つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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#10悠々旅行(4日目:千早城)

2011-10-17 20:25:00 | 

1110171blog  大阪のホテルで起床。サービスの朝食を摂り、コーヒを飲んで8:30出発。今年5月30日に登ろうと出掛けたが風雨のため断念した千早城を目指した。10時頃千早城登口の駐車場に到着したが、さらに奥に進んで、金剛山ロープウェイの所まで行ってみた。月曜日の言うのに結構な車が駐車していた。引き返して千早城大手口にある駐車場に引き返した(¥600)。

 千早城は金剛山(1125m)の中腹にあり(最高所673m)、出丸として下赤阪城、本丸として上赤阪城、そしてそれらと連動した詰の城としての役割を果たしていた。元弘2年(正慶元年、1332年)楠木正成の築城になる。鎌倉幕府滅亡に繋がる千早城の戦いの舞台である。太平記によれば、100万の鎌倉勢を千人で守ったという。

01ooteguchi  60度を超える急な階段を登り、それに続く石段などを登り広々とした四の丸、小さな三の丸を通って25分歩くと二の丸跡にある千早神社に到着。ここには「史跡千早城阯」碑がある。08chihayajyoushihi 09chihayajinjya ここで近くに住むというご夫婦に会う。これから金剛山に登るとのこと。小生も一緒に登ることにした。丸太で造った段を登りながら進んだが、手に持っていたはずの記録帳がないことに気付いた。これまでの記録が一切なくなってしまうのは惜しいので、引き返すことにした。でも見つからず。千早城跡五輪塔(楠木正儀の首塚とも)を見て、本丸の東の分岐を北に七曲を降りて駐車場にまで戻った。途中バーナーでお湯を沸かしてコーヒとビスケットで昼食代わりとした。

 鎌倉末期の城跡であり、今まで見てきた山城よりは小振りな縄張りであるが、楠木正成の差配よろしく、寡勢でよく大軍を退けた一端は見ることができた。

 14時過ぎ駐車場を発し、途中で諸処でマンホールの写真を撮って15時過ぎ道の駅「万葉の里」に到着した。今日はここで車中泊する。紀ノ川の堤防をぶらぶらしたり、道の駅で富裕柿を買って、1個食べ、1110174blog 散歩をしている地元の人と話をしたりして、2時間ほど過ごした。記録帳を失くしたので近くのコンビニまで行ってメモ用紙を買い、ファミレスのジョイフル・レストラン(このファミレスは知らないものであった)で夕食を摂った。1110172blog 1110173blog 20時消灯。