島本和彦原作 ドラマ『アオイホノオ』に大いにハマる その2

2014年09月28日 | オタク・サブカル

 前回(→こちら)に続いて『アオイホノオ』鑑賞記。

 私がこのドラマにハマッたのは、「表現したい願望ほとばしるボンクラ男子」に感情移入してしまうからだが、もちろん内容もおもしろい。

 監督をはじめ制作者側が本気で作っている。そのことが伝わってくるのがいいではないか。

 日本のトレンディなドラマの大半が、スターだけ出てきて中身は(特に脚本と演技が)ヘッポコピーなものが多いのだが、ことこのドラマに関しては、なにかもうカメラの向こうから

 「全力で《今まだ何者でもない若者》を悶絶させてやろう」

 という心意気がひしひしと感じられる。

 私も劇中の岡田さんや庵野さんの奇行、島本節としかいいようのない屁理……もとい熱い名セリフをゲラゲラ笑いながらも、第10話『見えてきた光』のSF大会のシーンで、思わず泣きそうになってしまった。

 そう、庵野ヒデアキが叫ぶ、

 「僕は笑いを取ろうとしたんじゃない。感動させようとして、これを作ったんだ!」

 を地で行くシーンがあるのだ。

 会場で自信作のオープニング・アニメを流す岡田トシオや庵野ヒデアキたち。ところが、どういった手違いか映像ははじまったのに音が出ていない!

 「なんでや!」「全部台無しになってまう!」と大パニックにおちいる岡田さんや武田さんたちだが、なんとアニメの方は音が無くても観客に大うけ。

 「おお!」「アカン、涙出そうや」「武田君、泣いたら負けやで」などと、一転歓喜につつまれるスタッフ一同。

 そこでアニメの中の女の子を描いていた赤井タカミ君が、緞帳をつかみながら茫然と、こうつぶやくのだ。


 「これが……ウケるということか……」。


 このシーンを見たとき、私は思わずテレビを指さし、近所迷惑だから声には出せないけど心の中で叫んでしまった。


 「そう! それや、それなんやー!」


 この「自分が創ったなにかが、だれかに大ウケする」。これこそが「表現」することの最大最高のよろこび。

 野球選手がホームランを打ったグリップの感触を忘れないように、碁打ちや将棋指しが絶妙手の感覚を指で覚えているように、スナイパーがターゲットの頭をぶち抜くあの瞬間のように。

 この「ウケる」快感は一度味わったら、もう二度と忘れることはできない。

 私がそれを知ったのは高校1年生、15歳の新人発表会。

 あのとき、1年生代表でただひとり選抜され舞台に上がった私は、「ここは聞くところ」という仕草をすると観客が耳をそばだて、「ここで共感して」というところで「うんうん」とうなずくのを見、そしてとどめに、

 「はい、ここが笑うとこですよ」

 タクトを振り下ろすと、その一振り、一振りごとにバッカンバッカン笑いを取れたことに、すっかり酩酊してしまったものだった。

 舞台でウケる。これこそは麻薬的快感。観客をあやつる支配感。大げさではなく、

 「世界は自分の思うがまま」

 そう感じられる万能感。そして、自分のやっていることが、こんなにもダイレクトに誰かを楽しませ、幸せにしている充実感……。

 これは乞食同様、一度やったらやめられない。

 あのときの私は、きっとあのドラマの赤井君と同じ顔をしていただろう。だからすごく、彼の気持ちがわかって……胸が締めつけられるような気がして……。

 そうして、少しばかり泣けたのである。

 「これが……ウケるということか……」。
 
 島本流の熱い名セリフが点在されるこのドラマだが、もっとも私の心を射抜いたのは、赤井タカミ君のこのつぶやきだ。

 これがウケるということ。世の「表現したいさん」は皆この一瞬の酩酊感が忘れられずに、報われるアテもない作品作りに精を出すのだ。

 もう一度言うが、あのときの赤井タカミ君の目は、おそらく15歳だった私と同じものだ。

 だから私は、売れようが売れなかろうが、才能があろうが無かろうが、プロだろうがアマだろうが、バカだろうがボンクラだろうが中2病だろうが。

 一度でもあの衝撃を味わった、または味わいたいと熱望している若者を見ると、

 「アホだねえ」

 なんて笑いながらも、心揺さぶられずにはいられないのだ。



 (続く【→こちら】)

■DAICON3のオープニングアニメは→こちら


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