海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

ウイグルでロケの合間に 2

2016-09-20 | 写真日記

昨日の続き。

ロケの合間の移動中に出会った地元の人達。この地に来ると、東洋と西洋の境目にこの地がある事がよくわかる。

 

牛追いのオヤジとバイクオヤジが立ち話

 

手を上げて挨拶したが終始無言オヤジ

 

牛の番人 

 

トップと二番目の画像はCanon1DmarkⅡズーム付きで、三番目の画像は初代GRで撮影。こんな時は、大きなミラー付きの一眼レフだと相手も警戒し心を開かない場合が多いが、カメラがGRだと相手も気軽にレンズ前に立ってくれる場合が多い。そういう意味でも高性能コンデジは、持っていて損はない。

今世紀初頭の上海でも、ミラー付のデジカメ(特にキヤノンとニコン)を構えると、相手が拒否したり嫌な顔をされたりした事が多かった。また、浦東の上海タワーに上がる際もデジイチはロッカーに預けさせられた時期が長かった。それは、中国特有の様々な理由があるのだが、あえてここでは長くなり過ぎるので書かない。

そういう理由も含め、リコーのGRやフジのX100タイプのカメラは、見ず知らずの相手との距離を縮めてくれるカメラだ。今の中国人が大好きな大口径ズーム付き高級デジタル一眼レフはシャッター音も含め、普段外で一般の人に向けるカメラではない。撮られる相手からカメラを正面から見たデザインと大きさはとても大事なのだ。今のデジカメで、私が撮られたいカメラなんて数えられるほど少ない。

 

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ウイグルでロケの合間に 1

2016-09-19 | 写真日記

昨日は、とても大事なデータが見つからず5個のHDを大捜索したが結局行方不明。6年前の依頼撮影なので納品は終わっているのだが、それは残しておかなければならない貴重なRAWデータだった。

その捜索最中に過去の懐かしいデータを発掘した。カップ麺のTVCM撮影でウイグルへ行った時の画像だ。モンゴルの砂漠から上海へ戻り3日後に北京経由でウルムチへ向かったのは2009年の8月。天山山脈の山でトレッキングに来た若い男女が駅で知り合い、山頂付近でカップ麺を食うという強引なストーリーで矛盾だらけのCMだった。ロケ場所は石坂浩二のナレーションと、喜多郎のシルクロードが聞こえてきそうな場所。

 
 

ロケ現場

 

刺すような太陽の光

 

ウイグル自治区の8月は過ごしやすい気候なので楽だったが、9月からはシーズンオフになるので、観光客相手の店じまいが始まろうとしていた。もう一度ゆっくりとウイグル自治区へ旅してみたいが、今ややこしい事になっているのでしばらくは無理。 

 

 

 

 

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ウーロン茶と私

2016-09-18 | 写真日記

私が初めて大陸の烏龍茶に出会ったのは1997年頃で、作品撮影の為に上海に通っていた頃。定宿にしていた虹口区の宿から魯迅公園へ向かう路沿いあった台湾の高山茶の直営店に飛び込みで入ったのが最初の出会い。店にはネーチャンがいつも3人ほどいて、無料で烏龍茶を飲ませてもらい茶の作法まで教えくれたので、撮影に疲れると立ち寄り様々な高山茶を試飲した。そして、茶盤や茶器もそろえ日本で楽しんでいた。その頃の上海では緑茶が主流で(今でも同じ)で、親しくしていた料理人の陳さんに勧めてみると、「他都市の茶なんて飲めるか」と一蹴されたが、一緒に烏龍茶の店に連れて行ったら一発でファンになってしまった。つまり、本当の烏龍茶を知らなかったのだ。その頃の上海は烏龍茶といえばペットボトル入のサントリーが主流だった。

この頃の上海は、日本料理屋はあるにはあったがほんの数件だけで、蛇専門料理屋もあった。また、大陸の鍋料理屋も数件しか上海に存在しなかった。今では定番だが、日本のおでんが流行り始めたのは、もっと後の1999年頃。空港は虹口空港しか無く高速道路は建築中だったので、デコボコの一般道をサンタナのタクシーで飛ばした時代。

 

 潮洲の茶屋で鳳凰単叢茶を

 

潮洲の定宿の中庭では勝手に自分でお茶を淹れて飲む事が出来る

 

烏龍茶生産地は福建省と広東省や台湾が主な産地だが、福建省の福州へ行くと地元民は烏龍茶なんてすでに飲んでなく、ほとんどの地元民は紅茶が主流。福州の人達に何で烏龍茶の産地なのに烏龍茶を飲まないのかと聞いてみると、「あれは有名になり過ぎたので商売の為に作っていて、あんな薄い茶なんていまさら飲めるか」という答えが返ってきた。つまり、カフェインの強い紅茶でないと物足らない体になっているのだ。これは、すでに茶中毒ですな。

 

福州の公園内にも茶のテーブルがありお茶を楽しめる

 

福州へは撮影機材製造会社があり度々行っていたのだが、会社の社長室に茶盤が必ずあり社長自ら地元の最高の紅茶を淹れてくれ、それを飲みながら仕事の話をするのが茶産地のスタイルなのだ。そんな事を一日数件こなすと夕方頃には自分の頭が少しぼんやりしてくる。つまり、お茶酔い。そして、お茶酔いした頃に、夕食前の茶席で一時間ほどまた紅茶を飲み、場所を変えてやっと夕食が始まるのが福州スタイル。

お茶の産地でのお茶は、人と人との関係の潤滑油のようなもので、なくてはならない存在だ。そして、夜は酒が潤滑油になる。日本のようにビジネスライクに仕事が進まないが、まずは飲んで食って大いに呑むのが今の大陸の地方での仕事流儀かもしれないね。

気がつけば、かれこれ二十年近く様々な中国茶を飲んできた。私は中国茶が好きで自宅に畳付き(小上がり)の茶室がある事を知っている人は多く、ありがたい事に上海の茶市場にも数年行ってないほど上等な茶葉をいただける。今自宅にあるお茶は、烏龍茶・緑茶・プーアル茶・白茶・紅茶で、しかもレベルが高いものばかり。

茶の好きな中国人や大陸の茶の産地に行くと、日本茶や茶碗の話も度々出てくる。抹茶だって中国が発祥だが、いつの間にか途絶え、一部の茶碗の技法も途絶え、仏教建築も日本で継承されていたりと、中国発祥の良い物がすべて今は日本にあると言ったのは、上海の文化美術評論家の朱先生。

私が時々読み返す本に岡倉天心が海外向けに書いた英語版の日本語翻訳版「茶の本」は、明治の頃に日本の文化を海外に紹介するために岡倉天心が英文で書いて海外で出版したもので、今はその日本語翻訳本がAmazonで無料で読める。

台風の影響なのか上海はずっと雨が降ったりやんだりで家で缶詰中。天気待ちの撮影もひかえているし、ドローンを使って撮らなければならない撮影もあるのだが、そのドローンが河に墜落したので修理待ち。

☆このブログは、友人からもらった生プーアル茶を飲みながら書いている。

 

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曲げた訳ではない 空けた訳ではない

2016-09-17 | 淀山湖プロジェクト

 

 

 曲がってしまった

 

穴が空いてしまった

 

上海郊外のテーマ公園に放置状態の建物があるが、これがけっこう物悲しくて好き。どの程度修復が可能かわからないが、使えるようにしようという案もあるのだが・・・。

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石組みでかまどを

2016-09-16 | 淀山湖プロジェクト

桂林で宿の達人の手料理はとても旨かったが、それよりも準備の手際良さと石の組み方に感心してしまった。河原で大きめの石を集めアッという間に石を組み上げたのだが、ここまでは誰でも出来る。でも、石組みで完全に蓋をしてしまう組み方は知らなかった。 

 

石で出来たかまどの中は当然空洞

 

石を火で炙り熱する

 

 トップの石を外しホイルで包んだ鶏を入れ、また火で炙った石をホイルに寄せるように並べ石で蓋をする

 

前世紀の80年代には私も千葉の大原や河口湖付近でキャンプをして当時は直火で料理を作った事が何度もあるが、火を起こす際に最低限新聞紙を使うのが普通だった。ところが、桂林の宿の達人は紙類は一切使わない。枯れ草や細い枯れ枝を集めアッという間に火種を作り火を起こした。当然着火剤なんてチャライ物は使わないし彼らは知らないだろう。

この日、河原にクロス代わりに使ったのはバナナの葉で、串焼用の串は生竹の枝など、アルミホイル以外はすべて天然の物を利用。日本ではColemanのアウトドア用品でガッチリと固めたキャンパーがほとんどだろうが、桂林ではそんな物なんて誰も知らないし必要ないのだ。

今身の回りの最低限の物で火を起こせる人が日本にどのくらいいるか知らないが、いるとしたらおそらく私の年齢より上の人だろうな。 まぁ、こんな事は都会で普通に生きていく為には絶対に必要なテクニックではないが、災害時の事を思うと知っておいたほうが良いかもしれないね。

☆達人のいつものユニフォームは、シャツの袖部分を引きちぎったルーズなコットン製で、いつも裸足で歩いていたので、勝手に桂林のターチャンと命名。

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