隣町の大きな本屋に行く時は、心して行かねばならない。
まず財布に多少のゆとりがある時、時間にゆとりがある時という条件が満たされなければならない。
背中にリュックサックを背負って行くので肩こりが酷いときもいけないし、歩き回るので、脚が疲れている時もいけない。運動靴は必須条件である。もっとも私は90%運動靴しか履かないけれど。
ある日その本屋の特価コーナーで真剣に物色中、私の背後から”本なんて余計なお荷物だよ。" と耳元で囁く様な男性の声が急に聞こえて驚いた。
何を言うかこの御仁!と思いつつ振り向くと、知人がニコニコ顔でそこに立っていた。
彼の家に行ったら本と人形(人形作家)で一杯の博物館のような様子なのだから、もちろん本心ではないが、本に埋もれそうな部屋を見ると、心のどこかで少しだけ困った気持ちを持っていて、しかしどうにも出来ない心情なのではないかと想像する。だから本心もすこうし入っているに違いない。私はその彼から2冊ほど"お荷物”を引き受けてきたのだが。”ああ。2冊減ったね。。"とため息をついていた。
先週末久しぶりにその本屋に出向き、また”余計なお荷物”をリックサックに一杯背負って帰ってきた。
しかし、我が家の本棚には読んでいない本が山と積んである。本棚にきちんと整列している時代は過ぎ、隙間は埋め尽くされてアチコチに積んであるので、特定の本を探すときには大変な作業となるが、時にそれも整理を兼ねてよい場合もある。本好きの方々には心痛いかも知れず申し訳ないが、私は時々本を切り刻んで作品に封じ込めてしまう。それはもう原型に戻らないのだが、新しい別の形の器の中で、ばらばらになった言葉や一節が別の話に生まれ変わるのを待っている。
もちろんこれは壊せないという本は沢山あるので、本棚はいつもぎゅうぎゅうづめになってギシギシ呻いているのだ。
新しく買ってきた本の収納場所を求めて整理中、買ってきたのにどういうわけか未読の本、完読出来ない本が沢山出てくる。困ったな。困ったのでここに書き上げて当分許してもらう事にする。
<1>Novaris - Heinlich von Ofterdingen (挿絵 Dieter Goltzsche)
意識と無意識の葛藤。ハインリッヒの夢は現実よりも楽しく美しくスリルあるものである。
"青い花”の出てくる部分だけは読んでいるが、その後そのままになった。私も"青いマグノリア”の夢を見たが、思えばこのあたりから喚起されたのかも知れない。銅版画の挿絵もなかなか良い。
ので、持っているだけでもうれしい本。
<2>ペーター スロッターダイク‐Schaeume-泡沫
三部作"Sphaeren - 領域”の最終巻。人間の生きてゆく時の領域、他者との位置。空間の多様性について。まだ15ページしか読んでいない。私のドイツ語能力が十分ではないのを承知で買ったのだから、仕方ない。
<3>Charls Seife‐Zwilling der Unendlichkeit‐無限の双生児
数字”ゼロ”の生い立ち。ゼロの発生、自然化において、科学において、神学に於いてのゼロ。何故必要なのか?
これも真ん中辺10ページくらいしか読んでいない。
<4> マルコ ポーロ‐不思議の本
原本プランス。中世後期に手書きで作られた本の再編集。マルコポーロの旅行記の一部だが、彼がジェノヴァで監獄に入れられた際監獄仲間のRusticelloにフランス語で語られ残されたという。
絵を眺めているだけでうれしくなるので、字を読む前に想像の翼が広がってしまって読めない。
東方見聞録も持っているが読み通していない。
<5>曲亭馬琴‐南総里見八犬伝
まだ読めないでいた。これは誰かに朗読して」欲しい。こういうものは読み始めてなれてこないと辛いので、乗るまで読まずに挫折することも多い。
長くなるのでとりあえず5冊。まだまだ読んでいない本がある。どうしたらいいものかと思いながらも、新しい本が増えてゆく。
私の場合、映画についてもいえるが、本についても幅広いジャンルを楽しんでいるつもりだが、それぞれのジャンルの中で偏っているかも知れない。
ファンタジーもSFも好きなら科学物や歴史物も好い。
そして辞書、図鑑が大好きである。そういう形式のものがあると本当に喉から手が出るんだから。
私の好きな辞書、図鑑リストも並べて見たくなってきた。
まず財布に多少のゆとりがある時、時間にゆとりがある時という条件が満たされなければならない。
背中にリュックサックを背負って行くので肩こりが酷いときもいけないし、歩き回るので、脚が疲れている時もいけない。運動靴は必須条件である。もっとも私は90%運動靴しか履かないけれど。
ある日その本屋の特価コーナーで真剣に物色中、私の背後から”本なんて余計なお荷物だよ。" と耳元で囁く様な男性の声が急に聞こえて驚いた。
何を言うかこの御仁!と思いつつ振り向くと、知人がニコニコ顔でそこに立っていた。
彼の家に行ったら本と人形(人形作家)で一杯の博物館のような様子なのだから、もちろん本心ではないが、本に埋もれそうな部屋を見ると、心のどこかで少しだけ困った気持ちを持っていて、しかしどうにも出来ない心情なのではないかと想像する。だから本心もすこうし入っているに違いない。私はその彼から2冊ほど"お荷物”を引き受けてきたのだが。”ああ。2冊減ったね。。"とため息をついていた。
先週末久しぶりにその本屋に出向き、また”余計なお荷物”をリックサックに一杯背負って帰ってきた。
しかし、我が家の本棚には読んでいない本が山と積んである。本棚にきちんと整列している時代は過ぎ、隙間は埋め尽くされてアチコチに積んであるので、特定の本を探すときには大変な作業となるが、時にそれも整理を兼ねてよい場合もある。本好きの方々には心痛いかも知れず申し訳ないが、私は時々本を切り刻んで作品に封じ込めてしまう。それはもう原型に戻らないのだが、新しい別の形の器の中で、ばらばらになった言葉や一節が別の話に生まれ変わるのを待っている。
もちろんこれは壊せないという本は沢山あるので、本棚はいつもぎゅうぎゅうづめになってギシギシ呻いているのだ。
新しく買ってきた本の収納場所を求めて整理中、買ってきたのにどういうわけか未読の本、完読出来ない本が沢山出てくる。困ったな。困ったのでここに書き上げて当分許してもらう事にする。
<1>Novaris - Heinlich von Ofterdingen (挿絵 Dieter Goltzsche)
意識と無意識の葛藤。ハインリッヒの夢は現実よりも楽しく美しくスリルあるものである。
"青い花”の出てくる部分だけは読んでいるが、その後そのままになった。私も"青いマグノリア”の夢を見たが、思えばこのあたりから喚起されたのかも知れない。銅版画の挿絵もなかなか良い。
ので、持っているだけでもうれしい本。
<2>ペーター スロッターダイク‐Schaeume-泡沫
三部作"Sphaeren - 領域”の最終巻。人間の生きてゆく時の領域、他者との位置。空間の多様性について。まだ15ページしか読んでいない。私のドイツ語能力が十分ではないのを承知で買ったのだから、仕方ない。
<3>Charls Seife‐Zwilling der Unendlichkeit‐無限の双生児
数字”ゼロ”の生い立ち。ゼロの発生、自然化において、科学において、神学に於いてのゼロ。何故必要なのか?
これも真ん中辺10ページくらいしか読んでいない。
<4> マルコ ポーロ‐不思議の本
原本プランス。中世後期に手書きで作られた本の再編集。マルコポーロの旅行記の一部だが、彼がジェノヴァで監獄に入れられた際監獄仲間のRusticelloにフランス語で語られ残されたという。
絵を眺めているだけでうれしくなるので、字を読む前に想像の翼が広がってしまって読めない。
東方見聞録も持っているが読み通していない。
<5>曲亭馬琴‐南総里見八犬伝
まだ読めないでいた。これは誰かに朗読して」欲しい。こういうものは読み始めてなれてこないと辛いので、乗るまで読まずに挫折することも多い。
長くなるのでとりあえず5冊。まだまだ読んでいない本がある。どうしたらいいものかと思いながらも、新しい本が増えてゆく。
私の場合、映画についてもいえるが、本についても幅広いジャンルを楽しんでいるつもりだが、それぞれのジャンルの中で偏っているかも知れない。
ファンタジーもSFも好きなら科学物や歴史物も好い。
そして辞書、図鑑が大好きである。そういう形式のものがあると本当に喉から手が出るんだから。
私の好きな辞書、図鑑リストも並べて見たくなってきた。