モンテカルロ・マスターズ2018決勝 土の王者ラファエル・ナダルvs錦織圭の展望

2018年04月22日 | テニス
 「おい、このラファエル・ナダルとかいうヤツなんや! 独禁法違反で逮捕やろ!」

 昨日の夜中、そんな電話をかけてきたのは友人ヒシエ君であった。

 ラファエル・ナダル。いうまでもなく、テニスの世界ナンバーワンとして君臨し、もうすぐ開催されるフレンチ・オープンでも優勝候補の筆頭としてあげられる、スペインのスーパースターだ。

 それを「逮捕」などおだやかではない話だが、友の言いたいことというのはもちろんのこと、現在行われているテニスのモンテカルロ・マスターズの件だ。

 昨日の試合で、われらが錦織圭が、ドイツ若手のホープであるアレクサンダー・ズベレフをフルセットの末破って、見事決勝に進出したのだパチパチパチ。

 昨年から、ケガで長らく戦列を離れていた錦織選手だが、クレーシーズンに入って見事な復活を遂げた。

 ここ数年、安定したトップ10プレーヤーとして君臨した彼だが、いまだマスターズのタイトルがないというのが課題のひとつであり(準優勝が3回)、このたび2016年のカナダ以来、ひさしぶりにチャンスが巡ってきたのだ。

 と、そこは日本人ファンとしては気合が入ろうというものだが、ここにひとつ、その気持ちに水を、それもコップではなくナイアガラの瀑布レベルで大いにさしまくってくる男がいるのである。

 そう、反対の山から決勝にあがってきた、ラファエル・ナダルのことだ。

 まあ、テニスファンならクレーでのラファといえば、その恐ろしさは身にしみているが、ヒシエ君はそんなにテニスを見る人ではない。

 たまたまテレビをつけたら「錦織、決勝進出」とあって、

 「おお、日本人選手ががんばってるやないか。こら、明日の決勝も見ねばなるまい」

 となり、そこはテニスにくわしくない彼のこと。

 「で、この相手のナダルとかいうのはだれや。なんか強いって聞いたことくらいはあるけど、ま、天下の錦織圭なら勝てるやろうけどな」

 と、温泉気分でグーグル検索したら、世にも恐ろしいものが次々とはじき出され、あたかもジーパン刑事のごとく「なんじゃこりゃあ!」と、テニスファンの私に電話してきたわけだ。

 あー、ラファのすごさを知らずにあれを見たら、そら腰もぬかしますわな(笑)

 ラファといえば、生涯グランドスラム達成やオリンピックの金メダルなど、様々なサーフェスの大会で勝っているが、そのホームはやはりクレーコートにある。

 その勝ちっぷりはすさまじく、いまだに土のコートでの勝率は9割を超えている(!)というし、このクレーシーズンの歴代チャンピオンを見ても、それはハッキリと伝わってくる。

 たとえば、2005年から2012年までの、モンテカルロ・オープンの歴代優勝者を見てみよう。


 2005年 ラファエル・ナダル
 2006年 ラファエル・ナダル
 2007年 ラファエル・ナダル
 2008年 ラファエル・ナダル
 2009年 ラファエル・ナダル
 2010年 ラファエル・ナダル
 2011年 ラファエル・ナダル
 2012年 ラファエル・ナダル



 怒涛の8連覇。この間、無敵時代のロジャー・フェデラーが3度決勝で吹っ飛ばされている。

 このせいで、テニス界のすべての栄誉を手に入れていたはずのロジャーが、いまだモンテカルロのタイトルが取れていない。なんたる不条理。

 2013年以降、ラファはケガと不調に苦しんで、その間にノバク・ジョコビッチとスタン・ワウリンカが「ようやくかよ!」といった感じで優勝者に名を連ねるが、2016年と2017年はまたもラファが優勝。

 決勝の相手は、ガエル・モンフィスにアルベルト・ラモス=ビノラスと曲者ぞろいだったが、試合内容も盤石で、まったく危なげがなかった。

 クレーシーズンの大きな大会といえば、この次は錦織圭も優勝経験のあるバルセロナ・オープンだが、ここでの優勝者も、


 2005年 ラファエル・ナダル
 2006年 ラファエル・ナダル
 2007年 ラファエル・ナダル
 2008年 ラファエル・ナダル
 2009年 ラファエル・ナダル
 2010年 フェルナンド・ベルダスコ
 2011年 ラファエル・ナダル
 2012年 ラファエル・ナダル
 2013年 ラファエル・ナダル


 
 やはりズラリとラファが並んで、2014年と2015年は見事錦織圭が連覇したものの、次からの2年はまたもラファ。

 クレーのマスターズの締めくくりであるローマ国際ではといえば、


 2005年 ラファエル・ナダル
 2006年 ラファエル・ナダル
 2007年 ラファエル・ナダル
 2008年 ノバク・ジョコビッチ
 2009年 ラファエル・ナダル
 2010年 ラファエル・ナダル
 2011年 ラファエル・ナダル
 2012年 ラファエル・ナダル
 2013年 ラファエル・ナダル



 クレーシーズンの総本山ともいえるフレンチ・オープンはといえば、


 2005年 ラファエル・ナダル
 2006年 ラファエル・ナダル
 2007年 ラファエル・ナダル
 2008年 ラファエル・ナダル
 2009年 ロジャー・フェデラー
 2010年 ラファエル・ナダル
 2011年 ラファエル・ナダル
 2012年 ラファエル・ナダル
 2013年 ラファエル・ナダル
 2014年 ラファエル・ナダル

 

 ようやっと、2015と16はスタン・ワウリンカ、ノバク・ジョコビッチが勝ったと思ったら、昨年はまたラファが優勝。しかも、7試合すべてストレート勝ちの完全優勝。

 決勝で戦ったスタンは、まさに「手合い違い」といった差をつけられて負かされた。まさに「おととい来い」といったところであった。

 いかがであろうか。こんなもん見せられたら、クトゥルフ神話のごとく恐怖で発狂するか、銭形のとっつぁんの口調で、「ラファ~、独占禁止法違反で逮捕だぁ!」といいたくなりそうなものではないか。

 昔のソ連や中国なら、まちがいなく処刑か労働キャンプ送りであろう、この富の独り占め状態。それくらい圧倒的な偏り。

 勝ちすぎだよ。よく飽きないなあ。すごすぎて、思わず『あずまんが大王』のともちゃんの口調で、

 「え? これって、ギャグ?

 と、たずねてしまいそうではないか。

 よく、マンガなどで巨大組織をバックにした悪者が、

 「われわれにたてつくなど、アリが象に戦いをいどむようなものだ」

 なんて笑うシーンがあったりするけど、蟻ってことはないにしても、ことクレーでのラファエル・ナダルに関しては、「人が熊にいどむ」くらいの体格差はありそうだ。

 今年の大会でも、伸び盛りのドミニク・ティームが0-6・2-6の鼻息プーで吹き飛ばされたのだから、バケモンである。私だったら、試合なんてしたくないよ。

 でも、上を目指すには、そういう相手に勝たなければならない。それも「いい場所で」だ。

 その意味では、苦しいとはいえ、やはり大きなチャンスであることは間違いない。「勝て」というには大きすぎる相手であるが、ここでどんなテニスを見せられるか、錦織圭の真価が試されるとも言えそうだ。

 恐怖に震えるヒシエ君同様、私も今から決勝戦が楽しみなような、コワイような……。



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古いテニス雑誌を読んでみた 1990年『スマッシュ』セイコースーパー&ニチレイレディース特集

2018年01月30日 | テニス

 古いテニス雑誌を読んでみた。

 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、最近古いバックナンバーを購入して読むのにハマっている。
 
 そこで前回(→こちら)は『スマッシュ』1990年9月号ウィンブルドン特集号)を読んでみたが、今回は同じく1990年12月号

 表紙は9月号と同じく、ステファンエドバーグ

 まあ、になるものなあ。

 モニカセレスジェニファーカプリアティ(まだバーンアウト前夜)の比較からはじまって、今号のキモは



 
「セイコー・スーパー・テニス」

  「ニチレイレディース」


 
 この2連発であろう。

 セイコーではボリスベッカーイワンレンドル決勝で、あと3ポイントまで追いつめながらの逆転負け。イワン強し。

 90年大会はアンドレスゴメスマイケルチャンアーロンクリックステインといった優勝候補が、相次いで初戦敗退という大荒れの模様。

 その中で抜け出したのが、当時「3強」のレンドルベッカーエドバーグだったが、そこに混じってひっそりとベスト4に入っていたのがリッチーレネバーグ

 おお、レネバーグ。

 いたなあ。ダブルススペシャリスト萌えの私としては、うれしい快進撃だ。

 地味だけど、ジャパンオープンでも準優勝したことあるし、意外と日本とは相性がいいんだな。

 松岡修造さんは、お約束の途中棄権

 ダブルスではギーフォルジェヤコブラセク組が優勝。

 ラセクはシングルスでも準々決勝で、エドバーグ相手にマッチポイントを握る大健闘。

 私のイメージでは、マルクロセとダブルスで活躍してたような。

 ローランギャロス複優勝デビスカップでもロセとのコンビで準優勝している。

 シングルスも最高7位だから、フロックではないんだよね。 

 ニチレイはメアリージョーフェルナンデスが、エイミーフレイジャーを破って優勝

 メアリー・ジョーはダブルスも制して二冠達成。

 どっちも人気が高い選手だったけど、個人的には特にエイミーが好きだった。

 ジャパンオープンにも強くて、いつも決勝に出てたけど(6回決勝を戦って2回優勝)、ニチレイでも強かったか。

 ちなみに、94年準優勝

 よほど日本と相性が良かったらしい。美人というわけではないんだけど、なんとなしに愛嬌があるというか。

 WOWOWで実況をしてた岩佐徹さんが、



 「フレイジャーには、いかにもアメリカのふつうのお嬢さんといった雰囲気がありますよね」





 なんて語ってたけど、そうそう、そういう素朴な良さが感じられるのだ。

 傾向としては、キムクライシュテルスとか、サマンサストーサーとか、その流れ。好感度が高い。

 「アメリカ発情報ランド」というコーナーでは、まだ10歳3ヶ月ヴィーナスウィリアムズが、妹セレナとともに紹介されている。

 専門家の絶讃と、街をギャング団が闊歩する、ワイルドすぎる姉妹の幼年期がクロスする興味深い内容。

 まだ小学生(!)のヴィーナスのあこがれは、ジョンマッケンローだそうな。

 この2人のことだから、このときからすでに今の自分たちの成功を確信していたのかもしれない。

 他にも、


 「デ杯はアメリカとオーストラリアで決勝」

 「ジョセフ・ラッセルが全日本選手権制覇」

  「雉牟田明子がアジア大会で金メダル」



 などのニュースが。

 デ杯全日本アジア大会という三連チャンが、いかにも専門誌といった感じ。

 世間の人は知らないかもしれないけど、大事な大会なんだよね。 
 
 9月号でもチェックしたジュニアランキングでは、インドレアンダーパエス1位に。

 5位アンドレアガウデンツィ6位ミカエルティルストロム8位ダニエルネスターなんかの名前も。

 ネスターか。マークノールズと組んでいたダブルスのスペシャリストだったなあ。

 というか、この人、今でも現役なんですが。

 ダブルスで生涯グランドスラム達成ミックスでも4大会すべて決勝進出全豪ウィンブルドン優勝)。

 ツアーファイナル優勝オリンピック金メダル

 しまいには「ゴールデンマスターズ」までやってのけるという超人ながら、シングルスでのタイトルがという、正真正銘のスペシャリストぶりがすごい。

 ロジャーフェデラーラファエルナダルほど知られてないけど、なにげに「レジェンド」の名に値する選手です、ハイ。

 あと、女子の部で杉山愛さんが準優勝したJALスーパージュニア男子の部では、金子英樹茶圓鉄也らと並んで、タイスリチャパンの名前が。

 おいおい、スリチャパンって、1990年なのに時代が合わないのではとつっこまれそうだが、こちらはパラドンではなく「・スリチャパン」。

 たぶん、パラドンのお兄さんの、ナラソーンスリチャパンのことですね。

 スリチャパン兄弟はタイの英雄で、ナラソーンはパラドンほどメジャーではないけど、デ杯タイ代表ダブルス歴代最多勝利選手。

 弟の陰にかくれてはいるけど、なにげに勝負強いダブルスのスペシャリストなんです。

 2回戦で、優勝したレンストロームに敗退してました。残念。

 

 (続く→こちら


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古いテニス雑誌を読んでみた 1990年『スマッシュ』ウィンブルドン特集号

2018年01月29日 | テニス
 古いテニス雑誌を読んでみた。

 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、最近古いバックナンバーを購入して読むのにハマっている。

 ブックオフなんかで1冊100円で投げ売りされているのなどを開いてみると、「あー、なつかしい」とか「おー、こんな選手おったなー」などやたらと楽しく、ついつい時間が経つのも忘れてしまうのだ。

 今回読んでみたのが、『スマッシュ』の1990年9月号。

 ウィンブルドン特集で、表紙が優勝したステファン・エドバーグというのが時代でありますね。定価が400円というのも、また昭和な感じが。

 私がテニスを本格的に見始めたのが1995年なので、このころのことは、たまにテレビでやってるのを見た程度だが、それでもベッカーやレンドル、ナブラチロワにサバティーニなんて名前が並んでいると、ずいぶんとノスタルジックな気分になる。

 目についた記事をかたっぱしから拾っていくと、


 「男子3回戦 エドバーグvsマンスドルフ戦レビュー」


 優勝したステファンが、イスラエルの伏兵マンスドルフ(89位)にファイナル9-7までねばられた試合の解説。

 ここで負けてたら、その後の優勝はなかった危ない橋だった。そういえば、ステファンは初優勝したときも、ミロスラフ・メシール相手に準決勝でいきなり2セットダウンして、綱渡りだったっけ。

 読みながら、「マンスドルフって、だれやねん」なんて思ってたけど、調べたら最高ランキング18位で、ツアーでも6勝してるいい選手。

 今なら、ケビン・アンダーソンとか、ロベルト・バウティスタ=アグートくらいのイメージ? それならトップシード相手に番狂わせを起こしかけても、おかしくないか。

 女子の部では「マンドリコワのラストステージ」


 グランドスラム優勝経験もある、ハナ・マンドリコワの最後のウィンブルドンは2回戦敗退。

 3番コートで、観客もまばらだったそうな。2013年ウィンブルドンの優勝者マリオン・バルトリが引退時、


 「(決勝戦も引退試合も)どちらも大事なゲームだけど、皆わたしがウィンブルドンに勝った試合はおぼえていても、最後の試合に関してはだれも知らないのでしょうね」


 みたいなコメントしてたけど、一流プレーヤーでも最後を華々しく飾れないこともあるのは、たしかに哀しい。

 ハナはグランドスラム優勝4回の名選手だが、同時期にマルチナ・ナブラチロワとクリス・エバートがいたことで損をしたイメージ。

 ちょっと時代がずれてたら……というのはいっても詮無いけど、神様ももう少しうまく配分してくれたらと思うこともある。錦織圭も他人ごとじゃないし。

 
 「チェコスロバキアは西ドイツに勝つと思ったんだが……」


 サッカーのワールドカップ・イタリア大会と日程が重なっていた90年ウィンブルドン。

 準々決勝で、祖国チェコスロバキアが西ドイツに敗れての、イワン・レンドルのコメント。相当ガッカリしたらしい。

 ライバルのボリス・ベッカーなど、テニス選手にサッカーファンは多い。というか、

 「テニスだけでなく、サッカーでも地元の有望選手だった」。

 というのは、けっこうよく見る「テニスあるある」。

 ラファエル・ナダルやアンディー・マレーとかそうだし、ジム・クーリエの場合は「大リーグかテニスのどっちのプロになるか悩んだ」だったところがアメリカっぽい。

 レイトン・ヒューイットもテニスにしぼる前は「オージーボール」というスポーツをやっていたそうな。要するに一流アスリートは、なにやってもうまいんでしょうね。

 ちなみに、レンドルは準決勝でエドバーグに敗退。この年、W杯は西ドイツが勝ったが、ベッカーは準優勝でダブル優勝はならなかった。

 ガブリエラ・サバティーニは「アルゼンチンの優勝は難しいと思う」とコメント。

 これは自分が準決勝で負けた後の、サッカーについての話。予想は当たって、マラドーナひきいるアルゼンチンは準優勝に終わる。

 ガビィはベスト4でナブラチロワに敗れる。彼女もまたマンドリコワ同様、実力のわりにグランドスラム優勝が少ない選手というイメージだ。

 他にも、


 「シュテフィ・グラフの父ちゃん不倫疑惑」

 「ガビイはプライベートでもモテモテ」

 「トーマス・ムスターがATPランキングシステムにブチギレ」



 などなど、「90年代だなあ」な記事が満載。

 世界ランキングでも、トップ10にブラッド・ギルバート、アーロン・クリックステイン、エミリオ・サンチェスなどなど、渋い選手がずらり。

 20位くらいまででも、アンドレイ・チェスノコフとか、マグナス・グスタフソンとか、カール・ウベ・シュティープとか、「あー、いたなあ」な選手がいてなんだか楽しい。

 2重の意味でノスタルジックなのは、ジュニアランキングの欄

 男子の1位が、チェコスロバキアのマルチン・ダム。

 以下、6位にアンドレイ・メドベデフ、9位にレアンダー・パエスの名前が。

 アンドレイなんか、若いときから頭髪に不自由していてずいぶん老けて見えたけど、ジュニアの時代があったんだ(そらそうだろ)。

 マルティンとレアンダーは、その後ダブルスの選手として活躍。2人で組んで、全豪でも優勝している。

 女子では2位にジェニファー・カプリアティ、3位にマグダレーナ・マリーバときて、沢松奈生子さん(表記は「澤松」)が4位とはすばらしい。

 嗚呼、なんて後ろ向きに楽しい過去のテニス雑誌。とりあえず、youtubeで古き時代のビンテージマッチを楽しんでみようかしらん。


 (続く→こちら



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レイトン・ヒューイットと錦織圭を生で見損ねた男 その2

2018年01月15日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 1998年1月

 あこがれのテニスオーストラリアンオープンを観戦しに、メルボルンの地を踏んだ私。

 オープニングマッチは、前年度優勝者のピートサンプラスが務めるはずなのに、そこにあったのは聞いたこともない「Lleyton Hewitt」という名前だった。

 これにはガッカリしたのなんの。

 だれやねん、この「ルレイトンヘウィット」とか言うやつは。

 地元の選手かなんか知らんけど、こんな遠い国からわざわざ観戦しに来たファンをなめるようなことするとは、なに考えとるのやオーストラリア人

 すっかり、ふてくされまくっていたわけだが、みなさまはもう、私がいかに阿呆であったかがおわかりですよね。



 「Lleyton Hewitt」



 日本語表記すれば、「レイトンヒューイット」。

 のちにウィンブルドンUSオープン優勝し、世界ナンバーワンに輝くオーストラリアの英雄の、世界デビュー戦が組まれていたわけなのだ。

 当時のレイトンはまだ16歳ながら、この年の1月プロ転向

 しかも、開幕戦のアデレード国際で見事優勝を飾るという、鮮烈デビューを果たしていた。

 そして、堂々の地元グランドスラム登場。

 とんでもない大型新人であり、オージーテニス界が満を持して送りこんできた金の卵だったのだ。

 はあ、そりゃピートを押しのけての開口一番も、納得の話題性やなと。

 と、ではわかるんだけど、当時の私はヒューイットのことなどまるで知らず、どこまでいっても「誰やねん」状態。

 これには、ただただ自分の不明を恥じるしかないけど、でも知る機会もなかったのよ。

 だって、そのころの私は『テニスマガジン』を定期購入して、それこそ穴が開くほど熟読してたものだけど、レイトンのことなんて載ってなかったものなあ。

 コラ! テニマガ編集部、しっかり取材しとかんかい! おかげで未来のスターを見損ねたやんけ!(←ただのクレーマーです)

 しかもこの試合は、レイトンが2セットダウンから巻き返して、ファイナルセットまでもつれこむという大熱戦だったのだ。

 しまったあ! なんで見にいけへんかったんやあ!

 後の祭りとはこのことだ。ちなみに私は、大阪で開催された2005年世界スーパージュニア選手権で、錦織圭選手も見損ねている。

 ジュニア時代から

 

 「錦織とかいうすごい子がいる」

 

 といううわさは聞いていて、機会があれば見たいものだと思っていたところ、私の地元大阪にやってくるとの情報が。

 これは、ぜひ駆けつけねばと盛り上がったが、スケジュールがつかず、結局その年のスーパージュニアには1日も遊びに行けなかった。

 残念だと思いながらも、新聞で見たらベスト4で負けていて、



 「なーんや。すごいと聞いてたけど、案外こんなもんか。実は評判倒れやったかな。別に、わざわざ見るまでもなかった。冴えてるな、オレって」



 なんて、すましていたのだから、今振り返っても何をかいわんやである。

 その後の錦織圭選手の大活躍は、皆様もご存じのとおり。

 しまったあ! なんであんとき万難排しても靭公園テニスセンターに足を運ばんかったんやあ! 

 どこが冴えてるねん! 阿呆や、阿呆や、ワシは三国一の大バカ三太郎やあああああああ!!!!!!

 かくして見る目のない私は、せっかくチャンスがありながらも、2人スーパースター選手を見損ねたわけだ。

 まったくおしいことをした。もしあのとき、もうちょっと私に見る目があれば、今ごろは、



 「レイトンか? ああ、生で見たよ。半分ツレみたいなもん。オレみたいな通は、たいていこういうのはデビュー前からチェックしてんねん(←どこがだ)」



 「あの錦織な、あいつも今はがんばってるみたいやけど、オレが育てたようなもんや。今度、店に呼んだろか」



 なんて女の子のいる飲み屋とかで自慢などできたのに。もうトホホのホである。

 ちなみに、レイトンの代わりにどの試合を見ていたのかといえば、たしかティムヘンマンジェロームゴルマール(昨年お亡くなりになっておどろいた)戦じゃなかったかなあ。

 これもファイナルに突入する激戦で、最後は11-9のマラソンマッチの末ゴルマールが金星

 熱中しているうちに、開幕戦のことは忘れちゃったんだろう。

 他にも、98年大会のドロー表を見ながら思い出してみたら、はっきりとはしないけど、ゴーランイバニセビッチヤンシーメリンクにやられた試合は観てたと思う。

 あとはトミーハースアルベルトコスタとか、レアンダーパエスミカエルティルストロム

 あと、バイロンブラックフェリックスマンティーリャ戦は押さえているはず。

 だいぶ前のことだから、はっきりとは記憶にはないけど、たぶんそう。

 だって、モロに私好みのカードだもん(笑)。

 そうか、こんな渋いところばかりチェックしてるから、スター選手を見逃すんだな。

 でも、トッドウッドブリッジフィリップデヴルフとか、ふつうに見たいよなあ。

 今年の全豪でレイトンはサムグロスと組んでダブルスで復帰するらしいけど、生は無理としても、テレビでもいいから見られなものだろうか。



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レイトン・ヒューイットと錦織圭を生で見損ねた男

2018年01月14日 | テニス

 あのオーストラリア有名選手を、生で見られなかったのは痛恨であった。

 1998年、私はテニスオーストラリアンオープンを見に、メルボルンに滞在していた。

 スポーツの生観戦は楽しいものだが、それが世界最高峰のグランドスラム大会となれば、その盛り上がりも倍増だ。

 初日センターコートチケットはすでに押さえてある。

 開幕戦は、ディフェンディングチャンピオンが務めるのが多くの大会での習わしだが、このときは当時の王者ピートサンプラスが登場するはずだった。

 おお、ピート・サンプラス。

 錦織圭選手をきっかけにテニスに興味を持った人にとって「絶対王者」といえばノバクジョコビッチ

 

 「オレはその前からテニス見てたぜ」

 

 と自慢する人にとってはロジャーフェデラーだろうけど、私の世代だとこれがピートになる。

 ライバルであるアンドレアガシマイケルチャンを退けての、押しも押されぬナンバーワン

 当時でもすでにグランドスラム優勝10回を数え、まさにテニス界で敵なしの王者として君臨していたのであった。

 なもんで、開門前からそれはもう楽しみにしていたのだが、会場に入ってオーダーオブプレーを確認してみると、開幕戦にピートの名前がなかった

 あれ? 印刷ミスかな? なんて思ったものだが、そういうことではないよう。

 もしかして、ケガかなにかで欠場したのかとも考えたが、ドローには名前があるようだった。

 探してみると、チャンピオンの試合は別のコートだったかナイトセッションだったかに、差し替えになっていた。

 ふたたびあれ? であった。

 そんな、前年度優勝者が、開幕戦を飾らないなんてことがあるの? それってピートが怒らない? 

 それとも、1月のメルボルンは死ぬほど(比喩ではなく実際に熱中症で棄権者が出るほど)暑いから、夜の部にしてくれってリクエストしたのかな。

 まあ、ピートはどうせ勝つから、いつでも見られるやと切り替えて、じゃあ代わりに代役を務めるのはだれなのかと問うならば、そこにはこんな名前があったのだ。



 「Lleyton Hewitt」



 この文字を見たときの、私のガッカリ感ときたら!

 だれやねん、これ。聞いたこともないし、字も読めんわ! 「ルレイトンヘウィット」か? 

 オーストラリアの選手らしいけど、こんな無名のヤツ連れてくるなら、マイケルチャンとかおるやろ。

 他のトップシードビヨルクマンとかルゼドスキーとか地味やから、せめて地元ならパトリックラフターとかマークフィリポーシスでも持って来いや。

 やる気あるんか全豪! しかも、相手がチェコダニエルバチェクって渋すぎやあ!

 もうボヤキまくっていたんだけど、ハイ、ここでもう、私がいかに阿呆であったか、みなさんもおわかりですね。



 「Lleyton Hewitt」



 テニスファンのみんなで発音してみましょう。リピート、アフター、ミー!
 

 (続く→こちら



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燃えろウェイン・アーサーズ 2001年デビスカップ決勝 オーストラリアvsフランス その3

2017年12月13日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 2001年、オーストラリアフランスによるデビスカップ決勝は、いよいよ大詰めをむかえつつあった。

 双方ゆずらず2勝2敗となり、最終シングルスで決着のはずが、オーストラリア・チームのパトリックラフターが、ケガで万全ではない。

 なら代打か? それとも故障を押しての強行か。

 本来ならオーストラリアには、ここでマークフィリポーシスという第3のエースがいるはずだった。

 だが、このときは故障だったか、はたまたナショナルチームと折り合いが悪い時期だったかで、この決勝のメンバーには入っていなかったのだ。

 じゃあ、一体だれが出るんやろ。

 パソコンのモニターの前で固唾を呑む、私とクニジマ君の前に、一人の男の名前が映し出されたのである。



 「Wayne Arthurs」



 これには私とクニジマ君も思わず「うわあ」と、のけぞりそうになった。



 「えーっ!!!」

 「マジか?」

 「ここでまた地味な男が……」



 そんなことになってしまったのも、ゆるしてほしいのは、前も言ったが、ウェインアーサーズとはオーストラリアの中堅選手だ。

 もちろん、ナショナルチームに選ばれているのだから、実力自体は充分だが、この国の命運がかかった、超のつく大一番をまかせるには、ややたよりないところもある。

 なんといっても、本来出るはずのパトリック・ラフターは元世界1位USオープン2連覇、ツアー通算11勝男前選手会長も務めたスーパーナイスガイ。

 一方ウェインは、自己最高ランキングが44位、グランドスラム最高成績4回戦、ツアー1勝

 でもって、まったく余計なお世話だが、見た目も超ふつうと、その格差は相当なものなのだ。

 まあ、そこはデ杯でエースが欠場すると、だいたいが

 

 「だれやねん」

 

 みたいな選手が出てくるのは、わりとよく見る「デビスカップあるある」だ。

 たとえば、2014年に優勝したスイスは、ロジャーフェデラースタンワウリンカが単複両輪で戦う最強チームだった。

 が、仮にフェデラーがなんらかの理由で途中棄権すると、ランキング230位とかの選手が「エース」として戦うことになる。

 それとくらべるとかなりマシだけど、苦しいことには変わりない。

 しかもだ、ウェインには

 「ダブルスのスペシャリスト」

 という側面もあるせいか、デ杯のシングルスで戦ったことなど、ほとんどないはず。

 そもそもが、おそらくはラフターの代わりの、ダブルス要員で選ばれているはずなのだ。

 そこを、初のシングルスデビューが決勝戦

 しかも、すべてが決まる3日目の最終戦

 クニジマ君がポツリと、



 「これは……ちょっとキツいなあ」



 私も思わず、



 「オレやったら、トイレ行くフリして、そのまま消えるね」



 むかし、水島新司先生の『大甲子園』で、はじめて甲子園でプレーした補欠の目黒選手が1点ビハインドの9回2死満塁でバッターボックスに立つ羽目になり、



 「なんで、はじめてのスタメンで、こんな場面になるんだ……」



 とビビりまくるシーンがあるけど(まあ、目黒君の場合は山田代打で出たんだけど)、それを彷彿させたものだ。

 ウェインも、さぞかし言いたかったろう。

 こんなん無理やって!

 とはいえ、ここで本当に逃げるわけにも行かないのがプロの大変なところ。

 嫌々(だよなあ、たぶん)コートに立たされたアーサーズに、私とクニジマ君は

 

 「ボロ負けだけはすなよ」

 

 テレビ放映じゃないから祈るようにネット上の、数字だけのスコアボードを見つめる。

 ところが、あにはからんや。ふつうなら尿でもちびろうかという大修羅場で、ウェイン・アーサーズは大善戦を見せる。

 ファーストセットこそ落としたものの、続く第2セットタイブレークの末に奪い返す。

 この健闘には、我々も色めきだった。



 「すげえ、勝つんちゃうか! 地味やけど」

 「このまま行ったら大英雄やぞ! サーブしかないけど」

 「ウェイン、ここまで来たら男になれ! コアなファンしか知らんけど」



 もう、大盛上がりだ。

 ちょっと辛口な応援になるのは、の裏返しと理解してほしい。

 われわれ玄人のファンこそ、こういうのない選手をも、しっかり見届けなければならないのだ。

 今思えば、対戦相手のエスクデも相当な「地味界の星」だが、気持ちはどうしたって、突然極限状態に追いこまれたウェインにかたむこうというもの。

 おそらく、アーサーズ対エスクデという渋すぎるカードで、日本一盛り上がったのはわれわれが白眉だろう。

 激戦が続くのをモニターで追いかけながら、クニジマ君は感に堪えたように、



 「なんかこう、大将戦がこの2人いうのが、デビスカップの華やよなあ」



 1996年決勝ニクラスクルティアルノーブッチとか、2013年決勝ドゥサンラヨビッチラデクステパネクとか。

 あと2016年決勝のイボカロビッチフェデリコデルボニスとかね。

 プレッシャーに耐え必死に戦うウェインだったが、そこからは最高ランキング17位オーストラリアンオープンでもベスト4の実績もあるエスクデが徐々に実力を発揮し、一気に突き放す。

 最終シングルスは7-66-76-36-3エスクデが勝利。

 見事フランスに、デビスカップの栄冠をもたらしたのであった。

 あーあー、ウェイン、負けちゃったか。

 でもまあ、よくがんばったよね。シーズン最後を飾るに、ふさわしい熱戦だった。

 こうして2001年デビスカップは終わった。

 興奮冷めやらぬ私とクニジマ君は、

 

 「すごい決勝やったなあ」

 「あんなこと、あるんやねえ」

 

 と大いに語り合うこととなった。

 その後も、よほどこの試合にあてられたのか、私と友は忘年会でも「デ杯はすごかった」と語り合い、「聖域なき改革」「ヤだねったら、ヤだね」を押さえて、



 「大将戦、ウェイン・アーサーズ」



 が、その年の局地的流行語大賞に選ばれたのであった。



 ☆おまけ ビッグサーバー、ウェイン・アーサーズの雄姿は→こちらから

 

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燃えろウェイン・アーサーズ 2001年デビスカップ決勝 オーストラリアvsフランス その2

2017年12月12日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 2001年デビスカップ決勝は大激戦となった。

 レイトンヒューイットパトリックラフターの世界ナンバーワンコンビ擁するオーストラリア

 エースであるセバスチャングロージャンを筆頭に、ニコラエスクデセドリックピオリーヌファブリスサントロという渋い実力者で脇を固めるフランス

 両チームゆずらず2勝2敗で、勝負は最終シングルスにもつれこんだが、ここで恐れていた事態が現実となった。

 この決勝戦。戦前の予想では、オーストラリアが危ないという、もっぱらの評判だった。

 その理由はパトリック・ラフターのケガだ。

 もともと全盛期と比べて、おとろえが見られていたラフターだが、くわえてUSオープン2連覇以来、体調不良におちいることがたびたびあり、この決勝戦前でも背中だったか腰の故障だったかで、出場が危ぶまれていたのだ。

 だがそこは舞台がデ杯である。

 しかも決勝、おまけに地元開催だ。こんな条件がそろっては、選手は休むなんて考えられなくなる。

 特にラフターはチームをひっぱるベテランとして、責任感も強い男。

 痛む体に鞭打って、チームのために強行出場を決めていたのだ。

 この選択は、とりあえずは成功だった。

 元ナンバーワンであり、グランドスラム大会優勝経験者の実力と意地か、ラフターは見事に初日1勝をあげ、まずはあたえられた役割をこなした。

 ここまではよかったが、オーストラリアはこのラフターの勝利を生かせず、ヒューイットの試合とダブルスを落とし、勝敗の行方を3日目最終シングルスにもつれこませてしまう。

 対戦スコアを見ればわかるが、この決勝でオーストラリアはラフターをダブルスでも連投させた。

 ということは、



 「故障をかかえたパトリック・ラフターにまわってくる、最終シングルス前に決着をつける」



 ことを想定していたに違いない。

 のちに、物議をかもすこととなるジョンフィッツジェラルド監督の采配では、ラフターの体調では、2試合出るのが限界と判断。

 それなら、プレッシャーのかかるシングルス2試合よりも、シングルスひとつと、比較的負担の少ないダブルスに出させて、



 「初日1勝、ダブルス1勝、最終日ヒューイットで3勝目」



 もしくは



 「初日に一気に2勝して、あとはダブルスかヒューイットで決める」



 といった目論見であったのではなかろうか。

 とにかく、最終戦前までに決めてしまい、ラフターの負担を最小限にせねばならない。

 その意味では、ファブリス・サントロという玄人中の玄人がいるダブルスはともかく、結果的には初日にヒューイットがニコラ・エスクデに敗れたのが痛かったことになる。

 これによって、短期決戦のプランがご破算になったのだから。

 フィッツジェラルド監督が批判されたのはここで、ラフターが完全な状態でないなら、別の選手を用意すべきではなかったか。

 また、ダブルスに巧者ををそろえるフランス相手に、そこを手負いのラフターで強行突破というのは無茶ではなかったか。

 むしろ2日目は捨てて、最終シングルスにこそ、彼をスタンバイさせるべきではなかったか。

 こういった選手の配置は難しい問題で、日本でも



 「デ杯で錦織圭をシングルスに専念させるか、それとも単複3連投で力ずくの勝利をもぎ取るか」



 というオーダー論は毎回のように議論になるが、たしかに外野の声は一理あるとはいえ、状態が完全ではない中「これでいく」と決めた作戦をつらぬいたのだから、結果論的な話をしても仕方ないのかもしれない。

 ともかくも、3-03-1電撃戦プランは、フランスの伏兵の前にくずれ去った。このあたりが、団体戦の妙ともいえる。

 ここにオーストラリアは決断を迫られた。

 勝負のかかった最終シングルス、戦力大幅ダウンを覚悟で控えの選手を選ぶか、それとも満身創痍のパトリック・ラフターをあえて出すのか。

 そしてここに、これまで一度も名前の出なかった、あの男が突如浮かび上がってくるのだ。

 そう、われらが「地味萌え」が推すビッグサーバー、ウェインアーサーズである。

 
 (さらに続く→こちら




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燃えろウェイン・アーサーズ 2001年デビスカップ決勝 オーストラリアvsフランス

2017年12月11日 | テニス

 流行語大賞といえば思い出すのは、ウェインアーサーズである。

 というと

 

 「それ、だれやねん」

 

 つっこまれそうであるので、ここに説明しておくと、ウェイン・アーサーズとはオーストラリアテニス選手

 一時期は、テニス界最速最強といわれたビッグサーブを武器に、レイトンヒューイットパトリックラフターらがいた、第何期目かわからないオーストラリア黄金時代、ナショナルチームでも活躍した男だ。

 のあるオージー選手の中で、飛び抜けて見た目普通とか、自己最高ランキングが44位とか、初優勝までデビューから15年もかかったとか、グランドスラムの最高成績が4回戦とか、実はダブルスのスペシャリストとか。

 そんな、私のような「地味な選手萌え」にはたまらない男なのだが、そうでない人からしたら、失礼ながらもう全力で「知らんがな」な選手である。

 そんな華なき男のウェイン・アーサーズが、なんでそろそろ年の瀬というこの季節、記憶に残っているのかと問うならば、話は2001年にさかのぼる。

 年も押し迫った12月初旬のこと、私は友人クニジマ君と家で一杯やっていた。

 テニスファンの彼となれば、当然となるのはテニス界のことであり、その日も、



 トーマスエンクヴィストウェインフェレイラの、どっちを評価すると、より玄人のテニスファンっぽいか」 



 なんて話で盛り上がっていたのだが、そこで友がこんな声をあげたのだ。



 「あ、そういや、今ってデ杯決勝やってるんちゃう?」



 おお、そういえばそんなイベントもあったなあ。たしか今年は、オーストラリアフランスで決勝やってるんちゃうかったっけ。

 パトリックラフターレイトンヒューイットの、世界ナンバーワンの2枚看板が売りのオーストラリア。

 セバスチャングロージャンエースにそえ、渋い実力者のそろうテニス大国フランス。

 これがチーム戦を行うとなれば、盛り上がらないはずがない。

 すぐさまパソコンを起動させると、テニス関係のページをめぐってデ杯の情報を仕入れはじめたが、この年の決勝戦は、期待にたがわぬ激戦となっていた。

 オーストラリアはラフターとヒューイットが単複戦うが、フランスはグロージャンを中心に、ニコラエスクデセドリックピオリーヌ、ファブリスサントロという布陣で挑む。

 会場はオーストラリアのホーム。全豪オープンが開催されているロッドレーバーアリーナに、天然芝を敷いてフランスを迎えうった。

 開幕戦で、エスクデがフルセットの末、敵のエースであるヒューイットを破るという金星をあげると、オーストラリアも負けずにラフターがグロージャンをストレートで倒し、エース破り返し

 デ杯のともいえるダブルスでは、ピオリーヌ&サントロ組が、ラフター&ヒューイット組のグランドスラム優勝者コンビを粉砕。

 さすが、ダブルスはスペシャリストのサントロを擁するフランスが強い。

 アウェーの不利さをものともせず、2勝1敗と先に優勝に王手をかける。

 ただオーストラリアも、地元の観客の前で、むざむざ敗れるわけにもいかない。

 3日目第1試合のエース対決では、ヒューイットがグロージャンを、なんと6-36-26-3のストレートで一蹴してしまう。

 勝負は2勝2敗最終シングルスにもつれこんだわけだが、試合経過を観ながら私とクニジマ君は、これは恐れていたことになりそうだぞと目を見合わせたのだ。


 (続く→こちら
 


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山本茂『白球オデッセイ』で読む、佐藤俵太郎選手と日本テニス黄金期 その2

2017年09月22日 | テニス
 前回(→こちら)に続いて、山本茂『白球オデッセイ』を読む。

 戦前の日本テニス黄金期に、プレーヤーとして大きな実績を残した佐藤俵太郎の評伝だ。

 この本を読むと、当時のテニス界というのが、いかに優雅な世界であったかというのがよくわかるが、俵太郎の華やかなテニス人生はコート上だけではなかった。

 デ杯選手として、破格の待遇で欧州を転戦した彼は、ビル・チルデンや、イタリア貴族でテニスプレーヤーでもあるジョルジォ・デ・ステファーニらと友情をはぐくみ、ウィーンでは香水『Mitsuko』として名を残すクーデンホーフ=カレルギー伯爵夫人である青山光子にむかえられる。

 国境を越えた友情、ヨーロッパの貴族、そしてウィーンの日本人伯爵夫人。まるで藤田宣永の傑作冒険小説『鋼鉄の騎士』(こっちは自動車レース)のようではないか。

 プロ転向後は、「金に魂を売った」という陰口などなんのその、ビジネスチャンスを求めてアメリカ大陸を駆け回る。このアグレッシブなところが、また俵太郎の魅力だ。

 中でも美しいのは、ヴェネチアにあるリド島で出会った、ユージニ・ピルツィオとのロマンスだろう。
 
 長旅の疲れで、大会は初戦負けを喫した俵太郎だが、むしろそれが幸いした。

 敗れてボールをたたきつけるなどマナーに難のあった選手がいる中、落胆を押し殺し毅然と去っていく姿に感銘した21歳のユージニと、夢のような一週間を過ごす。

 そして、ついに島を去る日、別れのあいさつに来たユージニに俵太郎はキスをする。

 もちろん気持ちはそれ以上と高ぶるが、転戦中エジプトのピラミッドもパリの凱旋門も見物せず、ひたすたテニスに打ちこんできた俵太郎は、道を極めるためにと、紳士的にそっと体をはなした。

 もったいない。というのは、野暮というものであろう。そういう時代であったし、それにこの二人は物語のラストで、まるでドラマのように再びめぐり逢うことになるのである。

 そのやりとりは、そのまま映画にできそうな、いやそうするにはあまりにも出来すぎな気もする。75歳になるユージニの、すてきな一言で本書は幕を閉じる。

 かくして、日本テニス界の黄金時代は同時にスポーツ界における、テニスという競技の黄金時代であった。まだ木のラケットで、ポロシャツに長ズボンでプレーしていた。

 華があり、プレーも優雅で美しかった。戦争のせいで、とかく暗く語られがちな昭和初期だが、このような世界もまた当時の日本にあったのだ。

 そこがもうひとつの本書の読みどころだろう。

 序章から引用しよう。


 「スポーツの世界では国を越え、膚の色を越えて友情が芽生えた。異国の乙女と淡い恋もした。豪華汽船の一等船客として国々をめぐった。高級ホテルのスィートルームの客となったし、ウィーンの貴族の館にも招かれた。雅びた女性とダンスに興じた。コンチネンタル・タンゴを愛し、カンツォーネを歌った。テニスが上流階級のスポーツであり、テニスプレーヤーが最も尊敬された時代だった」。


 読むと、一度木のラケットを持ってコートに立ってみたくなる。そんな一冊でした。





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山本茂『白球オデッセイ』で読む、佐藤俵太郎選手と日本テニス黄金期 

2017年09月21日 | テニス
 山本茂『白球オデッセイ』を読む。

 日本テニスの黄金時代とはいつなのか。その問いには、いくつかの答えがある。

 古くは1975年、沢松和子が日系アメリカ人アン清村と組んで、ウィンブルドンのダブルスで優勝した。

 伊達公子がウィンブルドン準決勝で女王シュテフィ・グラフと戦い、杉山愛がダブルスでグランドスラム三冠を制した。このふたりでは、歴史に残る激戦となったフェドカップのドイツ戦もあった。

 男子では、松岡修造がウィンブルドンでベスト8に進出し、芝の絨毯の上でほえたこともあった。錦織圭のいる「今」こそ、まさに黄金期との声もあろう。

 そういった戦績の、そのどれも素晴らしいのは間違いないが、実を言うと日本テニスの本当の黄金期はもっと前にあるというと驚かれる人もいるのではないか。

 それは時代をさかのぼってさかのぼって、そこからさらにさかのぼって、なんと一世紀前の大正九年にまでたどり着くこととなるのだから、またずいぶんと過去の話だが、ここでの日本人選手の活躍がすごいのだ。

 この年、清水善造がウィンブルドンで、チャレンジラウンドの決勝(前年度優勝者への挑戦権を決める試合で、今の準決勝)まで勝ち上がった。

 清水は国別対抗戦であるデビスカップでもチームを牽引し、こちらもチャレンジラウンド決勝まで進出する。これに刺激を受けて、日本テニス界には数々の名プレーヤーが誕生する。

 熊谷一弥(アントワープ五輪、単複銀メダル)

 原田武一(パリ五輪ベスト8、世界ランキング7位)

 佐藤次郎(全豪、全仏、ウィンブルドン、ベスト4)

 目もくらむような、すごい戦績を残している選手が目白押しで、他にも太田芳郎のように海外に本拠地を置き、デ杯で活躍した選手もいる。「ミッキー」こと三木龍喜など、イギリスのドロシー・ラウンドと組んで、ウィンブルドンの混合ダブルス優勝も果たしているのだ。

 この『白球オデッセイ』は、そんな昭和初期にあった輝くような日本テニス黄金期に、プレーヤーとして大きな実績を残した佐藤俵太郎の評伝だ。

 俵太郎は全日本選手権こそ取れなかったものの、海外のトーナメントでは、昭和5年のデュッセルドルフのドイツ国際選手権で、「ホップマン・カップ」という大会に名を残すオーストラリアの名選手ハリー・ホップマンをやぶって優勝。ダブルスも安倍民雄と組んで、やはりホップマンのペアをやぶって単複二冠。

 続くジュネーヴの大会でも単複優勝。昭和6年では南仏のカンヌ、サン・ラファエル、ジュアン・レ・パン、ジェノヴァで優勝。ジュアン・レ・パン決勝は、同胞である佐藤次郎との日本人対決だった。

 そして、6月にローラン・ギャロスで行われた全仏選手権では見事ベスト8進出と、すばらしい成績を残している。

 そんな俵太郎の経歴を語る上で、もっとも重要なのがデビスカップであろう。

 今でこそ、デ杯はグランドスラム大会などとくらべると、マイナーな存在に堕している印象だが、当時は今では想像もできないほどのステータスのある大会だった。

 俵太郎は昭和5年、デ杯選手に選ばれると、欧州ゾーンに参加。参加31ヶ国という大会で日本チームは、ハンガリー、インド、スペイン、チェコを破って決勝に進出するのだ。

 今でこそ錦織圭がいるが、それ以前では考えられない快進撃である。

 当時のテニス界は、ジャン・ボロトラ、ジャック・ブルニョン、アンリ・コシェ、ルネ・ラコステら「四銃士」を擁したフランスは別格として、強豪国といえばアメリカ、オーストラリア、そして日本。

 俵太郎自身がいうように、あきらかに第一次大戦の爪痕が欧州に色濃く残っていたことがわかるが、それをさっ引いたとしても見事なものではないか。



 (続く→こちら



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テニスのダブルスにおける「じゃない方」選手について その2

2017年08月25日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 お笑いの世界だけではなく、テニスにも「じゃないほう」は存在する。

 それはダブルスの話で、

 

 マルチナ・ヒンギス&アンナ・クルニコワ

 ロジャー・フェデラー&スタン・ワウリンカ

 

 のような双方ともスター選手ならいいけど、ときに「格差」のあるチームというのは存在するもの。

 一番有名なのは、ジョンマッケンローと、ピーターフレミングのコンビであろう。

 ウィンブルドンUSオープンをはじめ、幾多のビッグタイトルをものにし、デビスカップでも活躍したアメリカの誇るスーパーチーム。

 だが、いかんせんフレミングのほうが地味である。

 いや、実はピーターの方もなかなかのもので、シングルスではトップ10入りも果たしている。

 とはいえ、相手が天下マッケンローときては、これはもう分が悪すぎるではないか。

 ジョンの知名度は、テニスを知らない人でも相当高いだろうが、ピーターの方は少なくとも、今のヤングたちには知られていまい。

 格差の不条理というやつである。

 同じような「パートナーがすごすぎて……」なコンビに、ステファンエドバーグアンダースヤリードというのもいる。

 アンダースもシングルスではトップ10に入っているが、世界1位グランドスラム6勝の貴公子ステファンとくらべると、どうしても差が出てしまう。

 ダブルスでは1位だし、キャリアグランドスラムも達成している、いい選手なんだけどなあ。

 オールドファンの再評価を、求めたいところだ。

 やはり「相方世界一」というところでは、ロシアアンドレイオルホフスキーエフゲニーカフェルニコフという2人。

 デビスカップでも不動のペアとして君臨したコンビだが、グランドスラム2勝オリンピック金メダル世界1位というカフィとくらべて、アンドレイは相当に知られていまい。

 ダブルスは最高6位だが(カフィは4位)、シングルスの最高が49位という「そこそこ感」が味である。

 アンドレイには悪いけど、これこそリアルな「じゃない方」。

 でも、シングルス2勝していて、なかなかにあなどれない。

 ひそかに、大阪の大会でもダブルスで優勝しているそうな。

 1994年セーラムオープンで、このときのパートナーは、やはりダブルスのうまいマルティンダム

 マルティンはシングルス最高42位ということで、こっちは釣り合いの取れたナイス(?)カップルだ。

 「相方が世界一」なうえに、もうひとつ「兄弟」という要素がからんでくるのが、アンディージェイミーマレー兄弟

 世界ナンバーワンなうえに、ウィンブルドンのチャンピオンとあっては、お兄さんからすればさぞかし、ジャギ様のごとく、



 「兄より優れた弟など存在しねぇ!!」



 となるのかと思いきや、この2人はツアーデビスカップで、兄弟コンビとして活躍。

 特にデ杯では、2015年優勝に大きく貢献した。

 まあ、このふたりはシングルスとダブルスに完全に分業しているうえに、どっちもその道で世界一になってる。

 ウィンブルドンのタイトルも持ってるから(ジェイミーはエレナヤンコビッチと組んでミックスダブルスで優勝)、それなりに充足感もあって牽制しあわないのかもしれない。

 その意味では、ミーシャアレグザンダーズベレフ兄弟はどうか。

 ここは、ちょっとミーシャに「じゃないほう」感があったけど、今年は全豪マレーを破ったり、ランキングもトップ30に入っていい感じだ。

 このまま、いいライバルに育ってほしいもの。

 ミーシャとサーシャもけっこうダブルスを組んでいて、ツアーでも優勝している。


 あと、兄弟で「じゃないほう」といえば、昔マイケルチャンが、お兄さんのカールチャンと組んだこともあった。

 といってもカールは選手じゃなくて、弟のコーチだったから厳密には「じゃない方」でもないけど。

 たしか日本のセイコースーパーテニスにエントリーしてて、雑誌に写真が載ってた記憶が。

 ビッグコンビが出現かと思いきや。1回戦で負けてたから、まあファンサービスのつもりだったのかも。

 マイケルはダブルスうまいイメージないし、カールも見た目はお腹の出たおじさんだったし。

 ちなみに、シングルスでは、マイケルが決勝でマークフィリポーシスを破って優勝していた。

 他にも、最近のデ杯なら、アルゼンチンの、フアンマルティンデルポトロと、レオナルドマイエル

 クロアチアの、マリンチリッチと、イワンドディグ

 ベルギーの、ダヴィドゴファンと、スティーブダルシス

 昔をひもといても、1999年フレンチオープンのダブルスではゴーランイバニセビッチが、ジェフタランゴと組んで決勝進出。

 とかとか、おもしろいペアがたくさんいる。

 ぜひみなさまもダブルス観戦の際は、スターだけでなく「じゃない方」と言われがちな地味実力者にも注目してほしいもの。

 私も、まだまだ見落としているチームも多いだろう。

 知ってる方がいたら、ぜひ

 「こんな個性的なコンビいるよ」

 なんて、教えていただきたいものだ。



 ☆おまけ 最強ダブルスのブライアン兄弟の試合は→こちらから。



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テニスのダブルスにおける「じゃない方」選手について

2017年08月24日 | テニス

 「ボクたちは、ダブルスの《じゃない方》選手です」

 テニスのダブルスは楽しい。

 ダブルスはシングルスとくらべて、テレビ放映はほとんどないし、トップ選手もあんまり出てない。

 なもんで、ふだんはマイナーなあつかいだけど、もっと取り上げられてもいいのでは、といつも思っている。

 そんなダブルスの最大の特徴といえば、コートに4人も人がいること。

 ふだんより2倍の選手のプレーを見ることができて、その意味ではオトク。

 なのだが、このテニスのダブルスペアにも、よく見るとコンビ芸人のような「格差」が存在するのだ。

 ダブルスの組み合わせパターンは大きく分けて3つ


 1.双方ともにシングルスでもメジャー選手で、みんなおなじみ。

 2.両方ともシングルスでマイナー、もしくはダブルスのスペシャリストで、シングルスにはあまり出ないから、ファン以外は知る人ぞ知る

 3.片方は知られているけど、もう一方は「だれ?」。



 シングルスのトップ選手、特に男子はダブルスに出ないケースも多いので、女子に多い。

 たとえば私の世代だと、アランチャサンチェスビカリオヤナノボトナのチームは、シングルスでもダブルスでも、グランドスラム優勝している。

 日本のエースだった杉山愛さんは、

 

 ジュリー・アラール=デキュジス

 キム・クライシュテルス

 ダニエラ・ハンチュコバ

 

 といった、人気実力ともにトップクラスの選手と組んで、ダブルスの世界1位に。

 また、女王マルチナヒンギスも、

 

 アンナ・クルニコワ

 ミリヤナ・ルチッチ=バローニ

 サニア・ミルザ

 

 などなど、のある選手と組んで大きな実績を残している。

 オリンピックでの、ロジャーフェデラーとのミックスダブルスが実現しなかったのを、残念に思ったファンは多いだろう。これは私も相当に見たかったものだ。

 男子だと、かつてダブルスのタイトルを総なめにした最強コンビ「ウッディーズ」の、トッドウッドブリッジと、マークウッドフォード

 ここが、双方シングルスでもトップ20位入りを果たしているけど、ツアーよりデビスカップで大物ペアが生まれることが多いかもしれない。

 バルセロナ五輪金メダルを取った、ドイツボリスベッカーミヒャエルシュティヒ

 2002年ロシア初優勝時の、エフゲニーカフェルニコフマラトサフィン

 オーストラリアの、レイトンヒューイットパトリックラフター

 クロアチアの、マリオアンチッチイワンリュビチッチ

 スイスの、ロジャーフェデラースタンワウリンカ

 並べるだけでも、ため息が出そうな豪華な顔ぶれ。

 調べてみたら、ジョンマッケンローと、ピートサンプラスなんてのあった。

 双方世界一位、グランドスラム優勝数がふたりで21個

 単純な数字だけなら、このペアが最強かもしれない。

 ここまでゴージャスじゃなくても、フランスジュリアンベネトーリシャールガスケ組。

 スペインの、フェリシアーノロペスフェルナンドベルダスコ組。

 ここくらいでも、十二分すぎるほど魅力的なチームといえる。

 のケースは、まあどちらかといえば、これが普通か。

 そもそもダブルス自体がマイナーなのだから、どうしてもそうなってしまうわけだが、これはもう、歴代のグランドスラム優勝選手を見てもらえば一目瞭然。

 グランドスラム歴代最多の16勝を誇る「史上最強のコンビ」マイクボブブライアン兄弟は、シングルスの戦績は皆無に等しい。

 他にも、マへシュブパシリアンダーパエス組。

 テニスファンならおなじみの、インドが誇るスーパーコンビだが(ちなみにもスーパー悪い)、一般の認知度は低いだろう。

 他にも、ヘンリコンティネンジョンピアースとか。

 ピエールユーグエルベールニコラマユ

 マルセルグラノリェルスマルクロペス

 ロハンボパンナダニエルネスター

 イワンドディグマルセロメロ

 あとエドゥアールロジェバセランとか、ミシェルロドラとか……。

 などなど、わりとコアなテニスファンでも「まあ、名前くらいは……」な選手がズラリ。

 すげえな、ネスターってまだ現役なんだ。

 昔はマークノールズと組んでたなあ。

 で、2015年ウィンブルドン優勝の、ジャンジュリアンロジェホリアテカウって、だれですか?

 もちろんその世界では最高レベルの猛者たちばかりだが、フェデラーやナダルのような知名度は望むべくもなく、これがなんとも惜しい。

 それでも今は動画サイトなどで試合を見られるようになったから、いい時代になったなとは思う。

 実際に見てみたら、スピーディーでおもしろいんだよ、ダブルスって。

 生観戦が、もっとオススメ。

 と、ここまでは前置き。

 上記の2パターンは、知名度に差はあれど、双方がほぼ同レベルの位置にいるのだから、そんなに観ていて不自然さというのは感じない。

 問題は、そのバランスが合ってないコンビである。

 片方がスターなのに、もう片方は全然知られてない

 もしくは、ダブルスはどっちもトップなのに、シングルスランキングにものすごいがある。もっといえば、稼ぎが全然違う。

 こういうコンビというのもいて、様々なビッグタイトルをものにしているにもかかわらず、ファンからも、



 「あの、こないだ優勝したコンビの知らん方」



 なんて言われて、なんとも悲しい目に合っているのではないか、とか想像するわけだ。

 次回は、そういう選手について語ってみたい。
  
 

 (続く→こちら




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トーマシュ・ベルディヒ、ウィンブルドンのベスト8進出を特攻野郎たちもよろこんでいます。

2017年07月11日 | テニス

 ツアーで鳴らしたオレたちチェコテニス選手は、地味だとイジられ、実績のわりにはフィーチャーされてこなかった。

 しかし、「玄人好み」とフォローされがちなポジションでくすぶっているようなオレたちじゃあない。

 地力はあるから、けっこうビッグタイトルを取ったりしてしまう、不可能を可能にし、華のある選手を粉砕して観客をがっかりさせる、オレたち庭球野郎Cチーム


 俺はリーダー、イワンレンドル。通称「退屈なチャンピオン」 

 バズーカストロークアルフォンスミュシャ収集の名人。

 俺のような旧日本兵みたいな帽子をかぶった男でなければ、百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん。


 俺はラデクステパネク。通称「なぜかモテ男

 自慢のルックスかどうかは不明だが、女はみんなイチコロさ。

 ド派手なウェアを用意して、マルチナからぺトラまで、チェコ系女子ならだれとでもつきあってみせるぜ。


 私はヤナノボトナ、通称「チキンハート

 チームの紅一点。

 ウィンブルドン準優勝は、ネットプレーと土壇場の勝ちビビリでお手のもの!


 よおお待ちどう。俺様こそトーマシュベルディヒ。通称「一応ウィンブルドンのファイナリスト

 選びの腕は天下一品!

 ベルディハ? バーディッチ? だから何。


 ペトルコルダ。通称「シューゾーマツオカルール

 欽ちゃんジャンプの天才だ。全豪優勝のときでも飛んでみせらぁ。

 でもドーピング検査だけはかんべんな。




 俺達は、スター一辺倒のテニス界にあえて挑戦する。

 頼りになるいぶし銀の、庭球野郎Cチーム!

 マニア好みのを気取りたいときは、いつでも言ってくれ。



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杉田祐一 バルセロナでベスト8、アンタルヤ優勝、ついに松岡修造を超える!

2017年07月07日 | テニス
 杉田祐一が、ついにやってくれた。

 錦織圭がやや精彩を欠き、西岡良仁がケガによるまさかの長期離脱、添田豪や伊藤竜馬らも一時期のランキングを維持できていないなど、ちょっとばかし勢いを失っている感の今シーズン日本男子だったが、ここに伏兵といっては失礼だが、この男が大きな風穴を開けてくれた。

 クレーシーズンから好調を維持し、バルセロナではリシャール・ガスケやパブロ・カレーニョ・ブスタら強敵をしりぞけてのベスト8。

 これだけでもたいしたものなのに、なんと芝のシーズンに入って、アンタルヤ・オープンではダビド・フェレール、マルコス・バグダティスというグランドスラム大会ファイナリストをぶち抜いて、ツアー初優勝。

 松岡修造、錦織圭に続いて、日本人で3人目のATPツアー大会優勝。しかも、プレーの難しい芝のコートでの勝利ということで、二重に快挙ともいえる。

 おまけに、日本人選手にとって一つの大きな目標であった、「46位の松岡修造」越えというビッグボーナスまでついてきた。

 日本テニス界に、どでかい花火を打ち上げた。錦織効果でみなマヒしているが、これはとんでもない離れ業なのだ。いや、マジで。

 スゲー! 祐一やったぜ! もう抱いて!

 これには快哉をあげると同時に、彼にあやまらなければならないなとも思う。

 というのも、私は正直、杉田がここまでのことをやってのけるとは想像してなかったからだ。

 なんて言うと、「ちょ、マジ祐一のことディスってんスか?」なんて怒られてしまいそうだが、もちろんそんなことはない。

 いやむしろ、実力的には、いつこうやって世界を驚かすことをやってくれてもおかしくない男だ、ということも知っていたつもりだ。

 しかしだ、日本男子を応援しているファンなら、多少は理解してくれるのではないか。

 ここまで、実に長かったのだから。

 杉田はデビュー以来、デビスカップ代表入り、日本リーグでの活躍、全日本選手権V2などなど、国内での話題には事欠かなかったが、世界ランキングの面ではなかなか100位の壁を破れなかった。

 チャレンジャーで結果を出し、ツアーでもときおり予選を突破するも、大爆発がなかった。

 その間、錦織圭は別格としても、ライバルとなる添田豪、伊藤竜馬がトップ100入りし、ロンドンオリンピックにもエントリー。

 西岡良仁、ダニエル太郎らの台頭により、下からの突き上げもあり、でも自分は黙々と下部ツアーや予選で戦うことを余儀なくされる。かなり苦しい時期もあったろう。

 正直このあたりかもしれない、「杉田、ちょっときびしいかな」と思いはじめたのは。

 仲間が次々、華やかな舞台にデビューする中、自分だけが一人ドサまわり。これは、精神的にもかなりキツイはずだ。

 だが、彼はくじけなかった。私のような見る目のない阿呆の予想などものともせず、コツコツと結果を出し始める。

 まず、2014年のウィンブルドンで、なんと18回目のグランドスラム予選挑戦を実らせ、初の本戦切符を手にする。

 強敵フェリシアーノ・ロペスに1回戦で敗れたが、3セットともタイブレークの熱戦。内容も、シード選手に勝るともおとらないものだった。

 そこからも、地道に勝利を重ねポイントをため、2016年には、とうとう念願のトップ100入り。

 テニス選手は、100位の壁を越えればとりあえず一人前だ。全豪、ハレ、夏のUSシリーズなどで活躍し、トップ選手ともいいテニスを展開。徐々にツアーの常連になっていく。

 そして、今年の大爆発につながるわけだ。バルセロナでは、予選決勝で敗れながらも、

 「錦織圭欠場によるラッキールーザー」

 という、なんとも複雑な幸運を手にしたが、それがあの快進撃につながったのだから、まったく世の中はわからない。

 ちなみに、芝のハレでもやはりラッキールーザーで本戦入りし、なんとロジャー・フェデラーと戦うことに。今の杉田はまさに「持っている」状態かもしれない。

 もちろん、運だけで頭抜けられるほどテニスの世界は甘くない。「天才」ガスケに、クレーの実力者カレーニョ・ブスタを破るなど、ラッキーで片づけられるものではない。

 真の力があったからこその勝利なのは、言うまでもなかろう。ウィンブルドンではアドリアン・マナリノにアンタルヤ決勝の借りを返されたが、フルセットまでもつれこむ激戦だった。

 次への期待を持つには、充分すぎる前半戦だ。

 よかったよー、間に合ったよー、このまま力を発揮できないまま終わっちゃったら、どうしようかと思ったよー。

 遅いよ! 長かったよ! もう! もう!

 私の勝手な意見はいいとして、ともかくも、杉田祐一はやってくれた。

 もちろん彼は、こんなところで満足はしていまい。夏のハードコートシーズンでは、さらなる飛躍を期待したい。
 
 そうして、スーパージュニアテニス優勝から注目していた我々大阪のファンが、

 「まあな、あの杉田もがんばっとるけど、オレが育てたようなもんや」

 とフカせられるよう、もう2発も3発も、どデカイことをなしとげてほしいものだ。





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WOWOWのウィンブルドン予選放送と、1998全豪オープン予選観戦の思い出

2017年06月21日 | テニス

 全豪オープン予選を、現地で生観戦したことがある。

 などと、唐突に「玄人テニスファン」アピールをしてみたのは、WOWOWウィンブルドン予選を放送すると聞いたからである。

 昨今、錦織圭選手を筆頭に、日本人選手の活躍いちじるしい男子テニス界。

 こういった盛り上がりを見せると、ありがたいのが、テレビなどで試合をたくさん放送してくれることだ。

 グランドスラムのみならず、マスターズ1000ATP500ツアーファイナルデビスカップなど、実に多彩なチョイス。

 もう見る方も大変だが、そこについには「予選」まで参入とあっては、本当にビックラこいた。

 いや、ふつう、いくらウィンブルドンといったって、予選は放送しないッスよ。錦織圭も出ないのに。

 いよいよディープというか、さすがテニスWOWOWとおそれいったもの。

 こんなもん、だれが見るねんとつっこみたいところだが、まあ私が見るというか、無料放送ありがとう超楽しみと目がハートというか、そういや昔、予選見にオーストラリアまで行ったなあ、とか思い出したのだ。

 1998年1月、私はオーストラリアンオープンを観戦しに、メルボルンに飛んだ。

 大会ではピートサンプラスや、アンドレアガシといったスター選手を押さえるのは当然として、もうひとつ、ひそかな楽しみを用意していた。

 それが、予選の観戦である。

 グランドスラム大会の予選。カタギの世界では存在すら知られていないが、日本人男子を追いかけるには、デ杯と並ぶ、はずせない大イベント。

 なので、常日ごろから興味はあったんだけど、まあさすがにマニアックすぎるかと逡巡していた。

 が、『テニスマガジン』で連載していた、とうこくりえさんのマンガで、



 「貯金をおろして、デ杯の日本対ウズベキスタンを観にタシケントに飛ぶか、日本男子の応援にUSオープンの予選を選ぶべきか」

 という、ディープなうえにもディープすぎる悩みを読んで、「こら負けてられん!」と腹をくくったのだった。

 なんの勝ち負けかは不明だが、ともかくも決め手にはなったのだ。

 ちなみに、とうこく先生はタシケントを選択。

 最終シングルス金子英樹選手が、ケイレンをおしての勝利で、見事ウズベキスタンを破ったのであった。

 話を戻して、予選会場は本戦と同じく、メルボルンナショナルテニスセンター

 主にグラウンドスタンドのコートで、本戦の座をかけて、夢いっぱいの若手が、再起をかけるベテランが、必死でボールを追っている。

 本戦出場には3連勝が必要。

 表には出ないが、選手それぞれにとっては、もちろんのこと大勝負だ。

 本戦と予選は天国地獄の差。いわば、甲子園国立をかけた地区予選決勝だ。

 これが無料で見られるのだから、なにげにオトクではないか。

 まずは日本人選手をチェックするが、ドロー表を見て、ちょっとガッカリすることとなった。

 そのころ、『テニスマガジン』で連載していた縁もあって、本村剛一選手を応援していたのだが、残念ながらケガかなにかで今年はエントリーせず

 ならばと、1995年全日本選手権チャンピオン金子英樹選手にシフトすると、なんと初戦鈴木貴男選手と痛すぎる同士討ち。

 これには思わず天をあおぐ。なんてもったいない……。

 しかも、勝った貴男も2回戦で、第1シードジェロームゴルマールに敗れて予選突破はならず。

 ちなみに、ジェロームは本戦1回戦で、ティムヘンマンを倒す金星をあげているから、予選の層の厚さがわかろうというもの。

 この試合は現地で見たけど、ファイナル11-9の激戦であった。

 日本人選手は、さらに2人山本育史選手、茶圓鉄也選手もいたが、ともに1回戦敗退

 まあ、このころの日本男子は、予選抜けることなんてほとんどなかったけどさ……。

 日本人選手は残念だったが、予選のいいところは、これからという若手選手や、アジア期待の選手、なかなかテレビ放送されない渋い実力者、なども観ることができること。

 特に大阪では、世界スーパージュニアテニスが開催されるので、そこで活躍した選手がエントリーしていたりすると、うれしいもの。

 まだジュニア上がりの、セバスチャングロージャンパラドンスリチャパンがプレーしていた。

 他にも、思い出せるところでは、元世界ランキング13位アンドレイチェルカソフがいたかな。

 平木理化さんや杉山愛さんといった、日本女子とミックスダブルスで、ビッグタイトルを取るマヘシュブパシ。

 前年度本戦ベスト16ジャンフィリップフルーリアン、オランダの巨人ディックノーマンに、両サイド両手打ちのジャンマイケルギャンビル

 ダブルスのスペシャリストである、セバスチャンラルーとか、サービスエース王のウェインアーサーズ。

 ネットで当時のドロー表見たら、そのときは目に入ってなかったけど、最高世界3位まで行ったイワンリュビチッチなんかもいて、こう見るとなかなかなメンツ。

 まあそうだよなあ。どんな選手だって、最初は予選からだもんなあ。

 思い返してみて、やはり本戦もいいけど、予選だって楽しい。

 みなさまも、ぜひウィンブルドンの予選を観戦して将来有望な若手をチェックし、数年後には、



 「まあな、あいつも今はがんばってるみたいやけど、オレが育てたようなもんや」



 通ぶれるよう、目を凝らしていただきたいものだ。



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