散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

積読

2005-06-07 17:39:55 | 読書感想
隣町の大きな本屋に行く時は、心して行かねばならない。
まず財布に多少のゆとりがある時、時間にゆとりがある時という条件が満たされなければならない。
背中にリュックサックを背負って行くので肩こりが酷いときもいけないし、歩き回るので、脚が疲れている時もいけない。運動靴は必須条件である。もっとも私は90%運動靴しか履かないけれど。
ある日その本屋の特価コーナーで真剣に物色中、私の背後から”本なんて余計なお荷物だよ。" と耳元で囁く様な男性の声が急に聞こえて驚いた。
何を言うかこの御仁!と思いつつ振り向くと、知人がニコニコ顔でそこに立っていた。
彼の家に行ったら本と人形(人形作家)で一杯の博物館のような様子なのだから、もちろん本心ではないが、本に埋もれそうな部屋を見ると、心のどこかで少しだけ困った気持ちを持っていて、しかしどうにも出来ない心情なのではないかと想像する。だから本心もすこうし入っているに違いない。私はその彼から2冊ほど"お荷物”を引き受けてきたのだが。”ああ。2冊減ったね。。"とため息をついていた。
先週末久しぶりにその本屋に出向き、また”余計なお荷物”をリックサックに一杯背負って帰ってきた。
しかし、我が家の本棚には読んでいない本が山と積んである。本棚にきちんと整列している時代は過ぎ、隙間は埋め尽くされてアチコチに積んであるので、特定の本を探すときには大変な作業となるが、時にそれも整理を兼ねてよい場合もある。本好きの方々には心痛いかも知れず申し訳ないが、私は時々本を切り刻んで作品に封じ込めてしまう。それはもう原型に戻らないのだが、新しい別の形の器の中で、ばらばらになった言葉や一節が別の話に生まれ変わるのを待っている。
もちろんこれは壊せないという本は沢山あるので、本棚はいつもぎゅうぎゅうづめになってギシギシ呻いているのだ。
新しく買ってきた本の収納場所を求めて整理中、買ってきたのにどういうわけか未読の本、完読出来ない本が沢山出てくる。困ったな。困ったのでここに書き上げて当分許してもらう事にする。

<1>Novaris - Heinlich von Ofterdingen (挿絵 Dieter Goltzsche)

意識と無意識の葛藤。ハインリッヒの夢は現実よりも楽しく美しくスリルあるものである。
"青い花”の出てくる部分だけは読んでいるが、その後そのままになった。私も"青いマグノリア”の夢を見たが、思えばこのあたりから喚起されたのかも知れない。銅版画の挿絵もなかなか良い。
ので、持っているだけでもうれしい本。

<2>ペーター スロッターダイク‐Schaeume-泡沫

三部作"Sphaeren - 領域”の最終巻。人間の生きてゆく時の領域、他者との位置。空間の多様性について。まだ15ページしか読んでいない。私のドイツ語能力が十分ではないのを承知で買ったのだから、仕方ない。

<3>Charls Seife‐Zwilling der Unendlichkeit‐無限の双生児

数字”ゼロ”の生い立ち。ゼロの発生、自然化において、科学において、神学に於いてのゼロ。何故必要なのか?
これも真ん中辺10ページくらいしか読んでいない。

<4> マルコ ポーロ‐不思議の本

原本プランス。中世後期に手書きで作られた本の再編集。マルコポーロの旅行記の一部だが、彼がジェノヴァで監獄に入れられた際監獄仲間のRusticelloにフランス語で語られ残されたという。
絵を眺めているだけでうれしくなるので、字を読む前に想像の翼が広がってしまって読めない。
東方見聞録も持っているが読み通していない。

<5>曲亭馬琴‐南総里見八犬伝

まだ読めないでいた。これは誰かに朗読して」欲しい。こういうものは読み始めてなれてこないと辛いので、乗るまで読まずに挫折することも多い。

長くなるのでとりあえず5冊。まだまだ読んでいない本がある。どうしたらいいものかと思いながらも、新しい本が増えてゆく。
私の場合、映画についてもいえるが、本についても幅広いジャンルを楽しんでいるつもりだが、それぞれのジャンルの中で偏っているかも知れない。
ファンタジーもSFも好きなら科学物や歴史物も好い。
そして辞書、図鑑が大好きである。そういう形式のものがあると本当に喉から手が出るんだから。
私の好きな辞書、図鑑リストも並べて見たくなってきた。

気になる鉱物、石

2005-06-04 22:18:10 | 思考錯誤
よく目を凝らすと、部屋のアチコチに様々な石が転がっている。
先日は台所の床の片隅にも転がっていたし、よく見ればテレビの横に、電話の脇に、トイレの棚の上に、玄関に転がっていたりする。
旅行の土産は石や砂がいい。
化石や鉱物の魅力はなんといってもその形態や色の美しさばかりではなく、そこに凝縮された時間を感じるからなのかもしれない。
旅先ではまず第一に自然博物館を捜すのが定例だ。
今まで私が圧倒されたのはやはりロンドン自然博物館とウィーン自然博物館が筆頭で、双方の博物館の化石、鉱物の部屋からはなかなか出てくる事ができなかった。
見渡す限り標本箱の並ぶ部屋に入るとわくわくしてくる。
一つ一つ丁寧に眺めていると背骨が持たないのはわかっているが、見落としたくない貪欲さが背中の痛みに何とか打ち勝って最後の台までかろうじて進んだものだ。

その中でも好きな鉱石をあげてみる。

Quartz-水晶
比較的誰でもが多く目にする鉱石であるし、手に入れ安いものだけれど、美しい事には変わりない。色も無色、ピンク、スモーク、紫などがあるが、私は透明な無色を選ぶ。
Adalbert Stifterの作品に”水晶”という美しい話がある。
半導体用シリコンの原料でもある。

Malachit- 孔雀石
銅の二次鉱物。緑色の美しい鉱石。針状結晶の集合体もある。
子供の頃ロシア民話”石の花”という話の中に、石を切ると美しい花の模様が現れるくだりがあった筈だ。あれは確か孔雀石だったと思う。当時孔雀石を見たことが無かった私の想像はかなり派手に膨らんだので、実物を見せられた時にはがっかりしてしまった事がある。とはいえなかなか美しい石だ。

ラピスラズリ>
いつかTVのある番組で、いかにピグメントを作るかという番組を見ていた。ウルトラマリンのピグメントを作るために大量の石を何べんも挽き、水桶に入れ、それを目の詰まった布で漉す。布の中に残る粉もかなり細かいが、漉して水の中にかすかに沈んでいるのがウルトラマリンの極上のピグメントだ。だから目が飛び出るほど高い。

方解石
文字などの上にこの結晶を載せると複屈折現象で二重に映って面白い。珍しいものではないが、この手の物は魅力的。濃い色の石灰岩に方解石が放射状に成長する事があって、切ると花のように見えるのが”菊花石”。これも石の花のひとつだ。

隕石
いつか一度拾ってみたいものだ。毎年100g以上の物が平均19000は落ちているというから、そのうちにあたるかもしれない。頭の上に落ちてきて欲しくは無いけれど。。。確か今年イギリスで76歳のおばあさんが庭仕事中、危機一髪で何を逃れたニュースを聞いた。ゴルフボール大だったというから、当たり所が悪ければ死んでしまう。

オリービン-Olivin
緑、黄緑、茶色がある。
火山弾の中にオリービンが入っていることがある。ランザローテ島で完璧なものは見つからなかったが、幾つかそれが含まれている火山弾のかけらを見つけた。ハワイでもよくみやげ物でオリービンを使った装飾品を売っているが、ランザローテ島でも似たりよったりの品が売られている。

Adamin
無色、白、黄、銅含有が多いと緑、コバルト含有が多いとピンクから紫。メキシコ産は黄色が多い。Olivinにも似ているが、これの方がもろい。
何故この石をあげたかというと、私が始めて鉱物の店で購入したものだからという個人的な理由。

<Kalkoolite-Margalite>
ヒルデガルド フォン ビンゲンが”Margalite"と命名。なにやら体に良いのだそうだ。
一見化石のように見えるが、そうではないらしい。”魚の卵石”とも呼ばれる。確かにいくらが化石になれたらこんな感じか、という形。私もこの様な石をポルトガルで見つけた。当時化石と信じていたが、どうもそうではなくこの手の石だったらしい。


緑柱石-ベリル
エメラルドやアクアマリンはベリルの変種。緑、赤、ピンク、薄青。美しい石だ。硬度も高い。
原石のままアクアマリンは冷たい海を凝縮したような感じで好きだ。

化石
三葉虫の化石。自分で発見する事は出来ないが、一つ持っている。どういうわけだかフィレンツェのボボリ公園正面入り口の近く似合った小さな化石屋で買ってしまった。三葉虫が生きていた時代を想像して楽しい。しかし何でフィレンツェで三葉虫を急にかいたくなったのか、いまだに謎でもある。

石にまつわる話もたくさんありそうだ。調べていたら鉱石のエキスを売る店もあった。
手のひらに乗る石もだが、石を見つけに行って、あたりの地層を眺めるのも面白い。

ところで、おまけにもう一つ。

 Wuerzburger Luegenstein-ヴュルツブルクの嘘石> 
バンベルク自然博物館で幾つか展示されている。1700年頃の偽の化石だが、現在の精密な化石の偽造と違って面白いのは、蛙などのがそのまま石に掘り込んであリ、そんな事があろう筈が無いという作品なのだ。それでも騙されそうになった人もいて論争が起こったというから楽しい。

関連記事:
好きな鉱物、金属をただ並べてみたSweet Dadaisum
好きな鉱物をただ並べてみたカイエ

西洋ニワトコ狩り

2005-06-03 22:02:54 | 自然観察

西洋ニワトコのリキュールを作る事。これは欠かしてはいけない行事だ。
だからこの間から既に満開の木を見るたびに収穫に行かなくてはいけないと、それはもう呪文のように唱えていたので、私の周辺の人々は会うと,話すと”ところで西洋ニワトコの花、もう取ったのか?”と私の気持ちに追い討ちをかける如く聞いてくるのだ。
もう何が何でも収穫に行かねば花が散ってしまう。
というわけで、今朝友人と連れ立ち近所の畑周辺に向かった。
西洋ニワトコの花は白く愛らしい。花房を切り取るために枝をしならせると、満開の花房から白い花吹雪と共に、黄色い花粉が振ってくるので、あっという間に着ている物に黄色い模様が出来てしまう。
花粉症の人はそれを聞いただけで鼻や目が痒くなるに違いない。
私の友人は軽い花粉症を患っているのに西洋ニワトコ狩りに私と同行するのはとても勇敢な行為だ。
収穫を始めて2,3分もたつと既に鼻声が苦しそうだ。私はありがたい事にその点は丈夫に出来ていて花粉舞う中で作業を続けても全く問題が無い。(おかしなことに私は太陽を見てしまった時とミントキャンディーを口に放り込んだときに、一度だけくしゃみが出る。)
ある所で、花を集めていると、近くに車が止まった。
しばらくして、我々の方に向かって歩いてくる人がいる。近づいてくるのを見ればなにやら物騒ないでたちをした男性だった。迷彩色の上下を着込みリュックサックを背負い片手にライフル銃を規則どうりに折った形に抱えている。花粉を被って粉っぽい我々と顔を見合わせて”西洋ニワトコを摘んでいるんですか?何するんです?”と愛想よく話しかけて来た。
我々が”シロップやリキュールですよ。美味しいですよ、お作りになったらいかがです?”
と答えると、”へえ~、そうですか。日本のレシピですか?”などとトンチンカンなことを言う。”いやいや、これはドイツの古いレシピです。”と日本人の我々が答えるのだった。
”ところで、あなたはこれから狩猟ですか?”とお返しの愛想をすると、にわかにしかつめらしい表情になって”そうなんですよ。。野鳩が増えすぎましたからね、畑があらされて困るわけです。だから野鳩は年中狩猟許可が出ているのですよ。。私はおとりの作り物鳩を持っていますから、それを仕掛けるんですよ、それではいい日をね。。”と言って背中におとり鳩を背負って林の中に消えてしまった。
我々が西洋ニワトコ狩りをその後も続けていると、しばらくして銃声が2,3発聞こえてきた。
野鳩が撃たれたか、逃げおおせたかは知らないが、なんとなくそのあたりにいるのが物騒な気もしてきたし、十分収穫もしたので帰路についた。

さて、この西洋ニワトコの花を一つづつばらしてゆく。
用意したビンの中に花、砂糖、38%位の酒をいれ、暗冷所で5~6週間保管。
ここにミネラルウォターやアスコビン酸を加える事もある。
レシピはいろいろあるがシロップも簡単だ。ガムシロップを作って丁寧にばらした花をつけ、これも冷暗所に数日置く。夏、このシロップの水割りを飲むと元気が出る事受けあいだ。

今日は恒例行事無事完了の報告だった。

謎の物体

2005-06-03 00:45:29 | 移動記録
だいぶ汚くなっていた台所の床を這いずり回って磨いた。
台所だからすぐに又汚れる。しかし今日は天気も悪いし床磨きをする事にした。

ふと視線を少し上げると、床の向こう隅、棚の下の陰に何か見える。
それは大きめのオリーブのような形で、影のなかに薄明るい色をしている。
いつか転がったジャガイモがそこで干からびているのではないかという様子でもある。
多分そんなところかもしれない。でも、ジャガイモは干からびたら黒くなるのだなあ、などとぼんやりとした頭で考える。
以前ジャガイモを乾燥させた物と金細工をネックレスに仕立て上げた作品を見たことがあるが、それは黒く小さく縮んで不思議な物体に変身していた。
だから、やっぱりあれはジャガイモではないだろう。すると、ひょっとして作りかけてうまく行かずにほっぽらかしにしたパン生地の一部かなにかのようにも見えてきた。発酵しないパン生地をふてくされてちぎって丸めて放ったことがあるのかもしれない。
しかしそんな記憶はやはり無い。
さっさと棒を持ってきて引き寄せればいいものだが、どういうものかなかなかそういう気にならないこともある。
台所の床でお茶を一服してから、ようやく手ごろな棒を持ってきて引き寄せた。
出てきたものはオリーブでも、ジャガイモでも、パン種の化石でもなく、落としたのも見失ったのも気づかずにいた”地蜂の巣の化石”だった。
こんなところに転がり込んでいたのかあ、と手のひらに載せるといい重みを感じた。

もう何年も前にカナリア諸島のランザローテ島に遊びに行った事がある。
ある日、本島の横にある”Graciosa”という極小さな島に向かった。日に3日くらい往復する小さなボートに乗って15分で到着する。
潮の加減で海岸にはいろいろな貝が打ち上げられることがあり美しい物が見つかるとも聞いたが、目的は化石だった。
砂浜は一見無垢のようだが、目を凝らすといたるところに地蜂の巣が見えてくる。コクーン様の砂の巣で、新しい巣は触るとハラリと崩れてしまう。
その島には特定の時期にアフリカ大陸から地蜂が飛んできて産卵するのだそうだ。
蜂達が飛来したときには島が蜂で真っ黒に覆われるのではなかろうか?と想像するくらい至る所に巣がみつかる。そのサイクルは何万年前から毎年繰り返されているので、新しい巣と巣の化石が隣り合わせに、また重なり合って層をなしていた。
そこで私はこの化石をいただいてきたのだった。

聞くところによると、昔々海賊がこの島に宝を隠していて、まだそれは見つかっていないのだという噂だ。宝捜しは今だに続行中だが、今時”宝探し”なんて楽しい話だな。そして本当に美しい所だ。
最後のボートが本島に帰ってしまったら野宿しか手がないので、20kmの道のりを後半4分の一はひたすら急ぎ足で港に戻らねばならず、残念ながら宝探しに興じるわけには行かなかった。

ランザローテ島は火山島なので砂漠か、溶岩が固まって出来た地面が大半をおおっている。
自然保護地(Timanfaya)はむやみに立ち入ることは出来ないが、決まったコースを観光案内バスがゆっくりと殆ど歩くテンポで走る。バスの中からその風景を眺めるのは興ざめとはいえ、それにもかかわらず窓の内からでも素晴らしい光景をたのしめる。空が青くなかったら、太陽が無かったら、そこは月か火星かというような風景なのだ。抜群に想像の余地ありだ。

そんなわけで今また地蜂の巣の化石は私の手の平の上で再び島の歴史を語ってくれる事になった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この化石再発見のおかげで床磨きは中断されたままだ。