前回(→こちら)の続き。
2009年ウィンブルドン決勝はロジャー・フェデラーとアンディー・ロディックで争われることになった。
これまで、大きな舞台でフェデラーに苦杯をなめさせられまくってきたロディックは、ここを最大の復讐戦と考えて、なんと決勝までの6試合すべてを
「フェデラー相手の練習台」
と想定してプレーしてきた。
もちろんこれはリスキーな選択であり、ある意味スポーツマンらしくない戦い方であり、また厳密には一部の記者が批判したように、
「アンディーはいつものように、真正面からぶつかっていくべきだった」
その通りなのかもしれない。
だが、ロディックもコーチのステファンキも、そんなことは百も承知だったのだろう。
決して「プレーヤー」としてみたら普遍的なベストではないが、
「この大会の決勝戦でフェデラーに勝つ」
ことだけに特化すれば、一発勝負に勝つにはひとつの戦略である。
まさになりふりかまわぬ1点買いで、ロディック陣営は勝負に出た。
極端な話、彼らはアンディーのテニス人生を、この大会の最終日1日、そこにのみ全額賭けることにしたのだ。
そうして、むかえた決勝戦、ロディックは思惑通りすばらしいテニスを披露した。
得意のビッグ・サーブを駆使してファーストセットを取り、セカンドセットもサービスを安定させてタイブレークに突入。
そこでも、ロディックは先にミニブレークでリードを取る。
ここまでは完璧だった。
ところが、セットポイントで、簡単なボレーをミスしてしまう。そこから、圧倒的優位にもかかわらず、セットカウント1-1のタイに戻されてしまうのだ。
なんだか嫌な予感がした。思い出したのは1998年のウィンブルドン決勝。
そこで王者ピート・サンプラス相手にゴーラン・イバニセビッチが、ファーストセットを取りながらセカンドセットのタイブレークでなにげないバックハンドを、なんともつまらないミスでネットにかけてから、逆転されてしまったことがあったのだ。
ゴーランもまた、ナンバーワンだったサンプラスの壁にはばまれ、ウィンブルドンのタイトルを取れない苦しい日々が続いていた。
それと流れが、似ているように思えたのだ。
だが、フェデラーに勝つという執念から生まれ変わったロディックは、ここからが違った。
第3セットもタイブレークの接戦の末、フェデラーの手に落ちるも、乱れそうになる気持ちを抑え、しっかりしたテニスでリカバー。
得意のサービスゲームをしっかりキープして、第4セットを奪い返す。
もし、これまでのロディックなら、あっさりとそのまま第4セットを取られて、試合は終わっていたことだろう。
それを押し戻したのは、明らかに過去の戦いとちがっていた。すばらしい精神力だ。勝負は最終セットにまで持ちこまれた。
このとき、私ははじめて確信した。
今日のアンディーは強い。きっと、フェデラーにだって勝つと。
運命の最終セットは、両者サービスキープが続くマラソンマッチとなった。
決勝戦のファイナルセットともなれば、まさに手に汗握るという展開が待っているかと思われたが、両者とも、あまりにテンポよくサービスをキープするので、意外とそんな感じはしなかった。
元々フェデラーはリズムよくプレーする選手だが、ロディックもサーブが好調で、ますます乗ってきた様子だ。
なんだか中盤戦に逆戻りしたかのような不思議な展開で、特に波風もなく延々とゲーム数は積み重なっていったが、決着は思わぬところで着くこととなる。
このまま永遠にキープが続くと思われた第30ゲームに、落とし穴が待ていた。
ほんのちょっとしたスキをついて、フェデラーがロディックのサービスを破ることに成功。
あれ、と思う間もない、急転直下の決着となった。16-14というロングマッチの末に、ロディックは敗れた。
この試合で、彼がサービスゲームを落としたのは、このファイナルセットの最後のゲームだけである。
内容的には、ロディックが勝っていても全然おかしくなかった。それくらいに、彼のプレーぶりは安定していた。
だからこそ、あっさりと終わってしまった最終ゲームで、ロディックは呆然としていた。
あれだけの素晴らしいテニスをしながら、なぜ自分が敗者なのか。そのことが納得いかないようだ。
こうして、ロディックはまたも敗れ、フェデラーがウィンブルドン通算6回目の優勝を飾る。
ウィンブルドン決勝といえば、この前年2008年のラファエル・ナダルとフェデラーの戦いが、それまで伝説だった1980年決勝ボルグ対マッケンロー戦を越えた、史上最高の名勝負といわれている。
もちろんそのことに意義をはさむつもりはないが、私はこの2009年の決勝の方が印象に残っている。
それはやはり、ナダルのチャレンジはどこか健全というか、脇目もふらずにかけあがろうとする「光」の戦いだったのに対し、ロディックの方は屈託や鬱屈、屈辱のようなものをともなった「闇」の戦いだったからかもしれない。
栄光から引きずり落とされて、泥まみれなり、しかしなお中島らもさん言うところの「砂をつかんで立ち上が」ってき、それでも勝てなかった。
その悲壮感こそが、この決勝戦のあとにも色濃く残っていた。アンディーには勝たせてあげたかったと、みんなが思ったに違いない。あんな重い空気のトロフィーセレモニーはそうはなかった。
言い古された言葉だが、勝負というのはどこまでも非情であるといわざるを得ない結末だであった。
■決勝戦の映像は【→こちら】