを下げて現れる。
どうやら彼はウォッカの調達に才能があるらしかった。
”今日はXXXの誕生日なんだよ。”といって2つしか見つからなかったグラスで回し飲みをした。
結局ここではウォッカは必需品なのかも知れない。ボッーとなって待つのは楽だ。

昼ごろになって”腹が減ったから食べに行こうか”と誘われるがままに後をついてゆくと、館内に小さな食堂がある。しかしドアもカーテンも閉まっていて入れてくれない。
”今は役職者たちの昼飯時らしいよ。もう30分待たなきゃ入れないって。。”
ふ~ん、もしかして食事の内容が違うんだろうか? 
30分後食堂が入れ替わりになったので、早速窓口に並び何があるのか聞いてみた。
”スープ、サラダ、魚、揚げ物、パンケーキにお茶ってとこかな?”
スープは殆ど色も無く具もない出がらしの様だし、サラダはラディッシュ2,3個を薄切りにしたもの、魚は私の口に腐敗しているとか思えないアンチョビ。
パンケーキだけは美味しく、お茶も美味しい。プラムのジャムをたっぷり入れて飲む。

展示室に戻ってみてもまだ荷物は見えない。皆思い思いの格好で待っている。
英語、ドイツ語、ロシア語をそれぞれ少しずつ混ぜ合わせておかしなコミュニケーションを続けているのが苦痛になった頃やっと荷物が届いた。
黙々と展示作業につき、疲れ果てた我々は、早々ホテルに戻った。

ちなみに有名な赤の広場の聖ワリシー寺院はおもちゃのようだった。

(続く)

遠足

2005-05-03 17:58:46 | 移動記録
作品の搬出にMoersという街に出かけた。親しい友人が車を出してくれるというので、手伝ってもらう事になった。(感謝)
ドイツのMoers市とオランダのArnheim市が2年ごとに開催するMoerser Kunstpreisという展覧会に出品したのだ。
テーマが小さいフォーマットだったので、作品も極コンパクト。
展示中に先方の不注意で作品が一つ壊されてしまったので代替を届けたり、今回はアクシデントが続いたのだが、保険でカバーされたという顛末もあり、やけに手間のかかる展覧会だったので片付いてホッした。

さて用事を終え、これからどこに遠足しよう?と考えながら走っていると、
マリア信仰巡礼地Kevelaerに到着していた。この街には友人が住んでいるので、私は何度も来ている。
マリア教会堂の巡礼門の開く5月1日から11月1日までが巡礼シーズンなのだそうだが、平日という事もあるし訪問者は少ない。
病を治してもらいたい信者たちは、聖堂に目や手足を模ったものを奉納祈願する。
バイカーたちの巡礼地でもあるらしい。小さな町がバイクの排煙で煙るのだろうか?

1642年6月1日。行商人Hendrick Busmanはアムステルダムからケルン、ミュンスターからブリュッセルという古い行商道の交差点で ”お前はここに聖堂を建立しなければならない”という声を聞いた。
そしてその翌年の聖霊降臨祭の直前にBusman夫人は毎晩夜空に輝く光をみるのだった。
それは、しばらく前に2人の兵士が彼らに売ろうとした”ルクセンブルクの聖母マリア”の絵に描かれた光景と酷似しているのに気がついた。Busmanはその兵士を探しあて絵を買い取る。
貧しかったにもかかわらず彼は小さな聖堂を建立し、数々の奇跡が起こり、1647年には既にKevelearは巡礼聖地として正式に認められたという事だ。
Kevelaerは以降フランスに統治されて、搾取、破壊の憂き目にあったが、1814,15年の”ウィ-ン会議”で再びプロイセンに返還された。そんな歴史がこの街にあった。

1905-1907に造られた教会のパイプオルガンはとても立派なもので、オルガンコンサートもなかなかよさそうなのだが、いつもうまく都合があわず、残念ながらまだ聞いていない。
教会の外には無数のろうそくが灯され、煤で外壁は黒く染まっている。
今回は街のカフェにのんびり座っているのも、ぶらぶら歩いているのもかなりの年配者が見受けられるばかりだった。
日本は東京で言うならおばあちゃんの原宿-巣鴨という感じだろうか?ちょっと違うか。。。
キリスト受難を描いた祠が並ぶ”Kreuzweg"-十字架の道をたどると、巡礼グループが祈りながら歌いながら歩き進んでゆく。
我々は道を一回りしてから帰路についた。 

藤で花見酒

2005-05-02 16:19:22 | 自然観察
。。。天気が崩れていく。。。今朝は晴れたり、曇ったり数分毎変化。
天気の話を書くのは止めようと思うのについ書いてしまう。
天気予報なんか調べない。。と心に言い聞かせるが、つい週間予報を見ては一喜一憂してしまう。
日本の空は明るい。曇っていても、雨が降っても明るい。これはたいした違いであって、たかが天気と侮る無かれ。
雲が厚くて鉛色になってしまうと、垂れ込めた雲がつかめそうになる。
そうやって頭の上にふたをされたような状態が長く続くとやりきれなって、ドイツ脱出計画など練ってみるのだ。

そんなわけで一喜一憂し、よく晴れた日には、陽差しに酔っ払って、踊ってしまう。

ところで我が家の藤は4年ほど花を付けなかった。
一昨年くらいから申し訳程度の花房がちょろリと、葉陰に咲いているだけ。
藤は気難しいと聞いたことがあるので、多分私と気が合わないのかも知れない。
藤に嫌われたのか?藤と喧嘩しても仕方無いのであきらめようとしていたら、今年は沢山花を付けた!喧嘩しなくて良かったな。
ちょっと花房は短いけれど、かなり豪華で毎日惚れ惚れと眺め、香を楽しんでいる。

そろそろ、いろいろな虫やナメクジとの闘うシーズン開幕。
白樺の木の下に植わっている植物の葉に黒い点々を発見!う~ん、これは芋虫か毛虫か?
沢山食べて、元気に排泄している。多分まだ小さい彼らの姿はうまく葉と同化して、私の目では、発見できない。私の目はそういうものをかなり、早期に発見するように出来ていて、嫌だなあと思うものもすぐに見つけてしまう。見たくない!知らないで済ませたい!ということもあるんだけど。
もちろんちゃんとした大きな庭とは比べ物にならないくらい楽だ。。。とは言えども戦いはある。
毎朝ナメクジとカタツムリを捕まえては左右前方に放り投げるが、これってあんまり効果ないのだろう。又戻ってくるよなあ、と思いながら不毛な作業を繰り返している。
しかし、折角立派になったハーブなどをわざわざ彼らのために供給するつもりは無いので、
時には、ビニール袋に彼らを回収して遠くに行ってもらう。
加えて、今年はアブラムシも多そうだなあ。
蟻が盛んに茎を上り下りしているので、すぐに大アリマキ牧場が出現するのだ。
それを全滅させるのはこんな箱庭であっても不可能だが、共存するのもちょっと辛い。

ここで、ちょっと冷たく冷たく冷えた白ワインをグラスに注いで、藤の花の香をつまみに
花見酒なんか良いかなと思っている。

乾杯!

引き続きミクロの世界。

2005-05-02 02:20:16 | ミクロ界
(ベンケイソウ。これも絵のネタになりそうだな?きれいな緑)


明るい。
散歩日和、
自転車日和。

ドイツで日曜日に営業できる店といえば花屋、パン屋、ガソリンスタンドや飲食店くらいなので、
日本の年中無休になれている人は、面食らうようだ。
しかし、じわじわと状況は変わりつつあるらしい。
例えば今日郊外にある大きな園芸センターに出かけた。
友人の誕生日と引っ越し祝いに送る木を物色するためだ。
今頃の日曜日の昼の園芸センターでは、ミツバチのように花から花に飛び回り、物色し、山ほどの植物を抱えて意気揚々と車に積む込む老若男女であふれる。
今日は閉店時間になってもやけに賑やかなので見渡せば、なんと開店時間が4時間も延長されていた。
植物と関係無い店も何気なく店の前で屋台を広げていたり、ドイツも変わってきたものだ。

。。。というわけで、今日は天気が良いので、又顕微鏡を覗く事にした。
もちろん天気が悪い時にも覗くので、天気が理由になるわけではないが、
まあこういう天気の場合、外に覗いて楽しそうなものが増えるし、
花粉も乾いていてサンプルとりやすいというわけだしね。
。。。白状してしまうと、昨日の疲れが残っているので、今日はあまり行動的な気分にならない。

昨日は我が家に知人たちを呼んで”和食”をご馳走する約束があった。
そこで朝早くに刺身用の魚を仕入れに行き、朝から煮物、和え物など思いつくものを作りまくった。
この地に暮らしていると当然のことながら、そういう料理を作るための素材を
入手するのが面倒だし、無いものも多い。工夫が必要だ。
しかし何とか奮闘して作り上げ、美しく飾り上げ、アッと言う間に腹の中に納め上げた。
美味しい白ワインも順調で知らぬ間に数本並んだ。

ところで、客人の一人はドキュメンタリー映画を作っている。
”Arte”というTV局の仕事で、近いうちにノルウェーに仕事があるそうだ。
ノルウェーで何が取り上げられるのかと思って聞いてみると、第2次世界大戦中、
多くのドイツ兵がノルウェーに駐屯していた時期、かなりの人数の女性たちが半分ドイツ人の血を引く子供を産んだという。
彼女たちもその子供たちも阻害されて生き続けた。今でもその”汚名”を抱えて生きている人たちを、彼女は取材に行くということだった。
どんなフィルムに出来上がるのだろう?出来上がったら是非見ようと思っている。

とにかく皆満足だった様で、奮闘のしがいはあったけれど、今日はおかげで情けないが力が出ない。

だから、顕微鏡を覗いている。

タンポポの綿毛の部分。これをネタに絵はどうか?

上はタンポポの綿毛にぶる下がった種の部分。ブロスフェルドの写真に迫るか?

ピンクパンダというあだ名が付けられた、ピンク色の観賞用イチゴの花粉。食べられるけれど実りは少ない。

オオアラセイトウの花粉。結局皆似たりよったりの形。日本米の様だ。

蜘蛛の糸の拡大。カプセル様なものが見えるけれど、いったいこれはなんだろうか?

そしてこれは、蜘蛛の巣にかかっていた、つぶれたアブラムシ!


最近目が悪くなったので、スライドガラスの上に何が乗ったのかあまり良く見ないで顕微鏡を覗くと、”ワッ”と驚く事も多い。
でも本当はその”ワッ"というところも好きかもしれない。
いい加減なプレパラートでも十分面白くて、美しいものを見ることが出来る。
そこから、広がって行って何かが生まれるかもしれない。
新しい興味も膨らむきっかけになるかもしれない。
そんなもの覗いて何の役に立つか?という様なものだけれど、面白い事はどんどんやった方が良い。
この頃日本では理科離れの子供が多いという記事をつい最近読んだ。
こういうたわいも無い遊びから興味が生まれないものかな?
それともそういう問題ではないのだろうか?

そうやって私の一日も、もう大半終った。


アクアリウムの中の水にすんでいる,貝ミジンコを発見。これも絵の中に入るかもしれない。