「またスアレスがやってくれたか」。
と多くのサッカーファンの苦笑いを生んだのは、ワールドカップ1次リーグD組最終戦ウルグアイ対イタリア戦のことであった。
この試合の後半で、ウルグアイのスター選手である(いろんな意味で)スアレスが、イタリアのDFキエリーニの左肩に噛みついたのだ。
噛みつき! こういっちゃあなんだが、サッカーは多少なりとも野蛮……もといスポーツマンシップに不自由しているスポーツではあるが、噛みつきというのは、そんなルール無用の戦場の中でもなかなか見られない行為である。プロレスじゃないんだから。
もっともスアレスの噛みつきは今さらという話ではなく、これまでも数々の「前科」がある。私は直接見たわけではないが、プレミアリーグやオランダリーグでも相手選手にレッドキングと戦うチャンドラーのごとく歯を立てまくっている。ムチャクチャだなあ。
そんなスアレスと言えば、今でも忘れられないのが、2010年南アフリカ大会の準々決勝。ウルグアイ対ガーナ戦。
古豪復活と、アフリカ勢初のベスト4進出をかけて戦う大一番は、同点のまま延長戦にもつれこむ。
ドラマ(?)が起こったのは、延長後半終了直前。ゴール前で決定機をつかんだガーナのシュートを、ウルグアイの選手は手を懸命に伸ばしてセービング!
生観戦していた私は思わず立ち上がった! すばらしい反応! まさにGSGK、グレート・スーパー・ゴールキーパーの仕事ではないか!
そのミラクル・セーブを見せた選手は青いユニフォームを着たルイス・スアレス。
大ピンチを救った! すごいぞスアレス、さすがはウルグアイの宝や! ……って、そりゃハンドだよハンド、おまえそれ大ハンドだってば!
そりゃまあ、試合終了直前にゴールに飛びこむボールを見たら、選手は手も出したくなるだろう。その気持ちはわかる。実際、対戦相手のガーナの選手も、
「あれはいけないが、立場が逆ならボクも同じことをするだろうね」
そう認めている。
ただまあ、あれはあまりにも露骨でした。「うっかり当たって」とかじゃないもんな。もう全力で「反則上等」という態度。もっとも、うまくごまかすよう、つくろう余裕もないスレスレのところだったから無理もないけど。
もちろん、スアレスはレッドカードで一発退場。ガーナにはPKが与えられる。
ここで順当に終われば良かったのだが、なんとこの決定的な場面でガーナのアサモア・ギャンがPKをはずしてしまう。試合はPK戦にもつれこみ、なんとウルグアイが勝ってしまうのだ。
これには、「悪は栄えず」とか「神様は必ず見ている」なんていう言葉が、嘘とまでは言わないが、人の信じたい願望にしか過ぎないのだなあと、つくづく思い知らされたものだ。
サッカーってのは「手を使わないこと」がもっとも特徴的なスポーツなのに、そこに「わざとハンドして勝つ」なんていう、そのアイデンティティーの根幹を揺るがすようなことがまかり通ってしまったんだもの。そらガーナの選手やなくても、あんまりでっせ、と。
また、このスアレスがなんとも良い味を出しているのが、アサモア・ギャンがPKをはずした瞬間、もう全身ではじけるようによろこびを表現して飛び回ったこと。
いやいや、普通は心では思ってても、そこは空気を感じて天をあおぐとか、手で顔をおおうとか、目をうるませて十字を切るとか、それっぽい映えるリアクションもあろうものではないか。
そこを、まあなんともストレートに「やったで! 作戦大成功や!」って大はしゃぎした日にはアンタ、そらフォローの余地もないというか。もっとかしこまれよ! 「やった!」やあらへんでホンマに。
このときのスアレスの大よろこびっぷりにはねえ、ガーナの選手には悪いけど、もうテレビの前で大爆笑してしまいましてねえ。
こないだのマラドーナの
「ブラジルの選手に睡眠薬飲ませてやたっぜ!」
で大はしゃぎのときも言ったけど、南米サッカーのメンタリティーってのは、良くも悪くもこういうことなんだろうなあ。ある意味、見事なラテンアメリカン・ジョークともいえるかもしれない。
一連のスアレスの行為には、ネット上でも「おもしろい」「期待通りだ」というものから「ガッカリした」「こいつは最悪だ」という意見まであるけど、なんかこう、南米という風土とスアレスという不可思議な感性の人には、そういうモラルでははかれない何かがあるのだろう。
いやほんとに、そのあまりにナチュラルな気ちがいっぷりには、笑うしかないというか、なんだか南米文学に出てくる登場人物みたいな強烈さがある。『百年の孤独』のワンエピソードとかに使えそう。
もちろん、スアレスのやったことはゆるされるわけではないし、FIFAは厳正に処分を下してほしいが、ルールではなく我々小市民の感覚で彼を語るのは、たぶん無理があるんだろう。
そう、その論理や倫理ではかれないデタラメな「ありえなさ」こそが、ルイス・スアレスの持つ「マジックリアリズム」なのだ。そこがまた彼の魅力でもある。
でも、才能がもったいないから、もうやらないでね。
と多くのサッカーファンの苦笑いを生んだのは、ワールドカップ1次リーグD組最終戦ウルグアイ対イタリア戦のことであった。
この試合の後半で、ウルグアイのスター選手である(いろんな意味で)スアレスが、イタリアのDFキエリーニの左肩に噛みついたのだ。
噛みつき! こういっちゃあなんだが、サッカーは多少なりとも野蛮……もといスポーツマンシップに不自由しているスポーツではあるが、噛みつきというのは、そんなルール無用の戦場の中でもなかなか見られない行為である。プロレスじゃないんだから。
もっともスアレスの噛みつきは今さらという話ではなく、これまでも数々の「前科」がある。私は直接見たわけではないが、プレミアリーグやオランダリーグでも相手選手にレッドキングと戦うチャンドラーのごとく歯を立てまくっている。ムチャクチャだなあ。
そんなスアレスと言えば、今でも忘れられないのが、2010年南アフリカ大会の準々決勝。ウルグアイ対ガーナ戦。
古豪復活と、アフリカ勢初のベスト4進出をかけて戦う大一番は、同点のまま延長戦にもつれこむ。
ドラマ(?)が起こったのは、延長後半終了直前。ゴール前で決定機をつかんだガーナのシュートを、ウルグアイの選手は手を懸命に伸ばしてセービング!
生観戦していた私は思わず立ち上がった! すばらしい反応! まさにGSGK、グレート・スーパー・ゴールキーパーの仕事ではないか!
そのミラクル・セーブを見せた選手は青いユニフォームを着たルイス・スアレス。
大ピンチを救った! すごいぞスアレス、さすがはウルグアイの宝や! ……って、そりゃハンドだよハンド、おまえそれ大ハンドだってば!
そりゃまあ、試合終了直前にゴールに飛びこむボールを見たら、選手は手も出したくなるだろう。その気持ちはわかる。実際、対戦相手のガーナの選手も、
「あれはいけないが、立場が逆ならボクも同じことをするだろうね」
そう認めている。
ただまあ、あれはあまりにも露骨でした。「うっかり当たって」とかじゃないもんな。もう全力で「反則上等」という態度。もっとも、うまくごまかすよう、つくろう余裕もないスレスレのところだったから無理もないけど。
もちろん、スアレスはレッドカードで一発退場。ガーナにはPKが与えられる。
ここで順当に終われば良かったのだが、なんとこの決定的な場面でガーナのアサモア・ギャンがPKをはずしてしまう。試合はPK戦にもつれこみ、なんとウルグアイが勝ってしまうのだ。
これには、「悪は栄えず」とか「神様は必ず見ている」なんていう言葉が、嘘とまでは言わないが、人の信じたい願望にしか過ぎないのだなあと、つくづく思い知らされたものだ。
サッカーってのは「手を使わないこと」がもっとも特徴的なスポーツなのに、そこに「わざとハンドして勝つ」なんていう、そのアイデンティティーの根幹を揺るがすようなことがまかり通ってしまったんだもの。そらガーナの選手やなくても、あんまりでっせ、と。
また、このスアレスがなんとも良い味を出しているのが、アサモア・ギャンがPKをはずした瞬間、もう全身ではじけるようによろこびを表現して飛び回ったこと。
いやいや、普通は心では思ってても、そこは空気を感じて天をあおぐとか、手で顔をおおうとか、目をうるませて十字を切るとか、それっぽい映えるリアクションもあろうものではないか。
そこを、まあなんともストレートに「やったで! 作戦大成功や!」って大はしゃぎした日にはアンタ、そらフォローの余地もないというか。もっとかしこまれよ! 「やった!」やあらへんでホンマに。
このときのスアレスの大よろこびっぷりにはねえ、ガーナの選手には悪いけど、もうテレビの前で大爆笑してしまいましてねえ。
こないだのマラドーナの
「ブラジルの選手に睡眠薬飲ませてやたっぜ!」
で大はしゃぎのときも言ったけど、南米サッカーのメンタリティーってのは、良くも悪くもこういうことなんだろうなあ。ある意味、見事なラテンアメリカン・ジョークともいえるかもしれない。
一連のスアレスの行為には、ネット上でも「おもしろい」「期待通りだ」というものから「ガッカリした」「こいつは最悪だ」という意見まであるけど、なんかこう、南米という風土とスアレスという不可思議な感性の人には、そういうモラルでははかれない何かがあるのだろう。
いやほんとに、そのあまりにナチュラルな気ちがいっぷりには、笑うしかないというか、なんだか南米文学に出てくる登場人物みたいな強烈さがある。『百年の孤独』のワンエピソードとかに使えそう。
もちろん、スアレスのやったことはゆるされるわけではないし、FIFAは厳正に処分を下してほしいが、ルールではなく我々小市民の感覚で彼を語るのは、たぶん無理があるんだろう。
そう、その論理や倫理ではかれないデタラメな「ありえなさ」こそが、ルイス・スアレスの持つ「マジックリアリズム」なのだ。そこがまた彼の魅力でもある。
でも、才能がもったいないから、もうやらないでね。