オーストリアの元祖「クレーキング」トーマス・ムスター その2

2017年05月26日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 酔っ払い運転にはねられて、選手生命の危機におちいったオーストリアテニス選手トーマスムスター

 不条理な痛みに耐え、見事ツアーに返り咲いた不死鳥トーマスが、もっとも輝いた年が1995年だった。

 得意のクレーシーズンモンテカルロオープン決勝でボリスベッカーを破って優勝するなど好調をキープ。

 勢いにのって、フレンチオープンでも初の決勝に進出。

 ファイナルでは、6年ぶりの優勝をねらうマイケルチャンストレートで一蹴し、見事初優勝を飾ったのだ。

 かつてのチャンピオンで、ねばり強さでは定評あるマイケルをまったく寄せつけなかったのだから、このときのトーマスは本当に強かった。

 決勝戦で、マッチポイントを決めた、まわりこんでのフォア逆クロスもすごかったが、個人的に印象に残っているのは、準決勝の映像。

 そこではロシアの新星エフゲニーカフェルニコフと相対したのだが、あまりのトーマスの頑強なテニスの前に、さしもの「殺人ストローク」が売りのカフィも、手も足も出ない状態になっていたのだ。

 打っても打っても、それ以上の強烈なショットが跳ね返ってくる。

 まだ中盤なのに、すでに持ち弾のなくなったカフィは、なんと意表のサービスボレーを披露しはじめた。

 球速の遅いクレーコートで、しかも本来ならグラウンドストローカーのカフィがサーブを打ってすかさずネットにつく。

 無謀というか、ほとんど旧日本軍における玉砕「バンザイアタック」と変わらない暴挙だ。

 現に、ほとんどその成果は見られず、何度もパスで抜かれてカフィは大敗する。

 だが、そんな奇襲というか、はっきりいってやけくそに頼らなければならないほどに、当時のトーマス・ムスターをクレーで攻略するのは困難だったのだ。

 まさに、元祖「クレーモンスター」であった。

 そんな強すぎるトーマスであったが、現クレーの王者ラファエルナダルと、少しばかり違うところはといえば、これ。

 彼が本当にクレーの「スペシャリスト」だったこと。

 フレンチ・オープンをはじめ、のコートでは無敵の強さを見せるナダルだが、ウィンブルドンUSオープンなど、ハードコートのビッグタイトルも手にしている。

 プレースタイルこそ土が基本に置くけど、ラファはもっと幅広い世界に適応して登りつめたところが現代的だったが、トーマスの場合は本当にクレーコートこれ一本

 職人気質の専門家といえば聞こえはいいが、まあ平たく言えば土以外ではの一流選手といったところ。現に一度は世界ランキングでナンバーワンになりながらも、



 「1位っていっても、クレーコートでしか勝ってないじゃん」



 なんて批判されたものだ。

 トーマスからすれば、別にルールに反しているわけでもないし、グランドスラムのタイトルも取っての栄冠なのだから、揚げ足を取られる筋合いはない。

 わけではあるけど、まあ見ている方としては、多少は言われても、しょうがないかなという気はしないでもない。

 やはり、世界ランキングナンバーワンといえば、1年を通じてオールラウンドに活躍する選手がなるイメージがある。

 レンドルベッカーサンプラスアガシにしても、幅広い大会でタイトルを取っているが、いかんせんトーマスはクレーコートに偏りすぎだ。 

 特に球速の速いのコートは大の苦手にしており、ウィンブルドンは4度出場して、すべて1回戦負け

 ローラン・ギャロスを取った1995年以降など、ぶんむくれて出場すらしなくなってしまったくらいだ。

 そんなトーマスの極端なテニスのスタイルを象徴しているのが、たしか1997年だったかのオーストラリアンオープンのこと。

 全豪はリバウンドエースという比較的遅めのハードコートを敷いていたので、トーマスにもそこそこ戦いやすかったか2度ベスト4に入っているが、ある試合後のインタビューで記者から、



 「あなたはクレーコートでは最強だが、ハードコートでもやはり、そのプレースタイルを変えるつもりはないのか」



 これに対してのトーマスの返事が、



 「オレは今日、3本ボレーしたんだぜ。まだ文句があるのかい?」



 3本「」というのがイカしているではないか。

 これはまっすぐな回答なのか、それともひねった自虐ユーモアなのか。

 なんとも判断に苦しむところが、おもしろい。

 あのパワードスーツでも着こんでいるような頑強なストローク力と、耳から湯気の出そうなうなり声は、はっきりいって洗練さのかけらもなかったが、その無骨なところがトーマスの魅力でもあった。

 決してのあるタイプではなかったが、かつてのローラン・ギャロスは彼のようなプレーヤーこそが映えたのだ。

 現在、後輩であるドミニクティームが、かつての「スペシャリスト」のような、スピンの効いたショットを武器に、クレーで好成績をおさめている。

 今のところはまだ、ラファエル・ナダルやノバクジョコビッチ相手に授業料を払わされている段階だが、いずれ大きな結果を残せる才能であることは間違いない。

 大先輩に続いて、いつフレンチのタイトルをオーストリアに持って帰れるか、要注目だ。


 

 ■おまけ 1995年フレンチ決勝の動画は→こちら



 

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オーストリアの元祖「クレーキング」トーマス・ムスター

2017年05月25日 | テニス

 クレーコートの王者といえばトーマスムスターである。

 テニスの世界にはのコートで無類の強さを発揮する「スペシャリスト」が存在する。

 彼らのことを知りたければ、フレンチオープンの歴代優勝者のリストを見れば話が早く、9度(!)の優勝を誇るラファエルナダルや、やはり3度優勝のグスタボクエルテン

 その他カルロスモヤフアンカルロスフェレーロセルジブルゲラなど主にスペインの選手が目立つわけだが、私が個人的に

 

 「クレーの王者」

 

 と聞いて思い浮かべるのは、世代的にトーマス・ムスターだ。

 ムスターは1980年代後半から、90年代にかけて活躍したオーストリアの選手。

 クレーコーターらしいタフなプレースタイルと、サウスポーから繰り出されるパワフルなフォアハンドが持ち味だった。

 トーマス・ムスターと聞いては、まず、あの悲惨な事故のことからはじめなければなるまい。

 1989年リプトン国際で、トーマスはトーナメントの山をかけ上がり、準決勝でフレンチ・オープン優勝経験もあるヤニックノアを破って決勝に進出する。

 だがそこに、まさかの悲劇が待っていた。

 試合を終えたほんの数時間後、トーマスは酔っぱらいの運転するにはねられて、を負傷してしまうのだ。

 当然、イワンレンドルが待ち受ける決勝戦不戦敗に。

 いや、それどころか想像以上の大ケガであり、ツアーから長期離脱を余儀なくされたのである。

 半年近くコートに立てないこととなったトーマスは、回復どころか、選手生命の危機ともささやかれたが、ここからコート上で見せる以上の、不屈闘志を発揮し周囲をおどろかせることになる。

 車いす生活を送りながらも、カムバックにそなえ上半身だけでトレーニングを行った。ラケットを握って、腕だけで貪欲にボールを打ち続けた。

 試合や練習でのケガならともかく、愚かな酔っぱらいの過失だ。あまりにもバカバカしい人生の不条理。
 
 並の精神なら、自らの運命を呪い、やけっぱちになってもおかしくないというのに、トーマスはそれを受け入れた

 そしてただ、黙々と練習とリハビリに打ちこむのだ。

 泣き言を言っても仕方がない。なげいて歩みを止めれば、その分時間を無駄にするだけ。

 だったら、すぐに回復のため努力するのが正解なのは道理だ。

 もちろん、理屈ではそうであろうが、人間なかなかそう簡単に割り切れるものでもないはずだ。

 だが、トーマスはそれをやり遂げた

 彼はその疲れを知らないテニスのスタイルでもって

 

 「ターミネーター」

 「ダイ・ハード」

 

 あるいは怪物並のタフさから

 

 「ムンスター」

 

 などと呼ばれたものだが、それはただ彼がコート上で強かっただけではなかったのだ。

 静かな努力が花開いて、トーマスは見事にコート上に返り咲く

 いや単に戻ってきただけではない。より強く、よりタフになって帰ってきた。

 彼はその年、第一線から遠ざかっていた鬱憤を晴らすようにフレンチオープンベスト4に進出。

 その他の大会でも、離脱前におとらぬプレーを披露し、見事1990年ATPカムバック賞を獲得するのだった。


 (続く→こちら







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『球辞苑 ~プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち~』のテニス版を見たい!

2017年01月08日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 この正月は、『球辞苑 ~プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち~』を楽しんだ。

 こういう番組を見せられると、やはりテニスファンとしては、ぜひとも『テニス球辞苑』を作ってもらいたいという気になる。

 どの局でだれが出てなどもさることながら、毎回のテーマを妄想するのが、とにかく楽しい。

 夜、ひとりであれこれ考えていたら、どんどんテンションが上がってきて、ついテニスファンの友人たちに連絡してしまった。

 そしたら、むこうも「あー、それおもしろそう」となって、つい皆で朝まで「あれやってほしいな」「いや、こっちの方が」と、盛り上がってしまったのだ。

 どいつもこいつも、ヒマ……もとい、テニス好きだなあ。

 侃々諤々の末出てきたテーマというのが、まず第1シーズンでは比較的とっつきやすいものがよかろうと(当然、長寿番組にする予定である)、ふつうのテニス中継でもおなじみのワードから。

 たとえば、

 「5セットマッチ」

 「片手打ちバックハンド」

 「セカンドサービス」

 「サウスポー」

 「バックハンドのスライス」

 「サーブ&ボレー」

 「ダブルス」

 「アプローチ・ショット」
 
 「クレーコートのスペシャリスト」

 「ダウン・ザ・ライン」

 
 などなど。

 ゲストはだれがいいかな。「スライス」は鈴木貴男選手、「サウスポー」なら岩渕聡さん、「ダブルス」は青山修子選手で、「ダウン・ザ・ライン」の回では錦織選手が出てくれるといいなあ。

 これが好評で第2シーズンがはじまると、ここからグンとマニアックになる。

 当然、われわれのバカ話もこっちが激論になり、出てきたものといえば、


 「フォア、バックともに両手打ち」

 「ハーフボレー」

 「チャレンジャーやフューチャーズの運営」

 「ガット」

 「全日本選手権」

 「スプリット・ステップ」

 「団体戦」

 「両手打ちバックボレー」

 「ノーアドバンテージ方式」

 「グランドスラムの予選」

 「ミックスダブルス」

 「ドリンクと補給食」 

 「大学テニス」

 などなど、視聴率とかニーズなどふっ飛ばして、「それ、おまえが聞きたいだけや!」なテーマが目白押し。

 でも拾っていけば、「試合中、選手が飲んでいるもの」はたしかに気になるし、「両手打ちボレー」は男子プロの試合でまず見ないけど、日本の女性プレーヤーはプロアマ問わず、ほとんどがこれで打っている。

 こういったあたりは、意外と掘ってみる甲斐があるかもしれない。

 司会はフローラン・ダバディさんかな。

 ただ問題なのは、それ以外の出演者が思いつかない。

 この番組は単なるテニス好きじゃなくて、

 「テニスという競技をロジカルな視点で語っても、話にのってこれる」

 というスタンスでないとダメだから、「高校時代テニス部でした」みたいなアイドルとか、体育会系的ノリを押すタレントさんも、ちょっと合わない。

 となると、ただでさえ「テニス好き」な芸能人といってもパッと浮かんでこないのに、そこにさらに「理屈好き」がのっかるとなると、これは相当にチョイスがむずかしい。 

 錦織圭選手が活躍しても、アメトークで「テニス芸人」がないのは、やはり人材不足が原因なのだろうか。

 もし似たような番組がWOWOWあたりで実現するなら、『スマッシュ』誌でダバディさんが「この打ち方から抜け出せない」とボヤいていた

 「90年代的オープンスタンスからのトップスピン」

 の回には、ぜひゲスト出演したいものだ。




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女子テニス界屈指の技巧派 アグニエシュカ・ラドワンスカの魅力

2016年12月24日 | テニス
 アグニエシュカラドワンスカのファンである。
 
 ポーランドテニスプレーヤーであり、2012年ウィンブルドンファイナリスト
 
 世界ランキングの最高は2位で、2011年2015年東レパンパシフィックオープン優勝したことから、日本でも人気が高い選手だ。
 
 愛称は、東レの記者会見で本人が言っていた「アガ」。
 
 スポーツの世界には「技巧派」と呼ばれる選手がいて、私もパワーで押す選手よりも、どちらかといえば組み立てで勝負するプレーヤーが好みだが、彼女のテニスは、とにかく頭がいいのが特徴である。
 
 セレナウィリアムズのビッグサーブや、マリアシャラポワの斧でたたききるような重いストロークとは無縁で、サービスもフォアハンドもバックハンドも、一見いたって平凡
 
 一撃でエースをとれるウィニングショットや、さわると手の切れるようなボレーがあるわけでもない。
 
 試合中も、どちらかといえば、起伏なく々と事を進めるタイプの選手である。
 
 ところが、この一見なんの変哲もなさそうな彼女のテニスが、いざ戦ってみると負かしにくいのなんの。
 
 その力の抜けたようなフワッとしたテニスは、そのおだやかな外見とは裏腹に、一度はまると命取りになるアリ地獄
 
 当てるだけに見えるショットが、実にいいところに返る。プレースメントがいい。回転のかけ方が巧みで、スピードはないのに返球がなんとも難しい。
 
 そうやって、とらえどころのないまま、うっかり気を抜くショットを放つと、いつのまにかスルスルとネットに出ていて、そのまましとめられている。
 
 彼女はプロにしては細身であり、パワーにはかなりおとるところはあるが、それを適切な読み判断力でカバーできるのが強みなのだ。
 
 とにかく、アガからポイントを取るのは、けっこうな労力を必要とする。
 
 すごい俊足というわけでもないが、ランニングショットがうまい。これで、簡単にはエースを取らせない。
 
 振られても、かろうじて返球したフォアスライスが計ったように深く返ってくる。バックハンドの、当てるだけで返すカウンターショットや、逃げのロブが抜群にうまい。
 
 読みもすばらしいものがあり、をついて打ったつもりのスマッシュやボレーに対して、一歩も動かないままそこに待ち受け、簡単にパスエースを取ってしまうという光景を何度見たことだろうか。
 
 ディフェンスにすぐれた彼女は、その一方で攻めも、なんとも上手にこなす。
 
 のコートで、低くすべる弾道の球を地面につくほど、ぐっとひざを曲げて打ち返すのはウィンブルドンの名物であり、次々とエースを量産する。
 
 ドロップショットが得意で、丁寧にネット際に落とすのだが、彼女の真骨頂はその一発で決めるのではなくて、それを相手に拾われたとき。
 
 本来なら、ドロップショットは決まればいいが、相手に追いつかれると絶好のチャンスボールになる可能性もある、リスクの高いショットである。
 
 ところがアガの場合それを拾われても、ネットにおびき出された相手に対して様々な選択肢でもって対応できる。
 
 ショットの持ち札の数が、圧倒的なのだ。あとはパスでもロブでも、気分次第選んでで料理してしまえばいい。
 
 野球でいえば、まさに「七色変化球」でもって打者を翻弄することができるから、相手からすると頭をかかえるしかなかろう。
 
 中でも「反則だぞ!」といいたくなるのが、バックハンドフェイントショット。
 
 ストローク戦の中、バックのスライスを打つと見せかけて、そこからドロップショットというのは、よくある戦術だが、アガの場合はもうひとひねりある。
 
 彼女はバックのスライスを打つと見せかけてドロップショット、と見せかけてやっぱりスライス
 
 こういう2段階のフェイクを入れてくるのだ。
 
 これには「落としてくる」とに出たところに、するどい回転のかかったショットが、まるで顔面めがけてかのように飛んでくることとなり、相手はパニックになる。
 
 なんとも、いやらしい手管ではないか。
 
 これでじわじわとポイントを取られる者は、洗面器でゆるやかに煮られるカエルのように、気づかないうちにぬるま湯の中で料理されてしまうのだ。
 
 その真価が、いかんなく発揮されたのは、2015年度の東レ決勝
 
 相手はスイスの新星ベリンダベンチッチ
 
 6月エイゴン国際決勝で負かされた、勢いに乗りまくる18歳だが、苦戦が予想されたこの試合、アガはこれ以上ないくらいに巧みなテニスを見せた。
 
 若さにまかせて勝ちまくっていたべリンダを、大人のテニスで見事に翻弄。
 
 相手のスピードを殺すクレバーなゲームメイキングを駆使し、怖いもの知らずの10代に自分のテニスをさせなかった。
 
 6-26-2というスコア以上にを感じさせた内容で、試合途中、どうにもならなくなったべリンダはついに感情を爆発させ泣き出し、コーチである父親と口論を始める始末だった。
 
 これには、まったく惚れさせられたもの。なんという魅せるテニスなのか。
 
 パワーテニスの名のもとに、女子テニスからテクニシャンが駆逐されて久しいが、まさに
 
 
 「昔ヒンギス、今ラドワンスカ」
 
 
 といっていい、すばらしい「魔術師」ぶりだ。
 
 今女子テニス界で、間違いなく「もっとも対戦したくない」選手の一人であるラドワンスカ。
 
 彼女に足りないのは、グランドスラムのタイトルであろう。
 
 2013年ウィンブルドン準決勝で、ザビーネリシツキ相手にファイナル7-9で敗れたのが痛恨であった。
 
 決勝で待っていたのが、セレナでもシャラポワでもなかったことを考えると、ここは相当に大きなチャンスであったが、残念であった。
 
 ただ、彼女の実力をもってすれば、もう何回かはチャンスがあると見る。
 
 現に、2015年度はWTAファイナル優勝し、初のビッグタイトルを手にした。
 
 ぜひ好成績を残したこともあるウィンブルドンか全豪あたりを取って、パワー時代の女子テニスに「技巧派復活」の鐘を鳴らしてほしいものである。
 
 
 
 ■おまけ 負けたけど好勝負だった、2016年東レ準決勝vsウォズニアッキ戦は→こちら
 
 
 
 
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モスクワ総力戦vs皇帝ピート 1995年デビスカップ決勝 ロシア対アメリカ その5

2016年11月28日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 1995年デビスカップ決勝は、アメリカロシア1勝ずつ分け合って2日目に突入した。

 この日はダブルス対決。

 再三言っているが、デ杯はダブルスがポイントである。

 昨今、錦織圭というスーパースターがいながら、日本がときおり格下のチームに苦戦を強いられるのは、ダブルスに頼れるコンビがいないからだといわれている。

 この決勝戦でもアメリカのネックとなるのが、ダブルスになるのではと推測されていた。

 アメリカにもリッチーレネバーグというダブルスのスペシャリストはいたが、彼とペアになる巧者が不足していたのだ。

 一方ロシアはアンドレイオルホフスキーエフゲニーカフェルニコフ組で実績も経験も充分。戦力的には圧倒的にアドバンテージがある。

 前回の復習をすると、ロシアの計算では、開幕戦でアンドレイチェスノコフが、1敗覚悟でピートサンプラスを徹底的に削り、第2試合ではカフェルニコフがジムクーリエを蹴散らしてタイ

 その後、ダブルスを順当に取り、最終日疲弊したサンプラスをカフィがたたいて3勝目いただき。これがロシアによる「勝利の方程式」だ。

 ここまでは、笑いだしたくなるくらいに作戦通りだったわけだが、ここにその計算を狂わせる男がいた。

 だれあろう、王者ピート・サンプラスであったのだ。2日目のダブルス、アメリカチームはこの男を急遽エントリーしてきたのだ。

 これにはカフィをはじめ、ロシアチームには二重の驚きだった。

 まずひとつは、初日にチェスノコフにあれだけ痛めつけられたのに、ということ。

 全身ケイレンで試合後歩くこともできなかったのだ。そのダメージを考えれば、最終日にはベストの状態で出られないはず。

 いやそれどころかリタイヤという結末も考えられる。ロシアからすれば、そこまでの希望的観測すらあったはずである。

 それが、まさかのダブルスに連投

 ましてや、カフェルニコフとちがって、サンプラスはダブルスにまったく出ないタイプのシングルス・プレーヤーである。

 ダブルス・ランキングでもトップ10に入っているカフィと比べると、はっきりと見劣りするはずなのだ。

 この思わぬ「サンプラス投入」はロシア側に大きなショックをあたえた。

 ロシアからすれば、アメリカが送りこんでくるのは、専門家のリッチー・レネバーグと、シングルスでは控えであるトッドマーチンと見切っていたらしい。

 それをはずされた意味もあるが、それよりもなによりもサンプラスが初日の消耗をものともしていないこと、さらには経験値の少ないダブルスに志願してまで勝ちにこようとしている。

 ピートからすれば、「勝ったつもりか知らないが、そうはいかんぞ」と言いたかったのだろうか。「なめるなよ」と。

 その気持ちの強さに、ロシアはもしかしたら、押されてしまったのかもしれない。

 現に、ロシア有利のはずのダブルスでは、オルホフスキーもカフェルニコフも予想以上に力を発揮できなかった。

 その一方で、ピート・サンプラスは元気いっぱいだった。得意のサーブ&ボレーを駆使して、次々とポイントを奪っていく。

 ペアを組んだマーチンも決して完璧というわけではなかったが、その分すらもひとりでカバーする勢いだった。

 ロシアペアは明らかに、それに気圧されていた。そのままずるずるとポイントを失い、この鍵となる2日目を落としてしまう

 まさかのダブルス敗戦に、ロシアチームの計算は総崩れとなった。

 それでもスコアはまだアメリカから見て2勝1敗

 ナンバーワン決戦に出てくるカフィも、ロシア決勝進出の立役者チェスノコフも残っている。勝負はまだこれからのはずだ。

 だが、残念なことにロシアチームにはそこから挽回する力は残っていなかった。

 シングルス第3戦はサンプラスがやはり神懸かり的なテニスを披露し、気落ちしたカフェルニコフを攻めまくる。

 地元の大声援を背に、なんとか事態を打開しようともがいたカフィだが、一度狂わされた歯車がかみ合うことは、もうなかった。

 天王山となる決戦は、6-26-47-6のストレートでサンプラスが快勝

 これで3-1。アメリカが1992年以来の優勝を飾ることとなった。メディアやファンは大活躍の王者を称え、ロシアのピョートル大帝にたとえて「皇帝ピート」と呼んだ。

 ロシアは前年度に続き、またも敗れた。

 だが、これはカフィを責められるものではないかもしれない。彼らはベストをつくして戦ったのだ。

 ただ、ことこの決勝戦に関しては、二日目のダブルスに、サンプラスが電撃的に登場した時点で勝負がついていた。

 結果論的にいえば、いかに勢いがあろうが戦略があろうが、王者に、あんな劇的な展開で主役の座をかっさらわれてはいけないのだ。

 傷ついた体をものともせず2日目のコートにあらわれ、ロシアチームの度肝を抜いた時点ですべては決まっていた。あとの2試合はすべて、単なる「手続き」にすぎなかったのだろう。

 まったく論理的ではないし、ロシアチームにとっては不条理極まりない話だが、英雄が生まれる瞬間というのは、そういうものではあるまいか。

 こうしてきびしい敗北を喫したロシアだったが、ここで終わらなかったのは偉いところ。

 カフィはその後フレンチ全豪グランドスラム二冠に輝き、世界ナンバーワンにものぼりつめる。

 またマラトサフィンという、これまたロシアテニス史に残る天才を得たチームは、2002年決勝にみたび進出し、強豪フランス相手に見事悲願の初優勝を飾ることとなる。




 ☆おまけ 1995デビスカップ カフェルニコフ対サンプラスのダイジェスト映像は→こちら







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モスクワ総力戦vs皇帝ピート 1995年デビスカップ決勝 ロシア対アメリカ その4

2016年11月27日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 1995デビスカップ決勝ロシアアメリカ戦は、ピートサンプラスアンドレイチェスノコフというカードで開幕した。

 ドイツ大逆転で下した立役者となったアンドレイは勢いバリバリ。一方、ピートの方はアウェーの戦いの上に、クレーコートが大の苦手ときている。予想の難しい戦いとなりそうだった。

 実際、試合の方はフルセットにもつれこむ泥仕合となる。

 前半こそ得意のスピーディーなテニスでリードを奪ったサンプラスだが、決めどころで押し切れないと、チェスノコフのねばり強さに手を焼くこととなった。

 必殺のサーブ&ボレーを封じられ、じわりじわりと持久戦で体力を削られていく様は、あたかもナポレオンやドイツ軍が、ゲリラ山岳パルチザンに翻弄される姿を彷彿させる。

 準決勝でチェスノコフに敗れたミヒャエルシュティヒは、試合後、息も絶え絶えの様子で、



 「僕はすべてを使い果たしてしまったが、アンドレイにはあと少しだけガソリンが残っていたようだ」



 その心身の強さに舌を巻いたそうだが、王者サンプラスもまさにそれに飲みこまれようとしていた。

 すわ! チェシーまたも大金星か! 世界中のテニスファンが色めき立ったが、最後の最後でサンプラスが王者の意地を見せ、懸命にすがりつくチェスノコフを振り切った。

 と同時に、マッチポイントを決めたばかりのサンプラスがコートに倒れこんだ

 勝つには勝ったが、激戦のダメージによる全身ケイレンで、もう一歩も動けなかったからだ。

 すべてを使い果たし、スタッフに両方からかつがれて退場する王者の姿を見て、モスクワのファンたちはその強さと執念に慄然としたことだろうが、ロシアの要であるカフェルニコフだけは余裕の表情でそれを見つめていた。

 そう、チェスノコフは負けはしたが、実のところを言えば、彼の真の役割は勝つことではなかった

 もちろん、運よく1勝かせげれば言うことなしだが、それよりもなによりも彼の仕事は、



 「過酷な環境の中、サンプラスに1秒でも長くプレーさせること」



 最終日のカフェルニコフとの対決で、いかに力を出させないか。それこそが開幕投手の役割だったのだ。

 ベテランはものの見事にその任務を完遂した。ロングマッチに引きずりこみ、絶対王者をギリギリと万力にかけ、試合終了の握手もままならないほどに、しぼりつくしたのだ。

 まさに玄人の仕事、怖ろしいほどにあざやかな「エース殺し」であった。 

 シナリオは、おもしろいほどロシアの理想的に動いていた。第1試合の結果に気をよくしたのか、第2試合でカフェルニコフはジムクーリエを一蹴し、スコアを1ー1のイーブンに戻す。

 フレンチオープン2度優勝しているジム・クーリエは、本来なら決して楽な相手ではないはずで、実際ロシアチームは、



 「ピートよりジムの方が要警戒だ」



 といった挑発的ともいえるコメントを残していたが、カフィはまるで鼻歌でも歌いながらのごとく、見事に快勝してしまった。

 なんという余裕。よほど勝てる見こみがあったのだろうか。

 もちろん、そこにはカフィの実力に対する信頼があるわけだが、それにしても自信勢いというのはおそろしいものである。
  
 カフィの勝利で、ロシア優勝の方程式は完成しつつあった。次は自信のダブルスで確実に1勝を奪い、最終日のエース対決でカフィが疲れきったサンプラスを料理する。

 これでおしまい。戦力では劣るが、かけひきで勝つという団体戦特有の勝負術が炸裂したように見えた。

 だが、話はここで終わらない。完璧に見えたはずのロシアの作戦、それをものの見事に粉砕する男がいたからだ。

 そう、一度は破壊されたと思われた、王者ピート・サンプラスのことである。


 (続く→こちら






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モスクワ総力戦vs皇帝ピート 1995年デビスカップ決勝 ロシア対アメリカ その3

2016年11月26日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 1995年デビスカップ決勝を語るには、その前の準決勝ドイツロシア戦から取り上げていかなければならない。

 ボリスベッカーミヒャエルシュティヒを擁する強敵ドイツに、彼らのパワーとスピードをなんとか封じようと、ロシア陣営はクレーコートをまきまくるという奇策に出る。
 
 だが、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしで、コートはグチャグチャになりすぎてプレーができず、ロシアチームは国際テニス連盟からメチャクチャに怒られたうえに罰金まで払わされるハメになる。

 いくら勝ちたいとはいえ、なんともマヌケなことになったものだが、ともかくもコートが乾きかけたところで試合開始。

 敵の醜態に気をよくしたのか、ベッカーがアンドレイチェスノコフを、シュティヒがエフゲニーカフェルニコフをそれぞれ破って2連勝。ドイツが決勝進出にあっさり王手をかけた。

 大騒ぎしたわりには、こんなもんかと思われたが、「デ杯はダブルス」というのはここで、アンドレイオルホフスキー&カフェルニコフ組が、2日目にベッカー&シュティッヒのバルセロナ五輪金メダルコンビ相手に1勝返すと、もうこれで勝負はわからない。

 1-2とスコアは押されていても、「勝ってエースにつなぐ」というのは、勢いの面で相当に大きいからだ。

 その証拠に、まだ負けていてもロシアチームは元気いっぱいだった。さらにロシアにが吹くことには、ドイツチームがここで、守護神ボリス・ベッカーの欠場を余儀なくされてしまったこと。

 ベッカー、シュティッヒの2枚看板を単複両輪で使えるドイツは相当負けにくいチームのはずだが、あえて弱点をあげるなら、それ以下のがいかにも薄かった。

 代打で急遽出場したのはベルントカールバッヒャーであったが、前日の勝利で気をよくしたカフィに対して、の中堅選手であるカールバッヒャーというのは、いかにも荷が重すぎた。

 まるで勝負にならず、カールバッヒャーはカフェルニコフの軍門に下ってしまう。

 これで2勝2敗のタイ。ついに勝負は最終マッチ、シュティヒ対チェスノコフで決まることとなる。

 ここまできたら、もう実績もランキングも関係ない完全な闇試合。実力的にはシュティヒが勝って当然だが、流れはどう見たってロシアである。

 なりふりかわず作った「のコート」が効果を発揮したのか、シャープなテニスで鳴らすシュティヒ相手に、チェスノコフは文字通り泥くさい、ねばりのテニスで対抗。 

 大一番はファイナルセットまでなだれこみ、しかもそれが延々と終わらないマラソンマッチとなる。

 その後も試合はもつれにもつれたが、シュティヒの9本にもおよぶマッチポイントをすべてしのぎきり、チェスノコフが大金星を手にすることとなった。

 最終セットのスコアが14-12の激闘だった。

 かくして、ロシアは掟破りの盤外戦術まで駆使して、決勝に進出。

 叱責されようが罰金カマされようが、まさに勝負の世界は「勝てば官軍」なのだ。

 説明が長くなったが、そう、ロシアチームのこの決勝進出のの立役者はカフィだが、MVPは地味なベテラン、アンドレイ・チェスノコフだった。

 ここまで聞けば、サンプラスの初戦が決して「ふつうにやれば」なんてできるはずもないことがわかろうというもの。

 モスクワ開催と激遅クレーコートという「二重のホーム」、さらには準決勝の勢いから120%の力でぶつかってくるチェスノコフ。

 土のコートを大の苦手にしているサンプラスにとって、これ以上なく勝ちにくい相手といってもよかったのだ。


 (続く→こちら





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モスクワ総力戦vs皇帝ピート 1995年デビスカップ決勝 ロシア対アメリカ その2

2016年11月25日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 新星エフゲニーカフェルニコフの活躍で、デビスカップ決勝進出を果たした1995年ロシアチーム。

 迎え撃つのは王者ピートサンプラス率いるアメリカ。

 戦力的にはアメリカ有利だが、アンドレアガシ欠場と開催地がモスクワであることを考慮に入れると、ロシアにも充分すぎるほど勝機はあった。

 デビスカップはシングルス2本ダブルス1本シングルス2本の5本勝負。

 メンバーはアメリカがシングルスでサンプラスとジムクーリエダブルスはスペシャリストのリッチーレネバーグトッドマーチン

 一方ロシアは絶対的エースであるカフェルニコフと、ベテランのアンドレイチェスノコフシングルスに。ダブルスはカフィとアンドレイオルホフスキーという不動のコンビ。

 アガシ以外はというか、その代役が元ナンバーワンのクーリエなのだから、双方ほぼベストメンバーという布陣。

 まさにがっぷり四つのぶつかり合いだが、カフェルニコフは「我々が勝つ」と自信を持って宣言していた。

 果たして、その堂々とした態度は本物なのか。いよいよ試合開始である。

 オープニングマッチは、サンプラスとチェスノコフ。

 デ杯では3日目第1試合で双方のナンバーワン同士が「エース対決」として戦うことになるから、1日目はそれをタスキにずらすこととなる。

 ナンバーワンと2番手選手。となると、初日は順当にいけばエースがまず1勝をするのが必勝パターン。

 ましてやこの開幕戦では、ピート・サンプラスが出てくるのだ。相手のチェスノコフは過去最高9位までランキングをあげた実績があるものの、今ではのベテラン選手である。

 ふつうにやれば、サンプラスがあっさりと勝つに決まっているはずなのだ。

 そう、あくまで「ふつうにやれば」の話だが。

 ここで含みのある言い方になってしまったのは、見ている側にとって、この戦いはそんな簡単なものではないと予測できたから。

 その伏線は準決勝、対ドイツ戦にあるので、そこまでさかのぼって見なければならない。

 1995年のロシアチームは、デ杯にかけていた。

 その前年に初めて決勝に進出したものの、ステファンエドバーグマグナスラーソンに率いられたスウェーデン1勝4敗完敗を喫したからだ。

 リベンジに燃えるロシアは、ありとあらゆる手を使って勝ちにいくつもりだった。

 そこに立ちはだかるのは、アメリカやスウェーデンももちろんいたが、その前にドイツという大きな壁も存在したのである。

 英雄ボリスベッカーに、あらゆるサーフェスを苦にしないオールラウンド・プレーヤーであるミヒャエルシュティヒの2トップに支えられたドイツは、パワー、テクニック、経験値、すべてにおいてロシアを上回っていた。

 そんな強敵相手に、ロシアが持っていたのは準決勝も「地元開催」というカードのみ。

 そこでチームは、そのたった1枚の切り札を最大限に活用することとなる。

 まず、モスクワのオリンピックスタジアムクレーコートを敷いた。これは当然である。

 シュティヒはまだしも、ベッカーはその実力からは信じられないことに、クレーの大会で一度も優勝してない。それほど土のコートと相性が悪い。

 そこで赤土によりボリスのパワーを封じようとしたのだが、ここにひとつ誤算があった。

 モスクワに敷いたクレーが、思ったよりも遅くなかったのである。



 「これでは、ボリスがのびのびとプレーしてしまう!」



 選手たちからクレームがつき、あわてたロシアチームは急遽対策を練ることとなった。そこであがってきた案というのが、



 「コートに水をまいたらいい」



 土が固く、球速が落ちないなら、でビチャビチャにしてしまえばいい。

 そうすれば、のようなコートはボールの勢いを殺し、ストローカーであるカフェルニコフやチェスノコフには断然有利に働く。

 そこでロシアチームのスタッフは、バケツやホースでせっせと散水し、コートをのようにしてしまう。

 あまりに水をまきすぎて、審判から「プレーするに危険」と試合はいったん据え置きになり、スタッフは総出でヘアドライヤー(!)を持ってきてコートを乾燥させるという珍事になった。

 騒動はそれで終わらず、いかにもフェアプレー精神を欠いたこの行為に、ロシアチームはITFから罰金25,000ドルを課されることにもなる。

 そりゃ勝ちたいのはわかるけど、なにをやっているのかという話だ。

 だが、おそろしいことに、この「泥沼化」問題が最終的にはロシアを勝たせることになるのだから、



 「正義はかならず勝つ」

 「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います」
 
 
 なんて言葉が、大金と国の威信のかかった勝負の世界では屁のようなものであることを実感させられる。


 (続く→こちら



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モスクワ総力戦vs皇帝ピート 1995年デビスカップ決勝 ロシア対アメリカ

2016年11月24日 | テニス

 1995年デビスカップ決勝は死闘だった。

 テニスファンにとってこの季節は、なんといってもデ杯

 テニスではめずらしい国別対抗の団体戦ということで、ふだんは一人で戦うプレーヤーたちが、国の威信とチームの連帯感(ときには確執)を背負ってコートをかける姿は、平時のツアーとは一味も二味も違う熱気があるのだ。

 1995年決勝にあがってきたチームはアメリカロシアだった。

 当時のアメリカは、ピートサンプラスアンドレアガシマイケルチャンジムクーリエといった綺羅星のごときトッププレーヤーを有し、黄金時代をほしいままにしていたころ。

 当然、優勝候補バリバリだったが、われわれが注目していたのは、むしろロシアであったかもしれない。

 ソ連時代をふくめて、ロシアは常にスポーツ大国であったが、ことテニスにかぎっては、それほどの実績がなかった。

 ソ連が自国選手の外国での試合を禁じていた時代があったからだが、それが解放されたのち、南部の小さな街ソチよりエフゲニーカフェルニコフという男があらわれたところから、ロシアテニスの大爆発が始まる。

 この年、まだ21歳だったカフェルニコフ(愛称カフィ)はローランギャロスベスト4に入る活躍を見せ、このデビスカップでも当然のごとく優勝をねらっていた。

 ただ、試合前の下馬評では、戦力的に見て単純にアメリカ有利

 なんといっても当時のアメリカには、世界ランキング1位の絶対王者、ピート・サンプラスがいた。

 このシーズンも、全豪こそ準優勝に終わったものの、ウィンブルドンUSオープン優勝し、アンドレ・アガシに奪われていたランキング1位の座もうばいかえしていた。

 タイトなスケジュールをやりくりしなければならず、またポイント的うまみも薄いため、トップ選手はあまり出たがらない傾向もあったデ杯だが、このときのサンプラスは高いモチベーションで優勝に向かって邁進していたのだ。

 これに加えて、アガシ、クーリエも参加を表明しており、さらには控えにトッドマーチンもいるというその層の厚さ。

 唯一の不安材料はダブルスだが、これもリッチーレネバーグというスペシャリストを擁しており、まともにぶつかればアメリカが4ー1くらいで勝ちそうとは、素人でも予測できるところだ。

 だがデ杯というのは、そう単純なものではない。

 まず、ロシア側には、先述したカフェルニコフという頼れるポイントゲッターがいる。

 まだ荒削りで、まともにぶつかればサンプラスやアガシにはおよばないところも多いが、なんといっても若さの勢いがある。

 また、カフィはダブルスもうまいのが売りだ。

 シングルスの選手は、基本的にはダブルスにあまり力を入れないものだが、彼はそちらも積極的に進出していた。

 またチームには不動のコンビ、アンドレイオルホフスキーという息のあった名パートナーがいるのも心強い。

 デ杯は「ダブルスが重要」というのはテニスファンにとって定跡のようなもの。

 急造ペアで戦うことになりがちなこの大会で、「通いなれた道」を歩けるのは、ものすごく大きいことのだ。

 そしてなにより、開催地がロシアということが最大に予測を難しくさせる要素でもある。

 スポーツにはそもそも「ホームタウンディシジョン」というのが存在するが、デ杯では開催地側にコートサーフェスを選択する権利があり、そのことが、さらに有利さを加速させる。

 当然、ロシア側は球速の遅いクレーコートを敷いてアメリカチームを迎え撃つこととなる。

 これだけで、勝負は一気に互角か、それ以上にロシアに勝ち味が倍増するのだ。

 なぜなら、カフィをはじめロシアの選手たちは皆クレーコートで育った、バリバリの「スペシャリスト」にも関わらず、アメリカのナンバーワンであるピート・サンプラスはクレーが大の苦手ときているのだから。

 おまけに、アメリカ側は直前にアガシの欠場というハンディも負うことになった。これに勢いづいたロシアは、相当なる自信をもつこととなる。

 事実、試合前の記者会見でもカフィは堂々たるもので、「地元で優勝する」と意気ごんでいたものだ。

 こうして役者はそろった。

 モスクワのオリンピックスタジアムで、シーズン最後を飾る大一番、ロシア対アメリカのデビスカップ決勝が幕を開けたのである。


 (続く→こちら



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キミは松岡修造を生で見たことがあるか? 「今日からおまえは富士山だ」編

2016年08月19日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 世界スーパージュニアテニス選手権という大会を見に行ったら、隣にどっかとすわったのが世界の松岡修造なのであった。

 これには腰が抜けそうになった。

 これまでも、海外の大会でニック・ボロテリーがテレビのインタビューを受けているのを見かけたり、グスタボ・クエルテンがすぐ横を通って行ってビックリしたことはあったけど、まさかあの松岡さんがいるとは。

 日本人テニスファンなら大リスペクトの修造がいる! しかも、すぐ隣に!

 おまけに、その距離がメチャメチャに近い。

 すわっていたベンチには、そのときたまたま私と松岡さんしかいなかったのだが、スペースは充分あったにもかかわらず、なぜか修造さんはすぐ隣に。

 いや、下手するとお互いの腰が触れ合いそうなくらいの近さ。ほぼ当たっているといっていい。

 昔、中島らもさんのエッセイで、「あったら怖いシチュエーション」というお題に、


 「電車の中で自分以外だれもいなくて空いているところはいくらでもあるのに、おじさんがなぜかピッタリと隣に座ってくる」



 というのがあったけど、まさにそれだ。いくらでも開けてすわれるのに、なぜか私と密着。

 ゼロ距離に修造。シュールだ。これはわりと真剣に、「オレを抱こうとしているのか?」といぶかったものだが、まあたぶん、選手の動きを見るのにそこが一番いい位置であり、私のことなど視界に入っていなかったのだろう。

 さて間近で見る松岡さんの印象はといえば、それはそれは「でっかー」というものであった。

 とにかく背が高い。しかも、引きしまっている。

 そのころはすでに現役は引退して、ずいぶん経っていたはずだが、肉体がちっとも崩れてないのがさすがだと感心した。

 思わず「ちょっとさわらせて」と、シュワちゃんを目の前にした淀川長治先生のようなことをいいそうになったほどだ。

 私は筋肉に興味はないが、そんな人でもふれたくなるくらいだから、そのすごさを感じてほしい。まさに肉体美。そら、スポーツマンはモテるはずやと。

 あと、やっぱりオーラはあったなあ。

 いるだけで威圧されるというか、「オレが松岡修造だ!」という熱量は確実に存在した。

 テレビの「おもしろキャラ」からは伝わりにくいけど、「この人は本物のアスリートなんや」と思わされたもの。そんな、「いつも応援とかばかりしてる人でしょ」みたいな安易なイジり方など、できない雰囲気。

 有名人からサインをもらったり握手してもらったりということには興味がないし、邪魔したくもなかったから声をかけたりはしなかったけど、横目でちらちら見ていて感じたのは、試合を見つめる松岡さんの目がスゴイこと。

 まさに真剣そのもの。松岡さんのキャラであり、テレビなどで見せる「熱い」視線がまさにそこに。

 その迫力には、もし私があつかましいミーハーファンだったとしても、そう簡単には声はかけられなかったろうとビビったもの。

 『空手バカ一代』でマス大山は「おお、バカよバカよ空手バカ」という名ゼリフを残したが、この人はきっと「テニスバカ」なんだな。

 そんな修造さんは試合が終わると、今度はジュニアの少年たちに、あのさわやかな笑顔で気さくに話しかけていた。その様子もまた、ずいぶんとさわやかで、ともかくも「絶対、ええ人やん」と好感度も上がりまくるのであった。

 ちなみに、そのときも着ていたのが、あの有名な「修造チャレンジ」のシャツ。胸や背中に、


 「できる!」

 「本気になれば自分が変わる、本気になればすべてが変わる」



 と大書してあり、思わず笑っ……とても前向きで明るい気分になれた。

 これには『空手バカ一代』がどうとかいう前に、なんがどうということもないが、

 「この人は、ただのバカなのかもしれない」

 とも、うっかり思いそうにもなったことは、ここだけの秘密である。




 ★おまけ 松岡さんの笑え……元気の出る映像は→こちらから

 ☆おまけ2 松岡修造ウィンブルドン、ベスト8進出の映像は→こちら



 

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キミは松岡修造を生で見たことがあるか? 「もっと熱くなれよ!」編

2016年08月18日 | テニス
 「松岡修造さんの隣でテニスを観戦したことがある」。

 というのは、ひそかな自慢である。

 「街で有名人を見かけた」という話は、渋谷や新宿でけっこうアイドルや女優とすれちがったりするらしい帝都東京とちがい、大阪ではそうあることではない。

 かくいう私が見かけた人といえば、シャンプーハットのこいちゃんとか、天竺鼠の川原君とかウーマンラッシュアワーの中川パラダイスさんとか、関西らしく、やはり芸人さんが多かった。

 あと、結局見ることはかなわなかったけど、通っていた高校の近くに中島らもさんの事務所があって、ファンだった私と友人数名がJR玉造駅近くのビルに日参していたこともあった。

 「ここが、らもさんの仕事場かあ」

 「この中で大麻とか吸ってはるんや」

 「睡眠薬もバリバリやで。カッコええなあ」

 「なあ、どうする? やっぱピンポンダッシュしとくか?」

 「エッセイのネタにしてくれるかもしれへんなあ」

 などと、そのあこがれを吐露していたもの。迷惑至極で、今なら下手すると炎上ものだ。

 やはり近所にあった大阪女学院のすっごいかわいい女の子たちに、「なに騒いでんの、コイツら」と汚物を見るような目で見られたことも、今となってはM的にステキな思い出だ。

 他にも、ラッキーぜんじろうとか、ちゃらんぽらんの冨好さんとか、めずらしいところでは将棋のプロ棋士である南芳一九段なんてのもあるけど、なかなか全国区で知られてそうな人との遭遇経験がなかったのだ。

 そんな田舎者が、思いもかけず「おお!」と思わず背筋を正してしまいそうなビッグマンに間近で接することになる。

 もう10年以上も前のことだが、大阪は本町にある靫公園テニスセンターで行われる、世界スーパージュニアテニス選手権という大会を見に行ったときのこと。

 文字通りジュニアの選手の大会だが、「なんだ、まだ子供かよ」とあなどってはいけない。

 彼らはまだ17、8歳くらいだが、これからトッププロを目指す精鋭ぞろいである。

 その証拠に、歴代優勝者およびファイナリストを見ても、男子ではマルセロ・リオス、セバスチャン・グロージャン、パラドン・スリチャパン、マルコス・バグダティス、 ジョー=ウィルフリード・ツォンガ、マリン・チリッチ、ダブルスで何気にアンディー・ロディックが優勝していたりする。

 女子でもアメリ・モレスモ、ダニエラ・ハンチュコバ、エレナ・ヤンコビッチ、ルーシー・サファロバ、キャロライン・ウォズニアッキ、ビクトリア・アザレンカなどなど。

 かの錦織圭も参戦しているが、ベスト4どまりだったといえば、そのレベルの高さもわかろうというものである。

 これはもう、玄人のテニスファンなら「買い」というか、将来、

 「まあな、アイツもがんばっとるみたいやけど、オレが育てたようなもんや」

 なんて自慢するためにも、ぜひとも押さえておきたい大会なのだ。

 で、その年もスケジュールのやりくりをつけて朝から観戦に出かけたのだが、グランドスタンドコートの試合をぼんやりとみていると、隣にどっかと、男の人がすわったのであった。

 印象としては、やたらとでかくて存在感がある。オレンジっぽいシャツを着て、オーラもバリバリだ。

 きっとコーチかなにかだろうな。もしかしたら、有名な元選手だったりして。

 と期待を胸にちらりと見てみると、それがなんと松岡修造さんなのであった。

 

 (続く→こちら







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ブラッド・ギルバート『読めばテニスが強くなる ウィニング・アグリー』で勝率2割アップ!

2016年08月12日 | テニス
 ブラッドギルバート『読めばテニスが強くなる ウィニングアグリー』を読む。
 
 テニスの教本には様々あって、
 
 
 「サービス向上法」
 
 「バックハンド苦手克服術」
 
 
 といったものはよく見かけるが、これはずばり
 
 「試合の勝ち方」
 
 という、かなり即物的な内容の指南書。
 
 ブラッド・ギルバートといえば、かつてはアンドレアガシと連れ添った名コーチとして鳴らしたが、現役時代は世界ランキング最高4位までかけあがった名選手でもある。
 
 ただ、ブラッドはいわゆる「スター選手」ではなかった
 
 同時代に戦ったジョンマッケンローの天才的すぎるネットプレーや、イワンレンドルの壁をもぶち抜くような強烈なストロークボリスベッカーのようなビッグサーブとも無縁であった。
 
 そんな「天才ではなかった」彼が教える戦い方は徹頭徹尾、
 
 
 「実戦的に戦い、そして勝つこと」
 
 
 というシビアな現実主義
 
 本書のタイトルである「ウィニングアグリー」とは、和訳すると
 
 
 「かっこわるく勝つ」
 
 
 そこには理想主義や泥臭い精神論は存在しない。
 
 
 頭を使え。考えてテニスをせえよ。凡人のワシらはボーッとしてたら、ベッカーやマッケンローには勝てへんのや。
 
 データ心理戦、事前の準備、ありとあらゆる手を使って勝利を目指す。これにつきるんや。
 
 負けたくなかったら、徹底して冷静堅実、おもしろみがのうても、勝ったもんが勝ちなんや!
 
 
 なんともドライな哲学。
 
 本当に、この現実的な視点はどこまでも一貫しており、
 
 
 「トスで勝ったらレシーブを選べ。サーブが先の方が有利というのは、トッププロだけに当てはまる」

  「苦手なショットで無理をするな。バックハンドが苦手なら、ひたすら『ミスしなければOK』という姿勢でつなげ」
 
 
 などなど、とにかく「かっこよく」「プロのような戦い方」をすることを戒める
 
 
 「えー、オレはサービスゲームからはじめて、エースで相手の度肝を抜いてやりたいけどなあ」
 
 
 などといった、浅はかな考えは徹底的にダメが出される。
 
 
 「素人のアンタにできるわけないやん」
 
 
 オレらみたいな凡人(ブラッド本人もふくむ)は身の程を知れと。
 
 まさに「アグリー」な戦術で「ウィニング」を手に入れる。ブラッド先生はそういった「かっこつけない」哲学を
 
 

 「テニスのおもしろさは、やはり勝つことにある。いくら好きなようにプレーしても、それで負けてしまったら、果たしてそれは充実した時間といえるだろうか」

 
 
 どこまでもリアリズムで押してくる。
 
 「いえるだろうか」と言われれば、それは人それぞれだろうけど、これに関してブラッドは終始一貫ブレがない。
 
 またそれ以外にも、
 
 
 「レトリーバー(どんな球でも拾ってくる人)の攻略法」
 
 「サーブ&ボレーヤーの崩し方」
 
 「ピンチで冷静になる方法」
 
 「7分でできる簡単ウォームアップ法」
 
 
 といった、読んですぐ使える具体的な教えから、
 
 
 「試合前の練習では球を散らして相手の弱点を探れ」
 
 「気づいたことがあったら、とにかくその場でメモを取れ」
 
 
 といった「そこまでせなあかんの?」と苦笑いしたくなるようなメソッドもあり。
 
 はたまたグリップテープ汗止めなど「必勝グッズ」の効果的利用法など、ありとあらゆる
 
 「試合で絶対役立つこと」
 
 これをぎっちりと詰めこんでくれていて、しかもそのすべてが「素人の我々がからでもできること」なのだ
 
 ブラッドはこの本の中で、
 
 

 「これを通読すれば、テニスのレベル自体はそのままで、確実に勝率が2割はあがるだろう」

 
 
 そう自負しているが、たしかにこれにあることをすべて実践すれば、間違いなく今より勝てるようになるだろう。
 
 全部は大変でも、
 
 
 「ウォーミングアップの方法」
 
 「グッズの使い方」
 
 「ノートの活用法」
 
 
 という、簡単なとこだけピックアップしてやっても、たぶんライバルにをつけることができるはずだ。
 
 それくらい、とにかく実戦的なのだ。「練習はしてるのに結果が出ない」とお悩みの方には、ひとつの突破口になるやも。
 
 勝敗にさほどこだわらない人や「理想主義」的プレーヤーの中には「そこまでして勝ってもなあ」と疑問を呈する人というのもいるかもしれないが、それでも参考として一読の価値はあると思う。
 
 読み物としても、おもしろいし。
 
 あと、これを見ると、錦織圭がブラッドとコンビを組んでもサッパリだった理由もよくわかる。
 
 「プレーを楽しむ」タイプの錦織選手とは、そりゃ合わないよなあ。
 
 
 
 
 ☆おまけ 現役時代のブラッド・ギルバートの雄姿は→こちら
 
 
 
 
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イップスの恐怖 1996ウィンブルドン準決勝 トッド・マーチンvsマラビーヤ・ワシントン その3

2016年07月01日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 1996年ウィンブルドン準決勝トッドマーチンマラビーヤワシントン戦。

 ファイナルセットマーチンリード。

 勝利まであと数ポイントというところでマーチンの放った弾丸サーブは、大きくフォルトした。

 のウィンブルドン決勝を目前に、緊張しているのであろう。

 気を取り直してセカンドサーブ。これもフォルト

 ここからトッド・マーチンの歯車が、大きく狂いだす。

 普通に考えれば、5-1といえば完全にセーフティーリードである。

 ましてや、ここは球速の速いのウィンブルドンで、サーバーが圧倒的に有利

 しかもトッド・マーチンはビッグサーブでならす選手なのだ。

 あとは落ち着いてプレーすれば、万が一にも負けることはない状況である。

 ところが、ここからマーチンが乱れだす。

 ファーストサービスが入らない。セカンドサービスも入らない。

 ネットプレーの精度が少しずつ落ちていき、徐々に雰囲気が怪しくなる。

 もはや失うものはないワシントンと対照的に、マーチンがはっきりと「フルえて」いるのがわかった。

 表情は硬くなり、プレーにさえもキレもなくなる。

 特にそれはサービスに顕著で、風もないのにトスがまともに上げられないような状態。

 ふつうプロのサービスはフォルトでも、せいぜいボール1個程度の誤差だが、このときのマーチンは露骨なほどボックスを外していた。

 野球でいえば、キャッチャーが飛び上がらなければならないような、ほとんど暴投と紙一重のボール球みたいなもの。

 それくらいに入っていない。もう、見ていてかわいそうになるくらいに正常ではないのだ。

 ウィンブルドンで「フルえた」といえば、1993年女子決勝

 シュテフィグラフ相手にファイナルセットとリードしながら、そこから崩れて大魚を逸したヤナノボトナがいたが、このときのマーチンはそれと双璧だったろう。

 完全に自分を見失ったマーチンは、何度もおとずれるマッチポイントをあたら無駄にし、積み上げていたリードはあっという間に霧散した。

 逆にそれに勇気づけられたか、ワシントンの方は冷静に試合を進め、静かに追い上げていく。

 皮肉なことに、スコアが競るとマーチンもいつもの彼に戻り、鋭いサービスを決めてくるが、マッチポイントが近づくともういけない。

 まるでハンドルの取れた車のように制御不能になって乱れまくったトッドは、ついに最後まで自分を取り戻せなかった。

 ファイナル10のスコアで、初のウィンブルドン決勝という晴れ舞台を十中八九手にしながらに敗れ去ったのだ。

 それもこれも、土壇場での「全身のイップス」を、どうしても押さえきれなかったせいだ。

 一度乱れが出ると、たった1ゲームが、こんなにも取れない。

 いつものマーチンならサービスエースを連発し、2分程度で取れてしまうはずのものが、ここまで遠いのだ。

 この敗戦は「トッド・マーチンのメンタルが弱い」せいだろうか。

 まあ、それもあるかもしれない。解説者が言うように、


 「ウィンブルドンの伝統を前にプレッシャーで」


 みたいなことも、それはそれで正しいのだろう。

 だが私はそういった意見については、わりとどうでもよかった。

 そりゃ、だれだってあと1ポイントでウィンブルドンの決勝となれば、正常ではいられまい。

 それよりも、自分の意志ではどうしようもない「イップス」というものの怖ろしさに戦慄した。

 あのときのマーチンの様子は、そんな「ビビッた」といったような、わかりやすい理由だけでは語れないものがある。

 たぶんそれは「なぜそうなったか、だれも、本人すらわからない」という意味では、



 「いつどこで、理由もなく、だれにしも起こるかもしれない病気や自然災害や、テロの被害」



 というようなもの。

 その無差別性の恐怖の正体をまざまざと見せつけられ、まさにそのことで薄ら寒くなったのが忘れられないのだ。





 ☆おまけ 大逆転のマーチン対ワシントン戦は→こちら




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イップスの恐怖 1996ウィンブルドン準決勝 トッド・マーチンvsマラビーヤ・ワシントン その2

2016年06月30日 | テニス

 イップスというものの怖ろしさを教えてくれたのは、ウィンブルドンのある試合であった。

 前回(→こちら)語ったが、「イップス」というのは単に「メンタルが弱い」からなるものではない

 これは中村計さんの『歓声から遠く離れて―悲運のアスリートたち―』というでも書かれていることである。

 イップスの原因は様々あって今だ「これ」という対策がないというのが現状らしいが、そのことを痛感させられた試合があった。

 それが、1996年ウィンブルドン準決勝

 この年のウィンブルドンは度重なると、トップシード早期敗退で、大荒れになった大会で記憶される。

 アンドレアガシマイケルチャンエフゲニーカフェルニコフジムクーリエといった強豪が1回戦で不覚を取り、優勝経験のあるミヒャエルシュティヒ4回戦で消えた。

 過去2回決勝進出のゴーランイバニセビッチ、ウィンブルドン連覇中で、絶対王者であるピートサンプラスすらも準々決勝で敗れるという波乱の連続。

 なんといっても、ベスト4に残ったトップ選手が第14シードトッドマーチンだけだったというのだから、その荒れっぷりがわかろうというもの。

 ちなみに残る3人はリカルドクライチェクマラビーヤワシントンジェイソンストルテンバーグ

 玄人のテニスファンとしては、ここでストルテンバーグの名前が出てくるのが味である。

 渋すぎる。もし優勝してたら、申し訳ないけど笑っちゃったろうなあ。

 ちなみに実力者のはずのクライチェクがノーシードだったのは


 「芝で実績がないから」


 という大会側の独自判断

 ウィンブルドンは昔、こういう手前勝手なことをやっていたのです。

 伝統を楯に、自分たちの好みでなかったり集客力のない選手をハブしてたわけだ。老舗のイヤなところ。

 先に結果を言ってしまうと、クライチェクはこの大会で見事に優勝

 ディフェンディングチャンピオンサンプラスを破っての栄冠だから、文句のつけようもない。

 ざまあみろウィンブルドンと、リカルドは知らんが、は思ったものだ。

 それはともかく、このような流れになれば、ノーシードの選手たちにも「もしかしたら」との色気が出てくるのは想像に難くない。

 特にオーストラリアンオープン準優勝の経験もあるマーチンは、ねらっていただろう。

 むかえた準決勝、マーチン対ワシントン戦。

 この試合もまた、ご多分にもれずに悩まされる。

 いいところで何度も降雨サスペンデッドに見舞われてイライラしたが、試合の方はフルセットにもつれこむ熱戦となった。

 1991年優勝シュティヒを破る大殊勲をあげたワシントンだったが、ここは地力で勝るマーチンが抜け出した。

 最終セットは一気の加速で、とリードを奪う。

 男子のテニスで、のコートで、サービス2ブレークアップ

 普通に考えれば、試合はお終いである。

 ましてや、そこにいるのはビッグサーバーのマーチンだ。

 なら、あとはチャチャッとエースを何本か決めれば、夢のウィンブルドン決勝である。

 波乱はあったが、クライチェクマーチンなら、それなりにファイナルの形になったかな、なんて考えていたところ事件が起こった。

 マーチンのサービングフォーマッチ

 たしかスコアは3015かなんかで、あとひとつでマッチポイントというイーシャンテンの状態。

 どう見ても、勝利へあと一歩のトッド・マーチン。

 だれもが、あと数分で試合が終わると確信していたが、ここからマーチンの運命は大きく揺れ動くことになるのである。


 (続く→こちら


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イップスの恐怖 1996ウィンブルドン準決勝 トッド・マーチンvsマラビーヤ・ワシントン

2016年06月29日 | テニス

 イップスというものの怖ろしさを教えてくれたのは、ウィンブルドンのある試合であった。

 イップス。

 主にゴルフパットのシーンなどに代表されるが、競技の中で緊張感が最高に高まったときに起こる、震えなどの現象。

 それなりにキャリアのあるアスリートが、ギリギリの場面とはいえブルブルとフルえ、顔面蒼白になり、時には信じられない大ポカを披露して、栄冠を逃してしまうこともある。

 こういう場面を見ると、我々素人はつい



 メンタルが弱い」

 「結局こういうところでチビってしまうのは、自分を信じ切れるほど練習を積んでなかった証拠だよ」



 なんて、したり顔で語ってしまいがちだが、ノンフィクション・ライターである中村計さんの『歓声から遠く離れて―悲運のアスリートたち―』を読むと、ことはそう単純な話ではないらしい。

 イップスというのは、才能メンタルにかかわらず誰にでもかかる可能性のあるものらしく、一度襲われると練習精神修練でも克服は困難なものとか。

 実際、イップスは試合での失敗などもさることながら、



 原因がよくわからない」

 「どうやって乗り越えればいいか、方法論がない」



 このことこそが、選手を苦しめるらしく、多くのアスリートが、わけのわからないまま煩悶することになるのだという。

 たしかに、イップスが「単にメンタルが弱い」だけでは語れないものであろうことは、理解できなくもない。

 たとえば、将棋羽生善治三冠王は最終盤に勝利の一手を指すとき、が震えることで有名だ。

 これはイップスの一種とされるが、羽生さんのような数え切れないほどの修羅場を乗り越えてきた王者が「メンタルが弱い」なんてことはありえない

 そんな羽生三冠すら、「勝った」と思ったときには自分で押さえられないくらい震えがくる。

 将棋の世界では、勝利目前にそれを意識して指し手が乱れることを文字通り「フルえる」というが、羽生さんの場合は指し手は正確なのだ。

 つまり、ビビっているわけではない

 にもかかわらず、勝利の一手を指すとき、盤上の駒がバラバラになってしまうくらいに抑えがきかない。

 将棋の場合は頭脳競技なので、手が動かなかったり、秒読みの中で駒を落とすというアクシデントがあっても、なんとかなることが多い。

 最悪、マス目を指さして「△36歩です」などと宣言すれば一応ルール的には問題ないが、これがそれこそゴルフだったらどうだろう。

 同じ手の震えでも、こっちは致命的なミスを呼ぶかもしれない。

 すると、同じ状態でも 


 「羽生はメンタルが弱い」


 などといった、ありえないことを書かれる可能性がある。

 決して「プレッシャーに押しつぶされた」からだけで震えるのではない。

 そこが、イップスの難しいところなのだ。

 そんなの多いイップスであるが、私自身が見たスポーツの試合で、一番「これは、いかついなあ」と言葉を失ったのは、1996年ウィンブルドン準決勝

 トッドマーチンと、マラビーヤワシントンとの一戦であった。



 (続く→こちら




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