ノバク・ジョコビッチ 生涯グランドスラムへの道 その2

2014年06月15日 | テニス
 ノバク・ジョコビッチの生涯グランドスラムはならなかった。

 前回(→こちら)は、「グランドスラム達成の最後の障害になるのはフレンチ・オープン」というテニス界の「あるある」について語ったが、本当にパリだけどうしても制覇できずに去っていったチャンピオンの、なんと多いことか。

 ジミー・コナーズは1974年絶好調で、ウィンブルドンをふくめ3つのグランドスラムタイトルを獲得したが、フレンチだけは出場停止処分を受けていたため取れなかった。他の年は、4度のベスト4が最高だった。

 グランドスラム6勝のステファン・エドバーグは1989年に決勝に進出したが、17歳の新星マイケル・チャンにフルセットの末ねばり倒された。

 後年インタビューで「あのときは、次またいくらでもチャンスがあると思っていた」と語ったが、彼のフレンチ制覇のチャンスはこの年の決勝、ただ一回のみだった。

 ボリス・ベッカーはウィンブルドンで7回も決勝の舞台を踏んだが、フレンチではベスト4が最高だった。

 それどころか、彼は結局キャリアの中で、一度もクレーコートの大会で優勝できなかった。

 ピート・サンプラスほどパリの赤土から敬遠されたチャンピオンはいまい。決勝どころか、ベスト4すらただ一度。

 そのときも2回戦でセルジ・ブルゲラ、3回戦でトッド・マーチン、準々決勝でジム・クーリエという死の行進のようなドローで全試合フルセットの戦いを強いられ、準決勝では疲れ切り、カフェルニコフ相手に何もできずに会場を去る羽目になった。 

 グランドスラムを達成できたアガシにしても、フレンチを取れたのは他の3つ勝ったあと、かなり経ってからのことだった。

 グランドスラム17勝という記録を持つフェデラーも、2009年4回戦でナダルがセーデリングに敗れなければ(現在までも、これがナダルのローラン・ギャロスでの唯一の黒星)、正直なところフレンチのタイトルだけは取れずにそのキャリアを終えていた可能性は高い(フェデラーは決勝でナダルと4度戦い、すべて敗れている)。

 あと、「最後の一つ」ではなかったが、ジョン・マッケンロー(オーストラリアン・オープンは優勝していない)も1984年に一度だけ決勝まで勝ち上がったが、イワン・レンドル相手に2セットアップから、まさかの大逆転負けを食らった。

 かように、ローラン・ギャロスのタイトルを一回でも取るのは、相当にしんどいことなのだ。

 その意味では、ジョコビッチがフレンチを残して生涯グランドスラムを達成できていないことも、残念ではあるが、テニスファンからすると、「やっぱりなあ」と苦笑いを禁じ得ないところではある。

 なんというのか、本当にお約束と言いますか。まさに「ローラン・ギャロスの呪い」というのか。

 ナダルがいる限り、この呪縛は相当に解けないようにも見えるが、果たしてノバクはこの壁を乗り越えられるのか。来年以降も注目だ。

 
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